第7話帰り道
「えー、それじゃ連絡は以上。部活するやつは怪我に気をつけて。帰る奴は事故に気を付けろ〜いいな?」
担任の連絡が終わり、HRが終わりを告げた。授業から開放された生徒たちは部活に向かう者、そそくさと帰宅の準備に入る者に別れる。瀬名は後者だ。
瀬名は帰宅部なため、基本的に放課後は自由だ。バイトをしたり、亮太や奏斗が休みの日は遊んだりとやりたいことをやっている。
「瀬名、お前今日帰んの?」
教科書を鞄に詰め込んでいいたところで亮太が話しかけてくる。サッカー部に所属している彼はいつもどおり部活のようだ。
「うん。亮太部活でしょ?…なにか頼もうってんじゃないだろうな」
「いやいや、そんなわけないだろ…ただ、ちょーっと駅前のスニーカー屋をみてほしくて…」
「自分で行けよ。瀬名にパシリさせんじゃねぇ」
瀬名の心を代弁してくれたのは奏斗だった。相変わらず長い髪の毛を手でいじりながら瀬名の机に座り込む。その姿はさながら幼なじみを庇う優しい女子生徒だ。
服が男子用だからかろうじて男子と判別できるが、セーラー服などをまとえば完全に女に見える。
知らない生徒が奏斗を見て勘違いすることだって少なくはない。瀬名に懐いているところを見た生徒が奏斗を彼女と勘違いするのは最近こそないが、クラスが変わってからは訝しげな視線が瀬名によく向けられていた。
「なんだよ。お前だってこの前瀬名にジュースパシらせてただろ」
「俺はいいんだよ。瀬名と”ここ”で繋がってるからな」
奏斗は自らの胸部を叩きながらそう言い放つ。傍から聞いていても意味の分からないその言い分に瀬名も亮太も首をかしげた。
これも平常運転かと思考を放棄しつつ、瀬名は奏斗に問いかける。
「奏斗も部活?」
「あぁ。だからわりぃけど放課後は付き合えない。少しばかり寂しい思いを…」
「なんでお前はそんなに瀬名に甘々なんだよ。俺にも優しくしろ」
「うわきっしょ」
「流石にきついぞ亮太」
「…優しくしてほしいだけなのにそこまで言うかよ」
「冗談だよ。…優しくはしないけど」
「いやそこは優しくする流れだろ。なんでだよ」
「お前にやる慈悲はないんだよ。ほら、行くぞ秀吉」
二人で亮太を馬鹿にしたところで満足したのか、奏斗は亮太の首根っこをつかんで教室を去った。廊下から『誰が秀吉だよ!』と遅れたツッコミが聞こえてきたのは言うまでもないだろう。
台風みたいな奴だなと少し微笑んだ瀬名も手早く教科書を鞄に詰め込み、教室を後にした。
校門前に出ると、春にしては少し強い日差しが瀬名を出迎えた。春ももうすぐ終盤戦。じめじめとした季節はすぐそこまで迫ってきている。
昨今の地球温暖化には目を張るものがある。こうして瀬名を苦しめる暑さも年々その力を増している。各国の首相達にはいち早くこの問題の解決に取り組んでほしいものだ。そんなことを考えながら歩いていると、数メートル先に見覚えのある青い影が見えた。瀬名は目を凝らしてその影を注視する。彼の予想通り、沙綾香のようだった。
またよくよく見てみると、近くには一人の男子生徒。以前に自販機前で沙綾香を打ったあの男子生徒だった。懲りずにまた沙綾香につきまとっているらしい。
あんな事をしておいてまた沙綾香にいいよっているところを見るに、彼は相当諦めが悪いタイプのようだ。
運の悪いことにこの時間帯は帰る生徒が少ないためにこの通りには沙綾香と男子生徒の他に瀬名しかいない。たった一人いた生徒が瀬名だったのが幸運だろう。
瀬名は気づかれないように少しずつ足の運ぶ速度を早めて近づいた。
近づくにつれて二人の会話が耳に入ってくる。
「この前はあんな事しちゃったけどさ、俺達やっぱりやり直せると思うんだよ…」
「…しつこいですよ。もう終わったことって言ったじゃないですか」
「…この状況分かって言ってんのかよ。俺とお前、二人きりなんだぞ?」
「俺も入れて三人ですね」
「なぁっ!?」
瀬名は後ろから男子生徒の肩を掴む。男性生徒は息を殺して近づいてきた瀬名に気づいていなかったようで、らしくなく素っ頓狂な声を上げた。瀬名はそのおどろいた表情を見てにやりと口元を釣り上げる。
「日向くん…!?」
「お、お前いつの間に…」
「後輩を口説くのは別に咎めませんけど、相手は選んだほうがいいんじゃないですか?」
「な…見ず知らずのお前に言われる筋合いねーよ!!」
「見ず知らず、ですか?…俺の顔、覚えてないんですね」
わざとらしくしょんぼりとした表情の瀬名の言葉にその男子生徒は彼の顔を注視する。数秒見つめたところで気づいたようでw狩りやすく取り乱した。
「あ!お前、あの時の…!」
「思い出しましたか?…じゃあ俺の言いたいこと、わかりますよね?」
「っ…仕方ねぇな」
アニメに出てくるチンピラのようなセリフを吐き捨てると、その男子生徒は足早にその場を去っていった。
去りゆく背中が曲がり角を曲がるまで見届けて完全に離れたのを確認した瀬名は胸をなでおろした。
「ふぅ…危なかったですね」
「…日向くん、いつの間に…」
まだ安心できていない様子の沙綾香は瀬名の袖をつかんだ。
瀬名は少々気恥ずかしかったが、周りに生徒の目もないし、悪い気はしなかったので言及することはなかった。
助けに来ておいて動揺するのはカッコ悪いと思い、瀬名はできるだけ表情を取り繕いながら続ける。
「歩いてたら月凪さんの姿が見えたんで声かけようと思ってたら…って感じです」
「そう…なんだ。その…助かったよ。ありがとう」
「いいんですよ。…このまま一人で帰るのは危ないでしょうし、途中までご一緒させてください」
「うん…」
瀬名は沙綾香に歩幅を合わせながら歩き出す。格好つけて送りますよなんて言ったのはいいものの、瀬名は自分で作り出したこの状況にドキドキしていた。
(…やっべ。なんか緊張してきた…月凪さんまだ袖掴んでるし。…俺変な匂いとかしないよな)
他愛もない悩みがふつふつと沸いてきたところで瀬名は気分転換をしようと切り出した。
「…月凪さんって家はここらへんなんですか?」
「ここからはちょっと遠いかな。あっちの住宅地にあるんだ」
沙綾香が指した方向に瀬名は目線を向ける。目線の先には数キロ離れているであろうこの距離からでもはっきりと見えるほどの家が建ち並んでいた。
(…もしかして月凪さんの家ってお金持ちなのか?)
「…日向くんの家はどこなの?」
不意に瀬名の背中に沙綾香が問いかける。取り乱したのを隠すように瀬名は笑顔で返す。
「俺の家は駅の近くですよ。駅出て10分ぐらいです」
「そうなんだ。…ごめんね。帰り遅くなっちゃうかも」
「大丈夫ですよ。俺、一人暮らしなんで」
「…一人暮らしなんだ」
以外と書かれた顔で沙綾香は呟いた。思ってたのとは違う反応をされた瀬名は小首をかしげた。
「以外、でしたか?」
「いや、まぁ、うん」
沙綾香の歯切れの悪い返事に瀬名の疑問は更に加速していくが、これ以上聞き返すのも野暮だろうと深くは追及しないことにした。
二人の間に再び沈黙が訪れる。話題が途切れてしまったがために多少の気まずさを孕んでいたその沈黙は瀬名を苦しめた。
この際聞きたいことを全部聞いてしまうのも手だったが、ガツガツ攻められるのも沙綾香は嫌だろうと判断して頭の隅へと追いやる。瀬名が沙綾香に聞きたいことは山程あったが、また今度の機会にすることにした。
どうしたものかと思考しているうちに先に口を開いたのは沙綾香の方だった。
「あのさ…日向くんはどうして私の事助けてくれたの?」
尻すぼみに勢いが減っていく沙綾香の言葉にはどうにもできない重みが含まれていた。
疑問、というよりもある言葉を待っているような様子の沙綾香は瀬名の瞳を見つめる。なにかを渇望しているその枯れた瞳は瀬名に助けを求めていた。
瀬名はためらわずに答えた。
「そうしたかったからです。それ以上でも、それ以下でもないですよ。…人を助けるのに理由なんていらないでしょう?」
瀬名の言葉を受けた沙綾香は目を見開いた。それが欲していたものでも、恐れていたものでもなかったから。
格好つけたにしては純粋過ぎるその一言を受けてもなお沙綾香の心は乾いたまま。わがままだと自覚はしているが、その乾きは自身で抑えられるものではない。
沙綾香はらしくなく取り乱しながら続ける。
「…日向くんだって見たでしょ。私、貴方が思ってるほど綺麗な人じゃない。それでも、そう言えるの?」
瀬名は間を置かずに答えた。
「俺は月凪さんが綺麗な人だなんて思ってません。かと言って汚れた人だとも思ってません。何も知らないんです。だからこそ、月凪さんの事を知りたいんです。たとえ貴方がどんな人であろうとも避けるつもりはありませんよ」
その瀬名の言葉は沙綾香の不安を断ち切った。
今まで一人として現れなかった人間。誰一人として歩み寄らなかった彼女に唯一自ら歩み寄ってきた人間がそこにいた。沙綾香にとって初めての経験だった。
欲していた言葉ではなかった。それでも、瀬名の言葉は沙綾香の心の穴を埋めてくれた。
「…そっか。変な人だね日向くんは」
「変…ですか?」
「うん。変な人。…手、握っててもいい?」
「え、は、はい遠慮なく…」
瀬名の手にするすると巻き付くように沙綾香の指が合わさる。急な頼みであったために思わずOKしてしまったが、瀬名にとって異性と手を繋ぐなど幼稚園以来の出来事だったために心拍数は遥かに上昇していた。
(…なんだこの状況。なんで俺は月凪さんの手を握ってるんだ?俺手汗とかかいてないよな?…もしかしてこれ家につくまでこのまま?)
沙綾香の家に到着するまでの十数分間、瀬名の心臓は跳ねっぱなしだった。
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