三章 ダウト
東が、喧嘩に決着がついたのだな、と感じたのは遠巻きに見る人だかりに帯びていた緊張が薄らいだからだった。
東には裾野が喧嘩の中心へと踏み入れたのかは分からなかったが、幻虫の存在が薄れていったことでやるべきことをやったのだと分かった。
意図はなかったにしても、自分がきっかけで増大してゆく幻想の気配に呼吸をすることをしばしば忘れていたが、漸く胸を撫で下ろすことが出来た。強張った体から徐々に力が抜けてゆくのが分かる。ひとまず教室へ戻って椅子に座ろうと視線を人だかりから反らそうとした時だった。人だかりの後方を眺めていた男子が後ろを振り返り東と目を合わせた。内藤だった。
「内藤、近くで喧嘩見てたの?もう終わった?」
東にとっては何気ないセリフだった。だから無言のまま表情を変えずに近づいてくる内藤には聞こえていなかったのだと思った。
「なんで俺を呼ばなかったんだよ」
東には内藤の言っている意味が良くわからなかった。
「何?何の事?」
「お前なんで喧嘩の仲裁に裾野を呼んだんだよ」
東にとっては幻想の対処に裾野を呼んだつもりであったが、内藤には分からない。だからそれを説明しようにも咄嗟に言葉を選ぶことが出来なかった。後から思えば東神社の務めについて説明してしまえば良かったとも思ったのだが、どうしてかその時その説明を擦ることが億劫に思えた。「いや、近くに居たから」
「そんなわけねーだろ。アイツはクラスの奥にいて、俺は入り口に居ただろう」
「え、ごめんわからなかった」
言って、その言葉を選んだことを後悔した。眼中になかったと言っているようにも聞こえかねない。
「なんであいつなんか呼んでんだよ。尾藤や佐野と話た事も、喧嘩したことも無いやつを何で呼んでんだよ馬鹿が」
東には内藤が何を拘っているのかよく分からなかった。けれど何より最後の「馬鹿」に反応して一瞬にして血が昇った。
「は?じゃあ、あんた呼んだら全部解決出来たの?あんたあいつらの友達なら私が言わなくても間に入れば良かったじゃん。勇気がないのか治める自信がなかっただけじゃないの?」
顔は苛つきを携えているのに声が出てこない内藤の様子に東は図星なのだなと思った。
「そういう事を話したいんじゃねーよ。何で特に関わりもないやつを呼んだか聞いてんだよ」
「アイツならなんとかしてくれるって思ったから。それだけ」
内藤の急に理解できない怒りをぶつけて来る態度に腹がたった。だから内藤がショックを受けるような言葉をあえて選択してやった。それから東は顔を見ないまま踵を返して教室へと戻った。
教室へ戻ると波島が空の弁当を前にして天井を仰いでいた。
「何なのアイツ」
明後日の方を向いて宙を見つめているように見えた波島だが反応は早かった。丁度良いと、怒りを聞いてもらおうと思った。廊下の話が聞こえていたのだろう、呆けた顔が切り替わって意地の悪い笑みを貼り付けた波島が東の話を絶って切り替えす。
「ねーアレ告白?」
「なんで」
どういう解釈を辿ったらそこに行き着くのか東には分からない。
「だってアレ、俺を頼れよって言ってんでしょ?告白以外にある?」
「違うってそういうんじゃないって」
「いや、それ以外ないから。それに最近二人、結構仲良かったじゃん。この間公園でいい雰囲気で話してたの見たんだよね」
なんだコイツ見ていたのか。思わず舌打ちがでそうになる。
「だから違うって。公園ではあいつの話を聞いてたの。最近あいつなんか自信なくしてるじゃん?彼女に振られて、部活でも篠原にポジションとられたりとかさ。文化祭の落描きも私らに向けられたものじゃない?って話してから大人しいし。なんだかなーって思って」
内藤と公園で話したのも確かだが、事実として色気のある話しなどしてはいない。
けれど「ソレだけかなあ」と波島は納得した様子はない。
「じゃあ、裾野を呼んだのは私も不思議なんだけど、あれは?」
「だから、見えなかったんだって」
「探してないから見えなかったって事だよね」
「私はあいつと遠い親戚で、昔から知ってる事があるってだけ。あいつは興味がないことでの評価は諦めているけど、やると決めたことはやる奴なの。人や状況で自分を変えないし変えられないからダサいところもあるけど、ちゃんと時間がかかっても積み上げて勝負に出ることが出来るの。それは昔から変わらないから」
言っていて東は裾野について初めてしっかりと評価を下したのだと気づいた。裾野は自分を変えられないからそれが理解できなかった。東にはやりようがたくさんあると思えたからだ。けれど変わらない故の強さも知ってしまった。
東は自身の行動の動機を言葉にすることで、初めて裾野がどんな奴なのか、その把握に至ったのだと実感した。
「それなら私も内藤と縁切ろっかなー」
「は?何でそうなるの?いや確かにさっきのはムカついてるけど、そういう事じゃないでしょ」
「前も話したけどさ、私弱い奴に興味ないんだよね」
可愛い顔のまま言ってのける波島牡丹に東は少しだけ怖気づく。波島の深く覗き込むような瞳から目を逸してしまう。しかし意図を探ろうともう一度波島の瞳を読み解きながら言う。
「ねえ波島、強さって何?」
聞くと波島はつまらさそうに大きくため息をついた。
「たくさんある他の強さに揺らがないこと」
「……それって回答になってなくない?」
「東って今まで強さが何かなんて考えたこと無かったでしょ。でもそれで良いんだよ。だって強さが何かを考えるって弱さを考えることでしょ。弱さを考える時っていうのは自分に疑いを持ってる時なの。自分に疑いを持ってる奴って弱いでしょ。躓いただけで瓦解する。でも、だから良いの。いや、良かったの。前までの東なら」
「今のは話の流れで聞いただけだから」そう言いかけたが波島は意に介さずに続ける。
「やっぱりさ、内藤を選ばなかったのは納得いかないな」
あまりに重ねられた質問に東はイラつきからとうとう舌を打つ。
「何、いい加減しつこい」
話しのペースを握られっぱなしで後手後手に回っている現状が気持ち悪い。聞きたいことを聞いたら東がどう言おうが向かう先が決まっているような話し方に納得がいかない。しかしそれを訴えようにも隙間なく言葉を並べられた言葉に隙が見当たらない。
「ちょっと前に美術室の黒板に退職した先生の絵が描かれた事があったじゃない。あの時東、外から眺めてたでしょ」
「人垣が出来てたから、ちょっと見てただけ」
何かを探られていることは分かる。下手を打てば何かを踏み抜く事になることも。けれど波島の会話の狙いがどこにあるのかが分からない。
「うん。おかしい事なんか無いよ。私も見てたし。でもさあ、心奪われちゃったでしょ」
「そこまでじゃない。でもそれなりに出来は良かったじゃん。上手いなと思ったのは本当だけど」
「へえ隠すんだ、心を奪われたって事実を」
「隠してなんかない。本当にちょっと見てただけだから」
「だってさ、あの時私横で声かけたんだよ。なのに何も聞こえてなかったじゃん。ずっと集中して魅入ってたよね」
その瞬間、東は踏み抜いてしまったのだと理解する。混乱する頭から出たのは「嘘、でしょ」なんて降参みたいな言葉だった。
「別に画に心奪われたから何だって話なんだけどさ、それを今隠すってことはそこには隠したい何かがあるってことじゃん。どうせ同級の、それも自分より格下と思ってる奴に価値観揺るがされた事が恥ずかしかったんでしょう。人を凄いなって思ったか、自分て凄くないなって実感したかのどちらかでしょう。自分の弱さを知ったのか、他の強さを知ったってことでいいんだよね。ねえ、そうでしょ?強さに種類がある事なんて当然のことなのに、初めて本当の意味で知っちゃったんでしょ?それは恥ずかしいよね。それとも自覚はまだ?」
「東とか内藤の良さってインスタントな強さを当然のように振るってたところなの。それで良かったのに。だって持ちうる強みを押し付けて一喜一憂する事が学生生活の醍醐味じゃない?昔から脈々とそういう価値観が受け継がれてきてるわけでさ、世界共通の価値観じゃん。学生時代に馬鹿やったなって大人になって笑うんでしょ。今と全く人間性が変わらない奴が先に卒業した人間の真似をして言うんでしょ。そんなバカバカしいこと止めたって。そうすれば全部許されるし全部チャラ。いや許す許さないの前に罪にすら成ってないし因習とすら認識されない。そりゃ犯罪は違うよ?それはまた別次元の話。私が言いたいのは、グレーゾーンの白側を押し付けて黒の側で利益を得るって事。そういう慣習じゃない。その為に東の力が必要なんだよ。単純で解り易い、それをシンプルに押し付ける。そうすれば余計なストレスを考えなくて良いでしょ。押し付ける事を考える事すらなく、当然としてやってきたじゃない。それがさ、ふらふらしちゃってさ、みっともないね。今更そんな事に気づかないでよ。今になってなんてさあ。幻滅なんだけど」
「もしかしてあの落描きのせいもあるのかな?アナーキーな手段てそれ自体が脅迫的なニュアンスをもってるし。揺さぶられちゃった?まーどうでも良いけど」
「っていうか。東が、これだけ言われてるのに威勢よく言い返してこない事が一番の幻滅だけどね」
「あ―、よっわ」
波島は吐いて吐いて吐き捨てた。押し黙ったままの東に対して波島は一方的に諦めを持って唾棄した。
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