第2話 わたしのかいぬし




 ――――わたしには、前世の記憶がある。



 おおむね平和な国に生まれ、概ね高水準の教育を施され、概ね健やかな日々を過ごし……多分、不慮の事故で呆気なく命を落とした。

 死ぬ間際の記憶は曖昧だが、恐らく交通事故か何かだったのだろう。拉げた金属フレームにし潰され、身体が少しずつ冷たくなっていくような感覚を、なんとなくだが記憶している。



 そんなわたしが目覚めたのは、これまたこぢんまりとした金属製の箱の中。ほんの一瞬『じつはまだ死んでなかったのか』とも思ったのだが……まぁ、そんなわけは無い。

 肌に触れる冷たい感触も、鼻の曲がるような薬品臭も、聴覚から侵入し脳深部を揺さぶる不快な音も、これが現実であると無情に告げていた。


 死の直前を想起させるような環境で、自分の身体がも変わり果てていれば、錯乱し取り乱すのも仕方ないことだろう。

 すぐさま金属の箱が開かれ、怪しげな白衣姿の人間に怪しげな薬剤を躊躇なく打たれ、身体のあちこちに貼り付いた線から電流を流され、全く身に覚えの無い単語の奔流を浴びせられ……そこでわたしの置かれた状況を、なんとなくだが察することが出来た。




 概ね平和な世界で一度死んだわたしは、年齢や背格好や性別やらの一切が変わり果てた上で、怪しげな研究組織の実験体として第二の生を歩むこととなった。

 現実離れした経緯に『なぜ』が大量に乱舞していたのだが……実際なってしまっているんだから、受け容れるしかない。



 ……察するに……この子は恐らく、ということなのだろう。

 大の大人の男……もとい、大人の男であったわたしでさえ、とても耐え難い仕打ちの数々。この身体の元の持ち主は、どう見ても幼い少女であろう。身も心も、耐えられるとは到底思えなかった。


 この子と同様、苛烈な仕打ちに耐えることが出来ず……しかしながらこの子わたしとは異なり、二度と動かなくなってしまった同僚を、わたしは見飽きる程に見送ってきた。

 幾度か『わたし』の身に起きた現象を説明し、待遇の改善を訴えたりもしてみたが……そんなわたしの声は『実験によって精神が歪んだ被験体の妄言』と、一考の余地もなく切って捨てられた。




 そんな地獄のような環境も、耐えていれば慣れていってしまうもので。わたしは数少ない生き残りとなり、幾人かの同輩とともに専用機もうひとつの身体を与えられるはこびとなり。

 機体のテストと、各種データの収集のためにと派遣された南方戦線にて待ち構えていたのが……わたしのすてきな『ご主人さま』である隊長どの、ユーハドーラ・ウェスペロス大佐との出会いだった。





『…………何です、この辛気臭い枯れ枝のような子供は。……コレを観察しろ、と言うのですか? この私に?』



『ハァ…………全く、どいつもこいつも面倒事ばかり持ち込んで来る。……技術局ファクトリーからの依頼でなければ、突き返してやったものを』



『…………ほお? 私の言葉を理解しましたか。……躾のなっていない駄犬を押し付けられたとウンザリしていましたが、一応の知性はあるようですね。……素直なのは良いことです』



『アナタの食事です、九番。一切残さず、全て摂取なさい。……この私の所有物である以上、見窄みすぼらしい様は赦しません』



『…………何を勘違いしているのです。アナタに礼を言われる筋合いなどありません。……備品の管理点検など、気を配って当然でしょう。備品は備品らしく、大人しく従っていなさい』




 ……決して、照れ隠しというわけでは無いだろう。私が仕えるウェスペロス大佐は、実際のところ非常に陰険だし、神経質で、厭味ったらしく、選民思想で、傲慢で、自己中心的な思考の持ち主である。

 まかり間違っても善人ではないし、汚い子どもに施しを与えるような方では、断じて無い。

 彼の管理下に置かれ、所有物として少なくない時間を過ごした私にだって、そんなことはもちろん理解できる。



 しかし……それでも。


 彼の管理下に置かれ、わたしの『性能』が彼の目に留まり、ウェスペロス大佐直々に正規配属申請が上げられ、正式配備ロールアウトの判断が下され。


 そのおかげでわたしは、尊厳さえ奪われた『実験動物』としての生活から脱し、れっきとした軍属の特務尉官としての立場を授かることができたわけで。


 つまるところ……薄汚れた野良犬だった私に、餌と首輪と住処を与えてくれたのは、ほかならぬウェスペロス大佐であるわけで。



 既に元々、あらゆる点で『壊れかけていた』わたしは、完全にそこで歪んでしまったのだろう。






「…………当然です。この私が直々に使のです。その程度の働きなど、軽く果たして貰わなくては困ります」


「っ、……はいっ」


のほうは、問題はありませんね? ……機体ともども、違和感があれば直ちに報告なさい。常に万全の状態を維持するように」


「はい、っ」


「次の指示まで自室にて待機。……下がってよろしい」


「はいっ」




 はー…………大佐どのは今日もかっこいい。すき。


 他者を侮蔑しきった鋭い目つきかっこいい。隙がない軍服の着こなしかっこいい。さっきまでわたしと同じように出撃してたのに支度整えるの素早くてすごい。わたしには出来ない管理のお仕事こなしてるのすごい。


 わたしの上司。わたしの管理責任者。わたしの持ち主。わたしに存在意義を与えてくれた、わたしのご主人さま。

 備品であるわたしに対してドライであり、それでいて適切にマネジメントを行ってくれる。そんなところも含めて、大佐の魅力だとわたしは感じている。

 わたしの性能ことをよく理解してくれて、最大限活かしてくれる大佐どのは、やはりわたしのいちばんの理解者なのだ。



 まあ……これがおそらく『依存』であることは、なんとなくだが理解している。

 わたしは崩壊しそうになる自我を保つため、色々な意味での『強者』であるウェスペロス大佐に縋ることで、自己の平静を保とうとしているのだろう。


 そんな冷静な認識が無いわけではないが、しかし大佐に対しての認識も、実際のところは先のとおりである。

 大佐どのはわたしを重用してくれているし、効果的に運用してくれている。それでいてわたしの状況にも気を配ってくれており、負荷の大きい無茶な運用は(可能な範囲で)慎んでくれている。



 とはいえ、このレッセーノ基地の陥落を防ぐためには、わたしの働きは無くてはならないものだろう。

 休日などあるはずもなく、ほぼ常に『待機』しておく必要がある。敵軍の襲撃はわたしのコンディションが良いときとは限らないし、疲労蓄積時や夜間なんかももちろん多い。

 たとえそんなときでも、必要に迫られればわたしは自分の仕事をこなす。ウェスペロス大佐が『やれ』と言うのであれば、わたしは妄信的に取り掛かるまでだ。


 周辺地域の戦況も、レッセーノ基地戦力の稼働状況も、わたしのバイタルデータも、大佐はしっかりチェックしてくれている。

 わたしには到底管理しきれない、多種多様で膨大なデータを鑑みた上で、大佐はわたしに『何をすべきか』を指示してくれるのだ。

 先の出撃に関しても……敵軍基地に空戦型の追加戦力が回されたとの情報を得て、態勢を整えられる前に奇襲を仕掛けたというものだ。

 エメトクレイル10機もの大部隊を、きわめて迅速に動かせるわたしだからこそ可能だった作戦である。もしこの機を逃してしまえばパワーバランスは敵軍へと傾き……わたしたちの戦況は、どんどん厳しくなっていったことだろう。



 大佐の言うとおりに仕事をしていれば、実際どうにかなってしまう。

 駐屯戦力がお世辞にも充分とは言えないレッセーノ基地が戦えているのは、間違いなく大佐の指揮あってこそなのだ。


 はー、ほんとすごい。大佐すごい。しゅきしゅき。




 そんなカッコイイ大佐にして、わたしの直属の上司にして、わたし【N-9Ptノール・ネルファムト】が所属する部隊の隊長だが……この基地における評価は、お世辞にも高いとは言い難い。

 とはいえそれも、ある程度は仕方ないことだと思っている。なにせわたしの隊長どのは、他者をあからさまに見下す言動が標準仕様であらせられるのだ。


 ……いや、確かにこの基地の最高責任者はウェスペロス大佐である。階級的にも彼がトップなわけで、つまりそれ以外の『階級が下』の者を見下すのも、責められるいわれは全く無い。まあ実際下なわけだし。

 しかしながら……それを一切はばかることなく、必要以上に扱き下ろすような物言いで、これでもかと角を立てまくっていれば、嫌われるのも当たり前だろう。


 隊長どのが影で『陰険メガネ』呼ばわりされているのは……呼ばれている本人も含め、この基地のほぼ全員が知っている。

 でも隊長どのはそんな陰口にも屈さず、真面目にてきぱきとお仕事をこなしているのだ。面と向かって言われるでもない限りは、そんな陰口や悪口も見逃してあげているし、懐が深いところも素敵である。



 そんなウェスペロス大佐であるからして、彼はこの基地内でもかなり『浮いた』存在であるらしい。

 もともと人的資源に乏しく、充分な人員配置とは言い難いレッセーノ基地ではあるのだが……しかしどうやら、ウェスペロス大佐と親しい将官は居ないようなのだ。


 ……いや、少し前には居たのだ。

 わたしと同様の実験体『特務制御体』の評価試験を行っていた、ふたりの将官。しかし彼らは中央からの辞令によって、観察していた特務制御体ともども、内陸部の研究拠点へと異動になってしまったらしい。


 戦況の変化だとか、支援者スポンサーの意向だとか、アレコレ理由はあったのだろうけど……事実として彼らは去っていき、この基地にはわたしと陰険メガネ大佐が残された。

 それから幾らかの月日が経ち、幾度かの戦火を交え、自軍に決して少なくない被害をこうむり、機体エメトクレイルとそれを駆る搭乗者がどんどん減っていき。



 あるときを境に……中央からの人員供給が、あからさまに滞るようになった。



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