第3話 努力

 ゲルトラウデとイザベルがハインリヒの教育係となったその日から、ハインリヒへの教育は始まった。


「ぐはぁ!」


「ほらほら! こんなんでへばってんじゃないわよ!」


 まずは、【武神】という作中でも最強クラスだった祝福ギフトを持つゲルトラウデによる剣術の訓練だった。


 しかし――


(くそ! そういえばゲルトラウデって感覚派の人間だった!)


 訓練とは言っても、ただひたすらに剣で打ち合うだけ。 

 しかも、方やゲルトラウデは個の能力がとてつもなく高い【武神】という祝福ギフト持ち、方やハインリヒは元はただの社会人で武器の扱いなんて全くの素人。


 戦いと言うレベルにもなっておらず、ハインリヒはなんども胃の中をひっくり返していた。


(……でも、誰の教えも受けられないなんてことは慣れっこだからな)


 ハインリヒは前世の記憶を思い出す。

 父親が母親を殺したという特殊な背景を持つ彼は、周囲にひたすらに腫物扱いをされてきた。

 その結果、学生の頃入った部活でも誰からの指導も受けたことがなかった。

 しかし、ハインリヒはそのお陰で見るだけで技術を学ぶ術を手に入れた。


 ハインリヒは集中してゲルトラウデの剣筋を見極める。

 

「あら……! 意外とやるじゃない! 実は隠れて訓練でもしてたのかしら!」


 自分でも意外なことに、ハインリヒはゲルトラウデの技術をどんどん吸収できていた。

 おそらくだが、ハインリヒという身体は前世の自分よりも運動神経がいいのかもしれない。


(……それに、こんなに体を動かしたのはずいぶん久しぶりだし。なんか楽しいかもな!)


 何かを学ぶということへの楽しみを改めて思い出したハインリヒは、ゲルトラウデ目掛けて見様見真似で剣を振り下ろす。


「よし! ここ、だ……!?」


「あ、ちょ、ちょっと!?」


 しかし、ゲルトラウデはハインリヒの剣をするりと受け止めた。

 だが、そんな動きは今までの人生で感じたことのない感触だった。


 簡単にバランスを崩したハインリヒはゲルトラウデごと地面に倒れこんでしまう。


 ――ポヨン


(いった……くない? それに、なんだ……? この両手に感じる柔らかい感触は)


 しかし、予知した痛みは来ない。

 ハインリヒが恐る恐る目を開けると――


「~~~~~!」


 視界いっぱいに顔面を真っ赤に染め上げたゲルトラウデが映った。


(ちか……! でもやっぱり、ゲルトラウデってかわい――)


「あ、あああアンタ! ど、どどどこ触ってんのよ!?」


「え……?」


 ゲルトラウデに見惚れ、反応が一瞬遅れてしまう。

 ゲルトラウデの視界の先では、ハインリヒの両手がゲルトラウデの豊かな双丘をがっしりとつかんでいた。


「おわあああ!? す、すまん!」


 それに気づいたハインリヒは人生で最も速い動きで後ろに飛びのく。


「あ、あり得ない! 婚姻を結んだ相手以外の胸を揉むだなんて! 不健全! 不埒者!」


「す、すまん……! 決して意図したわけではなく……!」


「う、うぅ……。まだ誰にも触らせたことないのに……」


 ゲルトラウデは自分の身体を抱きながら、赤面して目じりに涙を貯めていた。


 そういえば、ゲルトラウデは貞操観念が高いキャラだった。

 そういう関係にならないと体を触れるだけでも不健全と断じる性格だったことを思い出す。


「すまなかった」


 ハインリヒはジャパニーズ土下座で本心から謝った。

 こういう時、これ以上状況を悪化させないために必要なのは言い訳ではなくひたすらに謝罪だ。


「ふ、ふん……。その様子だとわざとじゃないんでしょ?」


「わ、分かるのか?」


「ええ。グレンデルの奴とは違って邪な目線を感じなかったし」


(あっぶねえええ! 訓練に真剣に取り組んでてよかった!)


 正直、ゲルトラウデ程のナイスバディを持っていれば凝視しない方が失礼だとは思うが、鋼の心で耐えていた甲斐があったというものだ。

 ハインリヒは心の中で一生その恋心が実ることがないだろうグレンデルに合掌する。


「ほら、訓練に戻るわよ。さっさと立ちなさい」


「了解だ」


 それから数時間、ハインリヒはゲルトラウデにみっちりと鍛えられた。

 それ以降、ゲルトラウデはこのことを気にする様子はなく、ハインリヒはほっと一息ついたのだった。


 ◇


「それじゃあお次は……座学の時間」


「よろしく頼む」


 ゲルトラウデの訓練が終わり午後になると、ハインリヒは自室にて机を挟んでイザベルと向かい合って座っていた。


「でも、私、人に何かを教えるってよく分からない」


「は、はぁ……」


 イザベルはそう言うと、机の上にバサバサと紙の束を乗せる。

 それはこの世界の地図だったり、数式だったり、魔法陣だったり……とにかく彼女のノートのようなものだった。


「だから、何か分からないことがあったら言って。その都度解説するから」


「わ、分かった」


 これも、ハインリヒには慣れたことであった。

 特殊な背景を持つ彼は、教師に質問をしても手短に済まされてしまうし、勉強を教えあう友達なんて存在もいなかった。

 だから、彼にとって一人で勉強するというのは当たり前のことだった。


「じゃあ私は、魔道具いじってる」


 そう言って、イザベルはよくわからない道具をいじりはじめた。

 しかし、ハインリヒはそれが『女神の祝福』に登場する魔道具だということを知っていた。


 宝石のような石を金属製の部品が取り囲む道具。

 それは魔道具といって、本人が使えない魔術でも多めの魔力を消費することで発動できる道具だ。


 しかし、それがまだ使えない失敗作であることをハインリヒは知っていた。

 魔道具が原作でも使えるようになるのは、主人公とイザベルの関係が深くなってからだ。


 両者の絆が深くなると、主人公はイザベルと共同で魔道具を発展させ、やがて実用化に至る。

 その結果イザベルは深く主人公に感謝し、ようやく恋人ルートのフラグが立つという訳だ。


(まあ、この世界でもその役は主人公に任せたらいい)


 それから、一時間ほど経った後。

 ハインリヒがこの世界の地図を一通り覚えた頃だった。


「…………」


「な、なんだ?」


 イザベルが、相変わらずの眠たげな眼でハインリヒを見つめていることに気が付いた。


「さっき、聞いた。グレンデルと決闘するって」


「あ、ああ。その話か」


 イザベルは表情を変えないで淡々と話し続ける。


「しかも、負けたら南西の辺境の領主になるとも。なんで受けたの?」


「……これ以上、人と関わるのが嫌になっただけだ」


「つまり、決闘にわざと負けて辺境に行きたいってこと?」


「そうなるな」


 ハインリヒは頷いた。


「じゃあ、テオドールに直接言えばいい。『俺は辺境の領主になりたいんだ』って」


「いやぁ……あいつは隙を見せたら喜んでいじめるタイプだろ」


 テオドールの暗黒微笑(笑)を思い出す。

 きっとああいう人間は、自分から辺境に行きたいと言えば逆に行かせないように細工をするだろう。


「……なるほど。まあ一応、応援はしておく」


「なぜだ?」


「うーん。どうせその決闘ってテオドールも絡んでるんでしょ?」


「まぁ、そうだな」


「そう。じゃあテオドールへの嫌がらせ」


(あいつらことごとく狙ってる女に嫌われてるな。まぁ、自業自得だし俺の知ったことではないが)

 

「でも俺はその決闘に負けるつもりでいるんだが」


「……そうだった。じゃあ、少し期待するくらいにしておく」


 それ以降、時間になるまでハインリヒとイザベルの間に会話はなかった。 

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