23

琴未ことみ……」


「へ? どしたの樹亜羅きあらちゃん」


「さっきからこっちをジロジロと……」


「あ、違うんだよ樹亜羅きあらちゃん!」


「この間の体育前の時間といい……そんなに私を見て何を企んでいるの?」


「た、企みなんてそんなまさかー!」


「どうせ琴未ことみのことでしょう!? 吐け! 私に何をしようとしているのかを吐くのだー!」


「ちょ、ちょっと樹亜羅きあらちゃん! くすぐった……!!」


 樹亜羅きあらちゃんは突然にいたずらっ子のような表情をして、俺に近づく。

 そして、俺の体を弄り始めたのだ。

 その彼女の弄り方が妙にこそばゆく、俺は意図せずに笑いだしてしまったということだ。


 随分クールだと思った樹亜羅きあらちゃんだけど、彼女もこういうことをするんだなあ。

 そこは年相応という感じなのだろうか。

 彼女の知られざる一面を垣間見て、かわいいと思ってしまった。

 それよりも、だ。

 もうすぐ、俺は死んでしまうかもしれない。

 笑いに次ぐ笑いで、今の俺は呼吸困難なのだ。

 ハヒューといった呼吸にならない呼吸をしながら、俺はまだ大爆笑してしまっている。

 なぜこうして冷静に状況を説明できているのか。

 それはもちろん、三途の川が見えているからだよ。


「き、樹亜羅きあらちゃん! 琴未ことみちゃんが死んじゃう!!」


「へっ? あ、ちょっとやりすぎた」


「っ……! っ……!!」


 樹亜羅きあらちゃんの呪縛から開放された俺は力なく地面に向かって膝を付けて土下座の体勢となる。

 それから、自分の周囲にある空気を全て吸い尽くすくらい大きな深呼吸を繰り返していた。

 し、死ぬかと思った……!

 道路に向かって目を強張らせている姿はまだ二人には見えないだろう。

 しかし、俺は感じている。

 今の琴未ことみの表情が般若の面そのものであることを。


 樹亜羅きあらちゃんのおとぼけな謝罪の声が聞こえる。

 彼女としては行き過ぎた悪ふざけだと思っているようで、あまり本気の謝罪ではなさそうだった。


「ご、ごめんごめん琴未ことみ。加減がちょっと……」


「もー、ちゃんと謝ってよ樹亜羅きあらちゃん! 全然気持ちが伝わってこないよー」


「う……分かったよ。沙里さりがそういうなら……」


 俺が必死に酸素を取り込んでいる間で、樹亜羅きあらちゃんと沙里さりちゃんのやり取りが聞こえる。

 別に俺としては問題ないんだが、沙里さりちゃんは怒っているようだ。

 本気の怒りではないが、どちらかと言うと諌めているような口調だ。


 これにはさすがの樹亜羅きあらちゃんも従わざるを得ない。

 彼女は俺の肩に手をかけて申し訳なさそうにトーンを下げた声を発したのだった。


「ごめん琴未ことみ。大丈夫?」


「だ、大丈夫だよ樹亜羅きあらちゃん。ジロジロ見てたこっちも悪いし」


 樹亜羅きあらちゃんに支えられて俺は立ち上がる。

 沙里さりちゃんに怒られたことでバツが悪そうな表情をしている樹亜羅きあらちゃんに、俺は気にしないでと微笑む。

 それから三人は学校に向かって歩き出す。

 ここで立ち止まっていたら遅刻してしまうしな。

 すっかりいつものテンションに戻ったようで、沙里さりちゃんも樹亜羅きあらちゃんも普通に会話を始める。

 その中で、樹亜羅きあらちゃんはさっきの話題を振り返り始めたのだった。


「でもさ琴未ことみ、何で最近私のこと見るようになったの?」


「うーん……」


「どしたのさ?」


「言ってもいいのか悪いのか……」


「何を言われようとも、私は気にしないよ。ほら、言ってみてよ」


「今日ジロジロと見てた理由はね……。樹亜羅きあらちゃん」


「うん」


「昨日はよく眠れた?」


「ねむ……って、まあちゃんと寝てたけど?」


「そっか。実はね、樹亜羅きあらちゃんの目元にくまが出来てるなーって思って」


「え……? それ本当?」


「本当だよ。確か……沙里さりちゃんって手鏡持ってたっけ?」


 沙里さりちゃんに確認すると、彼女は背負っていたリュックに手を突っ込んで探し始める。

 捜索に時間はかからず、沙里さりちゃんはすぐにコンパクトを発見することができた。

 小学生が持つに相応しい、可愛らしい装飾がされているコンパクト。

 キャラクター物の何かなのだろうか。それとも、こういうデザインが巷で流行っているのか。

 女の子の流行に疎い俺にはよく分からないな……ってか、俺はこの間まで男だったんだから当たり前だっての!

 樹亜羅きあらちゃんは念のため、コンパクトを開いて中の鏡が見れる状態化を確認してくれる。

 その後で、彼女は俺に目を合わせてくれた。


「はい、琴未ことみちゃん」


「ありがと。ほら、樹亜羅きあらちゃん」


 沙里さりちゃんから受け取ったコンパクトをそのまま樹亜羅きあらちゃんへと受け渡す。


 樹亜羅きあらちゃんは先程からずっと目をこすっているようだ。

 俺に指摘されたことが本当かどうかがとっても気になっているようで、俺から受け取ったコンパクトですぐに自分の顔を確認していた。

 コンパクトに映された自分の顔を見て、樹亜羅きあらちゃんは苦渋に満ちた表情をしていた。

 それが彼女のクマをより一層際立たせてしまうのにも関わらず。


「……本当だ。いつの間にこんなクマが……」


「本当に眠れてるの?」


「うーん……よく寝てるはずなんだけどなあ……」


「自分ではよく寝ているつもりでも、実際には眠れてないってのもよくある話だけどねえ……」


「そういうものかな?」


 腑に落ちないような表情でコンパクトの中の鏡と格闘している樹亜羅きあらちゃん。

 そんな樹亜羅きあらちゃんをただ見つめていた俺だったが、すぐに目を丸くする。

 それは彼女が突如目を強張らせたからだ。


「っ――!?」


 驚いた拍子に、樹亜羅きあらちゃんは持っていたコンパクトを投げ捨ててしまう。

 コンパクトは蓋を閉じながら地面へと落下していく。

 地面に激突したコンパクトはプラスチック特有の軽い音を奏でながらその外観を傷つけていった。

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