14

 次の日の朝、未だに朝に弱く重たい体を起き上がらせて俺は大きく背伸びをした。

 目覚めが悪いのは琴未ことみのせいだが、今日のはさらにプラスされる情報もある。

 それは昨日の夜の出来事だ。

 ミリカと名乗ったボブカットの少女。

 しっかりものっぽいがツメが甘そうな感じのミリカ。

 あいつは一体何者なのか。

 やたらめったら琴未ことみを敵視していたのも気になる。

 多分、いや絶対琴未ことみが悪いのだろうが、敵意を向けられているのが関係のない俺なのでモヤモヤとした気持ちになる。

 昨日のことを思い出しながら、俺は自然と下着に手が伸びる。


 パンツとタンクトップ型のブラジャーを装着し、洗濯してもらった洗いたてのデニムスカートとキャミソールを着る。

 数日の間に、俺も随分と慣れた手つきになったもんだ。

 ちなみに、琴未ことみが着ているタンクトップ型のブラジャーはハーフトップとかいう種類のヤツらしい。

 まったく、変な知識ばっかり覚えてしまうもんだ……。


「……よしっと」


 鏡を見ながら、髪の毛を集めてポニーテールに括っていく。

 ようやっと覚えたポニーテールも、鏡で見る限りは悪く無い。

 満足した俺はカバンを手にとって沙里さりちゃんが起こしに来る前に下へと降りていった。


 ある意味、今日は試練なのだ。

 待ちに待った――いや、間違えた。俺にとって審判の日がやって来たのだ。

 それは体育。

 そう、着替えだ。

 琴未ことみ沙里さりちゃんが通っている小学校は、男女別々の教室で着替えが行われるらしい。

 その証拠に、体育の時間の前になると、男子がぞろぞろと教室より出て行く。

 思わず俺も一緒に行きそうになる。

 だが、それは叶わない。叶ってはいけない。

 叶うとすれば、到底子どもには見せられないうっすい本ぐらいしかないだろうよ。

 最後の男子が教室のドアを閉めていく。

 俺はそれをジッと黙って見ることしかできない。

 ああ……。早く元の姿に戻りたい……。


琴未ことみちゃん。着替えよ?」


「あ、う、うん……」


 追憶の時間を与えられる暇もなく、俺は沙里さりちゃんの言葉に頷く。

 女子たちは男子がいなくなった途端に上着を脱ぎ始める。

 そしてあられもない姿が俺の眼差しに映ってしまうのだ。

 あの子はブラまだしてないのか……。裸を見ないように目を逸らしておこう。

 ああ、こっちはこれまた派手な下着をつけてて……。

 とりあえず、目のやり場に困ってしまう。

 そんな中、俺はある女の子に視線を釘付けにされてしまった。


 樹亜羅きあらちゃんだった。

 彼女の胸部に思わず目を向けてしまう。

 それほど、彼女の胸は小学生にしては大きかった。

 どれくらい大きいかと言うとだ。

 俺はその道のプロではないから正確なサイズは分からんが、見た限り……今の俺の体である琴未ことみの拳くらいだろうか。

 身近な物で表現するとなると、大体、みかんくらいのサイズだろうか。こっちの方が分かりやすいかもしれない。

 普段着の状態ではそこまで強調されていなかった彼女の胸は、衣服を脱いだことでそのポテンシャルが露わになる。

 着痩せするタイプ……なのだろうか。


「ほえー……すっごい……」


 思わず赤面してしまう俺だったが、そんな感情はすぐに消え去ってしまう。

 それは、樹亜羅きあらちゃんの腕が原因だった。

 彼女の左腕が、赤く腫れていたのだ。

 しかもその位置は、昨夜のコバルダンが撃たれた弓矢の位置に似ていた。

 まさか……な。


「……人の体ジロジロ見てどうしたのよ?」


 視線に気がついた樹亜羅きあらちゃんは、セミロングの髪をなびかせながらこっちを見る。

 それから、彼女は呆れたような口調で俺をたしなめた。


琴未ことみもさっさと着替えちゃわないと、授業に遅れるよ?」


「あ……うん。その腕、痛そうだなって思って……」


「……これのこと?」


 樹亜羅きあらちゃんは酷く不満そうに自分の左腕を見つめた。

 まるで、傷がついていることが不満であるかのようにため息もつく。


「何か知らないけど、今日の朝見たらこうなってたのよ。どっかにぶつけたのかなあ……」


「そ、そーなんだ」


「ってか、さっきまで私の胸見てたでしょう?」


「へっ!? な、何のことかな!?」


「まったく……これだから着替えは嫌いなのよ……」


「ア……アハハ……、失礼しましたー……」


 怪しい。

 そう思った俺は樹亜羅きあらちゃんの愚痴を軽くかわして、そそくさと沙里さりちゃんへと近づいていく。


沙里さりちゃん、沙里さりちゃん」


「どうしたの琴未ことみちゃん?」


 沙里さりちゃんはすでに体操着に着替えていた。

 彼女の体操着はブルマとかいう時代遅れではない。

 ジャージという肌を守ってくれるモダンな衣装だった。

 しかし、男女共通のジャージにはオシャレ感はまったくない。

 胸の位置に学校名と自分の苗字が刺繍されているのも、人によってはダサい印象を受けることになるだろう。

 色は紺で基本色は統一され、肩の側面や下半身の横にある白の二重線が唯一の個性といってもいいくらいだ。

 まあ、授業で使うならこれくらいでいいだろう。


 俺はそんなジャージに着替えた沙里さりちゃんに、ヒソヒソと声をかけたのだった。

 同時に目配せして、樹亜羅きあらちゃんについて話そうとしていることをそれとなく伝える。

 沙里さりちゃんは何事かと目を丸くしている。

 それから、俺に対して聞き耳を立ててくれた。


「ねえ、あの腕……。昨日のコバルダンの傷に似てない?」


「え?」


 昨日(深夜三時だけどな)のことについて、沙里さりちゃんは腕を組んで何かを考えている。

 うーんと唸っている沙里さりちゃんもまた可愛い。

 数秒のうち、腕組みを止めた沙里さりちゃんは微妙な表情をしていた。

 それは彼女の目を見ても明らかで、何か呆れているような素振りだった。


琴未ことみちゃん……コバルダンは右腕に傷を負ってたよ? 樹亜羅きあらちゃんとは逆だよー」


「……あ」


 沙里さりちゃんに言われて、俺はやっと気がついた。

 そうだった。

 アイツ、怪我をしたのは右腕じゃねーか。

 じゃあ、樹亜羅きあらちゃんは無関係ってことか……。

 勝手に疑ってしまい、俺は少しだけ罪悪感が出てくる。

 ごめん、樹亜羅きあらちゃん。

 心の中で反省しながら、俺も自分が着ているキャミソールに手をかける。

 そろそろ俺も着替えないかくごをきめないと、体育の時間に遅れる。

 しかし、今度は沙里さりちゃんの方からヒソヒソと声をかけ始めた。


「ねえ、琴未ことみちゃん……」


「今度は沙里さりちゃん? どしたの?」


「昨日のミリカって魔法少女……樹亜羅きあらちゃんってことはないかな?」


「え?」


 沙里さりちゃんが樹亜羅きあらちゃんの方向へ目配せする。

 同時に、俺も樹亜羅きあらちゃんへと顔を向けた。

 沙里さりちゃんがそう思うのも仕方ないかもしれない。

 昨日のミリカは琴未ことみ沙里さりちゃんの名前を知っていた。

 しかも、琴未ことみを嫌悪しつつもしっかりと助けていたのも心の底で大事に思っている証拠にもなるだろう。

 妙につっけんどんな態度も樹亜羅きあらちゃんっぽさがある。

 ……うん。俺もそう思う。

 沙里さりちゃんの言葉に納得した俺は力強く頷いた。


「確かに……そうかも」


「……あのー、さっきからジロジロと見て……何してんのよ」


 他人からあらぬことを想像されつつ見られる。

 これほど不快なことはないだろう。

 樹亜羅きあらちゃんも例外ではなく、明らかに俺と沙里さりちゃんに嫌悪感を抱いていた。


 彼女のフォローをするため、俺は大げさに手を振る。


「え!? い、いや! そんなことないよ樹亜羅きあらちゃん!」


「そうだよ樹亜羅きあらちゃん!」


 そう言いながら、沙里さりちゃんがズカズカと樹亜羅きあらちゃんに接近してくる。

 それが意外だったようで、樹亜羅きあらちゃんは逆にタジタジになって額から冷や汗をかいている。

 もう俺の横に沙里さりちゃんはいないが、彼女の眼差しは凄かった。

 さっきの予測。俺が頷いたのも相まってか、彼女の中で確かな事実として反映されてしまった。

 そのため、沙里さりちゃんの瞳はキラキラと輝いていたのだ。

 昨日助けてもらったことと、仲間……いや、現時点では仲間ということにしておこう、の魔法少女がいたという事実。

 これがどう転ぶのかは分からないが、沙里さりちゃんは樹亜羅きあらちゃん=ミリカという認識になってしまっているのだ。


「ど、どうしたの沙里さり……」


 沙里さりちゃんは困惑している樹亜羅きあらちゃんの手をガッチリと掴む。

 そして、太陽のような明るい笑顔で樹亜羅きあらちゃんに語りかけたのだった。


樹亜羅きあらちゃん! 昨日は助けてくれてありがとう!!」


「え? き、昨日……?」


 樹亜羅きあらちゃんは目を泳がせながら沙里さりちゃんの言葉の真理を掴みとろうとしている。

 カチコチに固まりながら、樹亜羅きあらちゃんは思いついたように答えた。


「あ……あー! 消しゴム拾ったこと? あんなの毎日じゃん。今更だよ」


「違うよ! 化物から助けてくれたじゃない!」


「ば、化物!?」


 沙里さりちゃんの口からトンデモナイ単語が出てきたと思っているのだろう。

 樹亜羅きあらちゃんは目が飛び出るかの如く驚きを表現し、思わずのけぞってしまっていた。

 あ……これ、多分だけど樹亜羅きあらちゃん違うな。

 秘密のヒーロー定番の秘密をわざとらしく隠しているって線もあるけど……。

 これ現実だしなあ。


「そう! あれは深夜三時」


「さ、沙里さりって結構ワルなんだね。そんな時間まで起きてるの?」


「魔法少女として戦っていた琴未ことみちゃん、それをフォローする私。化物に捕まったのを助けてくれたのが樹亜羅きあらちゃんじゃない!」


「……うん。それは夢だね」


 どこかホッとしたような顔つきの樹亜羅きあらちゃん。

 彼女は強引に沙里さりちゃんの手を引き離すと、いの一番に教室のドアへと駆け出していった。


「あ! 待って樹亜羅きあらちゃん!!」


沙里さり! それ絶対夢だって!」


「違うよホントだよー!!」


 沙里さりちゃんも彼女を追うためにドアへと走りだす。


 それを振り返って見た樹亜羅きあらちゃんの顔は若干引きつっている。

 追いつかれまいと、彼女はドアを開けてどこかへと走り去ってしまった。

 沙里さりちゃんも同じく、俺を置いていってしまった。


「……台風がいなくなったみたいだ」


 ふぅ、と一息ついて、俺は教室内に違和感を覚えた。

 彼女たちがいなくなったことで、俺はひとりぼっちになってしまったのだ。

 あれだけいた他の女子はどこに行ってしまったのか。いや体育館だと思うけど。

 キョロキョロと周りを見回して、偶然黒板の上の壁にかけてある時計を見る。

 授業開始まで後二分。


「……あああああああああっ!!!」


 そして、今の俺はまだ私服。

 着替えるのに何分かかるんだ。

 いや、こんなことを思っている内に後一分になった!

 丸時計の中にある秒針が音もなく非情に十二を目指して進んでいく。


「や、ヤバイ……!!」


 こういう時、慌てた方が負けなどと言ったのはどこの誰だろうか。

 その言葉を言った人物を見つけられたなら、俺は素直に礼を言うだろう。

 何故なら、今の俺が焦りまくっているからだ。

 とりあえず体操着を取り出してみる。

 そ、それから私服を脱いで――。


 悲痛にも、鐘が鳴り響く。

 授業開始の鐘だ。


「悪い琴未ことみ。お前をサボり魔にさせてしまった」


 こうなってしまってはもう遅い。

 俺はため息をつきながら、ゆっくりと体操着に着替えていくのだった。



 その後の話になるが、樹亜羅きあらちゃんを昨日の魔法少女だと確信していた沙里さりちゃん。

 彼女は、それが勘違いだと分かると意気消沈して体育の時間中ため息をついていたという。

 ……だが、樹亜羅きあらちゃんでもないとすると、あのミリカと名乗った魔法少女は一体誰だというのか。

 琴未ことみ沙里さりを知っていながらも、沙里さりちゃんは少なくとも素性を知らない。

 となれば、残る一人に聞くしか無い。

 それが、俺の放課後の行動に繋がるのであった。

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