第12話 8 人災①

・・・

 同時刻。

 マンションの1室から怒号と泣き声が聞こえてきた。

 未憂のいる部屋だった。

「何回言っても分からない子ね‼ ほんとうざい‼ あんたのせい、あんたのせいで私はあの人と一緒になれないのよっ! あんたさえ、あんたさえいなきゃ全部うまくいったのに‼」

 明るい茶色に髪を染めている若い女性が、未憂の頭を側面から殴りつける。すでに未憂は顔も殴られたのか、彼女から鼻血が出ている。

 未憂がどれだけ許しを乞いても、口や鼻から血が出ても、泣き叫んでも。女性は手を緩めない。次は未憂の頭を掴み、彼女の顔を床に叩きつけた。

 何度も何度も、未憂の顔に激痛が襲う。何回も叩きつけられて、額からも血がにじみ出る。

「あんたは‼ いらないんだよ‼ だからせめて‼ 私の言うことぐらい聞いていなさいよ‼」

 女性は未憂から手を離す。

 その後に近くにあったガラス製の茶碗を手に取る。


 その瞬間、未憂は命の危機を感じた。


「……や……。いや……。許して、許して許して……。許してぇ……」

 未憂は必死で叫ぶ。が、その女性はその声を無視した。

 女性は未憂に向かって茶碗を投げつけようとした。

 その時。


 机の上に置いてあった女性のスマホが鳴る。


「……」

 女性は茶碗を置き、スマホを取る。先ほどとは違う甘い声で誰かと会話した後、女性は電話を切った。

「……私は出かけるから。……これ以上、変なことしないでちょうだい」

 ただそれだけ言うと、女性はリビングを出て自身の部屋へと向かった。


 その後女性がマンションから出て行く音がした。

 しばらくして陽太がひょこっと覗く。

「……みうちゃん。あの……大丈夫?」

 未憂はうつぶせのまま、動かなかった、

「……み、みうちゃん……?」

「……た……くん……」

 未憂は揺れる視界の中で、陽太の姿を確認した。

「うん。陽太だよ。みんなもいるよ‼」

 陽太は招き猫を抱きしめて言った。未憂にもきちんと見せつける。

「……たくん……。よう、た、くん……。みんな……」

 未憂はぽろぽろ大粒の涙を流した。


「……たす……けて……。もう、やだよぉ……」


 悲痛な泣き声が部屋に充満する。

 血とごみの匂いがあたりを覆う。


 未憂の心はもう限界だった。


「……なら。僕たちの仲間になろう!」

 陽太は裸足で未憂に近付き、招き猫を近づける。

「みんなで化け物をやっつけよ‼ 俺と、こいつらと、未憂ちゃんの力を合わせて‼」

「……でも、私が、……、私が、悪い……」

「ううん。悪くない。僕は、みうちゃんが悪いとは思わないよ」

 陽太は強く言った。

「僕の目には、あのお母さんが化け物で、あの化け物はみうちゃんをいじめているように見えるよ‼」

「で、でも……」


「大丈夫‼ 僕らが、みうちゃんは悪くないって言ってやる‼」

 

 陽太はにっと笑いながら言った。 

 瞬間、未憂の目に光が宿る。

 希望を見つけた目だ。

 それと同時に、左目から更におびただしい数の黒い粒子が出た。

「みうちゃんはもう、僕らの大事な仲間だよ‼ 仲間が苦しんでいるのに、ほうってなんておけないよ‼」

「……いいの? 私が、こんな、何もできなくて、汚くて、いらない子の私が……。陽太くんたちの、仲間でいいの……?」

「うん‼ うんっ‼ いいんだよ‼ 君は、助けを求めた‼」

 陽太は招き猫を未憂の眼前に突きつける。

「あとは君次第だ‼ さあ言って‼ 君は何を望む?」

 陽太は責めることも、急かすこともしなかった。

 ただ未憂に選択する機会を与えていた。

 未憂の左目から出る黒い粒子は、どんどん彼女を包み込んでいた。

「……私は……」

 未憂は招き猫に手を伸ばす。

 ささくれだらけ、あざだらけ、かさぶただらけの手で。一般的には「汚い」とされる、手入れのされていない手で。

 未憂は招き猫の頭に触れる。


「私も、みんなの仲間になりたい」


・・・

 先ほどのマンションから出て行った女性が歩いていた。今度は、一見ホストと見間違えるぐらいの見た目の良い男性を連れている。

 女性は男性の腕を組んで、楽しそうに会話していた。はたから見ると愛し合っているカップルだ。

 

 そんな2人の正面に、未憂が立ちすくんでいた。


「……未憂?」

 女性は顔をしかめながら言った。

「あんた、どうして外に……」

「……えへへ」

 未憂は笑顔でもないのに笑い声をあげた。

「あはっ。あははっ‼ うふふうふ‼ あははははははっ‼」

 未憂は苦しそうな表情をしている。なのに未憂の口からは複数人の楽しそうな子供の声が出てきている。

「み……未憂? あんた……、な、なんな」」

「あはハハハハハハハハハハッ‼」

 女性の声をかき消すほどの笑い声を未憂はあげた。

 

「かんたんだったかんたんだったかんたんだったそうそうだよ悪い魔物は全部全部全部たいじしなきゃなんでなんでなんでもっと早く気づかなかったんだろうあはハハハハッキャハハッああ、なんてかんたんなの‼⁉」


 この間、未憂は一切息継ぎをしていなかった。

 叫び、喚き。

 未憂の体が、変化していく。

 細い手足が太くなり、柔らかい体は陶器と化していく。頭から耳が生え、頭が膨れ上がり大きくなっていく。

 未憂の体が陶器になりながら巨大になっていく。

 女性の背を超え、近くの二階建ての家も超え。いつしか未憂は電線も超える高さの招き猫となって女性たちを見下ろしていた。

「……ねェ。おカアさん……」

 招き猫の、無機質な口が動く。

「ひっ……!」

 女性は男性を置いてすぐに後ろを向いて走り出す。

 一刻も早く、目の前の「化け物」から逃げるためだ。

 

 けれど。


 招き猫は大きな大きな、家を破壊できそうな太い腕を振り下ろす。

 女性は、間に合わなかった。

 女性の体と、招き猫の握り拳の影が重なる。


 そして。


 地面に拳が振り下ろされた。

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