第27話:幕府御用船
この半年で幕府は大きく変わった。
オロシャの南下を報告しなかった罪で、松前藩は西蝦夷と東蝦夷の統治権を取り上げられ、松前周辺の和人地域だけが領地となった。
その代償として、陸奥国達郡梁川に九〇〇〇石が与えられた。
家基の改易はするなという言葉に幕閣が従った結果だった。
これにより一万石格の無高大名だった松前藩は、残された松前と梁川を合わせて正式な一万石陣屋大名家とされた。
松前、江差、函館の湊から上がる運上金を考えれば三万石格でもおかしくなかったが、松前藩にかかる軍役を考えれば、表高は少ない方がよかった。
それに、幕府が東西の蝦夷を上手く使えれば、松前藩に残された三つの湊が寂れるのは目に見えていた。
幕府は松前藩に配慮した訳ではなく、幕府が東西蝦夷地の産物を独占するために、家基が船主になっている御用船しか東西の蝦夷に入れない事にした。
御用船以外の船は、これまで通り、松前、江差、函館にしか入れない。
違反する船が出ないように、幕府は蝦夷地の湊に代官を常駐させた。
その効果は絶大で、新潟湊で手に入れた千石船二〇隻は、一年で二往復して四万両もの利益を家基にもたらした。
家基が一〇万八一〇〇両もの大金を投じで建造させた千石船一〇〇隻も、同じ様に一年に二往復して二十万両もの利益を叩きだした。
大阪で建造させた一五〇〇石の三国船と、長崎で建造させた二三〇〇石の弁財船に至っては、なんと一年に三往復もした。
たった一年で建造費に倍する利益が手に入ったのだ。
弁財船の使用期間は三〇年、残る二九年間は経費以外が全て利益となるのだ。
その気があるなら、利益を全て新造船の建造にあてる事もできるのだ。
問題は、新造御用船に乗せる商才のある船頭や航海術に長けた航海士を集める事だったが、それは一人の優秀な船頭と航海士がいれば、船団を組む事で解消さできた。
湊で売買をする必要のない、鰊粕だけを積んで蝦夷と大阪、或いは蝦夷と敦賀か若狭を往復するだけで、鰊粕が五倍から一〇倍の値で売れるからだ。
幕府の御用船が運ぶ鰊粕だから、諸大名は問答無用で高値を払う。
肥料としてどうしても必要だから、少々高くても百姓が買う。
いや、船場商人や領内の商人が利を上乗せしないから、諸大名は安く買える。
安く買った鰊粕に利を乗せて、領内の百姓に専売品として売れる。
それでも幕府の御用船は蝦夷で仕入れた値の五倍一〇倍で鰊粕を売れる。
蝦夷で売る玄米も、諸大名家から年貢米を買う事ができる。
廻船代金を支払って、江戸や大阪に送って換金しなければいけなかった年貢米を、領内の湊か近隣の湊にまで持って行けば、全部幕府の御用船が買ってくれる。
これほど楽に大金を稼げるので、優秀な船頭も幕府の御用船から独立して船主になろうとしなかった。
独立してしまったら、幕府御用船では無くなってしまうので、年に二往復三往復できない。
それどころか、東西の蝦夷地に入れなくなる。
それに田沼意次は、これまで通りの仕来りと、幕府御用船に相応しい仕来りの二つを考えて、船頭に選ばせたのだ。
これまでの仕来りは、船頭以下の乗組員の基本給は樽廻船に比べて極端に安い。
その代わり、船頭は積荷の一割を自由に差配して利益を自分の物にできた。
他の乗組員は、利益の五分から一割を役職に応じて分配してもらえた。
それを田沼意次は、船団を組むのにあわせて変えたのだ。
商才のない、船団長に従うだけの船頭の分配金を五分に下げた。
その下げた五分を、全責任を負う船団長の物にした。
五隻の弁財船を無事に運行させれば、五隻分の五分利益が船団長の物になる。
一〇〇隻の弁財船を安全に運行させられる腕があれば、とんでもない額になる。
このやり方で、優秀な船頭や乗組員を他の弁財船から大量に引きぬけた。
経験のない者でも雑用係として雇って経験を積ませられた。
問題は、沢山の米を蝦夷に持ち込む事で起る米の暴落だった。
同じように沢山の鰊粕を日ノ本に運ぶ事で起る鰊粕の暴落だった。
今の所は大した値崩れも起こさず高値で売買されているが、田沼意次は相場の乱高下を警戒していた。
もう一つの問題は船頭や乗組員による不正だった。
それを防ぐために、船団、独行弁財船に小人目付を最低二人ずつ乗せて不正の監視をさせ、更に船乗りとしての経験を積ませた。
小人目付も船乗りとして分配金がもらえたので、希望者が殺到した。
「利が出た分は、全て新たな三国船の建造に当てよ。弁財船よりも三国船の方が数多く蝦夷と大阪を往復できるのなら、少々高くても全て三国船にせよ」
諸々の理由で家基の命令に従う事ができない田沼意次が問い返した。
「恐れながら申しあげます。三国船を建造できる船大工は限られております。利を余らせる事になりますが、三国船だけを建造させていただきましょうか?それとも利を全て使うために、弁財船も同時に建造させる方がよいでしょうか?」
田沼意次が言うように、南蛮船と唐船の建造技術を持っている船大工は限られる。
彼らの手が空くのを待っていたら、二六万両もの利益を三国船の建造に使う事ができないどころか、使う前に次の年の利益が溜まっていく。
今でも建造に使う金よりも新たに納められる利益に方が多い状態なのだ。
「そうか、ならば仕方がない。弁財船でも十分利益を上げているのだ。利を余らせる事なく、全て新しい船の建造に当てよ」
家基の命を受けた田沼意次は、係の者に一〇〇〇石積弁財船の建造を命じた。
係の者は、銀六七貫、一〇八一両で建造を受けてくれる船大工にだけ依頼した。
そのお陰で、幾らでも船の建造が依頼される、今栄えている湊ではなく、安くても船を建造したい、比較的寂れた湊の船大工達に多くの仕事が回った。
日ノ本六〇余州で、上手く建造の仕事が分散される事になった。
勝手向きに苦しんでいた諸藩に金の流れが生まれた。
船大工から藩に運上金が入るようになったのだ。
家基個人も幕府もとても順調だった。
子宝としか言いようのない竹千代は、病気一つせずに元気育っていた。
次子を宿したお雪の方様は臨月だが、出産に不安を覚えるような問題はなかった。
浜御殿に入った孝宮も、無理な要求をせずに大人しく過ごしている。
仙台藩に預けた島津重濠を助けようとする旧薩摩藩士は現れていない。
敦賀藩に預けた一橋民部卿は座敷牢で大人しくしている。
全て良い方向に向かっていると思えたが、とんでもない事が起きてしまった。
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