第3話 1 ようこそここはヤミの村③
早く消えて!
どこかへ行って……!
どこか……。
すると。
「……だめ。聞いちゃだめだよ」
西条さんの声が聞こえてきた。先ほどの怒号とは違い、小さな子供に語り掛けるかのような口調だった。
「……さ、いじょ……さん……?」
「耳を塞いで、目も塞いで。少ししたら奴らは退いてくれるから」
僕はすぐに西条さんの言う通りにした。
手で耳をきゅっと塞ぎ、目も瞑って視界に何も入らないようにする。
刺すような空気が僕に襲い掛かるけど、それも知らんぷりして。
しばらくして、そんな冷たい空気も引いていった。「もういいのかな」と思い、僕がゆっくり耳から手を離す。
もう、声は聞こえない。
「……ここに迷いこんじゃうなんてね。……大丈夫だった?」
「あ、あの……。ここ……! それに、招き猫……っ!」
やばい、声ガラガラだ。で、でもそれどころじゃない!
ここ、どこで……! あの招き猫はどうなったとか……! あと、さっきの声は何なのか聞かなきゃ……!
「落ち着いて。混乱しているみたいね。全部説明してあげる。だから、まずはここから出よっ!」
西条さんは右手を差し伸べてくれた。が、彼女の手の甲からぽたぽたと血が垂れている。
「あ、あの……、怪我……」
「あ、ごめんね。こっちだった」
西条さんは左手を差し伸べる。僕は傷のことも聞けぬまま、引かれるままに歩いていった。
先ほどの、さびれた神社に戻ってきた。
境内や社、鳥居が残っているが、どれも今にも崩れそうでしかも苔だらけ。御手洗場なんて水ではなくゴミや葉っぱがたまっている始末。
蛙の声が聞こえてきた。すぐ近くから聞こえる。境内の中にいるんだろうな。
「……大丈夫だった? 災難だったねぇ……」
西条さんは僕の頬をさすりながら言った。
「あ、あの……? なんでほっぺ……」
ある程度冷静になった僕だったが、彼女のスキンシップに戸惑う。
「ああごめん。うん、怪我はなさそうだね!」
西条さんは僕の頬から手を離した。
「昼の反応からも、君はやっぱり『視える』人だったんだね。……あの場で説明するべきだった。ごめんね」
「……西条さん、だよね……?」
僕は目の前にいる小刀を持った女子にそう尋ねる。
なんで彼女は小刀を持っているんだろう。なんで彼女はあんな化け物と戦えたのかな。
聞きたいことが、疑問がたくさん出てくる。
「うん。……で、何から話そうか」
「あの招き猫、一体何なの? あれ、口動いていたし、喋っていたし……」
「……あれをね、私たちは『ヤミ』って呼んでるの」
西条さんは暗くなった空を見上げて言った。
「『ヤミ』……?」
「そう、『ヤミ』。あれはね、怨念や負の感情を人が溜め続けた結果のもの……。人のなれ果てって言えばいいかな」
「人のなれ果て……?」
それって……。
「あれは、人間ってこと?」
「まあ。元人間っていうことになるね」
西条さんは表情を変えることなく答える。
「……信じられない」
それが、僕の率直な感想だ。
「信じられないと思うけど。現に、金森くんはヤミを見ているからねぇ……。そして多分、これからも見ることになる」
西条さんが僕の顔を覗き込んだ。
「ここまではいい?」
「よ、よくないけど……。……僕は、どうして襲われたんだろ……」
「さあ。わかんない」
西条さんは首を傾げる。
「ヤミは総じて人に害を加える化け物なんだけど……。理由は様々だと思う。正直、あの招き猫のヤミは私も初めて見たし……」
「ってか」と、西条さんは僕の目をじっと見る。
「……こっちくる前にヤミを知らなかったの? 見なかったの?」
「な、名古屋じゃ見なかったよ‼ こ、ここに来て始めてあんな化け物を……」
僕がそう答えると、西条さんは「うーん?」と唸り始める。
「先天的なものじゃないのかなあー。それとも都会はヤミが隠れているのかなー……? うーん、なんでいきなり視えるようになったんだろー……」
それは僕が知りたいよ……。
「……えっと、西条さんは何者なの? ヤミを見ていたし、戦ってた……」
「金森くんと同じだよ。私もヤミが視えるの。ヤミはね、一般の人には見えないけど、目に見える害を出してくるの。さっきもコンクリートが抉れていたでしょ。最悪、災害を起こしかねないの。だから被害が出る前にヤミを止めるのが私の役割。この村でヤミが見えるの、私だけだったから」
西条さんは自分の手を見て、包帯を取り出す。
口を使いながらも、器用に包帯を巻いた。
僕は理解した。きっと、右足の傷もヤミと戦ってできた傷なのだと。
「……痛そう……だね」
「心配してくれるの? ありがとうね」
西条さんはハンカチを取り出す。僕の顔についていた泥をハンカチで拭った。
「今日は遅いし、帰ろ。招き猫はどこかへ行ったし。……さすがに、家にまで襲ってこないと思う」
「……うん」
「招き猫が出たらすぐに教えて。あ、L〇NE交換しておこうか」
西条さんがスマホを出してきたので、僕も急いで鞄からスマホを出す。
ぴこりんっと音がして、僕のスマホ画面に西条さんのL〇NEアカウントが映し出される。
「何かあったらL〇NEなり電話なりして。今日は早く帰った方がいいよ。この道をまっすぐ行ったら学校に着くよ。そこからは帰れる?」
「う、うん……」
あ。
まだ、彼女にお礼を言っていないや……。
「……ありがとう」
僕がお礼を言うと、西条さんは「えへへっ」と笑った。
「どういたしまして‼ またね、金森くん‼ また明日‼」
暗い、暗いあぜ道を通り。蛙の声を聞きながらやっとの思いで家に着いた。
制服が汚れていたことでおばあちゃんに心配されたけど、僕は「転んだ」と言うしかできなかった。
今日は、早めに布団に入ることにした。
……。
……。
怖い。
あれが、あの化け物が。人間なんて簡単に壊してしまいそうな化け物が目に浮かぶ。
目を瞑ってしまうと、あの腹からこみ上げる恐怖が襲いかかってくる。
ほんとうに、僕が、何をしたっていうの……。
僕はくまのぬいぐるみを抱きしめ、なんとか眠りについた。
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