19

 いつまでもまどろみに酔えてしまうほどの温もりを感じて、俺は目を覚ました。

 最初は頭の働きが遅くボーっとしか考えられなかったが、次第に俺がどこにいるのか分かってくる。

 まず、俺はベッドで寝ていることが分かった。

 布団に触れると、柔らかい感触が肌を優しく刺激してくれる。

 この感覚は琴未ことみのベッドだったはずだ。

 すると、俺は今……。

 暗闇の中で辺りを見回し、ここが琴未ことみの部屋の中だということを確認する。


「そっか……沙里さりちゃん、連れてきてくれたのか……」


 とりあえず、起き上がろう。

 そう思った俺はベッドから体を起こす。

 不思議と腹部に痛みは走らなく、不審に思った俺は部屋の電気を点けてから姿見の前に立った。


 すでに沙里さりちゃんが着替えさせてくれたのか、俺の姿は星の形がペイントされた可愛らしいパジャマを着ている。

 そして、寝ぼけ眼の琴未ことみが不思議そうにこちらを見つめていた。

 少し恥ずかしさを覚えながらも、俺は上半身のパジャマを捲って腹部を鏡に映した。


「治ってる……」


 ふと発した俺の言葉の通り、腹部の傷は治っていた。

 いや、治っていたという言葉は間違っているかもしれない。

 斬られた後すら残っていないのだから。

 まるで、最初から何もなかったかのように、琴未ことみの腹部は傷痕一つすら見つけられない。

 彼女の若々しい肌が露出し、昨日と変わらない引き締まったお腹が見えているだけだ。

 これも、魔法が得意な沙里さりちゃんのおかげだと言えばいいのだろうか。


「そうだ。沙里さりちゃん……」


 壁に掛けられている時計を見れば、時刻はまだ夜の七時を回ったところ。

 まだ沙里さりちゃんが起きているに決まっている。

 完全に覚醒した俺は、空腹も相まって、リビングへと足を運ぶことにしたのだった。

 階段を降りて、リビングへの扉を開ける。

 すると、そこには俺の予測どおり沙里さりちゃんがいた。

 テーブルに皿や箸を運んでいた沙里さりちゃんは、テーブルにそれを置くと俺に気づいて微笑みかけてくれた。


「おはよう、琴未ことみちゃん。と言っても、もう夜だけどね」


沙里さりちゃん……私……」


 謝ろうとして言葉を紡いだ俺だが、それは沙里さりちゃんに止められた。

 彼女は俺に近づくと、人差し指で俺の口元を塞ぐ。

 そんな彼女の表情はまるで女神のように俺を慈しんでくれていた。


「今は何も言わなくてもいいよ琴未ことみちゃん」


「……いいの?」


「うん。夕食を食べて、お風呂に入ってる時にきっちり聞かせてもらうからね」


「お、お風呂……」


 本来ならば嬉しい展開なのかもしれない。

 だけど、今の俺にはそんな気分には到底なれない。

 お気に入りの場所へ琴未ことみを探しに来たら、そこには血だらけで倒れている琴未ことみの姿が。

 それをどうやって部屋へ運んだのか分からないけど、まずは彼女に謝らないといけない。


 更に、琴未ことみの想いだ。

 あいつ、才能がないとかいって俺を利用して元の世界へ帰ろうとしている。

 それを沙里さりちゃんは知らないだろう。

 琴未ことみを一生懸命応援している彼女がそれを知ったらどうなるのだろう。

 きっと悲しむに違いない。

 ……いや、違う。

 俺が琴未ことみ沙里さりちゃんを悲しませないようにするんだ。

 そのためにミリカに決意したんだからな。


「ご飯食べよ、琴未ことみちゃん」


 沙里さりちゃんにそう言われ、俺は素直に頷く。

 お腹が減っているのも事実だし、証拠にさっきから腸が音を鳴らしている。

 今日のご馳走はカレーライス。

 すでに昨日から仕込みをしていたようで(沙里さりちゃん……恐ろしい小学生!)一日寝かせたカレーを堪能したということだ。

 じゃがいもは煮込んでいるというのに一口サイズを保っている。

 しかも、口に含んでかじるとすぐに溶けていくのだ。

 じゃがいもはカレーで使用すると、品種にもよるが、大体は溶けてなくなってしまう。

 しかし、沙里さりちゃんのカレーは違う。

 これは計算づくされた煮込みのバランスだろう。

 人参はいつもより不味いと感じたが、とっても柔らかくて美味いのだ。

 味が悪いのは琴未ことみのせいだろう。人参が嫌いなのかこのおてんば娘は。


「良かった! 琴未ことみちゃんが喜んでくれて」


「え?」


 俺、知らないうちに口に出してたのか?

 そんな呆けた顔を見て、沙里さりちゃんは更に微笑む。


「見てるだけで分かるよ。とっても美味しそうに食べてくれるんだもん」


 それから、彼女はティッシュを持った手を俺の口元へと近づけていった。


「ご飯粒、ついてるよ」


 そう言って、沙里さりちゃんはティッシュで俺の口周りを拭き取る。

 ちょっぴり恥ずかしくなって、俺は顔を伏せてしまうのだった。

 沙里さりちゃんが夕食の間に今日の出来事を聞かなかったのは琴未ことみのそんな顔が見たかったからなのかもしれない。

 確かに、ご飯が美味しくなくなってしまうかもしれない話なのだ。

 そんな気遣いができる沙里さりちゃんを、素直に凄いなと思ってしまう。

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