第5話クラスのマドンナ
クラスの中の女子は誰が一番可愛いか。男子生徒なら一度はするであろうその無責任な格付けはこのクラスの女子とて例外ではない。
昼休みになった教室。瀬名は今、クラスの端にできた男子の輪の中にいた。皆の話題は『このクラスでタイプの子』というもの。各々がそれぞれの癖に刺さる女子を指さしていく中、最も多くの票を集めたのが彼女だった。
「ゆ〜め〜今日もかわいいね〜」
「佐奈、なんかおっさんみたいじゃない?」
「あはは、変態親父だ〜」
篠崎夢。このクラス___いや、この学園一の美少女と称されている女だ。このクラスにおける立ち位置はいわゆる、”マドンナ”だ。
クラスのマドンナというものは男子からの人気があればいいというものではない。周りの環境、女子からの信頼。それに加えて本人の立ち振舞いも評価基準に入る。
周りから見て相対的にだとか、逆に僅かな差で、というわけでもない。彼女は絶対的な完璧少女だからこそこのクラスのマドンナなのだ。
「あぁ、今日もお綺麗なご尊顔…」
「お前ほんとに家臣になってるじゃん…」
まさに釘付けといった様子の亮太に瀬名はつっこみを入れた。目が飛び出ていくんじゃないかと思わせるほどに夢のことを凝視している。目は乾かないのだろうか、と的外れな事を思いながら瀬名はやきそばパンにかじりついた。
「秀吉は篠崎さん大好きだからな。…ここだけの話、この前授業中に隠れて写真撮ってたんだぜ?」
「えぇ…マジで?」
瀬名は衝撃を隠しきれず顔を引きつらせた。
亮太が夢に好意を寄せていることは彼も知っていたのだが、親友がそんなストーカーみたいなことをしているとは彼も思っていなかったのだ。流石の瀬名も親友がストーカーなのだとしたら付き合いを考え直さざるを得ない。
「馬鹿、それを言うんじゃねぇ!…瀬名違うんだ、これは愛ゆえの行動で…」
「…うん。分かってるよ。だから言い訳しないで。…ストーカー?」
「ちっ、違う!てか言い訳とかじゃないし!俺は夢さんファンクラブの会長として…!」
「秀吉、正直に言ったほうが情状酌量の余地はあるぞー?」
「だー!お前らは黙ってろ!ほら、お前らが余計なこと言うから瀬名がゴミを見るような目で俺を見てる!」
瀬名は無意識に軽蔑の目を亮太に向けていた。というか、そうせざるを得なかった。
「あははっ、まぁまぁ許してやれよ瀬名」
瀬名に肩を組むように一人の男子生徒が寄りかかってくる。
彼の名は
瀬名と知り合ったのは今年になってだが、妙に気が合うことから瀬名と亮太とはよく話している。三人で遊ぶこともしばしばだ。
瀬名にはかなり強い思いがあるようで、ダーリンと呼んでいることが多い。見た目も相まってカップルだと勘違いされることがよくあり、最近まで彼女持ちだと思われていたのはこの学園では有名な話だ。
かなり良い性格をしている奏斗は人をからかうことで愉悦を覚えるタイプの人間だ。今回の標的はどうやら亮太になったらしい。
「いや、親友がストーカーは流石にきついだろ…」
「大丈夫さ。亮太がいなくなってもお前には俺がいるだろ?」
奏斗は自らの親指で自分を指した。普段から前髪で隠れがちな顔が瀬名に彼の自信を訴えかけていた。
奏斗はその女とも男とも取れる顔ににっこりとした笑みを浮かべる。お気に入りの瀬名に決め台詞を言えたようでかなり満足のようだった。
そうだな、と言いかけたところで亮太が二人の間に割って入る。
「すとーっぷ!俺を除け者にすんじゃねぇ!」
「いや、除け者っていうか変質者だし、俺だって除け者にしたくてしたわけじゃ…」
「そうだぞ亮太。俺らだってな…信じたくはなかったぞ…」
「なぁーんでそうなるんだよ!言いから一回人の話を聞け!」
瀬名と奏斗は必死な亮太を見て内心笑っていた。瀬名は普段こういう事をする性格では無いが、相手が亮太ということもあり存分に楽しんでいた。奏斗はただ単に亮太を馬鹿にしてケラケラと笑っていた。
「くっそ…お前らは愛を知らないからそうやって人の事を馬鹿にできるんだ。瀬名、お前好きな奴いないのかよ!」
もうやけになったとしか思えない亮太の発言で瀬名は思考にふける。
考えてみれば瀬名は生まれてこの方誰かを好きになるという事がなかった。可愛い女子がいれば可愛いなとは思うし、優しくしてもらえば優しいなぐらいには思う。それだけだった。
誰かは好きになるという経験がない瀬名は自分の好きなタイプが良く分からなかった。性的興奮は感じることはあるが、そんなものと繋げて言いかも分からず、瀬名はただ口を一文字にしていた。
「んー…いないかも」
「嘘つけよ!多感な男子高校生だぞ?好きな人の一人や二人ぐらい…」
「まぁまぁ。瀬名は多分俺の事が好きなんだよ。な?」
奏斗のアイコンタクトに瀬名は適当なウィンクで答える。奏斗が中性的な見た目であることから傍から見たら仲の良いカップルだ。だが、実際はただ野郎がふざけているだけである。
「んなわけねーだろ!奏斗は邪魔すんじゃねぇ!」
「そうかっかすんなよ。マイダーリンに言いたいことがあるなら代わりに俺が…」
その言葉を皮切りに亮太と奏斗の口論が続いた。ストーカーだのマイダーリンだの普段使わないであろう言葉の応酬に瀬名はとりあえず考えるのをやめた。賑やかなのも悪くないだろうと外の景色に視線を移す。
「なぁ瀬名。…ここだけの話、お前月凪さんとはどうなのよ?」
一人のクラスメイトが瀬名の横顔に問いかけた。興味深い話に亮太と奏斗以外の男子の目線が瀬名に集まった。
瀬名はどうなんだろうと自分に問いかける。最初こそ沙綾香を危険視していた瀬名だったが、関わるにつれてその偏見の壁もなくなっていた。
いくつかの噂は多少尾ひれの付いたものではあったが本当だった。しかし、それによって瀬名の沙綾香への評価が変わることはなかった。むしろ今までよりも彼女を知りたい、と思っている。うまくは言い表せないものの、彼の抱いている感情はマイナスのものではなかった。
「うーん…よくは言い表せないけど、悪い人じゃないよ。きっと。そんな気がする」
「…なんかお前らしいな」
いつも通りな瀬名の曖昧な答えにクラスメイト達はため息をついた。期待していた回答ではなかったものの、男子たちは瀬名らしいしいいかという理由で全会一致だった。
(そういえば月凪さんは…)
ふと脳裏に浮かんだ彼女の顔に瀬名は自分の席に視線を滑らせる。彼女はいつもの席に座っていた。
瀬名は言い争う二人を横目に自分の席へと戻った。隣に座った沙綾香が瀬名に目線を向ける。
「…今日はお弁当持ってきてるんですね」
今日はしっかりとお弁当を持ってきているようで、沙綾香は一人で食べていた。卵焼きをつまみながら沙綾香は答える。
「流石にね。また忘れてたら誰かさんを飢え死にさせちゃいそうだし」
「ははは…そうかもっすね」
瀬名と話す沙綾香の表情は少しだけやわらかなものだった。他の人に向ける表情とは少しだけ、ほんの僅かだが口元が緩んでいる。多少なりとも沙綾香は瀬名に信頼を寄せているようだった。
「…男子達で何話してたの?」
「なんか好きな人の話です」
「…そういうのって修学旅行とかでするんじゃないの?」
「俺もそう思ってたんですけど…抑えきれないみたいな?」
瀬名も状況がよく分からなかったためにうまく説明できなかったが、変な伝わり方をしているのは沙綾香の表情を見ればわかることだった。
とりあえず分からないこともあると結論付けた沙綾香はクラスの隅で取っ組み合いになっている亮太と奏斗に目線を向ける。瀬名が話していたときよりも論争が激化しているようだった。
「…なんか喧嘩してるけど大丈夫なのあれ」
「あー…多分大丈夫です。篠崎さんがどうこうって争ってるだけなので…」
「…やっぱり篠崎さんって人気なの?」
ふと沙綾香は瀬名に問いかけた。彼女の表情はどこか曇っており、なにかを忌避しているような様子だった。瀬名は落ち着かない様子の沙綾香に首をかしげるが、特に言及することはなく続ける。
「まぁ…人気ですよ。あぁなるぐらいには」
「そっか。やっぱりか。…日向くんはどうなの?」
「俺…ですか?俺は…別にいないですよ」
聞き返されるとは思っておらず、瀬名はたじろぎつつ返す。彼の返答を聞いた沙綾香はどこかホッとした様子で肩を下ろした。
「そうなんだ。…よかった」
安堵した様子だった沙綾香は一つ息を吐くと、ためらいながらも瀬名になにかを伝えようと口をモゴモゴさせる。
「えっと…日向くん、その…篠崎さんはさ…」
「…篠崎さん?」
「私が何?」
話を遮るように金色の影が瀬名の視界に飛び込んでくる。目線を沙綾香から横へとスライドさせると、そこには話の種だった夢が立っていた。
沙綾香は彼女の姿を見て少しだけ肩を跳ねさせる。瀬名はその姿に首をかしげた。
「篠崎さん…どうかしたんですか?」
「いやぁ、私の名前が聞こえたからさ。…二人って結構仲いいの?」
夢は瀬名の一つ前の席に座る。話した事が少ない瀬名に対してもこのフランクな距離感で接してくるのは彼女の人気の理由の一つだろう。亮太だったら鼻血を出して喜んでいるところだろうが、あいにく瀬名は女を見ても鼻血は出ない人種だ。誰かさんのように取り乱すことなく答える。
「隣になってからはよく話しますよ」
「そうなんだ〜なんか以外な組み合わせだね!」
何十という男を仕留めてきたのであろうその笑顔は太陽のように明るく、眩しいものだった。だが、瀬名はそれを違和感を感じていた。
まるで貼り付けられた仮面のような、心の何処かでは違う感情が潜んでいるようなその偽りの表情に瀬名は誤魔化しきれない違和感を感じていた。
「…?どうしたの瀬名くん?」
「あぁ、いや、なんでもないっすよ」
「…もしかして私に見惚れちゃった?ふふっ、も〜ダメだよ?簡単に惚れたらつまんないからね?」
夢は瀬名に人差し指を向けてそう言い放つ。語尾に星がついてきそうな声からは彼女の可愛らしさが溢れ出ていた。
「…」
「…月凪さん?」
「…ごめん、ちょっとトイレ」
そうそっけなく言い残すと沙綾香は席を立った。
瀬名はどこか様子のおかしい沙綾香の後を追おうとしたが、彼の手は夢に引き止められた。
「夢さん…?」
「沙綾香ちゃんどうしたんだろうね?…ところで瀬名くん」
一つ間を置いて夢は言った。
「沙綾香ちゃんのこと好き?」
にっこりと笑みを浮かべて夢は瀬名に言い放つ。その事実確認には言い表せない”圧”があった。まるでこちらを見定めているような不思議な圧。彼女の表情からは想像ができないほどの圧に瀬名はうろたえた。
取り乱した瀬名を見て沙綾香は小首をかしげる。そして再びにやりと口元を釣り上げた。
「あー!やっぱり好きなんだ!」
「いやっ、俺が月凪さんの事をなんて…恐れ多いっすよ」
「またまた〜そう言って気になっちゃってるんじゃない?」
ここぞとばかりに攻めてくる夢に瀬名はタジタジだった。この流れになると否定しいてもフリにしか聞こえないために否定すればするだけ不利になるのは瀬名の方だった。
どうにかこの流れを打ち切りたいところだったが、夢の嗅覚は凄まじく、根掘り葉掘り聞かれて答えないわけにもいかず問答は十数分続いた。
「そっか〜…でもさ、沙綾香ちゃんはやめておいたほうがいいと思うけど?」
もう話すこともなくなってきたその時だった。夢が声のトーンを一つ下げてそう囁いた。やはりこの人もか、と瀬名は思いつつも聞き返す。
「…それはどういう?」
「いやだってさ…やばい噂いっぱいあるじゃん?上級生振り回してるとか、パパ活してるとかさ…」
「…全部噂じゃないっすか。本当だって決まったわけじゃないですし」
「それでもだよ。…このままだと瀬名くんも財布にされちゃうかもよ?」
夢の言うことが正しくない訳では無い。むしろ正しすぎる。それは瀬名も重々承知のことだった。それでも、それを加味してもなお瀬名の思いは変わらなかった。
「それでも、ですよ篠崎さん。たとえ月凪さんがどんな人間でも、俺はあの人を避けるつもりはありません。…その先でどんな目にあっても、俺の責任です」
「へー…瀬名くんって案外頑固なんだね。…ま、大変になりそうだったら言ってよ。すぐに助けるからさ」
そう言い残して夢は女子の輪の中へと戻っていった。彼女のどこか不満そうだった表情が頭に残った瀬名は少しばかり首をかしげる。しかし、思考のするまもなく彼の肩に衝撃が走る。
「せぇーなぁー???」
「りょ、亮太!?…いや、これはちが…」
「なにがちげぇんだよ…俺の夢さんを…!」
「奏斗!ヘルプ!」
「はいよ〜」
昼休み。ゆるりとした雰囲気が包むその時間に瀬名は二人の争いに沈んでいった。
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