10

 家にたどり着くと、沙里さりちゃんはそそくさと二階へと上がっていく。

 珍しいなと思った。

 いつもなら、すぐに夕食の準備を済ませるはずの彼女が妙に顔を赤らめて自分の部屋へと行くのだ。

 やっぱり、魔法で生成したワンピースは着づらいのだろうか。

 繊維とか、もう少し考えた方が良かったのか……。

 今度はちゃんとしようと反省する。


 ……ってちょっと待て。

 まだ彼女とは今日含めて二日しか一緒にいないのに、何で『珍しい』って思うんだ?

 これって、琴未ことみとしての記憶か?

 だったらと、俺は目を閉じて必死に琴未ことみとしての過去を思い出そうとする。

 だが、いくら念を込めても俺の脳内に景色が現れることはなかった。


「無意識じゃないとダメってことか……」


 残念。

 琴未ことみの記憶が読めるのなら、もう少し周りの人との接し方もマシになるのに。

 そんなこんなで記憶について考えている内に、沙里さりちゃんが二階から降りてきた。

 彼女はすでに別のワンピースへと着替え終わっており、普段のような涼しげな笑顔になっていた。

 彼女と目が合うと、彼女は俺に微笑みかけてくれる。


琴未ことみちゃん、ご飯にしよ?」


「う、うん。いいよ」


「何か食べたいのある?」


「うーん……沙里さりちゃんの好きなものでいいよ」


「そう? じゃあそうするね。リビングで待っててねー」


 俺と会話しながら、沙里さりちゃんはワンピースの上からエプロンを着用する。

 そして、本日の料理を作るためにキッチンへと足を運んでいった。


 俺はというと、飲み物を探すために冷蔵庫へと近づいていた。

 扉を開けて、中を見る。

 中は沙里さりちゃんの性格の良さがにじみ出ていた。

 綺麗に整理整頓されてあり、パッと見、一日ごとに食材を分けているように見える。

 俺はその中で目を輝かせるものを発見した。

 食べた者全てが恍惚の表情を浮かべると評判のプリンがそこにあったのだ。

 ごくりとつばを飲み込み、俺はそのプリンを手に取る。

 プリン自体に魅了の魔法が仕掛けられているのだろうか。

 俺はすでにそのプリンの虜になってしまっている。


「……食べよう」


 沙里さりちゃんに了承もせずに、俺はプリンを冷蔵庫から取り出し、スプーンを手に取る。

 その後で、彼女に言われたとおりにリビングに移動した。

 テーブルに隣接している人数分の椅子。

 俺はその一つに腰掛けた。


「いただきまーす」


 何もコソコソする必要がないのに、何故か悪いことをしているようで、俺はそそくさと手を合わせた。

 ラベルを引っぺがして、中のプリンを空気に晒す。

 真っ黄色のプリンが早く俺の口の中へ入れてくれとでも言っているようだ。

 俺はスプーンでプリンを掬い、そして言われたとおりに口の中へと運んだ。


「……う、うまい。さすが巷で評判のプリンだ」


 高級な卵がふんだんに使われているこのプリン。

 味ももちろん濃厚である。

 卵と牛乳と甘い砂糖の絶妙なハーモニーが舌の上で踊り、溶けていく。

 溶け方も尋常ではない。

 味が少しでも残るように、微妙に無くなっていくのだ。


「いやーこの一杯のために生きているみたいなもんだよねー……」


 昨日まで琴未ことみとして頑張ってきた自分にご褒美。

 そんな感覚で、俺は高級なプリンを堪能しきったのだった。


 プリンの箱をゴミ箱に投げ捨てて、俺は目の前にテレビがあることに気づいた。

 瞳を占拠するには十分なサイズのテレビが、俺と面と向かっている。

 電気の入ってないテレビには、琴未ことみが映っていた。

 呆けた表情で、どこか疲労を感じさせるようなまぶた。

 無意識に、俺は自分の頬に触れた。

 男の俺とは違った、ふにふにとして柔らかい肌。

 彼女の性格からして手入れをしていないだろうが、ツヤがありハリもあるのは若さだからだろうか。


 その目の前のテレビが自分と同じ動きをしていることで、俺は琴未ことみと入れ替わってしまったのだと改めて実感する。

 ため息をつけば、憂いを帯びた表情の琴未ことみが同じ行動を取る。


 ……あっかんべーをしてみると、目の前にはアホな表情をしている琴未ことみが映る。

 逆に涙目になって胸の前に手を合わしてみる。

 すると、テレビには勇者たちの帰りを待ち続けている女神のような表情が映った。

 とても普段の彼女からは考えられないくらいの乙女である。

 一言で言えば、かわいい。


 だったら、上目遣いをしてみてはどうか?

 顎を引いて、頭を少しだけ垂れさせる。

 下を向きすぎるとテレビが見えないため、加減が大事だ。

 ドキドキしながら、俺はテレビを見た。

 すると、そこには恐ろしいくらいの爆発力を秘めた表情が映っていたのだ。

 胸がキュンとするような、男の子を一撃で撃沈させてしまうような小悪魔の憂い。

 そんな俺の行動がテレビに反射されていた。


「何やってるの? 琴未ことみちゃん」


「ひゃあああ!」


 突然横から声をかけられて、俺はすっとんきょうな声を上げる。

 即座に振り返った俺は身振り手振りで沙里さりちゃんの追撃をかわそうとする。


「あ、あ、あの! 大したことじゃないんだよ! ただ……えーっと……」


 こんな時にいい考えが浮かばないとは情けない……!

 沙里さりちゃんはいつでも俺を殺せるように手に自動小銃を持っている……ような感じで頭をかしげている。


「……そ、そう! 一人にらめっこしてたんだよ! 暇だったからねっ!」


「ふふっ……琴未ことみちゃんらしいね」


 沙里さりちゃんは片手を唇へと近づけて、フッと笑った。


 よ、よし。上手くごまかせたようだ。

 俺は心の底で安堵していた。


「あと少しで出来上がるからね」


「うん」


 それだけを伝えると、沙里さりちゃんは再びキッチンへと戻っていく。


 ……今頃、俺の体はどうなっているのだろうか。

 おてんば娘の琴未ことみが中に入っている俺の体。

 色んな意味で大丈夫なのだろうか。

 記憶が読めると琴未ことみが言ってたからそんなに心配することはないのかもしれない。

 だが、琴未ことみは元気が有り余っている女の子だ。

 悪く言えば元気すぎて少し鬱陶しい。

 そんな子が俺の体に入って何か悪さというか、いたずらをしないわけがない。


「ハァ……いつになったら元に戻れるのやら……」


 テレビの画面には、ため息をついて疲れきっている琴未ことみの姿がありありと映っていた。

 心なしか、ポニーテールも疲労を訴えているようにいつもより垂れ下がっているように見えた。

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