第3話

 マティアスは臙脂の首まで詰まったジャケットに黒いズボンという出で立ちだった。よく見ると金糸で華やかに細かく刺繍がされている。


 夜会服姿を初めて見たので、歩きながらマティアスをジロジロ眺めてしまった。


「変ですか」

「いいえ、あなたのそういう格好は見慣れないから。いいじゃない? 素敵だと思うけど」

「殿下にドレスを贈ることができず申し訳ございません」

「私もあなたも直前までカリスト領にいたんだから仕方がないでしょう」

「さすがに四日でドレスはできませんから……王太子殿下と王妃殿下が用意すると伺ってその方が良いかと」

「まぁ、ブレスレットとイヤリングを用意してくれていたからいいわよ。気に入ったわ」


 控室で合流して、マティアスがポケットから取り出したのはダイヤモンドのブレスレットとイヤリングだった。イヤリングは細く長く耳元で揺れているはずだが、視線を動かしても良く見えない。ブレスレットは左手首でキラキラと輝いている。この分かりやすいキラキラとした輝きが私は好きだった。やっぱり、女の子の憧れじゃない?


「それは良かったです。私の贈り物で殿下に気に入っていただけた物はこれまでなかったので安心しました」

「そうだった?」


 アデルって好みのストライクゾーンがとんでもなく狭いのかしら。シェリルだった私なら正直なところ何でも喜ぶわよ。


「そうでした。さすがにイヤリングは母のために貰いっぱなしでは申し訳なく、本日用意しました」


 そういえば癒しの力を込めたイヤリングをあげたんだった。返してと言う気もなかったが、代わりに素敵な物がもらえたので悪い気はしない。


「あなたから誉め言葉がないけど、私に似合ってるの? これらは」

「殿下はお美しいので何を着ても、何をつけても似合うでしょう」


 マティアスって女心が何にも分かっていないのね。婚約者に褒められたいのは当たり前じゃないの。シェリルだった頃はこんな風に着飾ってパーティーに参加することなど夢のまた夢だったのだ。パートナーに褒められるのは最初のステップで、憧れだろう。


「あなたって真面目なだけで全然ダメよね。女心が分かってない。モテないでしょ」

「申し訳ございません」

「今日くらいちゃんと褒めなさい、私を」


 マティアスは煌びやかな会場で私をエスコートしながら視線を彷徨わせた。


「殿下はいつもお美しいです」

「それは事実だけど、今日の私を褒めていないじゃない」

「……最近の私は……殿下を見慣れてしまっています」

「それは大変ね。私を見慣れたら他のものがすべて色褪せるでしょうね」


 マティアスが呆れたような視線を向けてくる。自分で言うなってことかしら。

 シェリルだった頃もよく「美貌を鼻にかけている」って言われたわ。でも、持って生まれたものを鼻にかけて何が悪いのかしら。


「初めて殿下にお会いした時、殿下は絵画から抜け出てきた女神なのかと思いました」

「へぇ、そうだったの」


 それ、私が覚醒していない時だから知らないわよ。


「今日、その感覚を思い出しました。殿下に初めてお会いしたあの日の感覚を」

「それって、私が女神みたいに見えるって言ってるの?」

「……要約すればそうですね」

「じゃあ、最初からそう言えばいいじゃない。回りくどく言わないで」

「……次の機会があれば善処します」


 またマティアスから呆れた視線を向けられてしまった。でも、確かにマティアスの言い回しの方がロマンチックではあった。


「ねぇ、私ってこれまで夜会の時にどう振舞っていたの?」

「一曲踊ってあとは退屈そうにぼんやりされて、途中で抜け出して帰っておられました」


 それもそうか。だって聖女になる前のアデルは見てくれだけの王女だった。王女だから大っぴらに蔑まれないものの、積極的に話しかけにくる者もいないだろう。


「じゃあ今日もそのような感じかしら」

「ご冗談を。今日は殿下の元に人が殺到すると思いますよ。ほら、歩いているだけでもこんなに視線を浴びているではないですか。今すぐにでも皆、カリスト領で必死に働いた聖女である殿下に話しかけたいはずです」

「とりあえずあなたと踊るでしょ。それからお兄様とも踊ろうかしら。そうしたらその後挨拶を受けるわよね」

「……殿下、そういえばダンスの練習はされましたか?」

「していないわよ? 記憶喪失でも体が覚えているでしょ?」

「こう言っては気分を害されるかもしれませんが、殿下はダンスが苦手でした」

「初耳ね」

「申し訳ございません。そんな風に楽しそうにダンスの話をする殿下を初めて見ました。練習にお付き合いするべきでした」


 聞いてない。王女様がダンスが苦手で嫌いだったなんてそんな話ある? 王女様ってもっと何でもできると思ってたわよ。マティアスがここまで言うのだから、きっとアデルのダンスはダメダメなのだろう。


「大丈夫です。いつも私がフォローしておりましたので。ですが、私と王太子殿下以外の方と踊るのは推奨しません」

「あなたって私のお守りのために婚約者にされたようなものね」


 シェリルだった頃、ダンスを夜会で踊ったことはない。だって、招待などされないのだから。でも、レグルスとダンスの練習をしたことがある。あの感覚を思い出せたら大丈夫……かもしれない。ダンス中にこけたらカリスト領に行って疲れていると言い訳しよう、うん。


「殿下のお守りは嫌ではありません」

「そう? なら良かったわ。先に謝っておくわ、足を踏んだらごめんなさいね」

「癒していただけるなら折れるほど踏んでいただいても構いませんよ」

「あら、あなたって冗談が言えるのね」

「本心です」


 会場のお祝いムードのせいか、いつもよりもマティアスと話が弾んだ。シェリルだった頃にこういったパーティーを経験していないから、煌びやかな会場の雰囲気に心が高揚してしまっている。


「ねぇ、シェリル・バーンズについて調べてくれない?」

「……なぜでしょうか」

「気になるからよ」

「以前は分かりやすく言うために悪女と彼女のことを表現しましたが、彼女は父の被害者です。度重なる脅迫に屈しなかったので毒殺されました」


 マティアスは話を聞かれたり、唇の動きを読まれたりするのを警戒してか耳元に口を近付けてきた。


「脅迫?」

「父はすぐに殺すわけではありません。まず、脅します。それがあの人のやり方です」


 え、シェリルだった頃に脅迫なんてあった?

 鞄に血文字で書かれた手紙が入ってたあれのこと? レグルスと一緒にいればよくあることだったからすぐ捨ててたわ。


「脅すって例えば?」

「ネズミの死体を部屋の前に置くとか。いずれお前はこうなるという警告です」

「あぁ、よくあったわね。女子生徒のいたずらかと思ってたのに」

「よくあった?」

「えっと、本の中のいじめの描写でよく出てくるじゃない」


 そんな話をマティアスとしていると、国王と王妃が入場して開会を宣言した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る