第一章 旅立ち・ルルトア
エルセ連邦国の首都、エリスレア星の軌道上に浮かぶ巨大宇宙ステーション。
大都市にも匹敵する規模を誇るその施設は合計六基の軌道エレベーターと直結しており、連邦国内を結ぶ定期便もここを発着点としている。文字通り、この星から旅立つ際に使用される宇宙への玄関口だ。
そのため常にエリア内は賑わっており、当然出入りには厳重なチェックが行われていた。
「だとしても、厳重すぎっていうか……わたしたち完全にマークされてたよね。他の列はあんなに長く引き止められてなかったもの」
検査官の不躾な視線を思い出してしかめっ面になった少女を、隣を歩く中年男がまぁまぁと宥める。
「そう怒らないで、ルル。彼らも仕事なんですから」
「違うわ、ジャン。あんなの単なる差別よ! だってあいつ、わたしの荷物を引っ搔き回して下着まで広げたんだから!」
「そこでおまえが騒いだからよけい長くなったんだろ」
もう一人の連れである赤いロングコートを羽織った長身の女性が、赤味がかった長い髪をなびかせ、ブーツの踵を鳴らして闊歩しながらツッコミを入れた。
「最初に止められたのは伯母さんでしょ」
「メディーレと呼べ」
「最初に止められたのはメディーレ伯母さんの方でしょ」
おばさん呼ばわりに周囲が違和感を覚えるほどメディーレの白い肌には目立つ皺もなく、とても四十八歳という年齢には見えない。どうやらそれが目についたらしく検査官に呼び止められたのだが、疑いの目を向けられても当の本人は気にする素振りもなく軽く受け流していた。噛みついたのは姪っ子であるルルトアの方だった。
「だいたい公衆の面前で下着を広げるなんて非常識すぎるわ。抗議するのは当然じゃない。伯母さんこそ普段やたらと尊大な態度のくせに、なんで何にも言わなかったのよ」
少女は小走りでついていきながら不平を鳴らす。伯母と同じ色の赤髪、白い肌を持ってはいるが肩までの髪は癖のある巻き毛だし、何より成長期に入っても一向に伸びない背丈は母方の血のせいかもしれない。伯母とは結構身長差があるせいで、ついていくためにはかなり速足で歩かなければならない。
もっとも移動レーンに乗ってさえいれば自動的に搭乗口にたどり着くので、本来は歩く必要などないのだが。
「保護者に向かってずいぶんなセリフだな。おまえと違って世間を知ってるからだよ。不正を仕掛けられたんならともかく、あんな場所で悪目立ちしたところで良いことないぞ」
バッサリと切り捨てられて、ルルトアはますます頬を膨らませた。
「だからって……」
「アルメトリアの血を引く者が白眼視されるのはめずらしいことじゃねぇだろ」
「戦争が終わってもう十五年も経ってるのに?」
「実際テロリストの連中がいまだに活動を続けてるんだから仕方ないだろ。学校で習わなかったか?」
「アルメトリア原理主義なら習いました。くだらない歴史の授業で」
思い出したくもない過去だ。表立っては誰も何も言わなかったが、陰でこそこそしゃべってる生徒が何人もいた。モニターの端に写っている小さな画像で口を動かしている奴、あからさまに嫌そうに顔をしかめている奴。トドメは教科担任の余計な一言だった。
『残酷な戦争が残した爪痕は、このように現在も我々の生活を脅かしています。しかし過剰に恐れる必要はありません。連合警察は非常に優秀ですからね。もちろん差別もいけませんよ。アルメトリア人すべてが危険で野蛮な犯罪者というわけではないのですから』
せせら嗤うような言い方に腹の底がカッと熱くなった気がした。
この陰険男がいつか転んで前歯を折りますようにと思わず神に祈った。
「生まれる前に始まった戦争のことなんか知らないわよ」
低く吐き捨てた言葉に、あのときの悔しさが滲む。
すると横から伸びてきた手のひらが彼女の頭をポンポンと軽く叩いた。分かっているよ、とでも言いたげに。
「…………」
ルルトアは隣を歩く伯母をチラリと横目で仰ぎ見た。
メディーレはルルの父親、シュティアの実姉である。アルメトリアの思想家であり詩人でもあった二人の父フィゼル・ロゥ・バストラルは旧宮廷貴族の血を引いた身でありながら、反軍国主義の提唱者として捕らえられ獄中死した。その頃、国内では知識人を中心に次々と反政府勢力として捕らえられ、多くの者が処刑されていたのだ。数年間で合計十二万人もの犠牲者を出した帝国軍の弾圧は、かつての首都の名を冠してリューグスト大虐殺と呼ばれている。
父親を亡くし、自分の故郷に居場所を失くし、母親や幼い弟を連れて祖国から亡命した伯母が名も知らぬ遠いこの星まで逃れてきたのは十八歳の夏だったという。今の自分とほぼ変わらない歳だ。
それから四年後の宇宙歴874年、アルメトリアを中心とした軍事大国側と共和国側の間で戦争が始まった。当時メディーレは二十二歳、弟のシュティアはまだ学生だったと聞いている。
きっと長い逃避行の間にも、この星に着いてからも誰にも言えないような苦労がたくさんあっただろう。差別や蔑みだけでなく、戦時中には直接怒りをぶつけられたことだってあったかもしれない。何ひとつ悪いことなどしていないのに。
(伯母さんたちに比べたらわたしなんてすっごく普通に暮らせてるし、文句を言えるような立場じゃないって分かってるけど……)
今の世の中は一見、至極平和だ。
ニュースで騒がれるのはごく一部の不届きな犯罪者だけで、大多数の人間は何事もなく日常を過ごしている。間違いなく自分もその中の一人に含まれている。
(でも、悔しい)
授業のカリキュラムの最中に。
近所の人たちと道ですれ違ったとき。
街で買い物をしていて提示したカードをチラリと見られたとき。
露骨な暴言を吐かれたり暴力を受けるようなことは滅多にないけれど、言葉の端々に、不躾に投げかけてくる視線に含まれた小さな棘が毎日毎日心のどこかにチクチク刺さる。たくさんの小さな擦り傷のように、差別がこの身に刻まれる。おかげでこっちも慣れっこになってしまって、少しぐらいなら痛いと思わなくなってしまった。気にしても仕方がない。そういうものだから、と。それでも。
(やっぱり……努力をしてもどうにもならないところで見下されるのは納得いかないし、悔しい)
いつの間にか俯いて歩いていたルルトアの背中に、肉厚な男の手がそっと触れた。それまで黙って成り行きを見守っていた同行者のジャンカルロだ。
「ほら、ルル。前を見てごらんなさい」
「……ん?」
やさしく促されて視線を上げる。
赤褐色の瞳が捉えたのは真新しく設けられた特別ゲート。
そして、その先に――――――
「…………わぁっ! 銀河鉄道だ!!!」
専用レーンでの移動を終えた彼女たちがパスを提示してゲートをくぐると、異形としか言いようのない黒い物体が姿を現した。長距離用の大型宇宙船に比べると小型ではあるが、やけに細長い形状をしている。
複数の銀河を結んで宇宙を翔ける魔力推進型超高速銀河鉄道MGT77、通称ガルディア。惑星エリスレアを始発として数か国をめぐる旅の足となるこの『
「すごいですねぇ! この威風堂々とした佇まい! 見慣れた宇宙船とはまるで違う代物ですよ」
黒光りする装甲に見入ったまま、ジャンカルロが興奮気味に声を上ずらせた。
「聞いた話では、遥か昔、宇宙世紀に入るずーっと前に人類が広大な大陸を移動する手段として地上で走らせていた乗り物の形を、そっくり模倣しているそうですよ」
「ふーん。だからこんなに変わった形をしてるの?」
ルルトアに問われて彼は大仰に頷く。
「ええ、そうです。確か、蒸気機関車という名称の乗り物だったとか。遺跡発掘の際に見つかった資料を参考にしているそうです」
「先端部分のあの出っ張りは何?」
「ああ、エントツですね。航行中に不純物を排出する機関だと思います」
「へぇ……でも、この機体は魔法で動くんだから必要ないでしょ?」
「それはそうでしょうけど、元がこういうデザインですから。このエントツがあるとないとじゃ大違いですしね!」
「えー、そうかなぁ」
「おまえやたら詳しいな」
「先日特集番組が公開されていましたからね」
どこか得意げなジャンカルロの言葉に、ああ、あの番組かとメディーレがつぶやいた。
「そういやルルもやたら熱心に見てたな」
「そうですか! だったらあの大掛かりな遺跡調査についても」
「あ、そのへんは飛ばしたから見てない」
「こいつはアカデミーが開発した新しい魔力推進システムの解説部分だけ、何度もくり返し見てたよ」
「……そ、そうですか」
ジャンは幾分がっかりした様子で肩を落としたが、すぐに気を取り直して再び語気を強めた。
「とにかく、あのエントツは力強さの象徴でもあると思うんですよ! 当時のエネルギーがどういったものか分からないんですが、走っている間中ずっとあのエントツから黒煙をたなびかせていたそうですよ。なんだかカッコイイですよねぇ! あ、ちなみにガルディアというのはその遺跡に祀られていた英雄王の名前なんですよ。それを聞いただけでも胸が高鳴りませんか?」
古代ロマンですよと悦に入った面持ちではしゃいでいる中年男に、女性二人が鼻白む。
「千年以上前の資料なんてどうせデタラメだろ」
「確かにクラシカルなデザインだけど、その話はちょっと。ずっと煙を出しながら走る乗り物なんて嘘っぽい」
「ええ~っ、信じてくださいよ二人とも」
いかにも人のよさそうな丸顔に困惑を浮かべて哀願してみるが効果はない。
「じゃあ、その勇姿を拝めてさぞかし満足だろうから、おまえもう帰っていいぞ」
「またまた、先生ったら」
メディーレの冷たい言葉に、ジャンは冷や汗を滲ませた。
「誰がこのレアチケットを押さえたと思ってるんです? 僕ですよ、僕!」
「いや、おまえじゃなくて編集部が運行管理センターの広報と掛け合ったからだろ」
「提案したのは担当の僕です」
「向こうから話を持ち込んできたって編集長から聞いてるぞ」
「うっ…………ま、まぁ、そういう話もありましたけど……」
旗色が悪くなってきたジャンカルロがちらりと横目でルルトアに助けを求めてきたが、二人のこうしたやり取りはいつものことなので、彼女は肩をすくめただけで傍観者を決め込んだ。
伯母のメディーレ・ラゥム・バストラルはこの星へと移民してきた後に文筆業で身を立てた。元々彼女の父親が生前、詩やコラムなどの本を出版していたことがきっかけだったに違いない。雇用先を見つけるのが難しい立場だったメディーレは、本国でバストラル家の跡を継ぐ代わりに、父と同じ文筆業を継承した。
もっとも思想家であった父と違って、彼女が書くものは活劇や推理物といったいわゆるエンターテインメント作品だ。特に宇宙を股にかけて飛び回る逃がし屋チームと元貴族の名探偵グレイがタッグを組んで難事件を解決していくシリーズは大ヒット作となり、エルセ連邦国内どころか世界各国で現在もデータ発行部数の記録を絶賛更新中である。
そして今回の旅の同行者、ジャンカルロ・アルベルティーニはそんなメディーレの執筆を長年サポートしてきた担当編集者であり、良き友人なのだ。彼女より八つ年下だが気の置けない間柄らしく、しょっちゅう顔を見せにくる。五年前に両親を事故で亡くしたルルトアが伯母のメディーレに引き取られてからは、よく一緒に食事をしたり、遊びに行くときに付き合ってくれたりした。大変面倒見のいい三児の父親だ。
そして編集の仕事に燃えている男なのである。
「とにかく、先生にはこの旅行を題材にグレイの新作を書き上げていただかないと」
「だからっておまえが一緒についてくる必要ないだろ」
「つれないですよ先生。僕とあなたの仲じゃないですか。ちゃんと取材にも協力しますから」
「言ってろ。まぁルルの分もチケット用意してもらえたのはありがたいから依頼は引き受けたけどな」
ちょうど今日から春休みに入ることだし、年頃の女の子をひとり残しての長旅は不用心すぎるというジャンの説得で、今回ルルトアも同行することになったのだ。この点について、ルルはジャンに心の底から感謝した。そうでなければ彼女がこの銀河鉄道に乗る機会はもっとずっと先のことになっていただろう。
「どうせおまえは息子たちにお土産を買ってきてくれと強請られたんだろう?」
「当たりです。いろいろリストを受け取ってるんですよ。それにこの記念すべき初回運行の搭乗パスに付いていた特別限定グッズはレア中のレアですから、きっと我が家の家宝になります」
ニヤける相棒に、なにが家宝だ、とメディーレはそっけなく返した。
「史上初と言ったって、試運転ですでに関係者が往復してるんだし、これからは一日十数機の運行スケジュールが決まってるんだ。そんなにありがたがるほどのもんじゃないだろ」
「いやいやメディーレ、それは違いますよ。何事も初めてというのが重要なんですから。遥か先の星団まで低コストで何往復もすることができる、この素晴らしい乗り物の記念すべき初運行ですよ!」
「分かった分かった」
いい加減浮かれているジャンカルロとの会話に付き合う気が失せたのか、メディーレは再び手荷物を持ち直すと、さっさと歩き出した。
「あ、待って」
残された二人が慌ててその後を追う。
『ご来場の皆様にお知らせいたします。本日12時00分発銀河鉄道ガルディアにご搭乗予定のお客様は専用ゲート奥の搭乗口までお急ぎくださいませ。間もなく出航準備のため搭乗口を閉鎖いたします』
フロアに流れるアナウンスに急かされて、残っていた人々も足早に集まってきた。
(いよいよ宇宙に出発するんだ――――魔法の力で)
乗り込む寸前に、少女は改めて黒い機体を見上げ、未知の星に対する想像に胸を膨らませた。
ルルトア・フィーユ・バストラル、十七歳。
旅立ちのときが迫っていた。
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