第3話お昼

 四時間の授業を耐えた後に訪れる昼休み。生徒たちも一層賑わうその時間帯に瀬名は亮太と共に構内の購買まで来ていた。

 レジ前にできた列に二人で並びながら今日の席替えについて話始める。


「お前まさか月凪さんの隣になるとは、災難だったな…お前、なんか変な事されてない?」


「変なことって?」


「例えば…シャーペンで刺されるとか」


「なんだよそれ。小学生じゃん」


「笑い事じゃねぇって。…あの月凪さんだぜ?何されるか分かったもんじゃないぞ?」


 妙に神妙な面持ちで警告してくる亮太を前に瀬名は口を閉ざした。

 一時間目に教科書を見せてもらってから今に至るまで特に変なことはされていない。そのような事をする人には見えないし、むしろいい人のように瀬名は思っていた。そう繕っているだけ、という可能性も無いとは言えないが。


「月凪さん、別に悪いことしなさそうな人だったけど?」


「そう繕ってるだけだって。…そのうち食われるかもだぜ?」


「人間が人間の事食えるわけねぇだろ馬鹿か」


「…俺もそこまで馬鹿じゃねーよ」


 呆れたような亮太の表情に瀬名は首をかしげた。どうやら彼は少し純粋なようだ。

 そうこうしているうちにレジの順番が回ってきた。


「あちゃー…焼きそばパン売り切れか」


 残念そうに呟いた亮太を横目に瀬名はレジのおばちゃんに『アレを』と頼むと財布から200円を取り出す。

 レジ脇に取り付けられた棚から焼きそばパンが一つ出てきた。


「はいよ。焼きそばパン」


「ありがとおばちゃん。また頼むね」


「な…!?お前、まさか買収を…!?」


「ちげーよ。ちょっと仲良くなっただけ」


 瀬名はいつも昼食はここのやきそばパンだ。人気商品が故に買えないことも多いが、瀬名はレジのおばちゃんと仲良くなっているためいつも特別に自分の分を取っておいてもらっているのだ。

 

「くそ…お前裏切ったな?悪い奴と隣になったからって悪くなりやがって…」

 

 亮太は悔しそうに瀬名の手に握られた焼きそばパンを見つめた。真面目な性格だが時にズレた行動もする。それが瀬名だ。


「それは違うだろ。…本当に悪い人なの?」


 瀬名は純粋な疑問を亮太に投げかける。彼女に関する悪い噂は彼も聞いた事があったが、どれも噂の域を出ない。間近で見たあの笑顔がまだ頭に残っている瀬名はその噂がどれも嘘のように感じていたのだ。

 しかし、亮太はきっぱりと言い切った。


「当たり前だろ。噂が一つや二つならまだしも、何個もあるんだぜ?それに、目撃情報だってある。たとえ全部違ったとしても、どこに証拠があるんだよ?まさか本人がやってないって言ってたからとか言わないよな?」


「それは…そうだけど」


 瀬名は口を閉ざすしかなかった。今亮太の言葉に反論できるほどの判断材料を瀬名は持っていない。否定することができなかったのだ。

 瀬名はどうしても否定したかった。あんな顔をする人が悪い事をしているイメージがどうしても沸かなかったのだ。その目で確かめたわけでもないし、教科書の件があったが、それでも庇うほどの恩があるわけでもない。ただ、純粋に信じられなかったのだ。


「…なぁ、お前なんでそんなに月凪さんの事庇うの?」


 亮太の一言で瀬名は冷水をかけられたような気分になった。

 よくよく考えてみれば自分でも分からなかった。なぜ自分は彼女の事を養護しているのだろう?まだ出会ったばかりの大して親しくもない間柄でここまでするのは異常だ。

 ただ噂が信じられないという理由で片付けるにはどうにもむず痒い感情が瀬名の中にはあった。


「…なんでだろう」


「…曖昧な奴だな」


 曖昧な感情を胸に秘めたまま瀬名は教室へと戻っていった。




「瀬名、俺の席辺りで食おうぜ」


「おう。ちょっとスマホ取ってくるから待ってて」


 瀬名は少し寂しくなった教室へと戻った。昼休みは屋上やら中庭やらに人が散るため、授業の時比べれば教室にいる人数は少なくなる。現にこの教室も埋まっていない席のほうが多い。


 瀬名は自分の席に戻ると必然的に沙綾香の姿が目に入った。昼食を取っているわけでもなく、ただ机に伏していた。死体ですと言われたらそうなのかと納得できるほどに動く気配のない彼女を瀬名は見つめた。

 数秒見つめていると、その塊はもぞもぞと動き始めた。急な動きに瀬名は肩を跳ねさせる。


「…何」


 長く伸びた髪の毛の合間から沙綾香の顔が現れた。少しうつろな目で机の前に立った瀬名に視線を寄せた。


「えっ…あー、何してるのかなーって」


 瀬名は言い訳など当然考えておらず、なんとか絞り出した言葉で取り繕っていく。

 どうやら沙綾香は先程から瀬名が自分を見ていたことに気がついたようで、訝しげな視線を彼に向ける。今日二度目の体験に瀬名は心臓の鼓動を加速させた。


「…別に」


 沙綾香はゆっくりとした口調で答えた。


「昼ごはんは?」


「…」

 

ぐぅ〜


 沙綾香が口で答えるよりも先に彼女の腹の虫が瀬名の問いかけに答えてくれた。

 

「…もしかして忘れたんですか?」


「…抜いてるだけ」


 瀬名にはとてもそのようには見えなかった。彼女のうつろな目と沈んだ表情から彼女が苦しんでいることは明らかだった。おそらくお弁当を忘れた、ということなのだろう。

 困っている人を見ると放っておけないタチの瀬名はどうしたものかと考え始める。その時、彼の目線は手元の焼きそばパンに止まった。


「…これ、よかったらどうぞ」


「え…これ…」


 沙綾香は差し出された焼きそばパンを見て目を見開いた。その様子を見た瀬名はすぐさま日本人特有の『読む』能力を発動した。


「あ、焼きそばパン苦手でしたか…?」


「…いや、これ人気のやつじゃん。…いいの?」


「はい。教科書の時のお礼です」


 できるだけの笑顔を繕って瀬名はそう言った。沙綾香はどうと言うわけでもなかったが、ただ瀬名の顔を見つめていた。

 気まずい沈黙が辺りを包み始めた絶妙なタイミングで沙綾香は口を開いた。


「…日向くんの分は?」


「…」


 考えてなかった。そう口にすることは瀬名にはできなかった。


「はぁ…日向くんって馬鹿なの?」


 沙綾香の鋭い一言が瀬名の心を突き刺した。ごもっともすぎる意見に瀬名は反論すらできなかった。


「…私にこれ渡してどうするつもりだったの?」


「…それでいいかなって」


「少しお節介が過ぎるんじゃない?そんな事されても私申し訳ないんだけど?」


「…すいません」


 なぜか説教をされてしまった瀬名は肩を寄せて反省の意を示した。我ながら馬鹿だったなと心の中でも反省する始末。自分が怒られているこの状況には疑問を抱かないらしい。良くも悪くも純粋というのはどうやら本当のようだ。

 沙綾香はため息をついた後にパンを半分に割った。


「はい。半分こにしよう」


「え…いいんですか?」


「いいんですかって日向くんが買ってきたやつじゃん。…食べよ?」


「…はい!」


 瀬名は半分になった焼きそばパンを受け取った。そして沙綾香の隣に座ると二人で食べ始めた。

 厄介に思われたかなと心配していた瀬名だったが、彼女の横顔を見てその心配は吹き飛んだ。

 半分になった焼きそばパンを頬張る彼女の横顔は少し明るかった気がした。





「…あいつ、俺の事忘れてるだろ」

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