第5話 ゲルトラウデ
ゲルトラウデとイザベルが教育係となって――ハインリヒがこの世界に転生してから半月が経った。
「うおぉっ!」
「まだまだ……ねっ!」
今日もハインリヒはゲルトラウデと打ち合っていた。
ハインリヒの剣はゲルトラウデにあっさりと受け流されてしまうが、自分の成長を如実に感じられていた。
少なくとも、今のハインリヒを見て素人と断じる者はいないだろう。
むしろ、【武神】というこの世界最強クラスの
(この体になってからというもの、原作のハインリヒは本当にもったいないことをしてると痛感する。せっかくこんなに運動神経がいいなら腐らず努力すれば……まぁ彼の境遇も理解できるが)
「あははっ! いいじゃない! アンタの剣筋、大分まともになってきてるわ!」
これというのも、ハインリヒを定期的に褒めてくれるゲルトラウデの存在が大きいだろう。
原作のハインリヒは人間不信になってこうしてゲルトラウデの教育を受けることができなかった。
その結果努力しても蔑まれ、努力することを止めてしまった原作のハインリヒが完成したという訳だ。
(しかし、初日以降ゲルトラウデとイザベルがいやに優しい気がするんだよな……気のせいか?)
「クスクス……」
「っ!」
瞬間、どこからか聞こえる嘲笑の音。
思わず体を硬直させてしまう。
「見てよ。またハインリヒ王子がゲルトラウデ様と打ち合っているわ」
「『魔王の生まれ変わり』がいくら努力したってグレンデル殿下に勝てる訳ないのに」
「あ~あ。決闘の日が待ち遠しいわ。早くあの気持ち悪い王子がグレンデル殿下にいたぶられる様子を見たいもの」
「「アハハハハハ!」」
「……」
城の中からこちらを伺い笑いあうメイドたち。
彼女たちはわざとこちらに聞かせるために窓を開き、ハインリヒを嘲っていた。
思い出されるのは、前世のあの目。
自分を疑惑と、悪意と、偏見のこもった視線で見る人間たち。
(……ちっ。本当に嫌な目だ音だ。…………いっそのこと、今からあいつらを――)
「――気にするんじゃないわよ」
「……えっ」
全く想定していなかった方向からの声に、思わず振り返る。
そこには神妙な顔でこちら見つめているゲルトラウデがいた。
「……アンタはあいつらから離れるためにグレンデルの奴との決闘を受けたんでしょ? だったら、今はこっちに集中しなさい」
なんでゲルトラウデが決闘のことを知ってるんだろう、と思ったがどうせイザベルが話したのだろう。
ともかく、ゲルトラウデのその言葉が、ハインリヒをどす暗い憎悪の海から引きあげてくれたのは事実だった。
「……ありがとう」
その後の訓練では、不思議とメイドたちの罵詈雑言が耳に届かなくなっていた。
◇
「あぁ……疲れた」
ゲルトラウデによる訓練の休憩時間。
「怠け者のアンタはちょくちょく休憩挟まないと死んじゃうでしょ」とはゲルトラウデの言だ。
まぁ、原作の彼女を知るハインリヒには、それが彼女なりの優しさだと分かっていた。
「ゲルトラウデ、そろそろ訓練を再開――」
水分補給から戻ったハインリヒは中庭のベンチに座ったゲルトラウデを見つけ、そこで言葉を止めてしまう。
ゲルトラウデはベンチで本を読んでいた。
その様子はまるで深窓のご令嬢のようで、先ほどまで剣を振り回していたこの国最大の戦士と謳われる【武神】の面影は全くなかった。
「……あ」
しかし、そこでゲルトラウデと目が合ってしまう。
「~~~~!」
そしてゲルトラウデは顔を真っ赤にさせると読んでいた本を背中に隠した。
「み、見た?」
と、消え入りそうな声でそう尋ねるゲルトラウデ。
そりゃあ見たものは見たが、ただ読書をしているだけでそこまで恥ずかしがる意味が分からない。
(……あぁ、そういうことか)
そして、ハインリヒは思い出した。
ゲルトラウデはベッタベタの恋愛小説が好きなのだ。
彼女には「お姫様願望」とでも言うべきものがある。
きっと、今読んでいた小説も『女神の祝福』でよく読んでいたありきたりな恋愛小説なのだ。
囚われた姫様が隣国の王子に助けられ結ばれる……みたいな。
しかし、【武神】という
自分には叶わない夢だ。
そしてなにより、可愛い少女が読むならともかく、【武神】なんて
原作の主人公はそんなゲルトラウデの一面を認めつつ距離を縮めていく、と言うのが原作におけるゲルトラウデルートのあらすじだ。
(さて、なんと答えるべきか)
再度改めて確認するが、ハインリヒは人嫌いだ。
そんな彼にとって、ここでゲルトラウデにとって優しい言葉を投げかける必要はない。
「やっぱりアタシなんかがこんな本読んでたら、変よね……」
そもそも人と関わりたくないハインリヒにとってゲルトラウデと同じ時間を過ごしているこの現状こそ忌避するべきものだ。
だったら今、自分がとるべき対応はこのゲルトラウデの言葉に同調することではないのだろうか。
自分はゲルトラウデの頼みごとを渋々聞いている立場であり、本来ならこんな関係すぐにでも終わらせてしまいたいはずなのだから。
「…………」
しかしハインリヒは、「そうだ。お前はおかしい」そんな簡単な言葉が口に出せない。
だって、それでは、自分が周囲にされていることと一緒ではないか。
【武神】という男勝りな
それは彼のもっとも忌むべき偏見だ。
そしてなにより――
『気にするんじゃないわよ』
(ちっ……)
「別に、いいんじゃないか」
「え……?」
「俺にとっては、君がどんな本を読もうがどうでもいい。君は変わらず俺に武術を教えてくれればいい。俺が望むのはそれだけだ」
ハインリヒは、彼女を否定せず、そしてなるべく厳しい言葉を選んだ。
ハインリヒはゲルトラウデと深い関係になることを望んでいない。
しかし、安易に彼女を否定できない。
その結果、そんな物言いになったのだ。
「ふ、ふふふふ……」
「……?」
そんなハインリヒの耳に届いたのは、笑い声だった。
ゲルトラウデを見ると、彼女は涙目になりながらも笑っていた。
「そんなこと言われたの、初めてだわ! ふふふ……」
「……そうか」
ハインリヒはそれ以上、何も言えない。
逆に何を言えというのか。
「……ありがとね」
「は?」
そして放たれる感謝の言葉。
何故。
ハインリヒの脳内はその言葉で埋め尽くされる。
自分はそう言われないように言葉を選んだつもりなのに。
「なんの、感謝なんだ」
「今の言葉もだけど……改めて。アタシに付き合ってくれて」
「……その感謝なら不要だ。今の言葉はただの俺の感想だし、君に付き合ってるのは俺のためで――」
「――ううん。知ってる? アタシ、【武神】って
それはそうだろう。
【武神】の
そんな彼女と戦えば身体もプライドもギタギタにされてしまう。
「だから、そんなアタシに付き合ってくれるアンタがありがたいって話よ」
「――」
「ふふ。あと半月も、ちゃんと付き合ってよね」
そう言って、ハインリヒに笑いかけるゲルトラウデ。
これがギャルゲーなら間違いなくゲルトラウデルートに突入しているだろう。
それはハインリヒの望む展開ではない。
しかしなぜだろうか。
ハインリヒはゲルトラウデの笑顔から目を離せないでいた。
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