第14話:親心と下心

 閑院宮典仁親王は、強い危機感を持っていた。

 これまで毎日届いていた徳川家基の手紙が、ぷっつりと途絶えたのだ。


 次女孝宮の婚約者となった家基は、父親の家治将軍と同じように行儀が良かった。

 過去の将軍の中には、京から迎えた公家の正室を蔑ろにする者がいた。


 閑院宮典仁親王も親だから、娘の事をとても可愛いがっていた。

 幸せな結婚をさせてあげたいと思っていた。

 できれば近くの、京に屋敷の有る公家に嫁がせたかった。


 だが、力も金もない宮家や公家の姫は、武家が望めば、遠く離れた江戸に下向して嫁がなければいけない立場だった。


 宮家である閑院宮家の次女なら相当な大名家、場合によったら将軍家に降嫁しなければいけない。


 皇室、他の宮家、五摂家には次期将軍である家基と歳の合う姫がいない。

 孝宮が家基の正室に狙われているのは嫌でも分かっていた。


 だから出来るだけ早く五摂家か清華家に嫁がせるか、最悪門跡にしようとしたのだが、間に合わなかった。


 閑院宮典仁親王が手を打つ前に、京都所司代から婚約の話が来てしまった。

 次期将軍家からの婚約話が来てしまってから、他の男と婚約などさせられない。


 まして門跡に入れたりしたら、家基に不足があると言っているも同然だ。

 力も金もない宮家がそんな事をしたら、どんな目にあわされるか分からない。

 情けない思いを押し殺して、家基との婚約を承諾した。


 孝宮に辛い思いをさせるかもしれないと、忸怩たる思いをしていた閑院宮典仁親王だが、江戸にいる妹、妹について行った女官達のしらせで、家基が誠実な良い男だと分かった。


 婚約が決まってからは、家基から毎日恋文が届くようになった

 家基からの恋文に、これで孝宮も幸せになれると、ほっと心をなでおろしていた。


 それなのに、突然恋文が途絶えたのだから、閑院宮典仁親王が不安になり調べさせるのは当然だった。


 妹の五十宮倫子女王が、京から江戸に下向した時に付き従って行った女官の中には、今も大奥にあって力を持つ者がいた。

 上臈御年寄の広橋と滝川に手紙を書いて状況を伝えてもらった。


「くっ、やられた、田沼が権力を維持するために女を使って大納言を誑し込むとは……」


 閑院宮典仁親王は自分の油断を嘆いていた。

 家治将軍の時も、世継ぎが必要だと言って妹から家治将軍を遠ざけた意次だ。

 今度は最初から孝宮に家基が近づかないように策を弄してきたのだと思った。


 もしかしたら、家基が孝宮に毎日手紙を書いたから、田沼意次に目をつけられてしまったのかもしれない、とも思った。


 妹の前例に倣う事なく、もっと早く孝宮を江戸に下向させておけばよかったと、心から反省していた。


 反省するだけでなく、何か手を打たなければいけないと思った。

 家基は田沼が送り込んだ娘に夢中で、歴代将軍の命日以外は毎日大奥に渡っていると、広橋と滝川が伝えてくれたのだ。


 閑院宮典仁親王は、急ぎ武家伝奏達に孝宮の下向を早めてくれと頼んだ。

 武家伝奏達も、江戸に下向する孝宮に、親戚縁者の娘を女官にしてもらわなければいけない弱みがあった。


 中級下級の公家の姫では、なかなか大名家には嫁げない。

 中級下級公家の姫は、旗本だけでなく大名の陪臣に嫁ぐ事が多い。


 困窮する公家の姫だと、一度地下役人に養女に出してから、身売りをするように京大阪の商家に嫁がなければいけない哀しい現実があった。


 そんな悲劇を防ぐ方法は、将軍家や大名家に嫁ぐ公家姫の女官にするしかない。

 特に将軍家に降嫁できるなら、連れて行ける女官の数も多くなる。


 将軍家の大奥で立身出世ができれば、元は貧乏下級公家の娘でも、宮家や五摂家以上の力と富を手に入れられるのだ。


 そこまでは無理でも、実家よりも多くの凜米や手当金がもらえるようになる。

 万が一にも家基と孝宮との婚約が解消される事があってはならない。

 そんな事になったら、路頭に迷う公家姫が数多くでてしまう。


 大奥の女官になるはずだった娘の仕送りを当てにしている公家だと、娘を商人の妾に売る羽目になるかもしれない。


 武家伝奏達は、京都所司代の所に日参して孝宮の下向を早めようとした。

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