第6話 あの子は特別
午後10時、ようやく残業を終えた花蓮はくたくたになって帰宅した。
冷蔵庫を開けて冷やしていたフルーツティをコップに注ぐ。疲れた体にフルーツのほんのりとした甘みが沁みる。
作り置きしておいた料理もいくつか取り出して、温めてから丸テーブルに並べた。混ぜご飯のミニおにぎりとさつま芋と豚肉の甘辛炒め、レタスとフルーツのサラダ。小さなスープとフルーツゼリー。
美味しくお洒落なワンプレートは花蓮の毎日のモチベ向上の一つだ。多少作るのが面倒でも日持ちするものを作れば冷蔵庫で保存できる。
行儀悪く肘をついた花蓮は、半ば諦めつつもスマホを取り出した。そのまま赤いアイコンをタップした。
「あー……ふ、え⁉」
そして目当てのチャンネルを確認して、花蓮は思わず二度見した。
『花影朱璃』は本来、非常に良心的な時間帯で配信をしている。大体は午後の6時から9時の間だ。休日はたまに朝活と称して午前に配信することもあるが。
故にこんな時間に彼女が配信などしているわけがないのに。
花蓮は信じられない気持ちでライブ配信中のそれをタップする。
『そうそう。……ん、長時間配信ありがとうございます? ま、たまにはね』
落ち着いた声が花蓮の鼓膜を揺らす。
『なんかあったのかって? や、特になんも。気分よ気分。てかお前らこそ私の配信なんか聞いてないでとっとと寝る準備すれば』
ぶっきらぼうな返答に肩の力が抜けるのを感じた。まさかそんなことはないとわかっている。きっと気のせいだろう。でも、もしかしたら。
〈遅刻しました! 長配信珍しいですね、お疲れ様です!〉
Karen(⁎˃ᴗ˂⁎)🦋
嫌に緊張しながら、いつものようにコメントを打ち込む。
彼女はきっと、私のアカウント名を知っている。何故なら少し前、休憩中だった私に向けて、あの子が意味深に微笑んだことがあったからだ。
______
「ねぇねぇ、先輩。先輩ってさ、アカウント名実名にするタイプでしょ。かわいい顔文字とかファンマと一緒にさ」
「え⁉ なんでそんなことわかるんですか⁉」
「んー、ふふ。なぁいしょ」
______
今になってみれば、何故気が付かなかったのか本当にわからない。彼女はきっと、ずっと前から知っていたのだ。花蓮のアカウント名も、ファンだったことも。
コメント欄に反映されたメッセージは瞬く間に他のコメントに埋もれていく。
『あ。はぁいこんばんは、私の蝶々さん。遅くまでご苦労様だこと』
「……!」
それでも、彼女は見つけてくれた。
涼し気な声が少しばかり甘さを含んだ幼いものに変わる。いつも聞いていなければわからないほどの些細な変化。
見つけて、挨拶を返してくれる。それだけでも震えるほど嬉しかったのに。
『全く無茶ばっかして倒れたりしないでよね、見る人減っちゃうでしょ』
〈出た、シュリちゃんの限定甘々ボイス!〉〈たまのでデレ期きちゃ〉〈なんかあの子にだけサービス……〉〈かわいい~♡〉
『ん、サービス? ああ、もしかして新規ちゃん? 来てくれてありがと』
その後の言葉に、つぅ、と頬に何かが伝った。
『この子は私の最古参なの。ちょっとくらい多めに見て』
〈もちろん!〉〈最古参すご……〉〈幸せ者だね~‼〉〈甘々対応珍しくて草〉〈らしくなくて鳥肌立ったわ〉
『誰だ今草とか鳥肌とか言ったヤツ。ID覚えたからな?』
呆けたままぼろぼろ涙を流す花蓮を置いてけぼりに、推しとリスナーとの軽快な応酬は続いていく。
(認知……してくれてたんだ。ずっと、ずっと前から……)
ひぐ、とのどが変な音を立てる。
大粒のそれをぐしぐしと手首で拭う。画面越しの少女を見つめた。
あの日、もう何もかもに疲れ切ってしまったあの夜。ゲーム音だけが響くあのライブ配信を覗いて。
『物好きな人だね、こんなところに来るなんて。こんばんは、素敵な夜だね?』
あの声を初めて聴くことができて、本当に幸せだった。
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