三章 因縁

 怒りによる張り詰めた緊張感の中、大杉はどこか懐かしさを感じていた。小学生時代はよく他校の連中と喧嘩をしたものだった。クラスの半分くらいはいた多人数対多人数の喧嘩で今と同じような展開があった気がした。当然昔とは自分も相手も、体格や筋力が違うので危険度は増すが、喧嘩に臨む気構えは変わらない。

 煽って佐野と共に勢いに乗る。その為に大杉はムカつく胸の内を口にする。

「望月も松井も尾藤の金魚の糞みたいにくっついて気持ちわりーんだよ。お前ら関係ねーだろうが。お前らなんてどうせ後でビビったとか言われるのが嫌で尾藤を一人で喧嘩させることが出来ないだけなんだろ?尾藤も一人で売った喧嘩なら一人でやる気概をみせろ。加勢が出てきて納得してんじゃねーよ」

「仲間なんだから当然だろ」

 望月も松井も黙ったが、尾藤が反応した。

「お前らと一緒に居てそんな信頼出来るような出来事なんて無かったろ。何でそんなに自信満々なんだ。何を根拠にして生きてんだ。俺がお前だったら恥ずかしくて外出れねーぞ」

 遅れて反応した尾藤へ今度は佐野が煽りを入れた。

「お前が違うとでも言うのかよ、佐野。散々一緒になって周りを虚仮にしてきただろ。どの口が言ってんだ」

「それは別に間違ってねーよ。だけどいつまでも一緒の考えでいるわけでもないだろ。変わってんの。お前等と違って刻一刻と変化してんだよ」

「それは都合良すぎるだろ」

「変化のタイミングなんてそんなもんだ」

「あー、なんでも良い。五月蝿え。口動かす暇があったら手を出せ。オラ、来いよ」

 焦れったそうに尾藤が吠える。尾藤は身長185cmあり体格が良い。佐野は決して小柄ではないが、体格で分が悪い。全員が出方を伺う中、躊躇なく間合いを詰めて分厚い筋肉を纏った尾藤が前へ進み出る。

 それが合図だと言うように望月、松井、大杉が動き出し衝突した。

 大杉は場所を変えようと廊下から教室へと戻ると、残っていたクラスメイト達は皆教室から出ていってしまった。その様子に、何て無様な事をやっているのかと急に我に返った。先に手を出したのは向こうだったが、喧嘩腰になったのはこちら側が先だった。人に迷惑かけてまでしなければならないことなのかと考えたが、机をかき分けて迫ってくる二人を前に感じた危機感が正常さをもう一度塗り替えた。

 如何に机と椅子をうまく使い妨害しながら相手に手を出すかというゲームだった。最初は上手いことやれていたのだが、距離を詰められず業を煮やした望月は、大杉が牽制で振るう椅子に当たるのを覚悟で特攻をかましてきた。そして肉薄され、大杉は制服を掴まれる。そして動きが制限された処、松井が机に乗って飛び、大杉の顔面へと容赦なく蹴りを入れた。大杉は机三個分は吹っ飛び、黒板へ背中を打ち付けて尻もちをつく。蹴られた顔面はもちろんのこと打ち付けた背中は当たりどころが悪く、腹に力を入れて呼吸を止める程我慢を強いられた。

大杉は痛みを顔に出さないように立ち上がると、逃げる事は止めて松井へ迫った。望月は無視してひたすら松井に拳を振るう。もちろん松井も返すし、望月からも横槍は入るが、とにかく望月を眼中から消して松井だけを相手取った。今まで相手をしていて、望月は度胸があるが、松井は痛みを負ってまで相手へ手を出さない。望月の影をちょろちょろしているだけだった。だから、痛みを怖がる松井を徹底的に狙い、先に潰す事に決めた。そして狙いは正しく、いいのが松井に入ると膝をくずして、頑張れば立ち上がれるだろうはずの痛みのはずだが、立ち上がってこなかった。

 それからは望月とひたすら根性の勝負だった。殴っては殴り返しのプロレスみたいな喧嘩で、ボロボロになりながらも引き分けと成った。二人とも暫く体を折りたたんで床へ沈んでいた。大杉は正直もう動きたくはなかったけれど、佐野の様子を見ないことにはゆっくり休んでは居られなかった。倒れた机に手をかけてゆっくりと立ち上がり、教室を出ようと扉へ顔を向ける。すると、尾藤が教室へと入ってきた。

「佐野は終わったぞ、ステラ」

「…昔の渾名で呼ぶんじゃねーつってんだろ、だせえな」

 大杉は痛みと疲労で声を出すのも億劫だったが、弱みを見せるわけにはいかなかった。

「今更関わってきやがってうぜえ奴だよな、お前」

「俺と佐野との関係にお前は関係ないだろ」

「だから、俺たちの間に後から割って入って来たのはお前だろうが」

「話にならねえ。ズレた考えを当たり前に披露してんじゃねーよ」

 尾藤はそれほど疲れていないように見えたし、顔に痣も傷も無かった。とすると佐野は随分ボロボロになっているのかもしれなかった。尾藤と昔一緒に他校と喧嘩していた頃はこうして向き合う事が考えられなかったが、今となっては順当な成り行きだ。

「あの時、嘘の成果を持ち帰らなきゃよかったんだ。そうしなければ嘘を自信にして自尊心を肥大化させるカスに成り果てることもなかったろうに」

「持ち帰って自慢したのはお前も同じだろうが。自分は違うみたいな言い方してんじゃねーぞ」

「馬鹿だったと思ったよ。だから俺は捨てたよ」

「もう昔の話だ。そんな話持ち出して今更ごちゃごちゃ言うんじゃねーよ」

「そんな昔の話からくだらないモノが積もり積もってんだ。だから俺はお前が嫌いなんだよ」

「今更だな。自分だけ解ったような事言って人を見下してんじゃねーぞ」

「上とか下とかそんなのしか無いと思ってるお前を下らないと思ってんだよ。それをもっと早く俺がお前に言ってやれば良かったんだよな。当時の俺の怠慢だったかもしれないな」

「ごちゃごちゃ何を分けの分からない事言ってんだ。何でもいい、これで全部終わりだ」

「ああ、ごちゃごちゃ訳の分からないことも考えられないお前だから、もうこれで終わりなんだよ」

 そうして、尾藤はゆっくりと近づく。大杉は深く呼吸をして少し腰を落とした。仲が良かったのは小学校六年の夏までだ。そこから調子に乗り出した尾藤と一緒にいても楽しいと思えなくなった。あれだけ毎日のように遊んで冒険して結束して喧嘩して勝ったり負けたりして色んな感情を共有していたのに。それから中学に上がったけれどクラスも部活も違う尾藤とは関わりがなくなった。遠くで尾藤が嫌な奴に成っているのを見るたびに嘘の成果を持ち帰った後悔が募った。高校に上がってニ年になりまた尾藤と同じクラスになった。尾藤がどう思っていたのかはわからないがお互い暗黙に干渉しないようにしていた。けれど、大杉の友達やそれ以外の大半のクラスメイトが尾藤を始めとした松井、望月の価値のない根拠に裏打ちされた尊大さに曝されていた。

 もしもあの時、銭湯の鍵を受け取らなかったらこんなことに成っていなかったかもしれないし、尾藤はこちら側に一緒に居たのかもしれない。そうだとしたらどんなに心強かっただろう。けれど。

 都合三度、お互いが拳を振った。力んで大ぶりとなったそれは一度目、二度目とお互いカスる程度だったが、大杉が三度目に出した拳は額に受け止められ、尾藤が最後に振るった拳に膝を崩した。

「ステラ、お前だけには負けねえよ」

 尾藤が勝利の雄叫びというよりは暴れたり無いといったように盛大に息を巻く。大杉に意識はあったがもう立ち上がれる気がしなかった。そもそも望月とやりあった時点で体力も尽きていた。ぼおっ

とする頭で尾藤の声を聞いていると、

「お前らマジでよっわ。何なん。こんなので人のことごちゃごちゃ言ってたの?うざいわあ」

 頭の上に松井の声が聞こえた。瞬間、大杉の腹に衝撃が走る。松井は転がった大杉の腹を蹴り上げ、大杉は苦悶し体を小さくした。それを面白がって松井はカラカラと笑う。そこに、

「うるせえ」

 その一言が聞こえると、「何で」という松井の怯えた声が届いた。薄くまぶたを開くと、尾藤が教室の隅へ追い詰めて松井の腹に一発入れ、崩れ落ちるところに顔へ膝を入れて更に踏み着ける尾藤の姿があった。

 呻き声を上げる松井を気にするでもなく、何度も何度も踏み抜く。呻き声も無くなり呼吸だけになった松井にまだ足りないと足を上げる尾藤だったが、そこへ「もういいだろう」と尾藤の腕を持って止めに入った人間がいた。別のクラスの篠原悠馬だった。

「邪魔すんじゃねーよ」

 尾藤は腕を振り払う。

 すると、教室の外から「やめろって」「もういいだろう」「それくらいにしておけよ」と周囲から声が上がった。

「なんでお前はそんなに……クソッ」

 そう言う尾藤は下へ視線を向け顔を微かに歪めたのが大杉には確かに視えた。がしかし直ぐに挑発的な面構えになる。

「まあいいわ、何もかも面倒くせえ。全員殺す」

 それから一言も発さず尾藤は篠原に向かって立ち、二人が衝突したのを最後に大杉は瞼を閉じた。


ぼんやりとした意識に、大杉は甘い香りを感じた。その香りを追うように目を覚ますと、見たことのない景色の中にいた。青い花が教室中に咲き乱れ、その中でまだ尾藤と篠原がやりあっていた。そして二人の足元には他クラスの見知らぬ男二人が横たわっている。

どうやら三人で挑んで、あの篠原ですら満身創痍の様子だ。しかし尾藤も顔を腫らして膝に手をつき上体を支えなければならないほど疲弊していた。五人も相手をすれば当然だった。

「流石に篠原、お前の相手は骨が折れるわ」

「やっぱ面倒臭いしイテエな。おい裾野、いつまで休んでんだよ!それに餓鬼はどうなったんだ」

 すると、横たわっていた男の一人が蹌踉めきながら立ち上がる。もう一人は微動だにせず伏したままだ。

「祓ってはないけど、幻想は働いてないはず。だから純粋に尾藤の体力が異常なだけだ」

 ああそうかいと篠原は憎らしげに零した。

「てめえら順番に立ち上がってうっとおしい事この上ないな。花だか幻想も生えてくるわ、わけわかんねー奴らも飛び入り参加してくるしよ」

 言うと、「裾野」と呼ばれた男に気を逸していたところに、飛び込んできた尾藤が足の腹を篠原の鳩尾に食らわせ、尾藤の勢いをそのまま貰って後に倒れた。

「後はお前だ。何か齧ってるみたいだけど残念、相手が悪かったな」

 裾野はポケットの中を弄ると尾藤に見えないよう、右手にグローブをはめた。たまたま裾野の後にいた大杉にはみえたが何の為のグローブなのかは分からない。

次に、尾藤が拳をまっすぐ裾野の顔面へと突き出すと同時に裾野も尾藤に手を出した。がしかし、裾野の拳は尾藤の頭上スレスレの虚空をきり、尾藤の拳を貰って盛大に倒れた。教室にいる尾藤以外の全員が倒れて伏した。

 尾藤は崩れ落ちそうになる体を膝に手を押し当てて耐え、暫く肩で呼吸をしていた。教室に立っているのは尾藤だけだった。よってこの喧嘩の勝者は尾藤となった。

 けれど、格闘技の試合の様に華々しいわけもなく、勝ち名乗りを受けるでもなく、誰かが讃えて駆け寄るでもなく、教室の外にたくさん集まった生徒は誰一人声を発さずに静まり返った教室を覗いているだけだった。誰一人動こうとせず、いや動けなかったのだろう、尾藤がその静けさに飽きて教室を出るまで皆冷たく息を吐くだけだった。

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