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 ……何か、柔らかいものが俺の頭に触れている。

 そう感じた時、俺は目覚めたのだと気づいた。

 目を開けて、一番に視界に入ったのは……すやすやと眠りについている沙里さりちゃんの姿だった。


沙里さり……ちゃん」


 体を起こして初めて、俺は今まで沙里さりちゃんの膝枕で寝ていたのだと分かった。

 起きて体を動かしたことが原因なのか、沙里さりちゃんも目を覚まし始めたのだった。


「んぅ……。あ、琴未ことみちゃん。おはよう」


沙里さりちゃんもね。おはよう」


 挨拶を交わし、俺は立ち上がる。

 どうやらここは琴未ことみの部屋のようだ。だが、確か気絶する前は城の中だったような……?

 ぽけーっとしている俺を見て悟ったのだろう。沙里さりちゃんは少し困ったような表情を見せながら解説してくれた。


「もー、琴未ことみちゃんとかける先生を運ぶの大変だったんだよ?」


「え?」


「気がついたらお城にいるし、沙里さりちゃんとかける先生は倒れてるし、何がなんだか分からなかったのにお城が崩れ始めるし……。まあ、魔法で何となかったけどね」


「ごめん沙里さりちゃん。説明したかったんだけど気絶しちゃって……」


「いいよ琴未ことみちゃん。話は全部駆かける先生から聞いたから。……それにしても、ミリカちゃんの正体がかける先生だったなんてねぇ」


 彼女の口ぶりからすると、琴未ことみはまだ自分の正体を明かしていないようだ。

 これは、俺が側にいて初めて語ろうと言うのだろうか。

 とりあえず、琴未ことみのところに行かないとな。


「ねえ沙里さりちゃん」


「何、琴未ことみちゃん」


「こと――かけるはどこにいるの?」


「この下で休んでいるよ」


「そっか。行こう、沙里さりちゃん」


「うん」


 俺の言葉に頷く沙里さりちゃん。

 彼女の服装も清純さを表している白のワンピースで、元に戻っている。

 快い笑顔も健在だ。もう、彼女の中に魔王はいない……!

 リズム良く階段を降りていく沙里さりちゃん。それに続く俺。

 リビングにたどり着くと、そこには俺が椅子に腰掛けながらテーブルに肘を置いていた。

 あの様子だと、緊張しているな? 沙里さりちゃんに真実を伝えることに。

 しかし、沙里さりちゃんはそんなことも知らずに健気にかける姿の琴未ことみに話しかけた。


かける先生。琴未ことみちゃんが目を覚ましました」


「え? あ、ああ……」


「……う」


 なんて声を掛けようか。沙里さりちゃんがいない時だと、普段と同じような言葉遣いだったけど、彼女がいるとそれは不自然に思われてしまう。

 ……ってか、もうそんなことは関係ないのか。

 俺は妙に視線を合わせてくれない琴未ことみに向けて、そっと頷いた。


「なあ……もういいんじゃないか?」


「……うん」


「へ? 琴未ことみちゃん、どういうこと?」


 意識が通じ合った二人。それに目を点にさせて事態を把握できない沙里さりちゃん。

 そんな彼女を可愛いと思っている間に、琴未ことみ沙里さりちゃんの目の前に立った。

 今の琴未ことみは俺の姿であるから、どうしても身長差が出てしまう。だけど、琴未ことみはしゃがむことでその差を縮めた。

 目と目が合う琴未ことみ沙里さりちゃん。


沙里さりちゃん……聞いて欲しいことがあるんだ」


「ど、どうしたんですかかける先生? そんな改まって……」


「……私ね、かける先生じゃないんだ」


「え?」


「……今は、琴未ことみなの。沙里さりちゃん」


「こ、琴未ことみちゃん? だって、琴未ことみちゃんは私の後ろに……」


「それはね沙里さりちゃん。私とかけるの体を入れ替えたんだ」


「い……入れ替えた?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきで琴未ことみと俺を見比べている沙里さりちゃん。

 彼女が驚くのも無理はない。そう、無理はない。


「あの日……私が一人で怪物退治しに行った日のこと。覚えてる?」


「……うん。あの日だけ特別に、琴未ことみちゃんが一人で怪物と戦おうとしたんだよね?」


「あの時、偶然駆かけるに会ったの。そして、嫌な考えが浮かんだ」


「それが……体を入れ替えるってことなの? かける先生……いや、琴未ことみちゃ……ん?」


「そう。エンジェルロッドにお願いしたの。誰か、私を救ってって。辛い私と……代わってってね」


「……じゃあ、あの日から……琴未ことみちゃんは……!」


 後ろを振り返った沙里さりちゃんは、驚きの表情を見せている。

 どんな顔をすればいいのか分からず、俺は何とも微妙な顔つきをせざるを得ない。

 だが、沙里さりちゃんは一回だけため息をつくと、再び琴未ことみの方へ向き合った。


「……そっか。琴未ことみちゃんの様子が通りで変だなって思ったわけだよ」


沙里さりちゃん……」


「じゃあ、あの言葉も、かける先生が言ったってことなのね……」


 あの言葉。それはつまり、あのお風呂場で言ったことだろう。


『……確かに、帰りたいって気持ちがある時もあったよ。でも、今は違うの。……強くなりたい』


 あれがあったからこそ、沙里さりちゃんは救われた。

 つまり、まだ沙里さりちゃんは琴未ことみが変わったことを知らないのだ。

 沙里さりちゃんは喉を一度だけ鳴らしながら涙を堪え始める。

 それは、自分の運命を悟っているからこその悲しみだった。


琴未ことみちゃん……元の世界に……帰るんだね?」


「……沙里さりちゃん」


「えへへ、大丈夫だよ。私は琴未ことみちゃんの意見を尊重するから。だって、琴未ことみちゃんは――」


「帰らないよ」


「え?」


「私、まだ帰らない。この世界で強くなって、ちゃんとした魔法少女になる」


琴未ことみちゃん……!」


沙里さりちゃん。今で迷惑掛けてごめんなさい。今日から、本当の私の戦いを始めるから……」


「うん……うん……!」


「だから、かけると一緒に私の成長を見てて……!!」


 そう言って、琴未ことみは俺を見つめる。

 姿は俺だが、中身はれっきとした琴未ことみだ。心は伝わる。

 ……ああ。俺も見届けてやるよ。お前の成長をな。

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