三章 Phenomenon-friction2 不良のいない普通の教室
「佐野、怪我の具合はどうなのさ?」
大杉 櫂(おおすぎ かい)は教室に現れた佐野 伊夕(さの いゆう)の全身を確認するように眺める。
「二の腕は痛むけど骨は折れてなかったな。ていうか大杉も隈、凄いぞ」
「俺のはゲームやりすぎて寝不足なだけだから。それより階段から落ちてその程度で済んで本当に良かったわ。割と奇跡的だよな」
とっさに着いた右腕に痣が出来たくらいで後は大したことはない。服を着て見える箇所は顎の絆創膏くらいだ。
「ほんと死ぬかと思ったけどな。でも今となっては悪い夢でも見てたんじゃねーかって思う位に現実感が無いわ」
佐野は絆創膏を貼り付けた手をやった。
「実際、夢見てたようなものだろ。間違いなく俺達はみんな立入禁止区域の外へ向かって平坦な道路を走っていたんだから」
東神社の人間から立ち退けと言われた後に巨大なスカイフィッシュと遭遇した。何が怖いのか分からないのに、どこからか湧き上がってくる恐怖で五人は逃げていたのだが、逃げた先はかつて地下鉄が走っていた駅へ下る階段だった。そして、先頭を走っていた佐野はそこへ飛び込むようにして転げ落ちてしまった。しかし、それまで五人は立入禁止区域から出る為、月明かりの下、所々コンクリの割れた道路を走っていると思っていた。けれど突然、佐野からすれば気づけば階段を転がり落ちてその先の記憶は無い。
大杉から聞いたところによると、視界から佐野を見失った瞬間、突如景色が変わって真っ暗な階段の上に立っていた。それから階段の途中に転がった佐野を見つけ救出しているうちに、スカイフィッシュもどこかへ去ったらしい。だから幸いにして偶々運良く学校へ通えているのだと思っている。そう思える程の恐怖と支離滅裂な出来事だった。
「サイズの大きいスカイフィッシュは危険だって言われてても実感わかなかったけどありゃやべーわ」
「俺も改めて思い知ったわ」
大杉は腕を擦っていたが、それが大げさな反応でない事は佐野が一番よくわかった。
子供の頃、大杉は中型スカイフィッシュに行き合った事があるらしい。きっとその時の恐怖とを比べているのだろう。
「もう当分幻想に近寄るのは止めようぜ。避けて通らなきゃだめだ。そういえば去年あったじゃん、ニューヨークのワンダーハウスだっけ?」
アメリカの幻想拠点には様々な幻想が今も生まれ続けている。日本の様に多くの人に認知されている幻想の大半がスカイフィッシュというわけではなくて、多種多様な幻想が存在しているらしい。とはいえ海外の幻想も昔ほど話題とならないが、久々に世間を賑わせたのはワンダーハウスが東京ドーム程の幻想だったからだ。とあるチームが好奇のまま物見遊山に立ち入ったまでは良かったが、侵入者は様々なペナルティーを負い帰還する事となった。
「ネットヒーローになる為に息巻いて突入した動画配信者達が五年分くらいの記憶を無くして出てきたんだっけ」
「あんまり実感なかったけどさ、幻想なんてよくわからないものだから、そういう風になってもおかしくないって事だよな」
強く同意し、佐野は頷いた。
「そういえば神社の人、大丈夫だったのかな」
大杉はぼーっとした顔で本当に心配しているのかはわからない。
説教した大人と同年代の男、それに最後顔は見えなかったがすれ違った女もきっと仲間なのだろうと佐野は思い出す。
「あれだけ偉そうにしているなら大丈夫じゃね。それに都市伝説聞いたことないか?東神社にいる超能力者の話」
昔からある話だ。もしかしたら幻想出現前からあった都市伝説かもしれない。
「そういえば昔バケモンの子って呼ばれてる子が他校にいなかったっけ?」
「しらね。俺は大杉の地区とは大分遠いし」
「その超能力者の噂が噂を呼んで神社の子達をそう呼んでた奴らがいたんだよ」
「くっだらねえ」
「ああその通りだけど、確かに超能力者の噂って昔っからあるよなって話よ。……いやちょっと待てよ、何か忘れている気がする」
言って、大杉はじっと固まったように動かなくなった。何か覚えがあるのだろうか。佐野は期待せずに大杉が動き出すのを窓の外を眺めて待ったが、動き出したと思ったらでかい欠伸を始めただけだった。ついでに両の手を思いっきり伸ばす全力のやつだ。顔をみれば分かる、きっぱりと記憶を辿るのを諦めていた。
「そいや井岡とはあの後連絡取った?」
大杉は首を振る。
「ブチ切れてたからなあ。落ち着いたら連絡くるだろ」
スカイフィッシュに追われ、それどころではなかったのだろうけど、きっと帰ってもあの怒りが収まっているとも思えなかった。井岡から特に連絡もないし、連絡する気もないが、放っておけばまた遊ぶことになるだろうと、佐野は何の確証もなく思っている。
「井岡はアンハッピーサインの影響じゃなくて純粋にグラフィティが好きでやり始めたって言ってるからな。それが本当かは分からないけど、あの物言いは許せなかったんだろ。佐野や登米ちゃん玲之天はアンハッピーサインの影響だって言ってるしさ」
「大杉だけだよな、アンハッピーサイン関係なくグラフィティやってたのは」
「けど、俺もあれに共感した側の人間じゃん。知ってるだろ?だからあの女が言った言葉に俺も腹が立ったんだ。だけど認めざるを得ない部分はあってさ」
大杉は苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「俺休みの間中ずっと考えていたんだけどさ、確かにあの女は人が泥投げられたのを見て喜んでるのはダサいって言ってたけど、嫌いな人間が自由な振る舞いに対して水を差された姿をみてスカッとした気持ちになる事ってダサくたって別に可怪しいことじゃないって思うんだ。俺たち別にそこまで正しさに寄って生きてるつもりもないだろ」
「嫌い、ねえ」と伺うような言葉が佐野の口からこぼれ出る。
何かを誤魔化そうと、取り繕うと、別にある本音を隠そうとしているような気がして、
「要は自分が弱い立場だからスカッとしたって事じゃねーの?」
追及の手を更に伸ばす。
佐野はクラスの後ろの方の席へ目を向けて言う。しかし大杉は少し声を荒げて「ちげーよ」と否定した。大杉は確かに佐野の視線の先を確認した上で話し出す。
「自分の弱さを自覚してもあいつより弱いと思ったことなんて一度だってねーよ。そうじゃなくて糞であることを自覚していない奴にお前は糞だと叩きつける当たり前の指摘に爽快さを感じたんだ」
「言わんとしてることは分かったよ。自分の事を棚に上げて反論するけど、やっぱり手段の問題だろ。まず正々堂々伝えるべきだったのかもしれないぜ」
文化祭の日の朝、この2-2組と2-8組の教室にアンハッピーフェフィスが描かれた。佐野自身、展示物を滅茶苦茶にしたアンハッピーサインを見て、大杉が言うように爽快さを感じた事は確かだ。けれど、やはり声高に言うものでもないと思ってしまう。恥ずかしいことだから指摘されて腹がたったんじゃないかとそう思ってしまう。
「馬鹿、正々堂々でないからこそ描いた奴へのシンパシーが湧くんだろ」
「ただ開き直ってるだけじゃねーか。どれだけ言葉を並べたって結論がそれじゃお前がクソダセーぞ」
「洗い流す為にはさ、そう言わざる得ないだろ」
今日、大杉が云わんとしている言葉は、いつも話す佐野の言葉とは転がる方向が違っていて佐野の想定を外れている。そもそも本音が別にあるという読み違いに始まって、どうハンドルを切るのかわからず大杉に振り回されている気がする。
「汚れみたいに、染み付いた因縁とかストレスとか不満とか怒りとかを洗い流さなきゃならないだろ。もう見ないフリするのも我慢するのもうんざりなんだよ。だから、卑怯な方法で指摘したから爽快だったって。水を差してアイツラの間抜けな面を拝んでやったって言うから洗い流せるんだろ。例えそれで溝水の汚い色に染まってしまったとしてもだ」
「だからそれは開き直ってるだけだろ。せめてもう少し取り繕え。それじゃフォローもできねーよ」
佐野は呆れるように言いながら、ここまで明け透けに弱さを晒すことのできる佐野に本当は関心してしまった。
「綺麗に取り繕ってたら洗い流せやしね―だろ。あれへの共感は格好悪いんだよ。それに格好悪くなきゃならないんだよ。それでそのまま俺はあの共感を肯定するんだ。今はまだ、格好悪くて良いんだ」
そういって佐野は良い顔をして笑う。佐野の言った言葉や立入禁止区域にいた大人からの受け入れづらい言葉を咀嚼して、大杉なりに受け入れているんだ。いや、もしかしたらまた仕舞い込んだだけなのかもしれない。それでもきっと無理やり心の構造を変えながら、やっていっていく事を決めたのかもしれない。
呼び水になり、佐野も口を開く。
「…俺はさ、お前がみんなを紹介してくれたから悠斗や登米ちゃん、玲之天と出会たわけだけどさ、俺が嫌いだと思うような振る舞いが無いから居心地がいいんだよ。でもそれってさ、きっとこのアンハッピーサインに共感した人達だからそうなのかなって思ったんだ。だから薄っぺらい共感を理由に集まったっていいと思うんだ。共感を理由にして集まった事じゃなくて共感に至った各々のバックグラウンドで何を経験して思ったかが大事だと思うからさ。まただからこそ居心地の良い場所が作れているんじゃないかと思う。あそこに幻想の巣を俺た達が作ったのだとしたら、それはその象徴って事でいいじゃん。俺達自身で価値を決めればいいだろ」
大杉は佐野が言ったことを考えるような仕草で「そうだな」と深く頷いた。
「それにしてもさ、お前結構キツイよな」
「弱い立場だからスカッとしたって話し?」
ソレ、と言って大杉は佐野の顔を指す。
「そうだなって肯定するのは簡単だけどさ、それじゃ聞いてる相手がいる意味無いっていうか、俺じゃなくていいじゃん」
「いつか喧嘩になるかもしれないぜ」
「もう高二も終盤に入るだろ。だらだら初対面の延長みたいな事言ってても面白くねーだろ」
佐野は確かにな、と吟味するように言い、深々頷いた。
「しかしさ、相手にそんな要求出せる奴が良くまともに今まで尾藤とつるんでいられたな」
「……面白いと思える時もあるんだよ」
佐野は先までの勢いを失い、大きくため息をついた。
佐野が大杉と話すようになったのは割と最近の事だ。
今までは高一からの付き合いである尾藤や松井に望月とずっとなんとなく友達をやっていたけれど、いつの頃からか三人に自分が合わせているなと思う事に良く気づくようになった。そして合わせている事が面倒になった頃に丁度文化祭があり、クラスに描かれたアンハッピーサインと対面した。
普段から横暴で自由な奴等ではあったけれど、文化祭準備ではそれが顕著に表れていた。人に仕事を押し付けて遊んで、気が向かなければ帰り、出来上がれば自分の手柄みたいな顔をしていた。そんな様子に佐野もクラスもウンザリとしていた。
お前の手柄にするくらいなら頑張った時間毎台無しにしてやった方がまだマシだ、と思えたから、だからアンハッピーサインには胸のすく思いだった。けれどそれと同時に尾藤が行っていた事は尾藤と一緒に行動していた佐野自身も行っていた事であり、ざまあみろという目が自分にも向けられている事を思うと周囲へ申し訳い気持にもなった。
あれから佐野は徐々に尾藤と距離を置くようにしていた。そんな時、たまたま大杉に愚痴を話す機会があり、それが大杉も思っている点と合致して盛り上がった。大杉は小学校時代、尾藤と同じ学校だった事もあり、昔は仲が良かったが今は嫌ってクラスは同じでも付き合いは無い。だから境遇が似ていて同じ不満を持った共通点と、アンハッピーサインへの感想が同じだった事により仲を深めきっかけとなった。またアンハッピーサインからグラフィティに興味を持った佐野は、グラフィティを趣味にしていた大杉と打ち解けるのに時間はかからなかった。
グラフィティの練習をするにあたって新たな場所の候補を考える事になった。イリーガルな候補であればいくつもあったが、佐野は今、公共の場所に描こうとは思わなかった。だから合法的に落描きを許されたリーガルウォールを探していたのだが、近場ではネット検索に引っかからなかった。黙々とスマホで検索していたのだが、
「おい、佐野。ちょっとこっちこいよ」
教室の後ろから呼ぶ声がした。その方に溜息をついて振り向くと尾藤が呼んでいた。松井のスマホで動画を流しているようで望月と三人で楽しそうにしていた。
「あー、わり今ちょっとこっちで話があんのよ」
尾藤はそれで収まらず早くしろというジェスチャーを送る。
「おい、早く来いって!今おもしれーから」
松井も目を離さずに叫んでいる。
「行ってくれば」
大杉はスマホから顔を挙げず落ち着いた声で言う。
「なんで俺があいつに呼ばれたら行かなきゃいけねーんだよ」
「別に行かない理由なくね」
「話終わってないだろ」
「おいおいでいいよ。すぐに見つかるわけでもないし」
「なんでそんなに行かせたいんだよ」
「別にそういうわけじゃないけどさ。うるせーじゃん」
「何やってんだよ佐野」と声が飛び、そしてついには「大杉、早く話終わらせろよ」と大杉にも飛び火した。
「ほら、面倒臭いだろ」
舌打ちをした大杉は立ち上がれとジェスチャーし、佐野は渋々と腰を上げた。
何を見て盛り上がってるのかと思えば海外の衝撃映像集だった。
流れていた動画はすぐに終わってしまった。尾藤は「佐野がおせーから」と冗談混じりに言って、次の動画を流し始めた。面白くないと言う程ではないけれど、わざわざ腰をあげる程ではなかった。でも多少でも面白くて良かったと思った。また合わせるに苦労をしなくて済んだのだから。
四限は体育館でバスケだった。体育教師はチームを分けた後は審判役も割り振りし、仕事は終わったとばかりにパイプ椅子に座って眠りこけていた。
佐野は尾藤や松井と同じチームになり、試合は二面で行われた。
佐野は始まりから出場し、何本かシュートを決めて早々に交代を打診した。尾藤達には怪我している事を伝えていないし、顎の絆創膏の理由も適当にしていた為に非難されるのかと思ったのだが、佐野が連続シュートを決めた余裕と受け取られて思いもよらずに盛り上がった。
すぐに交代してしまったが、久々のバスケは楽しかった。二年に上ったばかりの頃は尾藤とよく遊びで1on1をやっていた。その会もあって息は合うし松井も運動神経が良いのでバスケが上手い。スポーツに対して真面目すぎるでもない不真面目すぎるでもない遊び半分で、且つ同じくらいの力量を持ってスポーツが出来る奴等がいると楽しい。それにこのくらいの力量が揃えば大抵勝てる。今の面子が揃えばバスケだけでなく、サッカーもバレーもそこそこに出来て試合になるのだから、佐野はスポーツという遊びは好きだった。
佐野は別れたもう反対側コートにいる大杉の後ろに腰掛ける。
「どうよ?」
「接戦。そっちは?」
「少しリードってとこかな。でも望月も粘るね。さすがバスケ部」
佐野の相手チームには望月がいた。チーム決めは体育教師が決めた為、望月は自分だけいつもの面子と同じチームに入れなかったことを文句言っていた。けれど始まったら始まったで楽しそうにチームメイトへ激を飛ばしている。
佐野は自身が抜けた後のチームを観戦していた。すると交代で入った土井が確実に決められるところ逃してしまった。案の定、尾藤と松井がコートの端から端まで届くような声で文句を飛ばしている。
「お前もあの中にいたんだぜ」
大杉は鼻で笑った。
嫌味を含んだ物言いに佐野は憮然として、「なんだよ」と返答する。
「や、あいつらをどういう心境でで眺めてるのかなと思ってさ」
「別に、相変わらずだよ。楽しい時は楽しいさ」
大杉は佐野にも聞こえる程の大きなため息をついて、
「なあお前って、結局の処、あいつらの事どう思ってんだ?」
「……温度差はあると思うんだよ。お前みたいに決定的に嫌ったって瞬間がないからさ」
「嫌いきれないってか?」
「中途半端だってのは分かってんだけどさ」
「あいつ等との関係の何に未練があんのかわかんねーよ。俺もお前と同じで自分の事棚に挙げて言うけどな、ただ踏ん切りつけるのにビビってるだけじゃねーのかよ」
反射的に舌打ちが漏れる。
「だから、分かってるって言ってんだろうが。誰も知り合いが居ない高校に入学してからの付き合いなんだよ。お前が嫌いなのは重々承知してるさ。俺だって気に入らない処があるけど、だからって俺はお前と同じじゃねーからな」
語気を荒げ鋭い眼差しを向ける佐野に向かって大杉は掌を向ける。それから「おい、忘れてるだろうけどな」そう前置いて、
「初対面の延長みたいな事言ってても面白くないって言ってたのお前だからな」
頭の何処かで佐野は今日の午前中の光景と同じだと分かっていたけれど、言う側と言われる側では全く心持ちが異なる。冷静でなんていられなかった。立入禁止区域で女の人が言っていた言葉を思い出す。
『わかりやすいって舐められるよ』
立入禁止区域で階段から落ち、目覚めた次の日、誰かに痛いところを突かれる事を想像してはみたけれど、痛みは軽く想定を超えていた。
「……ちゃんとお前の凄さが分かったわ」
佐野は深呼吸をして深く息を吐き、気持ちを落ち着けるようにして言葉を絞り出した。
「勝ちだと思っているモノを捨てられるかどうかだよ。俺がそうだったから」
大杉の変わった物言いに疑問がいくつか浮かんだのだが、突然甲高い笛の音が鳴った。
大杉側のコートではボールがコート外へ出てゲームが中断していた。
「四組とか五組とかはさ、クラス皆で仲良くやってるじゃん。あーいう感じだと思ってたんだよな」
佐野は言葉を探しながらとつとつと話し始める。
「なんだよ急に」
「どういう気持で眺めてるかって話」
体育館の隅まで点々とボールが転がってゆく。
「篠原がいるからな。あーやって皆に支持される中心的存在がクラス皆で仲良くやろうってタイプだとまとまるよな」
「でも五組は特にそういう奴がいるわけでもないじゃん。なのに体育祭も文化祭も楽しそうにやってただろ」
「そうだな、そんなクラスなら煩わしい思いをしなくて良かったんだけどな。そう考えると八組も苦労してるんだろうな」
同じ落描きのあったクラスを思う。八組には尾藤と仲の良い内藤がいる。一度だけ尾藤の繋がりで大勢で遊んだことがあるが人柄についてはよく知らない。けれど、おおよそのところは二組と同じなのではないだろうか。
「ったく全然使えねーな。おい、佐野休みすぎだろ。そろそろ交代な、じゃないと望月に負けるぞ!」
忙しそうに檄を飛ばす尾藤は相手パスを受け取ろうとしている相手を背中から押して無理やりインターセプトを図る。そこからは図体の大きさを利用して前を塞ぐ相手をまるでラグビーのように肩で押しのけ、時には手で相手を退けながら進み、そのままゴールを決めた。
「おいふざけんなって!」
望月は放った言葉と裏腹に笑って抗議している。
「余裕でファールだからな!」
「ばーか、そいつらフィジカル弱いだけだろ」
尾藤が進む傍ら退けられた二人の表情は見えはしなかったがきっと望月とは対象的だったはずだ。
誰かにとって些細な言動が、対等に立たない尊大な態度が、萎縮させストレスにして、細かに摩耗させてゆくのだ。
別に景色まるごと白飛びするような怒りや、爪痕が残る程握り込んだ悔しさや、冷たく乾きひび割れた嘆きや、歩んだ日々を捨ててしまう諦めや、身の置き場所が分からなくなる絶望など、暗く彩られた感情が湧くようなことはない。せいぜいサイコロの出目に合わせて死んでくれと願う程度だ。
心許せる奴と話しすれば、なんでもないような顔をして忘れられる。話した後の帰り道やリビングでつまらないテレビをみている時や、明日教室に入る前に突然蘇り血と一緒にぐるりと巡り渡る。その程度のことだ。その程度のことなんだ。そうして緩やかに歪んでゆく、そんな毎日があるだけなんだ。
四現の体育が早めに終わって教室へ戻り着替えを始めた。あと十五分程度で終わりのチャイムが鳴るといった時間に、一年の学年主任が血相を変えて体育館へとやってきた。それからこそこそと話をした後、ゲームを突如中断した。ゲーム中だったチームからは非難が集中したが「わるい」を連呼しながら学年主任に連れて行かれてしまい、授業はお開きとなった。
男子は教室で着替える事になっている為、まだ各クラス授業中の校内をだらだらと歩いて教室へ帰った。
着替えをするクラスの中では疲れたといったように、一様に皆もたもたと着替えている。大杉も例に漏れず、脱ぎかけた体操着をかけたまま水筒に口をつけていた。
「そいやさ、今日終わったらどうする?」
佐野は中断された話を思い出して大杉に声を掛ける。
「考えたんだけどさ、壁に描くより紙に練習しね?色の組み合わせとかそもそもどういうモノを描きたいのか定まってないだろ」
佐野にとって紙に描いて練習になるのか甚だ疑問ではあったが、大杉の提案に乗ることにした。
「場所は?どこかファミレスでも行くか?」
「家来いよ。親も遅くまで帰って来ねーし」
佐野はファミレスでも良かったが仲間でもない大勢の人が居るところで絵を描くのも恥ずかしかったので家へ誘うことにした。
着替えが終わり、売店へ飲み物を買いに行こうと大杉と佐野は教室の扉を開けた。
開けたところに教科書を抱えた女がいた。どうやら四限が移動教室だったのだろう。連中がばらばらと歩く中、たまたま女と目があった。女は友人と会話をしているようだったが、目があった瞬間に足を止めて佐野の顔を確認するようにまじまじと見た。
女は気が強そうな派手めな女子と言った風だが綺麗な顔立ちをしている。そういえば八組にいたなと佐野は思い出す。名前は確か東凪だった思う。随分前に尾藤や内藤と一度だけ遊んだ時に居た子だった。
急に足を止めた東は、隣で会話をする友人をよそに、一歩足を進めて佐野に話しかけた。
「もう昼休み?」
「ああ。四現が早く終わったからさ」
佐野は嘗て遊んで以来まともに話した事のない女子に突然話しかけれ戸惑いはしたが、確かにまだチャイムも鳴っていないのに昼休みに入っている状況が気になる気持ちも分からないでもなかった。
東と会話をしていた友達は突然足を止めて佐野に話し始めた東に怪訝な顔をして文句を言っていたが、東に先に教室へ戻るよう促されて仕方ないといったように離れていった。
「あ、誰かに用だった?まだわりと教室で着替えていると思うけど」
意図が分からないまま足を止められた佐野はどうしたら良いものかわからず、とりあえずと言った質問をする。
「ううん、佐野君と大杉君にちょっと話が聞きたいんだけど」
突然の流れ、その不思議な状況に何か嫌な予感がした。後ろにいる大杉へ振り返ったが怪訝な顔で首を横に振った。そして女は確信を持った口調で言う。
「この間、立入禁止区域に居たよね?」
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