第三章 出会いは星空の中で
『それではそれでは何か御用がございましたら、こちらのスイッチでお呼びください』
案内役のアンドロイドは流暢な発音で挨拶を締めくくると一礼して去っていった。地上にある都市と同様、この銀河鉄道でも接客や案内、清掃などの役目はロボットが担っているらしい。
「結構いい部屋じゃないか」
メディーレは荷物をクローゼットに放り込むと、さっそくソファーに腰かけ、オットマンに足を乗せた。
「一等車輌って豪華なんだね。バスルームもすごく広いよ!」
あちこち覗いていたルルトアがウキウキしながら戻ってくる。カットフルーツの皿を手にして。
「向こうに小型冷蔵庫付きのキッチンもあった。中に入ってたのウェルカムフルーツかな」
「だろうな」
「ジャンだけ二等部屋でなんかかわいそう」
「仕方ないだろ、同じ部屋ってわけにはいかないし。わたしらは招待チケットだが、奴は会社の経費だ。本来なら三等だったところを自腹で追加して二等個室押さえたらしいぞ。さすがに一等個室は無理だったって嘆いてたが」
「乗車口で別れるときしょんぼりしてたもんね」
一人だけ別の入り口へと案内されていくジャンの寂しげな後ろ姿を思い出し、二人してふふっと口角を緩めたそのとき。発車の合図が鳴り響いた。
「そろそろか」
「うん」
ルルトアもソファーに腰かけ、窓の外に視線を向ける。そこから見えていた宇宙ステーションの外装の一部が音もなく緩やかに後方へと流れ始めた。ガルディアが徐々にエリスレア星の軌道から離れていく。
「最初はずいぶんゆっくりなんだね」
「どこのステーションでも離発着はこんなもんだ。ここは特に慎重だけどな」
「どうして?」
「無論、離着陸する船の数が多いからさ。衛星やコロニーからの小型船も含めるとかなりの数だ。未だに軌道上を周回してる人工衛星もあるしな」
「安全第一ってことね」
「じきに高速移動に入る。そうしたらカフェやレストランを覗いてくるか」
この銀河鉄道ガルディアは列車の形を成しているが、今後、大型宇宙船に取って代わり惑星国家間の定期運行を担うことを目的としているため、地上で都市間を結ぶ高速ライナーと違ってかなりサイズが大きい。客車はすべて三階建て構造で、一車輌が中型の宇宙船に近い規模だ。それぞれの車輌の前後に魔道式エレベーターが付いており、各階に移動できるようになっている。
ルルトアたちが今いる部屋は2号車の二階フロアにある一等個室だが、この車輌には客室しかない。奇数号車の三階建て最上部、つまり1号車、3号車、5号車、7号車、9号車、11号車それぞれの三階フロアにレストランやカフェ、ラウンジなどの共用スペースが用意されているのだ。もちろんどの車輌も行き来は自由である。
「まずは1号車のカフェからだな」
メディーレはフルーツ皿に盛られた葡萄をひと房手に取ると、宝石のようなエメラルドグリーンの粒を口に含んだ。
「ん、うまいな」
「これもすごく美味しいよ!」
ルルトアも大粒の苺を頬張ってご機嫌だ。
「ここの食事は全部有名店が監修してるんだって。種類も豊富みたいだし、期待が持てるね」
「ああ、これで仕事がなけりゃ言うことないんだがなぁ」
「そこは頑張って」
ジャンカルロが期待しているシリーズ物の新作はともかく、政府機関発行の広報誌に載せるエッセイは早めに仕上げなければならない。
そんな話をしながらフルーツを堪能しているうちにセーフティ解除の通知音が鳴った。出入り口の自動ロックが解除されたのだ。これでようやく廊下に出ることができる。
ルルトアは嬉々として立ち上がった。
「じゃあ伯母さん、レストランに行くときは呼んでね。わたしはその前に展望スペースに行ってくるから!」
「展望スペース?」
「1号車に付いてるの! 見晴らしのいいところで『レール』を確認してくる!」
口早にそう言い残し、あっという間に駆け出していく。
後ろ姿を見送るメディーレは思わず苦笑を漏らしていた。
「……ったく、魔法オタクめ」
仕方ないので、数分後に駆け込んでくるであろうジャンカルロを待つ間にコーヒーでも飲もうと、彼女はポットに手を伸ばした。
「えーと、案内図だと確かこっち側だったはず」
ルルトアは車内の案内表示を見ながら1号車の前方にあるエレベーターに乗り込んだ。
(あった!)
予想通り、このエレベーターだけは3F止まりではなく、その上がある。
ガルディアの目玉の一つとして宣伝されていた特別展望室は、客車の先頭である1号車と最後尾の11号車に設けられていた。客車の屋根の上に半球状の特殊透過壁で造られたドーム型の展望スペースだ。
ドームの壁全体がガラスのように透き通っている上に、足元の床にも車体の下に取り付けられたカメラ映像が投影されているので、まさに四方八方ぐるりと星空に囲まれている感覚を味わえる。そんな触れ込みに胸を躍らせない旅行者などいるだろうか。
エレベーターの扉が開いて、一歩足を踏み入れると。
「わぁ……」
そこは、まさに宇宙空間だった。
「すごい」
生まれて初めて宇宙に出たルルトアにとって、全身を360度包み込むように広がる本物の星空は圧巻だった。無重力空間に放り出されたような気分になって、少し足下がふわふわする。
そのスペースに足を運んだ人々は皆、同じような心持ちなのかもしれない。誰もがぼんやりと周囲に視線を泳がせている。けれどもその人数は予想よりも少なかった。発車直後はさぞかし人が詰めかけて満員だろうと思っていたのに、行ってみると意外にもさほど混雑していない。家族連れや恋人同士と思しき二人連れなどが十数組いる程度だ。
(そりゃそうか。どの宇宙船からでも見える景色は一緒だもんね。小さくなっていくエリスレアを見たいなら後方にあるドームの方がいいだろうし)
二等や三等車輛の客室には窓のない部屋もあるそうなので、後方の展望スペースはもっと混雑しているかもしれないが。
(それに、星はやっぱり瞬いてる方がロマンチックかな)
宇宙空間では地上の重力圏内を移動する飛行船や高速ライナー、エアカーなどと違って刻々と移り行く景色を堪能することはできない。瞬かず、くっきりと光輝く星々も、見慣れてしまえばあまり興味を惹かれない人の方が多いのかもしれない。
ルルトアにしても、やはり気になるのは魔法である。
(うん、思った通り部屋の窓よりこっちの方がよく見える)
屋根の上に張り出した高い位置にあるので、前方に向かってまっすぐ伸びていくレールがよく見えるのだ。
魔法の力で蔓草のようにスルスルと銀色に輝くレールが虚空に伸びていく。どこまでも広がる深い闇と、その奥に浮かぶ銀河を背にして、進む列車の行く先を宇宙(そら)に映し出す。ひと目見ただけで胸が高鳴るその光景に引き寄せられ、ルルトアは一番手前の壁際までゆっくりと歩いていった。
(すごいなぁ。こんな魔法が実現するなんて)
物理的なレールを敷くのではなく、宇宙空間の座標点に刻印魔法を打ち込み、固定させる技術はまさに革新的と言っていいだろう。何年経とうと、その空間で何が起ころうとも壊れることも見失うこともなく、永久に使用できるレールなのだ。
(天才の発明が世界を変えるって本当なのね)
きらめく銀の軌跡にしばらくうっとりと見惚れていたが、近くにも同じように窓にへばりつく勢いで外を眺めている子供がいることに、ふと気がついた。七、八歳くらいの男の子だ。傍らで母親らしき女性が見守っている。
(初めて見る宇宙に興味津々かな。うんうん、分かるよ。外がどうなってるのか気になるよねぇ)
少年はすごいすごいと興奮して飛び跳ねながら、レールを指して「あれなぁに?」と母親に尋ねた。
「魔法でできている線路よ」
「魔法? どういうやつ?」
「さぁ……」
若い母親が困ったように首を傾げる。
「あれはねぇ、魔力推進システムっていうの」
ルルトアは少年に歩み寄ると、すぐ横にしゃがみ込んで話しかけた。
「あのスルスルって伸びてるやつはレールを出す魔法で、この列車の下にくっついてる車輪の魔法とぴたっと重なることで前に進んでるんだよ。すごいでしょ?」
「ふぅん」
どことなくぼんやりした面持ちで瞬きする少年に「分かる?」と尋ねると、案の定「わかんない」という素直な答えが返ってきた。
「そっかぁ」
まぁそうだろうなと思う。
「でも、きれいでしょ?」
「うん!」
「あんなふうにきれいで、すごーいって思えるのが魔法なんだよ!」
「へぇ……」
再びキラキラした眼差しで窓にへばりつこうとする息子の肩を、母親がやさしく引き戻す。
「さぁ、もうお部屋に戻りましょ。お姉さんのお邪魔をしちゃだめよ」
「いえいえ、そんな! 邪魔だなんて」
「騒がしくしてごめんなさいね」
「こちらこそすみません、突然話しかけてしまって」
お互いに頭を下げ、帰っていく少年とはバイバイと手を振り合って別れた。
せめてあと五つか六つ、歳が近かったら魔法について語り合えたかもしれないと思うのだが、なかなかそういう相手には巡り合えない。普段から偏見なく接してくれて友と呼び合える数少ない相手、ファナとエミリアは魔法にまったく興味がないのだ。育ての親である伯母のメディーレやジャンカルロもまた然り。魔法に関するサークルやSNSにハンドルネームで参加しているとき以外、魔法について語り合える相手はいない。それがルルトアにとっては何より寂しいことだった。
(もしお父さんが生きていたら…………この光景を見て、わたし以上に大喜びしてただろうな)
魔力を持たない一般人は発動後に具象化したレールと背後の宇宙空間しか見えないはずだが、魔法を操る者はこのシステムで発動する術式も一緒に見ることができる。
(うわ、細かっ……予想以上だわ。これいくつ絡んでるんだろう)
ルルトアは床に映し出されている映像をしげしげと眺め、改めて舌を巻いた。
レールに車輪が接することで発動する術式が完全に映っているわけではないが、パッと大きく開いた光の環を半分ほど見ただけで、それが非常に複雑なものだと分かる。環の内側にびっしりと記された古代文字や記号の数々が、きめ細やかな模様のように幾重にも折り重なっているからだ。
(右側に出ているのはおそらく接近感知と自動発動、自動停止。それに繋がってるのが進路調整と軌道の固定でしょ。その下が車輌の安定と牽引かなぁ。あとは……エネルギー循環を補助する魔法だよね。あ、無振動推進もある)
ふむふむと唸りながら反対側の端に移動して、再び床を凝視する。
(あー、こっちはたぶん公開資料にチラッとだけ載ってたやつだ。エネルギーの熱変換と魔力による半永久自動循環のための複合術式。これだけで6つ…………7つもあるのか。わぁ、防御シールドも3つ重なってる。すっごく堅そう)
ルルトアはこうした術式を見るのが幼い頃から好きだった。
魔法の研究をしていた父の書斎から魔導書を持ち出しては、よく眺めていたものだ。
(そういえば昔、パパと一緒に見たやつもすごくきれいだったなぁ)
ふと、脳裏に古い記憶が甦った。
確か魔法で飛行船を動かす実験をすると聞いて見学に行ったときのことだ。音もなく浮き上がる飛行船を遠くから眺めていたルルトアは、青空に咲く光の環を指さしながら父に言った。
『すごーい。いろんな色に光ってる!』
『きれいだろう?』
『うん。パッて広がる環っかの中にたくさん文字とか数字が見えるよ。パパ、あれ何?』
『魔法陣だよ。中の文字も見えるのかい?』
『うん。いっぱい書いてある』
『そうか。ひょっとするとルルはパパより才能があるかもしれないなぁ』
『そうなの?』
『うん、きっとそうだ。ルル、魔法は好きかい?』
『好き』
『パパもね、子供の頃から大好きなんだ。いつだってわくわくするからね!』
幼い頃に聞いた父の声を思い出してじんわりと胸のあたりが熱くなった。
(この魔法も一緒に見たかったなぁ)
「ほんと、わくわくしちゃう。こんなに繊細に重なってる魔法陣なんて、なかなか見られないもんね…………きれいな術式」
そのつぶやきは単なる独り言だったのに。
「すごいね、君」
「えっ……」
唐突に話しかけられてハッと面を上げた。
すぐ近くに男性が立っている。
(うわ、人がいた!)
夢中になるあまり、いつの間にか子供みたいに床にしゃがみ込んでいたことに気づいたルルトアは慌てて立ち上がった。
(は、恥ずかしい……)
声をかけてきたのは銀髪に淡いブルーの瞳を持った少年だった。年齢はルルトアと同じぐらいか、少し上だろうか。大柄ではないので威圧感はないが、表情が薄く端然とした雰囲気のためか、やや冷たそうな印象を抱く。この眼でじっと見られていたのかと思うとますます身が縮む思いだ。
(ううぅ……隣に人が立ってるなんて全然気づかなかったよぉ……)
ルルトアは内心かなり焦っていたが、少年はこちらを気にする様子もなく端正な面持ちで床面の映像を見下ろしている。一瞬、空耳だったかと疑うほどに。しかし、
「君、これを見ただけで術式が分かるんだ?」
そう訊かれたので、やはり空耳ではなかったことが判明した。
(しまった……)
詠唱や杖などの補助のあるなしに関わらず、火や水、光などを出す魔法はそれを学んでいる者であれば術式を読み取ることができる。高度な攻撃魔法や防御魔法になると全部は無理だが、何を利用した攻撃であるかぐらいは把握できる。しかし刻印に施された魔法というのは略式の記号のようなものなので、標準的なもの以外ははっきりと読み取れない者の方が多い。しかもそれが複数となると、かなり高度で難解になる。普通は専門家でもない限りできることではないが、ルルトアは子供の頃からそれが得意だった。至極すんなりと魔法が読み取れるのだ。ある種の才能と言っていいだろう。
しかし父親からは「それを他人に話してはいけないよ」と何度も言われた。
なぜかは分からないが、秘しておくべきだと教えられてきたのだ。
だから、このときも咄嗟に言葉を濁した。
「あー…………なんとなく、ですけど」
「なんとなく、か」
「勘みたいなもので」
「ふぅん」
相槌を返しながらも、少年の横顔に納得している気配はない。
(ちょっとわざとらしかったかな)
かなり怪しまれているようだ。
「でも使われている魔法がひとつじゃなく、何重にもかかっていることは分かるんだよね?」
「え、ええ」
直接見ているわけではなく映像を通してなので、能力が低い者だと光の環しか見えないかもしれない。しかもハイスピードで直進しているレール上で次々に発動している陣だ。一見するとずっと開いたままに思えても、実は細かく瞬いていてぶれるので非常に読み取りにくい。中の術式を判別できたとしても、普通はせいぜい1つか2つぐらいだろう。術式に対する知識だけでなく、魔力感知や視覚による識別能力の高さが鍵となるのだ。
「じゃあ何種類かかってると思う?」
「さ、さぁ……どうかなぁ~……ははは」
「だいたいでいいから。思った数を言ってみて」
(この人、見た目よりグイグイ来るなぁ。しかもなぜ詰問調?)
「えーっと……19ぐらいかな」
公式で発表されていない以上、正解を知っているのは関係者のみ。自分とさほど年齢が変わらない学生が相手なら言ってもどうせ信じないだろうし、別に構わないだろうと踏んで思った通りの数を口にしたのだが。
「19、ね」
(あれ?)
そんなに多いはずないだろ、という答えが返ってこない。
「それ、たとえばどんな魔法だと思う?」
「…………」
(嘘うそ。なんか、さらに食いついてる?)
予想以上に食い下がられて大きく身を引くと、さすがに不躾だったと気づいたようだ。
「ああ、ごめんなさい。知らない人にいきなり失礼だよね。あれの魔法のことを分かってくれる人がいるのが嬉しくて、つい……」
このとき初めて彼の表情が変わった。
(あ……)
ふわりと、はにかむような笑みにドキリとした。嬉しいという言葉はおそらく嘘ではないのだろう。そうしてやわらかい表情を浮かべていると、無表情のときとはギャップが大きく、ずいぶん印象が異なる。
(よかったぁ。怖い人じゃないみたい)
ルルトアはほっと胸を撫で下ろした。
(ううん、それどころか笑った顔なんかむしろ可愛い感じするし……)
しかも彼は、魔法のことを分かってくれる人がいて嬉しいと言ったのだ。
(わたしと一緒じゃん!)
「わ、わたしも普段魔法の話ができる相手がいないから、話ができるのは嬉しいけど」
「ほんと? なら、よかった」
クリスと名乗ったその少年は、魔法科学アカデミーに在籍しているのだと告げた。
「えっ、アカデミーで勉強してるの?」
魔法科学アカデミーには会員の養成機関として魔法科学専門の育成カリキュラム、マネジメントを行っている学校がある。そこを卒業すれば、ほぼ間違いなくアカデミー所属の魔法師になれるのだ。憧れの魔法科学研究員に。
だから思わず本音が漏れた。
「いいなぁ! ねっ、ねっ、アカデミーってどんなとこ? すごい人たちがいっぱいいるんでしょ?」
「うーん、どうかなぁ。確かにA級の人が多いからみんな優秀には違いないけど、どっちかっていうと個性強めの人が多いかな。あと実験好きが多い」
「どんな実験をやってるの?」
「今は惑星再形成に関する実験をやっている人が多いよ。学生でも論文を出してる人が大勢いるし」
「へえぇ、やっぱりすごいなぁ」
わくわくしすぎて自分がかなり前のめりになっていることにも気づいていなかったルルトアだが、クリスに「君もアカデミーに入りたいの?」と問われると、たちまちずぶ濡れになったポメラニアンみたいにしょぼくれて肩を落とした。
「……ううん」
入れるものなら入りたい。ずっとそう願っている。
けれど試験を受けるためには、最低でも魔法協会認定資格のC級を所持している必要がある。前提として魔法能力が一定以上と認められている者にのみ道は開かれるのだ。そして大抵の場合、認定資格を取得するためには魔法科のある高校か大学で基礎知識を学ぶ。しかしどの学校でも、アルメトリア人に魔法科クラスへの入学や編入の許可はまず下りないと言われている。法で定められているわけではないが、不文律として慣例化しているのは周知の事実だ。これもまた戦争の爪痕のひとつである。
「魔法は好きだけど…………わたしには無理だから」
だから、諦めた。
「どうして?」
諦めなきゃいけないと思っている。
「才能ないもの」
「そんなことないと思うけど」
不思議そうに首を傾げるクリスに、ルルトアは
なぜだろう。ルルトアはこの少年に、自分がアルメトリアの血を引く者であると告げるのを躊躇った。もちろん見ず知らずの他人に吹聴すべきことではないが、事実には違いないのに。
チクチクと胸のあたりを針で刺されているような気分だ。
そのとき、ふいに後ろから別人の声がした。
「こんなところにいたんだ、クリス」
「リュカ」
二人に歩み寄ってきた少年はどうやらクリスの知り合いらしい。
彼もまた長身ではないがスッキリと伸びた肢体の持ち主で、やわらかそうな金髪と空色の瞳が整った愛らしい容貌を一層派手に飾り立てている。
「探したよ」
「ごめん」
「で……この子、誰?」
ただし、美しい花にはいささか棘がありそうだ。
チラリと向けられた視線の鋭さに、ルルトアは思わず姿勢を正した。
「さっき、たまたまここで会ったんだ。そういえばまだ名前を聞いてなかった。教えてもらってもいいかな?」
「ルル……ルルトア」
「ありがとうルルトア。こっちはリュカ、僕の友人」
クリスがあとから来た少年を指して言った。
「僕らは終点まで行くんだけど、君は?」
「わたしも終点まで」
「よかった。じゃあ、この先もしばらく一緒だね。途中でまた会えるかも」
「……うん」
何がよかったのかさっぱり分からないが、ルルトアも内心同じようによかったと思ってしまったので、なんとなくこそばゆいような心持ちになって俯いた。
「じゃあ、またね」
「ほら、さっさと帰るよ」
ちっともにこやかではないけれど、律儀に手を振ってくれるクリスをリュカが引きずるようにして連れ去っていく。そのようすを黙って眺めていたルルトアは、
「なんか…………ちょっと変わった人だったな。やっぱり魔法師を目指してる人って変わった人が多いのかなぁ」
大いなる偏見を口にしたあと、自分自身もエレベーターに向かって歩き出した。すると、待っていたかのようにピッとリストバンドの通信音が鳴った。伯母からの連絡だ。
「えっ、嘘でしょ。もうカフェに入っちゃったの? 置いていくなんてひどいよぉ」
空中にポップアップされた文面を読んで、慌てて駆け出していく。
その背中を追う視線に気づかないまま。
「まったく、一人で出歩くなって言われてるのに」
「ごめん」
エレベーターを降りた途端リュカに叱られて詫びたものの、クリスはまだ後ろを気にしていた。
「さっきの子、そんなに気になる?」
「うん、まぁ」
「テオじゃないんだから、まさかナンパじゃないよね」
「まさか」
クリスはわずかに口の端を綻ばせたあと、真剣な面持ちで告げた。
「あの子、推進システムに組み込まれた術式が19だって言い当てたんだ」
「それは……単なる偶然じゃない? 言っちゃなんだけど、A級の僕だって見ただけで全部は無理だよ。15以上あるのは分かるけど」
「偶然か。そうかもしれない……けど」
それらはすべてパズルのように複雑に絡み合っており、列車が通過する瞬間、自動的に発動する仕組みとなっている。オースティンとその愛弟子たちであるS級魔法師以外、すべてを目視で読み取れる者などいるはずがないのだ。
でも彼女は、
『こんなに繊細に重なってる魔法陣なんて、なかなか見られない』と言った。
きれいな術式だと。
「もしかすると……彼女は特別な『眼』を持っているのかも」
「魔力の視覚識別能力が特別高いってこと?」
「先生に聞いたことがあるんだ。発動や解析とは別に、読み取る能力に特化した眼を持っている人もいるって」
「ええ? そんな感じには見えなかったけどなぁ。普通の子だったじゃん。S級どころか、A級になれる魔力量も持ってなかったし。見覚えがないから、別動でアカデミーから派遣されてきたメンツのリストにもいなかったと思うけど」
「うん。魔法は好きだけど、自分には才能がないからアカデミーに入るのは無理だって言ってた」
「ほら、やっぱり当てずっぽうだよ。適当に言った数がたまたま当たっただけで」
本当にそうだろうか。
考え込むクリスの二の腕をリュカが小突いた。
「それより気づいてた?」
「ああ、奥の方にいた二人だね」
ちゃんと気づいていたかと安堵しつつ、リュカが頷き返す。
「こそこそ様子を伺ってた。あれ、ヤバいかも」
「でもまだ何かされたわけじゃないし……」
「されてからじゃ遅いから注意しろって言ってんだけど」
「そういえば、さっき中で一人で歩いてた魔法師とすれ違ったよ」
「はっ!?」
「すれ違いざまに精神干渉魔法を仕掛けてこようとしたから」
「えっ」
「たぶん神聖魔法主義団体の強硬派で間違いないと思うんだけど」
「なっ……」
「ああ、大丈夫。ちゃんと『マーキング』してあるから」
「あのなぁ、そういうのは大丈夫って言わないの! 様子見どころか、もうしっかり攻撃受けてんじゃん。だから一人で出歩くなって言ったのに!」
リュカは頭を抱えた。
「あああ、やっぱりルーシェント派が手を出してきたか~! だと思ったんだよ、あいつらほんっっっと話通じないから!」
ルーシェント派というのは魔法科学技術アカデミーとは対極にある集団だ。魔法は神から与えられた神聖な力であり、魔法師はもっと特別な存在として崇められ、尊重されるべきであると主張しているのが教会の司祭らを中心とした神聖魔法主義団体。その中でも特に過激な一団は魔法を科学と掛け合わせて万人に使用させるなど言語道断、誤りであると訴えている。それがルーシェント派というわけだ。
「ったく、司祭ならおとなしく世界平和でも祈っていればいいものを」
「リュカ、それは偏見。ルーシェント派は神聖魔法の教義に感銘を受けた人たちだから、全員が司祭ってわけじゃないよ」
「そりゃ分かってるけど」
アカデミー創設以来、この連中とは度々諍いが起きている。始祖であるオースティンの没後はさらに主張が強まっているため、今回の銀河鉄道開通についても何かしらアクションを起こすのではと前々から危惧されていた。
そのためアカデミーでは数少ない実戦経験者の中から何名かが選ばれ、リュカたちとは別行動でこの列車に乗り込んでいるのだ。
「とにかく二等室と三等室にいる連中に連絡しておくから」
「うん、ありがとう」
リュカはその場ですぐ仲間たちに緊急メッセージを送ると、クリスの腕を引っつかんで部屋へと戻っていった。
「じきマーディンに着くけど、駅に着いても絶対にふらふら一人で外に出ないように! いいね?」
「えー……」
「えーっじゃない!」
残念ながらリュカ・ファリエールの気苦労はもうしばらく続きそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます