第4話
素早く振り返ったマティアスがカルヴァンの剣を弾く。
「何? どうしたの?」
『言ったでしょう。邪竜の前では人間は皆、欲にまみれた姿になると。だって邪竜なんだから。野心と欲望を増幅させる影響力があるのよ』
マティアスは予想でもしていたのか、再び襲ってきたカルヴァンの剣を冷静に受け止めている。
「ちっ。騎士の訓練も大して積んでいない男が! なぜ!」
「カルヴァン様は宰相の手先ですか?」
「あんな男はどうでもいい。利用しただけだ」
「では、なぜ?」
「俺は勇者になりたかったんだ! 建国の勇者に憧れて神殿騎士になった!」
「では、邪竜を殺してそれでいいじゃないですか。邪竜を殺せば完璧に勇者です」
「勇者は二人もいらない! お前を殺して俺が勇者になる!」
「私は名声などどうでもいいので、カルヴァン様がどうぞ」
「俺がこのまま邪竜を殺して戻ったところで信じないだろう! お前はカリスト領での活躍と聖女様をシャンデリアの落下から救った件があるからな! みんなお前が勇者だとウワサしている! それに、勇者は聖女の側にいる男なんだ!」
金属同士が打ちあう音が延々続く。
『完璧に邪竜の影響を受けているわね、勇者願望よ』
「勇者なんて存在するの?」
『聖女と勇者はセットよ。聖女がいるなら勇者も存在する。勇者の条件は伝わっていないのかしら? あの神殿騎士が知らないだけ?』
「勇者の条件? そんなの知らないわ。でも、勇者と呼ばれるくらいだから強くないといけないでしょ。じゃあマティアスじゃないんじゃないの」
『剣の腕も、勇気があるかどうかも。何もかも勇者であることと無関係よ』
ひと際大きな音がした。カルヴァンの剣が遠くに弾き飛ばされ、マティアスが彼を切りつけたところだった。
マティアスって神殿騎士より強かったの? 魔物相手と人間相手は違うわよね?
私は恐る恐る倒れたカルヴァンの側に歩み寄る。彼は胸から腹にかけて切られていて血が地面に滲むのが分かるほどだ。マティアスは黙って邪竜を見ていた。
「し、死んだの?」
「致命傷ではないはずです。彼の言うことがどこまで本当か分からないので。全部終わってから癒しをかけてください」
「あ、そうね」
また背後から襲われたら堪らない。
マティアスははっきり喋った癖に、邪竜をぼんやり眺め続けている。封印が甘いのだろうか。
「マティアス? どうしたの? 封印もしたんだから止めを刺さないの?」
「殿下」
やっとこちらを見たマティアスの剣を持つ手は震えていた。マティアスでも怖いのだろうか。さっきまでは平気で戦っていたように見えたのに。
「カルヴァン様との戦いで少し怪我をしました。邪竜に止めを刺す前に癒しをかけていただけませんか」
「それはいいけど……」
明かりがあるとはいえ、マティアスがどこに怪我をしているのかまでは見えない。返り血なのかマティアスの血なのかも分からない汚れが彼の服には散っている。
「私も怪我をしたまま邪竜に止めを刺すのは怖いので。暴れられたら困りますから」
『ダメよ、近付いてはダメ』
建国の聖女の声が聞こえて慌ててそちらを見る。彼女は険しい顔をしていた。
『警戒しなさい。邪竜の影響を受けているかも』
「でも、マティアスは今のところ普通でしょう? それに私は近付かないと癒しをかけられないわ」
「殿下」
頭の中で建国の聖女と会話していると、マティアスに静かにしかしややねだるように呼ばれて彼の方を向く。こんな風に改めて癒しをかけてほしいと言われるのは恥ずかしい。
「癒しの水は持っていないの?」
「持っていません」
「分かったわ」
『ダメ! もっと警戒しなさい!』
建国の聖女はそう叫ぶが、マティアスには散々守ってもらったのだ。しかも彼は珍しく震えている。魔物と初めて戦った時も、シャンデリアの落下から守ってくれた時も平気そうだったのに。
建国の聖女は止めようとしてくるが、彼女に実態はないので私の体に触れない。別に、マティアスなら大丈夫だろう。様子だっておかしくない。警戒するも何も、私を殺したり傷を負わせたりしたいならさっき私を助けずに放っておけば死んでいた。
マティアスに近付いて剣を持っていない方の手を取った。
「前回は額にしてくださったのに、今回は手なのですか」
「何?」
何をこの状況でふざけたことを言っているのか。ムッとすると、マティアスは穏やかに笑みを浮かべたがやはり手は震えていた。もしかして、震えを気取られたくないから冗談紛いのことを言っているのだろうか。
「怖いの?」
「それはもちろん怖いですよ。伝説に出てくる邪竜です。さすがに、手に口付けでは勇気が出ません」
「じゃあ、どこならいいのよ」
「せめて、頬にしてください」
仕方なくマティアスにさらに近づく。建国の聖女の方を見ると、苦し気な表情をしているがもう私を制止しようとしない。
大人しく目を閉じるマティアスに気恥ずかしさを感じながら、彼の頬に顔を近付ける。気を失ってくれていたら恥ずかしさなんて感じないのに。
不安定なので彼の肩に片手を置いた。そこで気付く。なぜか私の手も震えていた。なぜだろう、何度か握って開いても震えが止まらない。やっぱり邪竜を目の前にしている影響だろうか。恐怖が増幅されているのかもしれない。
私は震えを無視し、背伸びをしてマティアスの頬にキスをした。いつものように淡い光が見える。
「これでいいでしょ」
「ありがとうございます」
恥ずかしくて、マティアスの顔を見ることができずに背を向ける。
『ちょっと!』
「え?」
気付いた時には遅かった。お腹が熱い。手を当てようとして腹部を見ると、自分の腹部を剣が貫いているが見えた。
どうして、と口にしようとしたが声が出ない。カルヴァンは倒れているし、王弟は死んでいる。この剣を持つ手が宰相というわけではないだろう。つまり、私はマティアスに背後から刺されたのだ。
『やっぱり、また運命通りなの?』
強烈な死の気配を感じながらも、相変わらず建国の聖女の言っていることはよく分からなかった。
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