第四章 火の星にて
魔力推進型超高速銀河鉄道MGT77、通称ガルディアは全部で11輌編成だ。
そのうち後ろ半分の6輌が三等車で、三階建て構造の車輌のうち二階と三階には個室があり、最下層にはボックス席が設けられている。最初の途中停車駅である惑星マーディンや、その次のラスタバンで降りる一般客が取っているチケットは比較的安価なこのボックス席だ。一駅のみ利用する客も多いので、一等や二等車輌と違って乗客の入れ替わりが激しい。
その中に浮かない表情をした一組の男女がいた。
「ったく、物珍しさに浮かれてる奴がこんなに大勢いるとは、呆れるな」
ついさっき展望スペースから自席へと戻ってきた男が自動販売のボトルコーヒーを片手に小声でぼやいた。三十代半ばくらいで、さほど長身ではないが骨格が太く、がっしりとした体躯の持ち主だ。そのせいで持っているボトルがやや小さく見える。一方、同じ物を手にして隣に腰かけている女はかなりスレンダーなタイプで、短髪だしあまり化粧っ気がない。年齢は男より少し下で、まだ三十手前ぐらいだろう。
一見するとカップルのようだが、彼らはアカデミー所属のB級魔法師である。リュカやクリスたちとは別行動で列車に乗り込んでいる面々だ。
「泣き言が早いわよ、レオ」
女は男に視線すら向けないまま、冷淡な声で釘を刺した。
「うるせぇ」
レオと呼ばれた男、レオニート・ルノフは忌々しそうに口角を歪めたあと、身を屈め、一段と低く声を落とした。
「だいたい展望スペースって何だよ、ありゃあ。今さら宇宙空間なんてめずらしくもねぇだろ」
「一般人にとっちゃそうでもないでしょうよ」
相手に合わせて女の方――――カリーナ・ウルノヴァも密やかに声を落とす。口唇もほとんど動かさない。
「それにエルセ国内の行き来は最近ずいぶんお手軽になったとは言え、通常の定期高速艇で半日かかる行程がたったの一時間だからねぇ。そりゃあ飛びつく人間もいるってもんよ」
「だとしてもよ……おまえがあっちに行けばよかったじゃねぇか。女子供ばっかりだったぞ」
「なに今さら文句言ってんの。あたしの方が探知能力高いんだからしょうがないでしょ」
「けっ」
「それに精神攻撃耐性はあんたの方が高いから車内の調査を任せたのよ。万が一、直接あちらさんと顔を合わせても大丈夫なように」
「……分かってるよ」
レオの愚痴を正論で押し返したカリーナは、このやり取りに長々と付き合う気はないようだ。
「それで、目に付く物はなかったのね?」
まだ何か言いたそうな彼を遮って本題に入った。
「……ああ。今のところは、な」
「ちゃんと確認したんでしょうね」
「あたりまえだろ。ドーム内はもちろん、廊下、エレベーター、共有スペース、座席の裏までチェック済だ。抜かりはないぜ。危険物はもちろん、時限式や遠隔式の魔法陣なんて影も形もなかったよ。もっともそんな置き土産が仕掛けられてたら警備ロボットがすっ飛んでくると思うんだがな。ここのガードはうちの会長のテコ入れで、車輌内のロボットも魔力探知レーダーが搭載されてる特別制なんだろ?」
「ステルスがないとも限らないじゃない。だからあたしの探知だけじゃなく、あんたに列車内をうろついてもらってんのよ」
「あいつらがそんな面倒なことをやるか? そもそも上はどっちを警戒してんだよ。ルーシェント派か、それとも……アルメトリアか」
「さぁね」
「ルーシェントならステルスで仕掛けることもそりゃ可能だろうが、あいつらは堂々とテロなんざやらねぇだろ。もちっと裏でコソコソと陰険なことをする奴らだ。この銀河鉄道だって政府に手ぇ回して何度も企画潰そうとしてたぐらいなんだし。それとアルメトリアの解放戦線は五年ぐらい前まであっちこっちで派手にドンパチやってたけどよ、最近じゃ資金援助も尽きてジリ貧だって聞くぜ。どうせどっちもたいしたことできねぇだろ。警戒しすぎなんじゃねーか?」
「ごもっともだけど、それはあたしじゃなくて上に言って。とにかくあたしたちは魔法攻撃と物理攻撃の両方を警戒して、この列車が無事に終点に到着するのを見届けるのが今回の仕事。そう言われたでしょ」
カリーナに愚痴を一蹴されて、レオは深々とため息をついた。
「へいへい、分かりましたよ。……んで、そっちはどうなんだ?」
「隣の10号車に二人。教科書通りの索敵探知を堂々と発動させてる奴がいた。9号車にいるヨハンも一人見つけたって」
「俺たちを探してんのか?」
「さぁ、それは分からないけど。リュカからも連絡来たよ。あの子……Sがさっそくコナかけられたってさ」
S、つまりS級のクリスのことだ。
「あ!? リュカって誰だよ?」
そんな奴知らねぇぞ、とレオの顔に書いてある。カリーナはどうせそんなこったろうと思ったという表情で隣の男を冷ややかに見遣った。
ひと口にアカデミー所属と言っても人数は多いので、自分たちと同郷のヨハンや同期連中はともかく、A級で身分や出星地が異なる相手をいちいち全部覚えているはずもないが、普通アカデミーで十指に入るメンバーぐらいは記憶しているものだ。
「ほら、1号車にいる天使像みたいな子。金髪の」
「なんだ、お貴族様の坊ちゃんか」
「あんたが貴族嫌いなのは知ってるけど、特Aのメンツぐらい覚えておきなよ。今回は同じ現場なんだし」
特Aとは優秀な人材が多いA級の中でも「限りなくS級に近いA」と認識されているメンバーを称するアカデミー内の隠語である。
「だからってファーストネームで呼ぶ必要ねぇだろ」
「だって可愛いじゃん、あの子」
「けっっっ」
今度こそレオは盛大にへそを曲げたが、カリーナは取り合わなかった。
「ほら、そろそろマーディンに着くよ。集中して」
ステーション入り口、搭乗口前、そしてもちろんこの列車内でもセキュリティの網は二重、三重に張られているが、それでも人が動くタイミングは要注意だ。
二人は神経を研ぎ澄まし、改めて周囲の様子を密かに探り始めた。
◇ ◇ ◇
「停車時間が三時間なんて、ちょっと短くない?」
下降する軌道エレベーターの中でルルトアは小さく口を尖らせた。せっかく初めての宇宙旅行に出て、初めて降り立つ異星都市だというのに、ゆっくり観光もできないなんてと思ったのだが、メディーレの反応は芳しくない。
「三時間も、だろ。ここは乗り込む客と荷物の数がエリスレアの次に多いから停まるだけで、観光の目玉があるわけでもないただの商業都市なんだし」
「そりゃ伯母さんは来たことあるからいいだろうけど、せっかく降りるんだし……」
「つっても見ての通り、ドームシティの外側は赤い砂漠の荒野だぞ」
確かにメディーレが指差した方角には視界一面、
「ここが火の星って呼ばれてるのはあの土のせい?」
「ああ、そうだ」
かつてエリスレアから旅立った人々が最も多く移り住んだのが、距離的にも一番近いこの惑星マーディンだ。開拓者たちの苦労によって都市は機能的に発展し、豊かな鉱物資源のおかげで商業も栄えたが、赤く灼けた大地は果てしなくどこまでも広がっていて、この星を緑で覆うことはできなかった。
「ドームの中は緑いっぱいだけどな。それよりここは地下都市の方が発展しているんだ。地下とは思えない規模だぞ」
「へぇ……」
するとやっぱり観光は地下都市の散策ぐらいかな、とルルトアが諦めかけたとき。
「ドームの外に出てみたいのなら火口見学はいかがでしょう」
ジャンカルロが提案してきた。
「火口見学?」
「ええ。ほら、あそこに高い山が見えるでしょう?」
言われた通り、彼が指差した南西の方角にはひときわ高く聳える山があった。
「確かにこのマーディンが火の星と呼ばれているのは大地が赤いからなんですが、数多くある火山も理由のひとつなんですよ。この星は移民した種族が多く独特な文化の発展があったせいか、宗教観も独特でしてね。灼熱のマグマを吐き出す火山を竜に見立てたのでしょう。中でもあのフォーティアス山はちょうど開拓当初地底活動が活発だったせいか、竜が眠る山と言われている霊峰で信仰の対象となっているそうです」
「竜が眠る山……」
「実際、火口付近で紅竜を見たと言い張ってる冒険家もいるそうです。ね、ロマンを感じるでしょう?」
ニコニコしているジャンに、メディーレが「また始まった」と言いたげな視線を投げかける。
「ここから結構距離あるだろ。出発時間までに戻ってこられるのか?」
「軌道エレベーターを降りた先の連絡路付近に案内所があるそうです。見学ツアーの所要時間はここからの移動を含めても二時間かからないそうなので、充分間に合いますよ。そのあとで街の散策もしましょう」
「じゃあ決まりね!」
喜ぶルルトアに、メディーレも仕方なく同意した。
総勢十八名の小規模ツアーに参加を決めて、送迎の高速シャトルバスに乗り込む。ドームの外側は基本的に手つかずの土地が多いが、フォーティアス山は観光地なので専用道路がきちんと整備されていて、シャトルの高速自動運転も実にスムーズだった。路面から数十センチ浮き上がった車体は音もなく滑るように大地を駆け抜け、ゴツゴツした岩肌を削って整えられた山道の斜面さえもスルスルと登っていく。
そうして、およそ四十分足らずでバスは山頂までたどり着いた。
「うわっ、風すごーい!」
バスから降りた途端、後方から吹き付ける強風に煽られそうになったルルトアは思わず両足を踏ん張り、乱れる髪を両手で押さえた。
火口から勢いよく噴き上がる白煙が風に流され、視線の先へとたなびいて空に広がっていく。ビュウビュウと空気を切り裂く風音に交じって、深い穴の底から響いてくる不気味な響き。ツンと鼻を衝く硫黄の臭い。周囲には一本の草木もなく、荒涼とした風景の中、観光客たちは柵で仕切られた見学エリアから火口を覗き込んでいた。
『このエリアは見学や催事にて常時使用されるため、半径150メートル以内は重力制御及び酸素濃度調節機能が働くよう設定され、安全が確保されておりますが、エリア外はその限りではございません。決して柵の外には出ないようご注意ください』
同伴の案内ロボットが音声で注意事項を告げながら歩き回っている。
「いやぁ、てっきり見学用の施設から眺めるだけと思っていたんですが、まさかこんなに開けた場所で間近に見られるとは! 最近は囲いがなくても空気調節できるんですねぇ。ルル、知ってましたか?」
ジャンカルロは興奮気味だ。
「領域指定の魔法を上手く利用しているんだと思う。これだけ風が強い場所で空間を仕切らずに酸素濃度をずっと一定にするなんて、すごく難しいと思うけど」
「これもアカデミーの研究成果ですかね。実に素晴らしい! おかげで大自然の迫力を満喫できて大満足ですよ! 入り口付近に展示されていた儀式用の装備や衣装なども大変興味深かったですし、来てよかったですね」
はしゃぐ彼に、メディーレが嘆息する。
「迫力があるのは結構だが、この臭いは何とかならんものかな」
「それはまぁ、確かに。なんというか……独特の臭いですね」
「ちょっと喉もイガイガする」
「だな」
三人で固まって頷き合っていると、同じツアー客の男性に笑われてしまった。
「そうおっしゃらずに。この臭気もまた自然の息吹ですから。もっと柵の近くまで行って下を覗いてみたらいかがです? 部分的にですが、赤く煮えたぎるマグマがはっきりと見えますよ。まさに紅竜が潜んでいそうな光景でした」
「……そうね」
「せっかくここまで来たんですし」
見学スペースはすり鉢状となっている火口の縁ギリギリに設けられている。恐る恐る近寄ってみると、確かに穴の底にある溶岩の一部を直接目にすることができた。
「わぁ、すっごいドロドロ」
「煮えたぎってますねぇ」
「ここは地表だけ見てると死の星みたいなありさまなのに、地中での動きは活発だな、人も自然も」
三者三様の感想を口にしつつ溶岩に見入っていた、そのとき。どこかでパンッ!という破裂音が響いたかと思うと、唐突にふわりと身体が軽くなった。
「え!?」
驚いて足元を見る。
ほんの少し動いただけなのに、大きく身体が傾いた。
「わぁっ」
「ちょっ……なんだ、これ」
バランスを崩して倒れそうになったルルトアが慌てて隣のメディーレにしがみつく。すると彼女も同じように体勢を崩してぐらついた。
(いったい何が……?)
再び視線を下に向けたとき、二人の足下で小さな光が弾けた。
(起動式!?)
たちまち強い力でぐいっと引っ張り上げられるような感覚に襲われた。足裏が地面から離れ、身体が宙に舞い上がる。まるで竜巻の渦に呑まれたように。
「きゃあっ!」
「ルル!」
(ヤバい)
しがみついている伯母と一緒に、柵の外に放り出される――――――そう思った。
〝落ちる″と。
柵の外側にはパックリと口を開けた溶岩の噴出口が広がっている。すり鉢状の岩の斜面を勢いよく転がり落ちれば、灼熱のマグマに沈む可能性だってある。たとえ下まで落ちなくとも、噴煙と高温に炙られて肺や皮膚を灼かれるだろう。無事では済むまい。
心の臓がギュッと締めつけられ、身体の芯がヒヤリと凍った。
(誰か!)
祈りが届いたのか、柵から飛び出す直前に彼女の足首をつかんでくれた人物がいた。すぐそばにいたジャンカルロだ。
「…………ふんっ……ぐうぅぅぅ!」
異変が起こる前、一番手前にいた彼は柵から身を乗り出すようにして火口を覗いていた。突如として謎の浮遊感に襲われたときも、柵をつかんだままだった。そして、すぐ隣にいた二人が悲鳴を上げた刹那、咄嗟に伸ばした手で空中に弾き飛ばされかけていたルルトアの足をつかみ、渾身の力で二人を引き戻したのだ。
ほんの一瞬の出来事だったが、彼の行動がルルトアたちの生死を分けた。
「あ……ぶなかった」
普段何事にも動じないメディーレもさすがに青ざめている。
「ありがとうジャン。助かった」
「いえいえ」
凍りついていた心臓が安堵と同時に急速に動き出し、激しい動悸となって脈打つ。三人ともわずかに震えていた。
「ジャン……ありがと」
興奮と疲労で、まだ座り込んでゼイゼイと肩で息をしているジャンにルルトアが抱きついた。その背中を肉厚な温かい手のひらがやさしく撫でる。
「あなたたちが無事で本当によかった」
そうこうしている間もエリア内では驚きや戸惑いの声があちこちで上がっていた。数台の警備ロボットが警報を鳴らしながらアナウンスを始めている。
『ご注意ください。ご注意ください。重力制御装置に異常が発生いたしました。直ちに緊急措置を執り行います。皆様その場から動かないでください。繰り返します。決してその場から動かず、制止したままでお待ちください』
(重力制御装置の異常? だから……?)
この星の重力はエリスレアの三分一以下しかない。最初に感じた違和感、突然身体が軽くなったように感じたのは間違いなく装置の異常が原因だろう。しかし、その直後に訪れた衝撃――――エリアの外へと弾き飛ばされかけた足下からの風圧。あれは…………
「……あの、大丈夫ですか?」
ツアー客の女性の一人が不安そうな面持ちで歩み寄ってきて彼らに声をかけた。
「さっき強風に煽られたように見えましたけど」
「え、ええ。大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
「こんな場所で重力制御装置が故障だなんて、怖いですわね」
「……そうですね」
冷静に受け答えしているメディーレを黙って見上げながら、ルルトアは考えていた。
(強風? 違う。あれは……魔法だった)
空中に弾き飛ばされる寸前、目にした小さな光。
(遠隔操作魔法の起動式だ)
いったいどこの誰が。
時限式ではなかったのだから、あのとき犯人は近くにいたと考えるべきだろう。何食わぬ顔をして。きっとその前に起きた重力制御装置の異常も何者かによる外的要因に違いない。でなければ、あまりにもタイミングがよすぎる。
(でも……何のために?)
吹き付けてくる風が怖くて、しゃがんだままそっと膝を抱えた。
数十秒後、全身にずしんと重みが加わった。
『お待たせしました。制御装置の再起動が完了いたしました。現在、安全は確保されております。慌てず、ゆっくりこの場から移動してください』
警備ロボットに促されて、人々がぞろぞろと出入り口に向かって歩き出す。
「我々も行きましょうか」
「そうだな。立てるか、ルル?」
「うん」
二人に促され、膝にぐっと力を入れて立ち上がると、バスに向かう列に加わった。用心深く周囲に視線を走らせ、他の乗客たちのようすを探りながら。
(この中の誰かが……)
全員の顔を覚えておこう。
ルルトアは密かな決意を抱いて帰りのシャトルバスに乗り込んだ。
中央付近の座席に腰を下ろしたルルトアたち三人の他に、このシャトルバスには十五名のツアー参加者とガイドロボットが乗っている。
客のうち四人家族のグループは周辺コロニーから定期船を使って観光に来ていることが会話から聞き取れた。あとは十歳ぐらいの女の子を連れた夫婦と、三十代ぐらいの女性グループ四人組。夫婦と思しき男女のペアが一組。そして一人旅の客が男女それぞれ一名ずつ。
(子供連れだから安心……とは言えないよね。でもあのとき、あの家族は結構離れた場所にいたと思う)
ルルトアはわずかな気配の変化も見過ごすまいと神経を張り巡らせながら、アクシデントが起こった当時の状況をもう一度頭の中で整理してみた。
(まずわたしたちは到着してすぐに、入り口近くに設置されていた展示を見ていた。催事で使うときの衣装とかいろいろ……しゃべりながら結構長いこと眺めてたかも。同じところで足を止めたのは女性グループの四人だけ。他の人たちはたぶんまっすぐ火口の方に向かってた)
ゆっくりと脳内で反芻し、記憶を探っていく。
(それから少し火口に近づいて景色を眺めていたら、男の人に声をかけられて……)
チラリと後部座席を振り返ると、その男性は左端に座ってぼんやりと窓から景色を眺めていた。
(勧められた通りにエリアの端まで行って火口を見下ろしてたら、突然重力制御装置が異常を起こして)
床から浮き上がりそうになるほど、全身がフッと軽くなったあの瞬間を思い出す。その直前にどこかから破裂音が聞こえてきたことも。
(音がしたってことは誰かが装置の一部を破壊したか、システムを一時的に強制停止させたんだろうけど、トラブル扱いで結局誰も警備ロボットに取り押さえられなかったってことは、人目につかないように相当上手くやったはずだよね)
手慣れているのであれば、やはりテロリストの仕業だろうか。
(いや、やっぱそれはおかしい)
テロ行為ならばもっと大々的に目立つ行動を取るはずだ。それこそあの場の全員を射殺するぐらいのことはするだろう。トラブル扱いで終わる工作なんて何の意味があるというのだ。
(そもそもターゲットは誰? 被害を受けたのはわたしたちだけだったし、無差別に誰でもいいから吹っ飛ばしてやりたかったのかなぁ。霊峰って言ってたから、あの場所を観光化することに反対している人たちがいるとか?)
考えれば考えるほど的外れな気がして、頭を抱えてしまう。
(あ~~~~~、分からんっっっ!)
いつの間にか苦悶する心の声が漏れ出ていたようで、メディーレに叱られてしまった。
「うるさいぞ、ルル。さっきから何唸ってんだ」
「あ、ごめん」
「あまり気にするな。ただの事故だ」
「え……」
どうやら言葉にせずとも、あの『事故』のことを考えていると伯母にはバレていたようだ。ルルトアと違ってメディーレは起動式を見ていないので、事故と言い切っているのだろう。
「……うん。分かった」
余計な心配はかけたくなかった。
そして同時に、とある一つの考えが浮かんできて、ルルトアの心臓は大きく波打った。
(まさかとは思うけど…………あれが不特定多数を狙ったテロとかじゃなくて、伯母さんを狙ったのだとしたら?)
メディーレ・ラゥム・バストラルは今現在、世界的に見て『最も有名なアルメトリア人』と言っても過言ではない。亡命者なので実際にはエルセ人だが、人種的にはアルメトリア人だ。
デビュー当時、彼女のプロフィールは編集部の指示で伏せられていた。開戦直後だったのだから、それも当然だろう。名前もアナグラムで決めたメレディス・バトラーというペンネームを処女作から使用している。そのため長い間、男性作家と間違われていた。
「アルメトリア人であることも、亡命してきたことも恥じる必要はありません。ですが、残念ながらほとんどの人間はあなたの才能よりもプロフィールを見るでしょう。そして一ページも中を読まずに本を閉じ、我々の会社に抗議文を寄越すはずです。それが現実です。少なくともこの戦争が終わるまでは世間に無駄な情報を与えず、才能だけで勝負するためにすべて伏せましょう」
当時の編集長にそう説得されたのだという。おかげで取材を一切受け付けない謎の作家メレディス・バトラーはじきに大ベストセラー作家となった。彼女が本名と経歴を明かしたのは終戦から十年後。戦後処理がようやく片付き、テロ行為も下火になった895年のことだ。ちょうどその年、両親を事故で亡くしたルルトアが引き取られ、伯母と姪の二人暮らしが始まった。それも一つのきっかけだったとメディーレは後に語った。
「取材は面倒だし、性別なんてどっちに思われていようが関係ないから、このままでもいいかと思ってたんだがなぁ。保護者になる以上、名前ぐらい堂々と出しておこうかと思ってさ」
ルルトアが肩身の狭い思いをしなくて済むように、という配慮だったのかもしれない。
公表後、一部の人間からは「卑怯」だの「裏切り」だのと批判の声が上がったものの、定着した人気はさほど衰えず、売り上げも好調を維持し続けた。当時としてはやむを得ない判断だった、才能の芽が潰されなかったことを喜ぶべきだというのが大半の意見だった。父親が反戦を唱えて獄死したこと、戦争が始まる前に亡命してきたことも好意的に見られる要因となったようだ。
結果としてメディーレは全宇宙に広く名の知られたアルメトリア人となった。
だがやはり、向けられるのは好意ばかりではない。
(あれから五年も経つのに、たまに変な言いがかりをつけてくる奴はいるもの。伯母さんのことを勝手にスパイ呼ばわりしたり、勝手に裏切り者扱いしたり……)
これまで特に実害はなかったが、もしもそういう輩が直接手を出してきたのだとしたら。
(…………きっとまた、次がある)
これで終わりじゃないかもしれない。
背筋が震えた。
エリアの外に放り出されると思ったときの恐怖が甦ってきて、ヒヤリと冷たい汗が滲む。
(わたしが)
ルルトアはぎゅっと強く拳を握った。
相手は魔法を使ってくる。できるだけ早めに起動式や術式を見極めて対処できれば、防ぎようはあるはずだ。
(わたしが伯母さんを守らなきゃ)
◇ ◇ ◇
「え~、このまま戻るの? お土産買いたかったのに」
「出発時間に遅れたら困るでしょ」
「お土産はここでも買えるから大丈夫だよ。売店を見に行こう」
軌道エレベーターで上昇する間も、ルルトアは近くにいる親子連れの会話に耳をそばだてていた。
無事に街まで戻ってきたものの、とても無邪気に散策する気になれなかった一行はそのまま宇宙ステーションへと直行した。もっとも気分の問題だけでなく、トラブル処理とその後の安全確認に余分な時間を取られ、予定よりもずいぶん解散が遅くなってしまったせいでもある。そのためバスを降りたあと繁華街へと向かったのは銀河鉄道の乗客ではない四人家族のみで、他の乗客らは皆同じルートで宇宙ステーションに戻ってきていた。
「噂の紅竜鍋、食べてみたかったんだけどなぁ」
「激辛のやつでしょ。あれはちょっと時間足りないかも」
「こっちのパフェぐらいならいけるんじゃない? ステーション内のカフェにあるって」
「おー、いいね」
女性グループ四人はデバイスを覗き込みながら食べ物の話題で盛り上がっている。
「我々もどこかの店に入りますか?」
ジャンカルロに尋ねられたが、ルルトアは首を横に振った。
入場チェックを済ませ、搭乗口へと向かう。同じように寄り道をせず戻ってきたのは残り四名だ。いかにも富裕層らしく着飾った夫婦らしき男女の二人組と、見学エリアで最初に声をかけてきた中年男性。そして、ゲートが近づいてきたところで急に姿が見えなくなった女性が一人。
(事故が起こったあと、心配そうに声をかけてきたあの人がいなくなってる。ついさっきまでは近くを歩いてたのに)
ごく普通の人だった。旅行好きそうな三十歳前後の女性で、派手過ぎず、地味過ぎず、あまり特徴のないシンプルな服装と髪型。しばらくしたら忘れてしまいそうな……
(バスは行きも帰りも一番後ろに座ってた)
不自然なところは何も感じなかったけれど。
ふと、嫌な単語が脳裏に浮かんだ。
アルメトリア原理主義解放戦線(Armetria Fundamentalism Liberation Front)。
(まさか)
思考に囚われるあまり、無意識に足を止めてしまったのだろう。ゲートを通過したところで後ろから来た人とぶつかってしまい、ようやく我に返った。
「あっ、すみません」
「いえ、こちらこそ急に立ち止まってしまって」
慌てて振り向くと、そこにはすでに見知った顔が立っていた。
「クリス!」
「やぁ、また会ったね」
「どうしてここに?」
「彼らとステーション内のショップをいくつか見て回って、ちょうど今、戻ってきたところ」
「彼ら?」
視線で示された先に立っていたクリスの同行者三名のうち、一人には見覚えがあった。展望スペースで話し込んでいたときに迎えに来た、同い年くらいの男の子だ。
(えっと、確かリュカくんだっけ)
「こんにちは」
「……どうも」
笑顔で挨拶したのに、なぜかリュカの対応はしょっぱいことこの上ない。
(あれ? わたし、なんか嫌われてる?)
身に覚えはないが、どうもあまり歓迎されていないようだ。しかもあとの二人は明らかにクリスより年上で、年齢に開きがあった。
(友達って感じじゃないよね。兄弟……かな? んー、でも全然似てないし)
内心首を傾げつつ、年上二人にも挨拶をしたが、笑顔で返してくれたのは濃い金髪に翠色の瞳をしたやや派手な顔立ちの男性だけで、もう一人の背が高く生真面目そうな方は無言のまま目礼のみで、探るような視線を向けられてしまった。誰だこいつは、と言いたげな眼だ。
(け、警戒されてる?)
不安になったルルトアは思わずクリスに顔を寄せて、ヒソヒソと小声で耳打ちした。
「ねぇ、全員知り合いなの?」
「うん」
「リュカくん以外の二人も?」
「うん」
クリスもつられて小声で返す。
「彼らはアカデミー所属の研究員だよ」
「え!? ほんとっ!?」
途端にルルトアの表情が変わった。胸の前で手を組み、さながらステージに立つ憧れのアイドルを見つめる乙女の如き眼差しをテオとユリアンに向ける。
(すごい……アカデミーのエリートに直接会えるなんて!)
ついさっき「この人は愛想いいけどちょっと軽薄そう」とか「こっちの人すんごい仏頂面で睨んでくるの失礼すぎない?」と内心思ったりしていたのだが、もはや二人とも後光が差しているようにしか見えない。
「でもでもっ、どうしてそんな人たちとクリスが一緒にいるの?」
「同じ研究テーマを一緒に取り組んだことがあるから。今回は単なるフィールドワークのサポートだけどね」
「そっかぁ」
(学生の身で超エリートの補佐を務めるなんて、やっぱりクリスも優秀なんだ)
「すごいね」
改めて尊敬の眼差しを向けると、彼は少しはにかんだような笑みを浮かべた。
「ルルトアもステーション内のショップを回ってたの?」
「ルルでいいよ。わたしは地上に降りて、伯母さんたちとフォーティアス山の火口を見に行ってたんだけど……」
そこまで話して、ふと伯母たちが近くにいないことに気づき、青ざめる。
「え? あれ!? 伯母さん!?」
キョロキョロと視線を巡らせていると、乗車口の方からメディーレとジャンカルロが足早に駆け戻ってきた。
「ルル! どうかしましたか?」
「てっきり後ろにいると思ったのに、乗車しようとしたら姿が見えないからびっくりしたぞ。何やってたんだ?」
「ごめんなさい。ちょっと知り合いと話してて」
「……?」
二人に目顔で問われ、改めてクリスを紹介する。
「さっきカフェで話したでしょ。この人が展望スペースで会ったクリスよ」
「クリス・ヴェランデルです。初めまして」
少年が差し出した手をメディーレが握り返す。
「ああ、アカデミーの。うちの姪が図々しく話し込んでしまったようで、ご面倒をかけて申し訳ない。初めまして、メディーレ・ラゥム・バストラルです」
「いえ、とんでもない。先に声をかけたのは僕の方ですから」
「僕はジャンカルロ・アルベルティーニです。よろしく、クリスくん」
「よろしく」
ジャンとも握手を交わし、さて、ようやく良い雰囲気になったところで「じゃあまた」と別れの挨拶を口にしかけたときだった。
一人の婦人が歩み寄ってきてメディーレに話しかけた。
「あのぉ、もし間違っていたらごめんなさい。メレディス・バトラー先生じゃございませんこと?」
「え……ええ、そうですが」
「まあぁ、やっぱり!」
(あ、この人)
歓喜の声を上げたその女性は、火口見学からここまで一緒に戻ってきた夫婦の奥方だった。
「雑誌でお見かけしたお写真に似ていらっしゃるなぁと思っておりましたの。ちょうど今お名前が聞こえてきて、先生のご本名と同じだったものですから、つい…………思いきってお尋ねしてよかったわぁ」
気づけば半歩後ろに四十代半ばぐらいのご主人も立っている。
「ビディ、失礼だよ」
「あらモーリー、あなただって知りたがってたじゃない。わたくしたち夫婦揃って先生の大ファンなんですの! 特に『探偵グレイと逃がし屋』シリーズは本当に面白くて何度も読み返しましたわ!」
「それはありがとうございます」
「あの……握手していただいても?」
「もちろん、喜んで」
女性が話しかけてきたときは少し警戒したが、伯母と握手をしてはしゃいでいる姿を見てルルトアは密かに胸を撫で下すと同時に、少し誇らしい気分になっていた。
「光栄ですわ。テレビシリーズもとっても素敵でした。近々映画化されるってお伺いしましたけど」
「それはまだ決まっておりません」
「あら残念。でも、いずれ新作は出されるおつもりなんでしょう? お待ちしておりますわね」
ルルトア以上にニコニコと満面の笑みでそのやり取りを眺めていたジャンが、お任せくださいと胸を張った。
「それはもう、きっと素晴らしい作品が仕上がりますよ!」
「おまえが言うな」
「ふふふ、期待しておりますわ」
ほっこりと小さな笑いの花が咲く。
さっきまで懐疑と不安に満ちていたルルトアの心も洗われていく。
「亡命されたときはずいぶんとご苦労なさったようですけれど、あんな素晴らしい作品を世に出していただいて本当に感謝しておりますの。誰が何と言おうと、わたくしどもは先生を支持しておりますわ! これからも頑張ってくださいませね」
女性は力強く告げると、名残惜しそうに会釈をして去っていった。
代わりに近づいてきたのはクリスの同行者で一番背の高い青年だ。
「あのシリーズは俺も全部読んでいますよ。スピンオフも含めて。まさかこんなところで作者にお会いできるとは思っていませんでした」
彼もまたメディーレに握手を求めた。
「ユリアン・アイレンベルクと申します」
「どうも」
「クリスから聞きました。皆さんも終点の惑星ミラまで行かれる予定だとか」
「ええ」
「せっかくこうしてお近づきになれたのですから、ぜひ一度ご一緒にお食事でもいかがですか?」
リュカたちからは「えっ」と驚きの声が上がったが、メディーレが答える前にジャンカルロが頷いた。
「いいですね! それなら今夜にでも」
「では今夜八時にレストランで待ち合わせましょう。お部屋は何号車ですか?」
「彼女たちは2号車なんですが、僕は3号車の一番下で」
「だったら3号車がいいですね。奇数号車にしかレストランはありませんから。あそこの店はスイーツも評判らしいですよ」
「それは楽しみだ」
「ではまた、後ほど」
あれよあれよという間にジャンとユリアンの間で話が進んでしまい、食事の約束をして彼らと別れた。
(ってことは……アカデミーのエリートたちからいろいろ話が聞けちゃうってこと!?)
考えただけでウキウキしてくる。
しかし、その浮かれ気分は長くは続かなかった。火口見学の帰りにジャンが売店で買ったお土産の袋が折れ曲がっていることに気づいたからだ。
「それどうしたの? ちょっと汚れてるし、折れ曲がってる」
「ああ、これですか。搭乗口に向かう途中ですれ違った人とぶつかってしまって、床に落としてしまったんですよ。その人がすぐに拾ってくれたんですけど」
「危ないわね。相手の人、走ってたの?」
「いいえ、全然急いでる感じではなかったですよ。丁寧に謝ってくださいましたし、そこで立ち止まったおかげでルルがいないことに気がつきましたしね」
「え……」
じわりと嫌な予感がして、胸がざわつく。
「それ、どんな人だった?」
「どんなって……普通の女の人でしたけど」
突然真剣な面持ちになったルルトアに戸惑うジャンに代わって、答えをくれたのはメディーレだ。
「たぶん火口の見学エリアで事故があったとき、心配して声をかけてきてくれた人だよ。わたしとしゃべってただろ?」
「ああ、だからなんとなく見覚えがあったんですね」
「えっ……」
(それは、本当にただの偶然?)
思わず振り返ったが廊下に人影はない。
(姿が見えなくなったと思っていたのに先回りされてたの!? それともわたしがうっかり見落としただけ?)
「……ルル!? どうかしました?」
印象の薄いおとなしそうな顔をなんとか記憶に刻もうとしているが、もしも服装やメイクをガラリと変えられてしまったら、再び顔を合わせたとしてもきっと気づかないだろう。そしてまた何気ない素振りで近くを歩ていたり、すれ違ったり…………
――――空中に弾き飛ばされる寸前、目にした光。
脳裏に甦る遠隔操作魔法の起動式。
狙われたのがわたしたち……伯母のメディーレだとしたら。
(また、次がある)
悪夢の予兆にくらりと眩暈がした。
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