9

 未だに透明なバリアに阻まれている触手の化物だが、そのバリアは壊れつつある。

 同じところを叩いているせいか、一点だけに亀裂が走っていたのだ。

 その亀裂は次第に他の場所へと拡散し、破壊への原動力を作っていく。


琴未ことみちゃん。来るよ」


「……うん!」


 この体は何度も死闘を繰り広げてきたのかもしれないが、俺にとっては初戦闘だ。

 初心者がどこまで出来るのか不安だが、やるしかない。

 俺の体を取り戻すまで、戦わなければならないのだから。


 ヒビが一面に広がった。

 すると、透明なバリアは脆くも崩れ去り、化物と俺たちを隔てていた壁は消え去った。

 化物はすかさず腕の触手を俺たちに向けて叩きつけていく。

 俺は沙里さりちゃんの手を引いて、空高く跳躍した。

 っていうかジャンプ力高すぎないか!?

 軽く飛んだだけで、公園の木よりも高いぞ。


 慌てふためく俺に対して沙里さりちゃんは至極冷静だ。

 いつもこんな感じで戦っているのだろうか。

 だったら、このまま着地しても沙里さりちゃんは大丈夫なのかな。


 俺は化物と離れた場所で着地し、沙里さりちゃんの手を離す。

 そして、エンジェルロッドを振り回して化物と対峙した。

 無意識にエンジェルロッドのを上手く扱えているのは記憶が残っているのか、もしくは衣装のように、こいつも意思を持っているのか。

 どっちにしても、これなら戦える。


「行くぜ……触手お化け!」


 触手の化物と正攻法で戦うのはいささかこっちが不利だ。

 エンジェルロッドは琴未ことみの身長くらいある長い棒だし、振り回しているのも意外と時間がかかる。

 そんなロッドで触手の猛攻を防ぐのは今の俺には無理だろう。

 だったら、隙を利用してやるしかない。

 俺はジリっと足がついている地面を滑らせ、化物の攻撃タイミングを見計らう。


 化物はありがたくも、俺に向かって攻撃してきた。

 昨日仕留められなかったのがどうしても悔しいのだろう。

 武器を持たない沙里さりちゃんよりも優先してくれるとは、この体も随分気に入られたものだな。

 化物は両腕の触手を駆使して、俺に襲いかかってくる。

 一回ずつ触手が空より堕ちてくる、俺はまずそれを回避していった。

 地面に接触することで砂埃が舞い、辺りの視界を濁らせる。

 二回の触手を回避した俺は化物の後ろへと回った。

 相手の死角をついてロッドで攻撃する。

 それが俺の作戦だ。


「行っけぇー!」


 エンジェルロッドをなぎ払い、化物の胴体目掛けて突き上げる。

 しかし、俺の作戦は脆くも崩れ去ってしまった。

 化物は背後をとった俺に向かって、足の触手を伸ばしてきた。


「っ――!?」


 エンジェルロッドを使って防御しようとした。

 だけど、ロッドは軟体な触手に張り付かれて防いだ意味をなさない。

 勢いが変わらない触手は俺の胴体を打ち付けた。


「くぅ!」


 俺はあまりの速さに目を閉じながら触手に吹き飛ばされてしまう。

 そして、大木へと背中を打ち付けてしまったのだった。


「あっ――」


 呼吸ができなくなる。

 同時に、血が脳をめぐって流れていく感覚がした。

 軽い脳震盪なのだろうか。

 とにかく、俺はすぐに立ち上がることができなかった。


 ぼやけた視界で化物だけは必死に見ようとする。

 化物は俺に満足したのか、次に沙里さりちゃんに狙いを付け始めていた。

 彼女を助けなければと立ち上がろうとするが、体は思い通りに動いてくれない。

 さっきの触手のダメージは思っていたより大きいようだ。


「沙……里……ちゃん。逃げるんだ……」


 喉に力を入れて必死に声を絞り出す。

 それでも沙里さりちゃんは引かず、化物に立ち向かっている。

 彼女の表情は鋭く、強い怒りが感じられた。


「よくも琴未ことみちゃんを……!」


 化物はお構いなしにと、触手を沙里さりちゃんを伸ばしていく。

 だが、俺の時とは違って触手は優しく伸びていた。

 赤子に触れるように、ゆっくりと動いていく触手。

 これなら隙があると、沙里さりちゃんは呪文を唱えようとした。

 その瞬間、触手はスピードを増して沙里さりちゃんを捉えた。


「きゃあ!」


 沙里さりちゃんは化物の触手に絡みつかれてしまった。

 そのまま、化物は彼女を持ち上げていく。

 沙里さりちゃんは体をくねらせて必死に逃れようとしていたが、触手の力は意外にも強く離れない。


「くっ……こら。離しなさい!」


 沙里さりちゃんがそう言っても、化物は彼女を離そうとしない。

 化物は雄叫びを上げて勝どきを上げる。


 やけくそ気味に沙里さりちゃんは自らを縛っている触手を叩いている。

 その仕草がなんとも可愛らしいと思ったが、今はそんな感想をつぶやいている場合じゃない。


「え……? き……きゃあああああ!! な、何やって!!」


 突然、沙里さりちゃんが叫び声を上げる。

 まるで、この世の終わりを見ているかのような悲痛な叫びだった。

 顔も赤い。

 恥ずかしがっているみたいだが、何が恥ずかしいのか。

 こっからでは分からない。


 ようやく体の自由が利くようになって、俺は立ち上がる。

 エンジェルロッドを杖にして立って、ヨロヨロと化物へと足を進めていく。

 化物との距離が近づいていくにつれ、俺は沙里さりちゃんが叫んでいた理由が分かった。


 化物は沙里さりちゃんが着ている服を徐々に溶かしていたのだ。

 それが化物にとって何の意味があるのかは分からん。

 しかし、沙里さりちゃんはそれのせいで、明らかに痴態を公然の前に晒してしまっている。

 彼女が着ていた淡い水色のワンピースは怪物によって溶かされ、彼女の可愛らしい下着が見え隠れしてきている。

 彼女もまた、琴未ことみと同じようなタンクトップのような下着なのだろうか……。


「おお……?」


 しかし、彼女は一枚上手だった。

 彼女は紛れも無いブラの形をした下着を着ていたのだ。

 だが、俺が見た限りブラにワイヤーはないようだ……。

 子ども用のブラジャーといったところだろう。

 そんなものもあるのかと、俺は何気に感心してしまっている。


「……って俺はヘンタイかぁー!!」


 自分の愚かさを認識し、思わずエンジェルロッドを地面に叩きつけてノリツッコミを決める。

 そして、この出会いをくれた化物を睨みつけた。

 許すまじ、ヘンタイ化物。

 この俺をエロで釣りやがって……!


「覚悟しろやああああ!」


 俺は沙里さりちゃんが掴まれているにも関わらず、化物に突進していく。

 俺の怒りに反応しているのか、エンジェルロッドの先が熱く光ってきている。

 これは間違いない、必殺技というヤツだ。


「おりゃあああああ!!」


 化物は恥じらっている沙里さりちゃんに夢中なのか、俺に対して見向きもしない。

 さっきも倒したし、敵ではないという認識なのだろう。

 しかし、それも今までだ。

 俺はエンジェルロッドの先を化物の腹部めがけて叩きつける。

 女子小学生の力ではダメージにもならないだろうが、エンジェルロッドの力が加われば違う。


琴未ことみちゃん!」


 エンジェルロッドが触れられた腹部は穴が空く。

 それと同時に、化物の体が爆発していく。

 奇声を発しながら、化物は体の痛みを抑えるべくあらゆる方向を動きながら体をくねらせる。


 沙里さりちゃんは隙をみて、化物の手の中から飛び出す。

 全身裸になっている沙里さりちゃんは、手で大事なところを隠しながら、俺の元へと向かってきたのだ。


沙里さりちゃん!」


 俺は空から落ちてくる沙里さりちゃんを受け止めようと両腕を伸ばす。

 駈け出して彼女の落下点まで来て、彼女をしっかりと抱きしめた。


「大丈夫? 沙里さりちゃん!」


「……うん。ありがと、琴未ことみちゃん」


 体の至る所を爆発されている化物は、最後に大爆発を起こし四散していった。

 欠片は綺麗な光となって空へ舞い上がっていく。

 それは色とりどりの花火のようだった。


「……琴未ことみちゃん」


 光に見とれていた俺を沙里さりちゃんが呼び戻す。

 ハッとした俺はすぐに沙里さりちゃんの方を見た。

 彼女は未だに裸になっており、さっきまで着ていた衣服は完全に化物によって溶かされている。

 俺は彼女の幼い体に思わず顔を赤くしたが、ここは女の子同士の場。

 今の俺が顔を赤くするわけにはいかない。

 そう思って、頬を強く叩いて理性を呼び出した。


「こ、琴未ことみちゃん。何をしてるの?」


「……気合い、入れた」


「へっ?」


「もう大丈夫だよ沙里さりちゃん」


「う……うん」


 戸惑いながらも、沙里さりちゃんは俺に笑顔を向けてくれる。

 ったく、琴未ことみ沙里さりちゃんを置いて俺の体で逃げやがって……。

 彼女はそれを知らずに、俺を琴未ことみちゃんと思って笑っているのだ。

 琴未ことみの言うとおりかもしれない。

 こんな彼女が、今の琴未ことみの中身が俺だと知ったらどんなにショックか……。

 琴未ことみにも、他人を思いやる気持ちがあるんだなと知った瞬間だった。


 沙里さりちゃんは俺に近づくと、そそくさと俺の耳に唇を近づける。


「あの、魔法で服を作ってくれると嬉しいなって……」


「え? あ、ああ! 分かったよ沙里さりちゃん!」


 俺はエンジェルロッドに精神を集中させて、心の中で唸ってみる。

 イメージするのはさっきまで着ていたワンピースだ。

 ええっと形状は……。

 脳内で一生懸命ワンピースの形を妄想していると、エンジェルロッドの先より光が漏れだす。

 その光はワンピースの形となって俺の頭上に降り注いだ。


「ふがっ!」


 俺は頭に被ったワンピースを脱いで、沙里さりちゃんに手渡す。


「はい、沙里さりちゃん」


「ありがとう、琴未ことみちゃん」


 礼の後は素早く、沙里さりちゃんはワンピースを着こなす。

 これで、彼女の姿は化物に襲われる前とほぼ変わらないものとなった。


「あの、琴未ことみちゃん……」


「え? 何?」


 何故か、まだ顔を赤らめている沙里さりちゃんに俺は頭をかしげる。


 沙里さりちゃんは、一瞬だけ俺の胸を見ると、何かを察したのか苦笑いを浮かべ始めた。


「いや、何でもないよ。早く帰ろう!」


「……? いいけど……」


 俺と帰るときの沙里さりちゃんは、何故か前かがみで歩いていたのだった……。

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