第14話リセット

 瀬名と沙綾香の姿を一回ずつ見つめた真名はため息をついた。ベッドで二人きりで距離は数センチあるかないか。おっぱじめようとしていたところと言われたら納得できる状況だ。

 瀬名は急に現れた真名に驚きを隠せなかった。


「せ、先生…」


「なーに私が不在の時に面白そうな事してんすか。ヤるなら私がいる時にやれよ」


「別にやろうとしてたわけじゃないですから!…別に」


「じゃあその鼻血はなによ。スケベな顔しやがって」


「これはバスケットボールにやられたんですよ。…一応診てもらっていいですか」


 瀬名は掴んだ沙綾香の手を放して丸椅子へと座る。真名は棚からガーゼやら何やらを取り出して瀬名の前に座る。


「あちゃー、これまた派手にやったね君。ティッシュ血まみれじゃん…ちょっと鼻つまんで下向いてて。血、口の中に垂れてきても飲んじゃダメだからね?」


 真名はぐいっと瀬名の顔を下に向けた。下を見た状態になった瀬名の視界は床に支配される。

 変なタイミングで見つかったなと瀬名が頭を抱えていると、真名が問いかけてくる。


「…にしても、珍しい組み合わせね。あんたら仲いいの?」


「…この前の席替えで席が隣になって、それからです」


 下をむいた瀬名の代わりに沙綾香が答える。声にどこか動揺が含まれているのは先程の出来事のせいだろう。


「ほー…それで話す内に仲良くなって今まさにここで白昼堂々おっぱじめようと…」


「だから違いますって…」


「でも沙綾香ちゃん否定してないけど?」


 意地の悪い真名の言葉に瀬名はバッと顔を上げる。瀬名の視線の先にはほんのりと頬を赤らめ、うつむいた沙綾香の顔があった。

 

「いや、その、そういう流れなのかなって、思っちゃって…」


 言い訳を述べる子供のような口ぶりで沙綾香は言葉を紡いでいく。その顔を赤く染めているのはその”行為”に対する気恥ずかしさから来ているのだろう。そういう噂も多い彼女が頬を赤らめているというのは瀬名にとってはなんだか以外な一面だった。すべてが本当じゃない、というのは本当のようだ。


「こらこら、下向いてなさい。…もう少し時と場わきまえなさいよ」


「だから違いますって…何回否定すればいいんですか」


「だってこの時間に二人でおサボりなんてやっぱり言い訳できないじゃない?」


 言い返したかったものの、状況が状況なだけに言い訳の弁が浮かんでこない。どうにも言い訳のできない瀬名は黙りこくるしかなかった。

 

「ま、流石に本当にヤろうとしてたわけじゃないだろうけど…実際のところ二人で何してたの?エロガキはともかく…沙綾香ちゃんはおサボり?」


「まぁ、はい…」


 歯切れの悪い言葉で沙綾香は答える。様子を見るに、どうやら何度かお世話になっているようだ。

 真名はふぅとため息を吐きながら述べる。


「否定はしないけど、授業は出たほうがいいわよ?こいつだって球技の授業でも我慢して出てるんだから」


「…先生って月凪さんと仲いいんですか?」


「まーね。結構来るからそれなりにはよ」


 沙綾香が保健室によくいるというのは頻繁に耳にする話だ。おそらく沙綾香はサボる事が多いのだろう。瀬名は確認の意味も込めて問いかける。


「…それって結構サボってるってことですか?」


「…言い方」


「すんません…」


 真名ではなく沙綾香がジト目で答える。瀬名にはその表情が見えなかったが、とりあえず謝っておくのが吉だと信じて謝罪した。


「別に具合が悪い時だって来るし。…少しサボっちゃうだけで」


「”少し”ならいいんだけどね。教員側からしたら心配になっちゃうんですけど」


 真名からの視線から逃げるように沙綾香は目を逸らした。本人としても分かっているが、目を背けたい部分なのだろう。それを見た真名は諦めたように再びため息をついた。


「まったく、こっちとしても追い出すわけには行かないから困っちゃうのよね…日向くんサボらないように見張っててよ」


「まぁ見れる限りは」


「…厄介なことになっちゃったなぁ」


「そんな嫌そうに言わないでくださいよ。サボってても良くないですって」


「日向くんだって今サボってるくせに」


「嫌サボってるわけじゃないですって…」


「え?わざと当たってサボってるんじゃないの?」


 沙綾香はキョトンとした顔で問いかけた。瀬名は億劫な気持ちを抑えつつ、その質問への返答を口にする。


「違いますよ。…ちょっと球技が苦手なだけです」


「こいつは球技に死ぬほど嫌われてるのよ。だから球技の授業になるとこうやって来ることが多いの」


「…ボールに嫌われてる人ってほんとにいるんだ」


  真名の補足説明に沙綾香は更に目を丸めた。

 特異体質なのではないかと自分でも思ってしまうぐらいに瀬名はボールに嫌われている。いちいち休んでいては成績に関わるため、今日のバスケだって分かっていて参加した。こうして保健室のお世話になるのがオチなのだが。


「…いーなー。私もボールに嫌われてたらなぁ…」


「いいもんじゃないですよ。投げたボールが跳ね返ってきて顔に当たるなんてザラにありますから」


「でもそしたらサボれるじゃん」


「そこまでしてサボりたいですか?」


「…分かってるくせに」


 沙綾香が目を細める。瀬名は先程の話を思い出してその口を閉ざした。

 沙綾香が授業をサボるのにも理由がある。噂を否定も肯定もしない彼女を良く見る生徒は少ない。むしろ、訝しむような目で見る人が多いのだ。

 今更否定したところで誰が信じるわけでも無い。そうなれば沙綾香は必然的に孤立してしまう。それ故に疎外感を感じてしまう沙綾香はサボりがちになってしまうのだ。


「…やっぱあんたら仲いいの?」


「なんで二回も聞くんですか」


「なんとなくよ。さ、そろそろ止まったんじゃない?」


 顔を上げてみると、瀬名の鼻からは生暖かい感覚は消えていた。真名も鼻血が止まった様子を見て『良し』と呟く。


「もうオッケーかな。あんまり鼻擦ったりしないでね。…ほら、そろそろ休み時間になるよ。帰った帰った」


 時計に目を向けるともうすぐで授業時間が終わるところだった。瀬名は沙綾香に目線を送る。沙綾香も察したようで、ベッドから立ち上がった。


「次からヤる時は私に申告するように」


「だからしませんから!!」


 瀬名はそう言い残すと少し乱暴に扉を閉めた。扉を閉めた音が派手に廊下に響いたのを皮切りに二人を沈黙が包んだ。

 瀬名はちらりと沙綾香の表情を伺う。彼女の頬は未だにほんのりと熱を持っており、こちらから声をかけるには少し来が引けた。

 そんな瀬名の視線を察してか、沙綾香が口を開く。


「…ねぇ、さっきの話…なんだけどさ」


 沙綾香の言葉に瀬名は体を彼女の方に向ける。この先の話を聞くにはこうやって正面から向き合わないといけない。そう感じたからだ。

 瀬名は震える拳を握った沙綾香が口を開くのをじっと待つ。彼女の内面での葛藤が表面から見て取れた。

 沙綾香は勇気を振り絞ってその言葉を口にしようとした___その時だった。


「あれ、沙綾香ちゃんじゃ〜ん」


 場にそぐわない来の抜けた声が瀬名の背後から通り抜ける。その声に振り返ると、数名の女子生徒がこちらを向いて立っていた。どの顔も瀬名の記憶にないあたり、頬下のクラスの女子生徒のようだった。

 沙綾香の友人だろうかと瀬名は目線を彼女に向ける。だが、危機迫った様子の彼女の表情を見てその予想が外れている事を悟った。

 女子生徒の一人が周りに聞こえる声量で声を上げる。


「あれぇ?もしかしてそっちのって新しい”お財布”?先輩は飽きちゃたからついに同級生に手出し始めたんだぁ?」


「っ…」


 厭味ったらしい口ぶりのその女子生徒は沙綾香を追い詰めるかのように言葉で追い立てていく。


「財布って…どういう意味だよ」


「あはは、騙されちゃってるんだ。…その娘、君の事騙して金だけむしり取る気だよ?」


 彼女がそんな事するわけがない。瀬名の頭に熱が登り始める。


「…月凪さんがそんな事するはずないだろ」


「噂、聞いたこと無いの?それとも純粋過ぎるだけ?」


「あんなの嘘に決まってる!」


 瀬名が声を荒げる。怒り慣れていないために少し声が上ずっていたが、そんなことなど気にする余裕は今の彼には無い。


 沙綾香は心が締め付けられるような感覚に襲われる。自分を追い出そうとしてくる現実が、自分を刺してくる言葉が、荒げた声が、全てがノイズとなって彼女の心を締め付けた。

 苦しい。ただ苦しい。やっとのことで見えてきた希望だったというのに、また逆戻り。また一人。そんなのは___


「っ!!」


 沙綾香はたまらずその場から逃げ出した。後ろから聞こえてくる声など脇目も振らずに廊下を駆け抜けていく。


「っ、月凪さん!!」


 既に瀬名の声は沙綾香には届いていなかった。


「あーあ、やっぱり。いいから君もさっさとあんな子…」


 その時、少し乱暴に扉が開かれた。


「ちょっと、あんたらなにやってんのよ」


 少しドスの利いた声で真名が女子生徒達を睨んだ。果たして女なのかと疑ってしまうほどの鬼のような表情に女子生徒達は焦りながら廊下を奥へと消えていってしまった。

 女子生徒達が消えた後に数秒の沈黙を挟んで真名はため息をついた。


「はぁ…少し遅れちゃったみたいね。…あんた、なにしたのよ」


「いや、俺はなにも…」


「そうじゃないわよ。別にあんたが原因だとは疑ってないから。…あの子、滅多に人に心を開かないのよ。私だって丸一年かかったんだから」


 いつもよりも疲れた表情で真名は吐き出す。その言葉には計り知れない苦労がこもっていた。


「俺はただ、普通に話しかけてただけで…」


「…そう。悪いけど、こっちとしてもあぁいう奴らをいちいち注意することもできないの。キリがないしね。だから、助けてあげられるのは案外近くにいるあんたなのよ」


「俺が?」


「そう。だから、あんたが助けてやりなさい」


 いつも適当な彼女からの重い一言。それだけに瀬名の心にはずっしりとくるものがあった。


「…ほら、行った行った。早くしないと手遅れになるわよ」


「っぇ、は、はい!」


 瀬名はあてもなく沙綾香の背中を探し始めた。

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