20

 豪華な夕食を終えた後はお風呂の時間が待っている。

 沙里さりちゃんが後片付けをしているので、俺が先に入ることになる。

 これで早めに上がるのは不味いだろうな……。

 俺には沙里さりちゃんに今日何があったのかを話す義務がある。

 それをおろそかにはできない。

 ……しかし、再度琴未ことみの腹部を見ても傷一つついちゃいない。

 これは恐らく沙里さりちゃんの魔法なのだろうと思うのだが……。


「……これが琴未ことみの体なのか」


 初めて、俺は琴未ことみの裸をまじまじと見ることになる。

 小学生の体で更に女の子。

 この華奢さで怪物と戦ってきていたのだ。

 ポニーテールはお風呂に入っているので崩している。

 そのせいで、彼女の硬い髪質の髪の毛が肩までかかっている。


「考えると……これで血だらけになってたのか……」


 とっさに考えた作戦だったが、今思うと失敗かもしれない。

 彼女の可愛らしい体が傷ついてしまったのだから。

 体は治っていても、俺の記憶が、心がちゃんと覚えている。


「これからはなるべく傷つかない作戦でいかないとな……」


 その時、お風呂のドアがガラッと開け放たれる。

 そこには裸の沙里さりちゃんが立っていた。

 彼女は俺が目の前にいるにも関わらず、その裸体を晒している……って当たり前か。

 今の俺は琴未ことみなのだから。


 俺は沙里さりちゃんにスペースを開けるために、桶に溜まっていたお湯を被って体を洗い流す。

 それから、湯船へと体を浸からせた。


 沙里さりちゃんは表情を変えずに自分の体を洗い始める。

 ここは俺から言うしかないのだろうか。

 でも黙っててもどうしようもないしな。


「……今日はごめんね、沙里さりちゃん」


「どうして?」


「だって……血だらけで倒れちゃってたから……」


「謝ることじゃないよ。琴未ことみちゃんが戦ってくれる。それだけで私は嬉しいの」


沙里さりちゃん……」


「…………」


「今日ね、ミリカと戦った」


「そっか。それで……」


「……ミリカ、私のことを才能ないって言ってた」


「……うん」


「……私、才能ない?」


「そんなことないよ。私は琴未ことみちゃんを信じてる。幼なじみで、今は身分が違うけど……琴未ことみちゃんの才能は……ずっと、ずっと私が覚えてるから」


 幼なじみだったのか。

 それで、今は身分が違うと。

 仲が良さそうなのに、琴未ことみちゃんの言うことには従っていたのはこれが原因だったのか。


 そして、やっぱり沙里さりちゃんは琴未ことみのことを信じている。

 琴未ことみ、早く戻ってこいよ。

 幼なじみがこんなにも信じているんだから……。


「――琴未ことみちゃん! 背中、流し合いっこしよっか」


「へっ?」


「ほら、早くお風呂から上がって」


「う、うん」


 唐突に、沙里さりちゃんが今の雰囲気を変えるかのように表情を明るくさせた。

 俺はそれに従うしかなく、頷いてお風呂から上がって沙里さりちゃんの前に座り込む。

 沙里さりちゃんは優しく、そしてゆっくりと背中をスポンジで擦ってくれる。


「どうかな琴未ことみちゃん」


「うん……気持ちいいよ」


 これが数十秒続くのかと思っていた俺に衝撃の出来事が走る。

 背中から、スポンジとは違う感触がしてきたのだ。

 生暖かく、とても気持ちのいい温度が背中を浸していく。

 それが人の温もりだと気がついた時には、沙里さりちゃんは俺に腕を回していた。


 彼女の頭が俺の頭に乗っかかる。

 その体勢で、沙里さりちゃんは耳元で語りかけてきた。


「……私ね、知ってるよ」


「え!?」


 一瞬、心臓が止まるかと思った。

 だが、沙里さりちゃんが言いたかったことは別のことだった。


「……修行止めて帰りたいんでしょう?」


「ど、どーして?」


「最近の琴未ことみちゃん……ちょっと変だったから。私が信じてるって言ってても、琴未ことみちゃんが嫌なら強制はできないもの」


「そんな……」


琴未ことみちゃんが嫌なら……私はそれに従うよ。修行止めて……元の世界に帰る?」


 今の沙里さりちゃんの言葉を聞いたら、琴未ことみはどんなに嬉しそうな顔をするだろうか。

 今、琴未ことみが聞きたかった言葉を沙里さりちゃんが自ら言葉にしている。

 ……正直、迷った。

 これで俺は元の体を取り戻し、ハッピーエンドを迎えるだろう。

 だが、もしこれで本当に元の世界に帰ったら二人はどうなる?


沙里さりちゃん……私達が帰ったら、どうなるの?」


「……きっと、資格剥奪、かな。それと……」


 妙に口ごもる沙里さりちゃん。

 だが、今のお風呂での会話から察することはできる。

 身分の低い沙里さりちゃんが琴未ことみと一緒に来ている。

 それは琴未ことみの監視の意味を含めているのだろう。

 琴未ことみに最小限のストレスということで沙里さりちゃんが選ばれているに違いない。

 そんな監視役の彼女が、琴未ことみの一言で戻ったらどうなるか……。

 彼女は一生琴未ことみと会うことを許されないかもしれない。

 永遠のお別れになってしまう。

 それが、今の沙里さりちゃんの言葉から読み取れた。


 あいつは、琴未ことみ沙里さりちゃんと一緒にいるのが一番輝いてるんだ。

 それは琴未ことみだって分かっているはず。

 それが、才能あるなしの問題で苦悩してしまっている。

 そのせいで琴未ことみ沙里さりちゃんと楽しくすごせないんだ。

 ここで俺が言ってしまえば、きっと俺は普通の生活に戻れるだろう。俺だけは。

 でも、二人は違う。

 少なくとも、沙里さりちゃんは地獄の日々が待ち受けている。

 だったら、俺がやることは一つしかない。


「……沙里さりちゃん」


琴未ことみちゃん。帰る?」


「その答えはちょっと待っててほしいな」


「え?」


「……確かに、帰りたいって気持ちがある時もあったよ。でも、今は違うの。……強くなりたい」


琴未ことみちゃん……」


「あのね、私が強くなった姿を見せたい人がいるんだ。それは身近にいるんだけど、どうしようもなく自信がない人なの。他人に迷惑ばっかりかけて、それでいて反省もしない……でもそれは仮の姿。本当は人一倍寂しがりで自分の力を信じられない人」


「そ、それって……」


 俺は沙里さりちゃんと向き合って彼女の唇を人差し指で抑える。

 さっきしてもらったお返し。


「ヒーミーツ。でも、沙里さりちゃんに関係あるよ」


「ねえ……なら、まだ帰らないの?」


 沙里さりちゃんはいつの間にか目に涙を溜めている。

 彼女は決意していたのかもしれない。

 琴未ことみの口から『帰る』という言葉を聞くのを。


 俺は沙里さりちゃんの涙を後押しするかのように、しっかりと頷いた。


「こんな暗い話は今日だけ。明日からはまた笑って過ごそうよ。沙里さりちゃん」


「……ん。うん……!」

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