第五章 闇に堕ちた烏
銀河鉄道出発からおよそ四時間後。
ルルトアたちと別れて列車内に戻ってきたクリスたち四名は、ひとまずユリアンとテオドールが宿泊する予定の一等個室に集まっていた。とても廊下でできる話ではなかったからだ。
「いったい何を考えてるんですか!? あり得ないでしょ!」
「そうだな」
憤るリュカに真っ先に賛同したのはテオだ。
「他の乗客と交流するなとは言わないけどさ、そもそも俺たちは物見遊山に来ているわけじゃないんだし、上からは〝万が一移動中に列車の運行に支障をきたすような事態が起こった際は、速やかに対処せよ″と仰せつかっている。しかもその万が一に備えて、追加で動員されてるメンバーまでいる。何らかの懸念材料があるのは明らかだ。そんな状態でわざわざ余計なリスクを抱えるなんて、普通に考えたらあり得ないよねぇ。もちろんそれはおまえも承知している。ってことは、つまり……?」
さっさと白状しろと目顔で促され、ユリアンは嘆息しつつ口を開いた。
「遠ざけるより、間近で監視しておくべきだろうと思っただけだ」
「だから部屋のある車輌を聞き出すついでに、何かもっと情報を引き出せないかと食事に誘ったわけか」
「ああ」
しかし、その答えにリュカは納得できない。
「いやいやいや、さっきのおばさんたちの会話聞いてたでしょ!? 亡命って、つまりあの人、大戦の敵対勢力側だったんじゃないの!?」
「ああ、正真正銘アルメトリア出身で、しかも元貴族だ。数年前にプロフィールを公開している」
「だったら!」
「AFLIF、アルメトリア原理主義解放戦線のメンバー……じゃないとしても、情報源として繋がっている可能性は否定できない。有名人だからこそ得られる情報もあるだろうしな」
「そんな奴らと仲良くお食事しましょうって、どう考えてもおかしいでしょ! 怪しい奴はさっさと運行管理センターに通報して取り押さえてもらえばいいじゃないですか」
「何の証拠もないのに、か? それじゃ単なる人種差別だ」
「そりゃ……まぁ……」
ズバリと正論を突きつけられ、リュカは口ごもった。
「あるいは、何も気づかなかった振りをして目を瞑るか? それで何事も起こらなければいいけどな」
「……そうですけど」
「俺たちは連合の国際警察じゃない。テロリストを見つけ出して逮捕するのが仕事でもない。だけどな、この列車は言わば俺たちの努力の結晶だ。しかも今、自分たちが客として乗っている。その列車の安全に無関心でいられるか?」
「…………あ~~~~~、分かったよッッッ! 分かりました! 逐一観察して、気づいたことがあれば報告します」
ブロンドの髪を搔きむしりながら叫んだリュカに、よし、と頷いたユリアンは黙ったままのクリスにも釘を刺すことを忘れなかった。
「おまえもだぞ、クリス。あの女の子とずいぶん仲良くなったようだが、アルメトリア人であることは知らなかったんだろう?」
「……うん」
「出身だけで決めつけることはできないが、なにせこのタイミングだ。おまえの素性を知っていて、わざと近づいてきた可能性だってある」
「そうだよ。絶対デタラメだと思うけど、あの子この列車の推進システムに組み込まれた術式の数を言い当てたって言ってたじゃん。そもそも協会の資格も持ってないなら術式が読み取れるはずないのにさ。もし口から出まかせじゃなかったとしたら、誰かから情報をもらった可能性もあるんじゃない?」
リュカの言葉にユリアンとテオは視線を合わせ、眉根を寄せた。
「……それは本当か?」
「うん」
クリスが肯定すると、年長者二人はさらに表情を曇らせた。
「となると、ますます警戒が必要だな。決して一人で会ったりするなよ」
「…………分かった」
「いい子だ」
よしよしと頭を撫でた手をやんわり押し戻される。
「それ、やめてよ」
「お、すまん。悪かった」
もう子供扱いはしないとずいぶん前に決めたはずなのに、なかなか癖は抜けないものだ。
(だが、これでクリスも用心してくれるだろう)
ひとまず話を終えたのでお茶でも淹れようかと立ち上がりかけたとき、全員の手首に装着している通信デバイスが点滅した。
「本部からだ」
一斉送信ということは何か急を要する連絡だろう。
すぐに通信文を開いて目を通した面々は、文字通り顔色を失くした。
「……何、これ……」
綴られていた文言は簡潔にして、実に衝撃的だった。
銀河鉄道開通式に参列していたシュティルナー会長と政府の要人五名が、式典後に会談とインタビューを終えて戻る途中、何者かに攻撃を受けたという内容だ。
「負傷者四十七名、死者十二名、行方不明者名二十八名!? 大事じゃねーか」
「ちょっと待て。嘘だろ。軌道エレベーターのポートと都市を結ぶ海上ハイウェイが……」
「はあぁっ!? 落ちたぁ!? まさかあの吊り橋、吹っ飛ばしたの?」
宇宙への玄関口である宇宙ステーションと地上を結ぶ軌道エレベーターは赤道上にある。地上には、大陸の近くに浮かぶ島ひとつを丸ごと使った巨大な専用ポートが設けられており、人々はエリスレア領内各地から飛来するエアラインや海底を走るマリンエクスプレスの高速ライナーでそのポートに降り立つのだ。また、長い吊り橋によって海上に造られたエアカー専用のハイウェイ三本が周辺の都市や島と繋がっていて、人の行き来だけでなく物流の運搬にも役立っている。どうやらそのうちの一本、大陸と繋がっているメインの吊り橋が爆破されたらしい。死傷者が多いのはそのせいだろう。
文面の最後に「会長及び護衛任務の者は全員無事」と記されていて、ひとまず全員がほっと胸を撫で下す。だが、今回の旅の道程に昏い影が落ちたのは間違いない。
「……アルメトリア原理主義って最近じゃ資金不足でかなり弱体化してるって話じゃなかったっけ」
ぼそりと疑問を投げかけたリュカにユリアンが頷き返す。
「そう言われてるな」
「そもそもあいつらの主張って神話を基にした単なる妄信でしょ。なんでそんなの信じちゃうかな」
かつて人類がエリスレアを中心とした太陽系から遠く離れ、外宇宙へと旅立った後、初めて大規模な移民に成功した星がアルメトリアだと言われている。苦難の果てにたどり着いた惑星が、人類の故郷であるエリスレアによく似ていて――――しかも環境破壊で汚染される前の青く美しい姿とあまりにもそっくりだったので、それを目にした移民団はまさしく神のお導きだとひれ伏し、麗しい双子の姉妹が引き裂かれた後に星となった古代の神話になぞらえて語り継いできたらしい。
もっとも現在エリスレアは環境改善計画によってかなり以前の姿を取り戻しつつある一方で、アルメトリアは戦争による破壊の影響から未だ回復できていないという話だが。
「双子星でもなんでも好きに語っていればいいけど、だからってどうして『我らこそが人類の祖であり、最も優れた選ばれし民である』って考えに飛躍すんのか全っ然理解できないんですけど」
「まったく同感だ。けど、選民思想なんてそんなもんだろう」
現実主義のユリアンはあっさり切り捨てたが、テオドールは「そうかな」と彼にしては遠慮がちに異を唱えた。
「汚染されて滅びを待つだけと思われていた故郷を捨てて、人類存続のために旅立ったという自負。待ち構えていた予想以上の困難。長い年月をかけてようやくたどり着いたのが捨てた故郷そっくりの美しい星。自分たちこそ選ばれし民であるという幻想を抱く気持ちは想像に難くないよ」
冷静な口調で語る男の翠眼に、普段の陽気さは欠片もない。
「ただ、残念なことに数百年の歳月と為政者によって幻想は思想に変えられ、戦争の大敗という屈辱が実力行使へと駆り立ててしまった。その結果、終わりの見えない賠償や制裁の苦しみが続き、聖戦という名の負のループをくり返している。泥沼状態だ。一般的な理屈や常識は通用しないだろうね。彼らにとってはもはや生きるための命題だから」
「テロリストに同情は必要ないぞ」
「してないよ」
ならいい、と頷いたユリアンは腕組みをして考え込んだ。
「……追い詰められた獣たちの最後の悪あがきか、はたまた新しいスポンサーでも見つかったか。後者だったら最悪だな」
「できればこっちはそっとしておいて欲しいんですけどねぇ」
「祈るしかないね」
「…………」
重苦しいため息ばかりが室内に満ちていく。
しばらく無言の後、
「僕たち……終点までたどり着けるかな」
独り言のようなクリスのつぶやきには三方からほぼ同時に「不吉なこと言うな!」とツッコミが入った。
◇ ◇ ◇
ユリアンたちが本部からの報せを受け取る一時間ほど前――――――
「シュティルナー会長、本日はご足労いただき誠にありがとうございました」
「いや、とんでもない」
宇宙ステーション管理センター内の一室で、魔法科学技術アカデミーの現会長エーリッヒ・シュティルナーは差し出された手をしっかりと握り返していた。相手は銀河鉄道の運行管理を担う組織の役員、エルンスト・ファン・ディーレン。細目で表情の乏しい男だ。しかしなかなかの切れ者らしく、まだ四十代になったばかりだが副センター長を任されている。本日の開通式は彼の采配によって執り行われた。
「ひとまず大役が無事終了して安堵しております」
「まだまだ、これからですよ」
すると近くにいたトレリ上院議員が「その通り!」と声を張り上げた。
「すでにタルティーニ共和国やエッジワース公国を始め、各国からも早く線路を引いてくれと催促が来ていると聞いておりますぞ」
やたらと声が大きいこの男は飛びぬけた才気も持ち合わせておらず、誠実とも言い難いが、常に直截な発言で問題の核心を突くので世間の注目を浴びている。政治家としては発言力のある人物だ。
トレリと共に式典に出席していた議員二人がすかさず追従した。
「これで惑星エリスレアは全宇宙の経済発展の中心地となること間違いなしですな! 宇宙連合の内部でもエルセ連邦国の発言力はさらに増すでしょう。いやぁ、素晴らしい!」
「そのためにも全宇宙にガルディアの名を広めて、もっと本数を増やしませんとな」
嬉々として語る彼らは銀河鉄道計画の立案当初から賛成派に回り、新たな運行管理センターの立ち上げに尽力してくれた面々だ。打算も私欲もあるが、故郷の発展を願っているのは本心なのだろう。声の大きさも調子のよさも場合によっては役に立つ。
「無論です。ぜひ、今後ともご助力をお願いしたい」
恰幅のいい年配議員たちに握手を求めるシュティルナーの横で、ファン・ディーレンも深々と一礼する。次いで彼らは省庁の役人たちにも同様に頭を下げた。
「お二人にも大変お世話になりました」
「いやぁ、我々は調整に動いただけですから」
「これで宇宙の物流と人の流れが大きく変わる。期待していますよ」
片や惑星開発省、もう片方は運輸省の高官で、二人ともなかなか有能だ。今後の展望について、再び議論を交わす機会もあるだろう。
「皆様、お迎えのお車はVIP専用軌道エレベーターの地下駐車場にてすでに待機しております」
「おお、そうか」
宇宙ステーションのスタッフに告げられて皆が一斉に腰を上げた。
シュティルナーの傍らには側近のA級魔法師ヘスラーとルティの二名が控えている。各議員にもそれぞれ
このエレベーターは人類が宇宙に進出し始めた時代からの苦心の賜物だ。当時は建設自体も容易ではなく、何とか運用に成功しても長い時間と膨大なエネルギーが必要だった。しかし現在では新素材の発見や様々な技術革新により、わずかなコストで安全に地上と宇宙を行き来できるようになっている。
高所からの急激な落下や上昇は人体にも多大な影響を及ぼすが、現在ではその懸念も取り払われ、移動は実にスムーズだ。テロ防止に関しても万全を期しており、過去に他の惑星で実際に起こった事件を教訓にして様々な角度から安全対策が練られている。探知機能の高い警備ロボットの配置、たとえ変装していても手配リストの人物を瞬時に特定できるサーチ機能。内部で異変が起こった際には即座にその空間を遮断し、熱も炎もガスも周囲に漏らさぬよう施設内の至る所に仕掛けられた防護壁。
そして、もう一つが魔法による結界だ。
魔力を多く蓄えている魔鉱石を核とした永続的結界発動装置は終戦前に一応の完成を見ていたが、近年ではそれをさらに進化させ、大型施設やドーム型都市を丸ごと覆えるような特殊結界も利用可能になっていた。しかも軌道エレベーターを含むこの宇宙ステーションの施設全体には、強固な対魔法結界と対物理攻撃結界が二重にかけられている。たとえ宇宙船が突っ込んできたとしても安全は揺るがないだろう。
当然、この施設に繋がる交通網、陸路の専用ハイウェイと地下の高速ライナーにも結界は張り巡らされている。施設全体を覆うような特殊結界とは異なるが、ハイウェイは支柱ごとに取り付けられた装置で、地下施設はトンネルに定期的に設置された装置で、それぞれ結界を維持している。外部からの攻撃を防ぐ目的だけでなく、万が一事故が発生した際にも被害を最小限に抑えることを目的としたものだ。
おかげで近頃エリスレア内では安全神話が確立されつつある。
「それでは皆様、どうぞお気をつけてお戻りください。本日は誠にありがとうございました」
見送りのため駐車場まで赴いたファン・ディーレンの言葉も、議員らは単なる挨拶としか捉えていないようだった。
「なぁに、反政府の暴徒たちもずいぶんおとなしくなりましたから心配要らんでしょう」
「国際警察と防衛部隊のおかげですな。ああ、もちろんアカデミーの尽力による結界の効果も忘れてはおりませんよ」
「しかしトレリ殿、近頃じゃあ奴らは熱源探知から逃れるために旧時代の銃や弾薬を使っていると聞きましたが」
「うむ、確かに密造品が裏社会ルートで出回っているという噂は儂も耳にした。が、エネルギー探知に引っかからずとも見つけ出す方法はある。この施設はもちろん、都市部の交通網、ビル型総合施設や議員庁舎も警備システムは万全だ。連邦国内でも特に我が星エリスレアの安全性はもはや完璧と言っていい。何も心配は要らんよ」
「そうですとも! そのことをもっと国内外にアピールして、観光客をどんどん呼び込まないと!」
次の会議までに何か策を練りましょうと声を掛け合いながら、意気揚々と帰宅の途に就く来賓たち。
それを追う形で魔法師の三人も車に乗り込んだ。
「完璧な防御などありはしないのだがな」
苦い声でこぼした会長を間に挟んで側近たちが両脇を固め、自動運転をスタートさせる。
「……どうだ?」
「今のところは何も」
シュティルナーの問いにヘスラーが硬い声音で答えた。
実を言うと、彼には軌道エレベーターに乗る前から周辺の魔力探知を命じていた。耳を澄まして音を聞き分けるように、魔力の動きに意識を向けて魔法師の存在を嗅ぎ分けたり、魔力の発動がないかを探るのだ。
彼ら魔法師は魔力に敏感なのでC級でも探知は可能だが、A級の彼らはごく普通に会話しながらでもかなり広範囲を詳細に感じ取ることができる。特にヘスラーは魔力探知の能力に優れていた。二百キロ平方メートル近い面積があるこの島のほぼ全域を把握していることだろう。
一方のルティは鳥型の使い魔を数羽出して、周辺の監視を行っていた。飛ばしている使い魔すべてが彼の目となる。しかも彼が使う鳥は通常と異なり、依り代を持たない。つまり実態のない魔力だけの鳥なので物質の壁をすり抜けることができる。建物内でも走行中の車の中でも覗き見ることが可能なのだ。
「わたしの方も何も見つかっておりません」
「そうか」
今回、外出前に彼らに敵襲の可能性を言い含めておいたのは、事前に魔法協会から極秘情報を得ていたからである。銀河鉄道の運用開始時期に合わせて、魔法を扱う者たちが大きく動く可能性が有ると示唆されていた。列車内に実戦経験のあるメンバーを配置したのもそのためだ。
危険なのは列車だけなのか、地上と同時多発的に仕掛けてくるのか。
規模は、その手段は。
まだ何もつかめてはいない。
「油断はするなよ」
「はい」
駐車場を出た車は敷地内の誘導路を抜けてハイウェイ前のゲートを通過した。
ここから市街地まで、およそ二十キロ。
滑らかな自動走行を続ける中、ヘスラーが声を上げた。
「……会長、前方に何らかの刻印を背負った鳥のようなものが出現しました。こちらに向かって飛んできています。使い魔とは少し異なるようですが……かなりの数です」
「来たか」
部下の報告に、閉じていた瞼をゆっくりと開き、銀の指輪に触れた。するとそれは先端に銀の環を付けた大きな杖へと変化した。側近たちもすぐさまそれに倣い、ヘスラーは右の腕輪、ルティは首から下げた十字架に触れて杖を出す。
そうしている間にも渡り鳥の群れのように飛んでくる「何か」が視界に入った。
「古代魔術の式神だな」
シュティルナーは杖に軽く力を込め、車窓越しにちらりと海を一瞥した。水を操る魔法で海面から大きな球体を取り出し、宙に浮かび上がらせる。その塊を一瞬で数多の水の弾丸に変えて、前方へと向かって弾き飛ばした。
十羽、二十羽……次々に式神を撃ち落としていく。
だが鳥の数は多い。
「全部は落とせんかもしれん。広範囲の防御魔法を出せるよう準備しておけ。それから近くを走っている車輌に注意を。特に積載量の多い大型車だ」
「はい」
早速ルティが使い魔たちを近くに集め、透視の範囲をぐっと絞り込む。
「あっ……前方のトラックに、爆薬が!!!」
息を呑んだ彼が悲鳴のような声を上げた、そのとき。数百メートル先の支柱の上、本来ならば人が立ち入るはずのない高所に、一人悠然と立つ人物の姿をシュティルナーの眼が捉えた。そして次の瞬間、ハイウェイに施されている結界が消失した。この道を覆っていた堅固な防御の殻が、突然失われたのだ。
やられた、と思った。
「――――前方防御!」
「はっ!」
反射的に、進行方向に向かって三人がほぼ同時に防御魔法を展開させた。三つ重なったそれは道幅を超える直径と、支柱のてっぺんに届く高さを持つ特大サイズの魔法の盾だ。
ドンッ、ドドンッ。
腹の底に響く地鳴りにも似た轟音。大地を揺るがす振動。
前方で、二度続けて十メートル近い大きさの爆炎が上がり、車は緊急停止した。爆風に煽られた車輌が十台近くも紙切れのようにふわりと宙に舞い上がり、そのうちの半数が熱風を連れてこちらに向かって吹っ飛んでくる。
車はすべて激しい音を立てて結界に激突し、下へと落ちていった。
もうもうと立ち昇る黒煙が目の前の視界を塞いでいる。
車を降りて確認すると、島から大陸まで長く続いていた海上の道は、彼らの車輌からわずか数メートル先でぷつりと途切れ、一本分の支柱を挟んだ前後数十メートルが消え去っていた。爆破によって砕かれた路面と支柱は、走っていた車もろとも海へと落下したようだ。結界のこちら側は無事だが、途切れた道の向こう側は土台が損傷しているせいで、残っている路面の端が大きく下に傾いている。犠牲者はかなりの数に上るだろう。
「派手にやってくれたな」
「しかし、いくら結界が消えたとは言え、爆薬だけでこれほどとは……」
ヘスラーが怪訝そうに眉を寄せている。
「物質の強度を弱め、脆くする魔法が掛けられていた痕跡がある。おそらく爆破直前に発動するよう車に仕込んであったのだろう。爆発物の威力を増すための加工もしてあったかもしれんな」
すべては計算ずくというわけだ。
先程支柱の上に立っていた人物の気配は、いつの間にか消え失せている。代わりに途切れた道の向こう側に、大型兵器を抱えた作業着姿の男たちが現れた。二十人近い人数だ。
「あれは……ロケットランチャーでしょうか」
「そのようだな」
こちらに向かって飛来する砲弾が数発。大陸側に向けて構えている者もいる。ギリギリで爆破を免れて、逃げている人々の背を狙う気だ。
「ヘスラー、全部撃ち落とせ」
「はっ」
「ルティ、防御魔法を継続。あちら側の土台もだ」
「はい」
側近二人に言い残すと、シュティルナーはすぐさま転移魔法で寸断された道の向こう側、隊列を組んでいる兵士たちの眼前へと移動した。数十メートルの距離を瞬きひとつの間に詰められて、テロリストたちがぎょっと目を剝く。その隙を逃さず、彼らの手足を素早く魔法で撃ち抜いて膝をつかせた。後方で、ヘスラーが迎撃した砲弾が連続で爆発する。前方に向かって飛んだ弾も着弾する前に爆ぜるだろう。
次の砲弾はもう撃たせない。
シュティルナーは杖を掲げて氷結魔法を発動させた。瞬く間に冷気がテロリストたちを覆っていく。武器を担ぎ直し、発射器を作動させようと足掻く者。びっしりと身体に巻いた爆弾の起爆スイッチを押そうとする者。その途中で凍りついた四肢が、指先が動きを止める。呪詛の声さえ呑み込んで、歪んだ表情のまま出来上がった氷の像が二十三体。
これで、あと一人――――――
「はじめましてミスター。アカデミー代表のエーリッヒ・シュティルナー氏とお見受けいたします」
突然ふわりと音もなく、目の前に男が舞い降りた。おそらく先程支柱の上に立っていた人物だろう。爆発の直前、視認するまでヘスラーの魔力探知に引っかからず、爆発後も探知から外れていたことから、かなり高いステルス能力を有していると考えられる。相当腕の立つ魔法師だ。しかも飛行魔法を使用していたはずなのに、この男は杖を手にしていない。
「わたくしはユージーン・ガードナーと申します。以後、お見知り置きを」
一人だけ上質なダークスーツを身に纏った長い黒髪の青年は、黒い革手袋を付けた手を胸に当て、上品な仕草で丁寧にお辞儀をしてみせた。口の端に笑みさえ浮かべて。
どう見ても他のテロリストたちと毛色が違う。
「……雇われか?」
「まぁ、そのようなものですね」
「ならば、あとで詳しい話を聞かせてもらおう」
シュティルナーはそう言い放つと、魔法による剣を大量に出してガードナーと名乗る男に向けた。すると男は、結界で剣の攻撃を防ぎながら爆破で損壊した支柱に触れ、巨大な金属の蛇に変えて襲ってきた。
(単純な魔法だが速いな)
シュティルナーはすかさず蛇の頭に高圧縮の魔法を撃ち込み、吹き飛ばした。
宙に舞い、散らばった金属の破片。今度はそれを無数の槍に変えて攻撃してくる。全身を覆う結界で槍を防ぎながら、こちらも連続して攻撃魔法を叩きこむ。
するとガードナーは路面上に大きな魔法陣を出現させた。シュティルナーの足下に半径十五メートル程もある光を帯びた円が浮かび上がった。絶大な魔力を感じる陣だ。
(雷撃か)
気づいた瞬間、後方の空中に飛び退った。
間を置かず、輪の中で幾筋もの青白い光の柱が乱立する。直径三十メートルの円の内側に百近い雷の光が走ったのだ。一拍遅れてやってきた轟音と衝撃。火柱が上がる車。範囲内の路面が黒く焦げて、あちこちで白い煙が上がっている。
「これだけの威力の雷魔法を目にするのは初めてだ」
「それは光栄です。しかし、あなたの氷結魔法には敵いませんよ」
男は冷徹な笑みを刻んだまま、再び雷魔法の魔法陣を出現させ始めた。先程よりも狭い範囲だが、十、二十といくつも陣を重ねていく。
この数を一度に出されると危険だ。道がさらに崩落する。
「……やむを得ん」
シュティルナーは二つの魔法を同時に発動した。一つは得意の氷結魔法。ハイウェイの下に広がる海の水を大量に持ち上げ、瞬時に凍らせた。数十メートルにわたる氷の土台で残った支柱と道を支えるのだ。そしてもう一つが爆炎の渦。炎魔法と風魔法を掛け合わせた技で、巨大な炎の竜巻を発生させるシュティルナー独自の攻撃魔法だ。
周辺は暴風と炎、雷が同時に激しく巻き起こった。
もう爆弾騒ぎどころではない。結界で必死にハイウェイと生存者を守っている側近二人はさぞかし青ざめ、顔面を引き攣らせていることだろう。
それでも仕留められれば問題なかったのだが。
「さすがはリヒテンシュタットの英雄。お見事です。いずれ、また」
立ち込める黒煙の中から挨拶が聞こえたかと思うと、男は不意に気配を断ち、その場から消え去った。
「……逃がしたか」
姿を消して飛行魔法を使ったか、海中へと潜ったか。はたまた転移の術か。
(視界の外まで跳べるとしたら厄介だな)
予想以上の難敵である。
(噂に聞いたことがある。杖なしでありながら恐ろしいほど強く、貴族然とした物言いや所作が特徴だという……そうか、あれが『黒男爵』か)
改めて周囲を見渡すと、そこは戦場のような有り様だった。折れ曲がりひしゃげた柵、爆撃で崩れかけた支柱や欄干、焼け焦げた路面。もはや原型を留めていない車。あちこちに散乱している焦げた遺体の断片と砕けた氷像。
「挨拶代わりにしては大盤振る舞いじゃないか」
思わず杖を握った拳に力が入る。
「会長、ご無事で」
「肝が冷えましたよ、会ちょ……」
飛行魔法でこちら側へと渡ってきた側近二人が、彼の顔色を窺うや否や、背筋を伸ばして直立不動になった。
「おお、すまんな。不甲斐ないところを見せた」
「い、いえっ!」
「とんでもありません!」
なぜか彼らは互いに目配せし合い、冷や汗を拭っている。
「それに会長に本気になられては橋が全部落ちます」
「わたし共の防御魔法程度では到底支えきれません」
そんな会話を交わしている間にようやく島側と大陸側の双方から、救急搬送用の車輌と警備ロボットが数台ずつ駆けつけてきた。防衛部隊の人間も追っ付けやってくることだろう。
「いずれにせよ管理体制を一から見直す必要がありそうだな」
弾薬を積んだ車輌が通過したということは、ゲートの警備システムが何らかの理由で作動しなかったということだ。結界の消失と併せて、充分に検証する必要がある。
再発防止の検討会議はさぞかし荒れるに違いない。
(すべての発端は、あの式神に刻まれていた刻印だ)
結界を解除した男は戦いが始まってもすぐには参加せず、文字通り高みの見物を決め込んでいた。おそらく本来の目的は――――――
「新しい解除魔法の実験、か」
「え!?」
「はっ!?」
ぽつりとこぼした一言に側近二人が目を剥く。
「こうしてはおれんな」
「会長?」
「行くぞ」
「いったいどちらへ?」
「魔法協会本部だ。
アカデミーの現最高指導者は象徴である純白のローブを翻し、歩き出した。
◇ ◇ ◇
「火の星、惑星マーディン…………いやはや、開拓時代の人々の逞しさには感服するね。よくぞこんな荒れ果てた地に移り住んだものよ」
ソファの中央にゆったりと腰を下ろし、長い脚を組んで座っているラインフェルトが窓越しに赤い惑星を眺めながらつぶやいた。
銀河鉄道ガルディア第一車輌内の、とある一等個室。
テーブルを囲み、デザートワインのグラスを傾けながら談笑している男性三人は、旅先故に立襟の祭服を身につけておらず年齢もバラバラだが、全員聖職者だ。歳若い一人が司祭、年長の二人が司教である。
彼らがいる個室の窓からはエリスレアよりも二回りほど規模の小さい宇宙ステーションの一部と、楔のように軌道エレベーターと繋がれた火の星を眼下に収めていた。この列車は間もなく惑星の圏内から離れ、次の駅を目指す予定だ。
「いや、まったく。地上がこの有り様ですから尚のこと、地下都市の見事さには驚かされます」
テーブルを挟んだ向かいの席からやや身を乗り出し、大袈裟に同調してみせたのはオーヴェ・ティセリウス司教。ラインフェルト大司教より年上で四十代後半だが一番腰が低く、常に媚びを含んだ笑みを浮かべている。
「エルセフォーミングに失敗して、ひたすら地下に穴を掘るしか能がなかったとも言えますが。一応、その努力は称賛すべきでしょうね」
その横でソファに背を預け、辛辣に言い捨てたのは一番歳若いヴィルヘルム・ステンマルク司祭。まだ三十手前だが舌鋒鋭く、才気に溢れているため、既定の年齢に達すればすぐさま司教に任命されるであろうと周囲に目されている男だ。
そんな彼を気に入って特に取り立てているのが、二人を引き連れてこの列車に乗り込んだニコラウス・ラインフェルト大司教。ルーシェント派の幹部の一人である。
「ところで出発早々に我らの仲間が一人、アカデミーの御曹司と鉢合わせたそうだが」
ラインフェルトに笑顔のまま水を向けられ、ティセリウスは額に冷や汗を浮かべた。
「……はい。思わず精神攻撃を仕掛けてしまったようですが、やはり通用しなかったと。本人も大変反省しております」
「そうか。騒ぎにならなかったのは僥倖だね。良い学びになっただろう。まぁ我々とは相容れない連中だから、気持ちは分かるけれどもね。まだ目立った行動をされては困るので注意してくれ給え」
深みのあるやさしげな声。穏やかな口調。信者たちを虜にする滑らかで機知に富んだ語り口。だが、ティセリウスは知っている。この男の笑顔は恐ろしい。剝き出しの敵意よりも余程。
「はい、重々承知しております」
彼は神妙に首を垂れ、ハンカチで汗を拭った。
しかし若いステンマルクはさほど頓着していないようだ。
「言われてみればこの列車、アカデミーのAクラスが結構乗り込んでいますね。サーチをかけてる奴もいましたよ」
「彼らにも魔法協会から情報が流れているだろうからね。当然だろう。だが我々ほど詳細には知らされていないはずだよ」
エリスレア産の上品なデザートワインを飲み干したラインフェルトは、静かにグラスをテーブルに戻した。
「先程報せが入ったが、地上で羽虫どもが暴れたそうだ。軌道エレベーターの敷地に繋がる海上のハイウェイを一部破壊したと」
「まさか……あれを!?」
「アカデミーご自慢の結界は役に立たなかったんですか?」
「どうやったか分からないが、一部が無効化されたようだ。そこを狙って爆破テロが行われたらしい。この銀河鉄道を推進していた上院議員が犠牲になったという話だよ」
伝えられた内容に、ステンマルクは思わず笑声を上げた。
「そりゃ傑作だ! 奴らの面目丸つぶれじゃないですか」
しかし、そうでもないとラインフェルトは頭を振る。
「ちょうどそこにアカデミーの会長殿が居合わせてね、市民を守りながらテロリストどもを一掃したらしい。彼があの場にいなければ、被害はもっと大きかったと言われているそうだ。負傷者たちは彼とその側近をまさに神のように拝んでいたそうだよ」
「へぇー……」
露骨に面白くなさそうな表情と声で相槌を打つ若者の態度に、わずかに苦笑を浮かべたものの、すぐに口調を改めて彼は告げた。
「大事なのは、闇烏が出たということだ」
「……やはり」
両脇の二人が共に姿勢を正す。
「情報通りでしたね」
「ああ」
闇烏とは、すなわち魔法を犯罪に使用する無資格者――――とりわけテロリストに加担する危険分子のことを指している。魔法を用いて反社会的行動を取る彼らを魔法協会は強く非難し、手配リストを作成していた。
そもそも魔法協会の認定を受けずに人前で魔法を行使すること、特に物や人に対して攻撃的な魔法を用いることは、どこの国でも固く禁じられている。少しでも一般人を危険に晒した場合は即時逮捕、拘束案件だ。
だが世の中には資格を持たないまま生業として密かに魔法を使用している者もしばしば存在する。アルメトリアの人間は現在でも養成学校を門前払いされて認定試験を受けられない場合が多いし、遠い星に住まう地方出身者の場合は、国内で認定試験が実施されておらず、能力があってもなかなか試験を受けられない。また、過去には資格を有していても何らかの重大な違反が見つかったり、犯罪に手を染めて資格を剥奪された者もいる。
それらはいわゆる「無資格者」、「闇魔法師」と呼ばれる日陰者たちだ。
とは言っても使う魔法が占いや治癒回復、危険と見なされない魔道具の作製など生活に関わる程度のものであれば見逃されることも多い。大っぴらに宣伝できないし、何か事件が起こった際には疑われる対象となりやすい等のリスクはあるが、生活の糧とすることはできる。
しかし中には犯罪組織やテロを企てる集団と手を組んで、裏社会で暗躍する者もいる。魔法協会ではそうした人物のことを、遠い神話の時代から不吉さの象徴として描かれ、不幸を運んでくる存在と伝えられてきた生物――――烏に喩えて「闇に堕ちた烏」と呼んでいるのだ。
強い魔力で世に暗雲をもたらそうとする者たち。
正しき魔法師にとって、排除すべき異端の存在。
とりわけ魔法によって清く正しく人々を導こうとしているルーシェント派の人間たちは、闇烏に対する嫌悪感が顕著だった。神の御業を体現する誇り高き魔法師と同列に語られてはならない穢れた存在だからだ。気安く科学に迎合するアカデミーより、魔法自体を疑って毛嫌いする反魔法派の老人たちより赦し難い者たちなのである。
「まさかマリアが」
「いや、現れたのは男だったという話だ。だが、かつて戦場で名を馳せたアカデミーの会長殿と互角にやり合ったからには、烏の中でも特に有能で凶悪な一団が動いていると見て間違いないだろうね」
「でしたら、あの女がこの列車でザルツへ向かうという情報も」
「誤りではなさそうですね」
ラインフェルトは深々と頷いた。
「あの罪深き裏切り者――――
魔法協会が出している手配書の中でも特に名を知られているのがマリア・エヴァレットという女性だった。かつてはルーシェント派に属し、修道院議会を率いて神聖魔法の第一人者と謳われていた人物だ。
なかなか居所がつかめずにいたマリアが銀河鉄道で惑星ザルツへの逃亡を企てている。その情報を元に、彼らは動いたのである。
「我らの誇りのため、必ずや粛清を。見つけ次第、罰を与えなさい。アカデミーの連中にも決して邪魔をさせないように」
「御意」
「お任せください」
二人がうやうやしく頭を下げたそのとき、ちょうど発車の合図が鳴り響き、銀河鉄道は赤い惑星を後にして暗黒の
宇宙の彼方で待っていて 青崎衣里 @eriaosaki
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