33

「空、怖かった?」


「そ、そりゃ怖いわよ。琴未ことみ沙里さりと違って空飛べないもの」


「ごめんね樹亜羅きあらちゃん。私、そこまで考えてなかった……」


「別に悪い意味で言ったんじゃないよ、沙里さり。ちょっと羨ましいなって思って」


「えへへ、樹亜羅きあらちゃんにも出来るよ」


沙里さりちゃん……それはちょっと無理があるような……」


 二人の代わり映えしない会話。だけど、今はそれが心地良い。

 ふと俺は空を見上げる。そこにはまだミリカが残っている。

 ただ佇んでいるその姿は、こちらを羨ましそうにも見えた。

 でも無視だ無視。アイツ、今日は攻撃してこなさそうだし、さっさと寝て明日に備えなきゃだしな。


沙里さりちゃん、樹亜羅きあらちゃん。もう夜だし、お泊まり会の続きをしようよ!」


琴未ことみの言うとおりだね。沙里さり、行こう」


「うん! 樹亜羅きあらちゃ――」


 樹亜羅きあらちゃんの言葉に笑顔で頷いた沙里さりちゃん。

 その瞬間、俺たちの周囲が異様な暗さに支配された。

 ただ暗いというわけじゃない。何か緑色の気色悪い光に照らされているのだ。


「な、何!?」


「まさかコバルダンがまだ……!?」


「そんなことないよ琴未ことみちゃん! コバルダンは確実に消え去った! 樹亜羅きあらちゃんだって無事だもん!」


「じゃあ……コバルダンの言ってたことが……!!」


 全てを言い終わらない内に、俺たちの地面に何やら呪文らしき文字が浮かび上がってきた。

 それが何を記述しているか分からないが、俺たちを取り囲むような円状に記述されている何かに嫌な予感がしてくる。

 コバルダンの言っていた魔王。それが目覚めるってことなのか!?

 とりあえず、俺は樹亜羅きあらちゃんを抱えて空を飛ぼうとする。


沙里さりちゃん! 一旦空に!」


「分かったわ琴未ことみちゃ――あぅ!!」


沙里さりちゃん!?」


 呪文を唱えて空を飛ぼうとした沙里さりちゃんの様子が一変した。

 目を見開いて、ビクンと体を跳ねさせた沙里さりちゃんが放心してしまったのだ。

 彼女はそのまま膝をついて手をだらんと地面の方に向けている。

 口元もだらしなく開けて、目もとろんと上の空だ。

 一体どうしたんだ沙里さりちゃん!


沙里さりちゃん! どうしたの大丈夫!?」


「…………」


「さ……沙里さり!! 返事をしてくれ! さり――」


沙里さりちゃん!!」


 ちゃん付けを止めてしまうほど動揺している俺を差し置いて、ミリカが沙里さりちゃんの元へ向かう。

 彼女は緑色の呪文が描かれている地面に着地すると、すかさず沙里さりちゃんの肩に手をかけた。


「ねぇ沙里さりちゃん! コバルダンに何かされた? ねえ、返事をしてよ沙里さりちゃん……!!」


琴未ことみ! 私たちも降りて沙里さりを!」


「はっ……わ、分かった!」


 まさか、樹亜羅きあらちゃんのおかげで正気を取り戻せるとは思わなかった。

 俺は心の中で彼女に礼を言って、ミリカの後を追うようにして地面に降り立とうとする。

 しかし、その瞬間、緑色の地面の光が強くなった。

 呪文が描かれている部分が光として浮かび上がり、辺りは異様な雰囲気を醸し出している。

 その光は一点に集中していき、やがて大きな光の球へと変化した。しかし、深い緑色だから不気味さは拭えない。

 そして、その緑色の光は一直線に向かっていった。沙里さりちゃんに。


「や……止めて! こっちに来ないで!!」


 ミリカが必死に弓矢で光を撃ち抜こうとしているが、当たらない。

 直線で向かっている光なのに当たらないのは、彼女の精神も混乱しているからだろう。

 俺もエンジェルロッドをブーメランに変形して加勢するが、光はブーメランを回避する。いや、俺の投げ方が下手くそなんだ……!

 悔しくも、光はミリカの直前へと差し迫った。


「このっ……! あっ!!」


 弓を振り回して光を薙ぎ払おうとするミリカ。しかし、光は彼女の攻撃をかわし、更に強い光を放った。

 その衝撃で、ミリカは遠くへと吹き飛ばされて壁に激突する。彼女の姿が分かるほどめり込まれた壁が、その威力を物語っている。


「ぁ……ぅ……ぅぅ……」


沙里さりちゃん!! くそっ! 見てるしかできないのかよ……俺は!!」


 光は沙里さりちゃんの顔を一瞥すると、彼女の口元へと近寄る。

 そして、彼女の小さな口を経由して彼女の中へと入っていった。

 沙里さりちゃんは小さなうめき声を上げながらそれを受け入れる。

 光が強いため、彼女の中へ入っても光は健在だった。

 光が移動する度に、沙里さりちゃんの体は跳ね、そして母音を放つ。それは体が無意識に反応しているだけであって、彼女の意思じゃないだろう。

 その光が沙里さりちゃんのお腹へと進入してしまった時、彼女を中心として突風が吹き荒れる。


「くっ……! なんて風だ!」


 樹亜羅きあらちゃんを自分の後ろへと下がらせ、腕を目元に近づけて風を防ぐ俺。

 その嫌な風が終わった時、俺は沙里さりちゃんの様子を見ることができた。しかし、そこにいるのは沙里さりちゃんではなかった。

 いや、沙里さりちゃんなのかもしれない。

 服装はパジャマ姿で変わらない。髪型だって少し乱れているけど普通だ。だけど、何かが違う。彼女の中に、異物が紛れ込んでいる。

 ゆらりと不安定に立ち上がった沙里さりちゃんは目を細めて、辺りを見回している。

 そして、ある言葉を吐いたのだった。


「ここが……我の新たな世界となるのか」


 言葉を発した後、沙里さりちゃんは自分の喉を優しく擦る。

 まるで、久しぶりに声を出したから感動しているようだ。


「フッ……少女の姿というのが不服だが長生きできるという点で良しとするか」


「さ、沙里さりちゃん……? 何を言ってるんだ?」


「コバルダンがこの少女に我の因子を打ち込み、我を目覚めさせた礼をしたいと思ったのだが……貴様が倒したのだったな」


沙里さりちゃん……正気になるんだ。ほら、樹亜羅きあらちゃんだって元に戻ったんだぞ?」


「フフフ……なるほどな。そちらの方が望みか。……こほん。ねえ琴未ことみちゃん? 私、正気だよ?」


 突然元の口調に戻った沙里さりちゃん。

 それでも、俺は嫌な予感しかしない。

 むしろ、状況が悪化したのではないかと錯覚させられる。

 そんな焦燥感が俺の心を焼き尽くしていた。


 普段の沙里さりちゃんじゃ絶対にしないような官能的な表情で、俺に近づいてくる。

 彼女の変貌ぶりに俺は金縛りにでもあったかのように動けない。

 彼女は親指を使って俺の顎をクイッと上げた。


琴未ことみちゃん……私ね、今とっても気分がいいの。どうしてか分かる?」


「そ……それは……」


「ブー、時間切れ。正解はね、魔王様と一心同体になれたから♪ 心が融合した今……私は魔王様の力で何でもできるの。世界を支配することも、琴未ことみちゃんを救うことができるのも……。凄いでしょう?」


「さ……さり……ちゃん……本気……なのか……?」


「うん♪ 私、魔王様に体乗っ取られちゃったんだ♪」


「そ……そんな……!!」


 俺は力なく地面に膝をつく。

 コバルダン、いつ因子を打ち込んだんだ。もしかして、あの触手の怪物が沙里さりちゃんを捉えた時か?

 何で攻撃しなかったのか、それは因子を打ち込むことに真剣になってて攻撃の暇がなかったからか?

 でも、沙里さりちゃんの言ってることが本当だとすると、もう彼女は魔王と心が繋がって――


「んなこと……あるわけないじゃない……!!」


「え?」


沙里さりちゃんは……絶対に悪に屈しないよ……! 私には……分かる……!!」


 横を見て、その言葉を出したのがミリカだと気づく。

 彼女は真剣そのものの表情になって、沙里さりちゃんを睨みつけていた。

 ボロボロの体だが、ミリカは一歩ずつ沙里さりちゃんに近づいていた。


沙里さりちゃんの真似をしないで……!! 沙里さりちゃんの口調で……変なこと言わないで!!」


「ミリカちゃん、だっけ? この口調は記憶が融合してるからなんだよ? ふふっ♪」


 そう言うと、沙里さりちゃんは自分の手を胸に当てて擦り始めた。

 それは彼女が絶対に取らない行動を取ってミリカを挑発しているようだった。


「ハァァ……ちょっとは大きいけど、やっぱり大人には負けるなー……あ、あなたも琴未ことみちゃんと同じであんまりないんだねー」


「……沙里さりちゃんを……沙里さりちゃんを返してよおおおおお!!」


 激情したミリカが弓を持って沙里さりちゃんに突撃していく。

 刹那、今まで沙里さりちゃんの表情をしていたのが消え去り、冷酷な表情をした。

 そう、あれは魔王としての顔つきだ。

 魔王は片手をかざす。すると、それだけで魔王の手のひらに無数の刃が出現し、ミリカに襲いかかっていくのだ。


「きゃあああああ!!」


 頭に血が上って回避という選択肢を忘れたミリカが、刃をモロに受けてしまう。

 衣服を破かれ、その上から赤い血が滴るミリカは、その痛みから気絶して地面に倒れてしまった。


 ……俺は何をやってるんだ! バカか。沙里さりちゃんを救わなきゃならないんだろ!


沙里さりちゃん……俺が絶対に助け出す!」


「あれ? さすが琴未ことみちゃんだねー。もう立ち直ったんだ。私が見込んだだけのことはあるね♪」


沙里さりちゃんの記憶が読めるんなら、コイツを知ってるだろ?」


 俺はエンジェルロッドの先端に光を集めていく。

 これには浄化効果があるってさっき沙里さりちゃんが教えてくれた。そして、それは樹亜羅きあらちゃんにも実証済みだ。

 だが沙里さりちゃん……いや、これからは魔王と呼ぶ。魔王は不敵な笑いをしてこちらを挑発していた。


「知ってるよ? それが?」


沙里さりちゃんの中の魔王を取り除く! このエンジェルロッドで!!」


「コバルダンと同じだって思われちゃった……。だから琴未ことみちゃんはバカなんだよね」


「うるさい! だったら試してやる!! 効き目があっても後悔するなよ!」


 エンジェルロッドを振り回して魔王へと当てる。

 意外にも、魔王は抵抗をしなかった。魔王の胸の辺りにエンジェルロッドは当たる。後は浄化を待つだけで――。


「そんなの効かないよ。私、魔王だから」


「どうせハッタリだろ……? 時間が経てばいずれ――アガッ!!」


「効かないって。ちゃんとお勉強した方がいいよ琴未ことみちゃん」


 魔王は苦しむそぶりさえ見せず、エンジェルロッドを片手で掴み取った。

 そして、もう片方の手で拳を作り、俺の腹部を殴りつけたのだった。

 俺の体は無残にも地面に叩きつけられる。そして、ミリカの時と同じように地面には大きな人形の穴が出来上がっていた。


「ふふっ……どう? 今まで全然力になれなかった私が琴未ことみちゃんをこんなに叩き潰せてるんだよ!? ねぇ!? 何とか言ってよ!!」


「ガハッ! グッ!!」


 魔王は両手で拳を作り上げ、地面にめり込んでいる俺に向かってその拳を振り上げる。

 そして、俺の体に次々とパンチをしていく。

 その一撃が重く、俺の意識が一瞬にして吹っ飛ぶ。だが、次の衝撃によって俺の意識は無理やりに目覚めるのだ。

 それの繰り返しが延々と行われていく。

 もう、意識があるのかないのかさえはっきりしなくなっていく俺。

 痛すぎて痛みが感じないというおかしな状態になっている俺の体を、魔王は片手で持ち上げた。


「……どうだ? 沙里さりとしての記憶で貴様を潰した感想は」


「覚悟しとけ……! ……絶対に……許さな――」


 俺のなけなしの言葉を聞き終わらないうちに、魔王は俺の体を再び地面へと叩きつけた。

 俺が倒れたら、樹亜羅きあらちゃんはどうなる……?

 ここで倒れるわけにはいかないのに……。

 そこで、俺の意識は完全に潰えたのだった……。

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