第13話:一目惚れ
「相良藩家老、倉見金太夫の娘で、長谷川平蔵宣以の養女となりました、深雪と申します、何卒宜しくお願い申し上げます。」
深雪の声を聞いた家基は、銘酒に酔ったようになってしまった。
今まで感じた事のない快感が、耳から頚、背骨を下りて腰から会陰、男根に伝わるり、何も考えられず、ただ欲望が男根に集中する。
何も聞こえなくなり、横に実母が座っている事すら忘れてしまう。
「大納言様?」
深雪が名乗ったのにもかかわらず、何の声もかけない家基を心配したお知保の方が思わず声をかけた。
「あ、面を上げよ」
母親に声をかけられて正気に返った家基は、ここが何所で今何をしていたのかも、直ぐには思い出せなかった。
上段之間を少し下がった場所に座っている実母を見て、ようやく今自分が何をしていたのか思い出し、慌てて声をかけると、深雪がゆっくりと面を上げた。
「なっ」
家基は思わず中腰になってしまった。
顔を見た瞬間、心の臓を鉄砲で撃ち抜かれたのかと思った。
しかも衝撃は一撃では済まず、少し弱まったものの、心の臓が痛み続けた。
「なわ、名は、なんと申す」
深雪が名乗ったのに、その名前が完全に抜け落ちてしまっていた。
聞き返すなど恥ずかしい事なのだが、そんな事は全く思い浮かびもしなかった。
ただただ、今直ぐ名前を知りたい、その想いだけだった。
「深雪と申します」
深雪には家基の驚きなど分からないので、声が小さかったのかと思い、先ほどよりも大きな声でゆっくりと名乗った。
実父と養父の名前も、もう一度言った方が良いのかと思ったが、問われてもいない事を言ってはならないと思い直した。
「深雪、深雪と申すのか……」
家基は言葉を続ける事ができなかった。
徐々に息が荒くなり、血が頭に登って顔も熱を持ってくる。
会陰から男根に向かって得も言われぬ快感が流れていく。
抑えきれない本能、男の欲望が止めどなく湧き上がり、男根が信じられないくらい膨れ上がる。
この時から、あれほど大切だと思っていた孝宮の事をきれいさっぱり忘れた。
家基の顔が真っ赤になり、目が徐々に血走るのを見てお知保の方は驚いた。
愛情のない子作りしか経験のないお知保の方だが、家治将軍の子供を産むために御中臈に選ばれただけに、大奥に代々伝わる多くの知識と技は叩き込まれていた。
だから家基が深雪に一目惚れしたのが分かった。
どうやって家基と深雪を結ばせようかと頭を悩ませていたのに拍子抜けした。
だが、いつまで経っても家基が動かない。
御小座敷を用意しろと言わない。
重ねて声をかける事すらしない。
ただ中腰のまま息を荒くするだけだ。
このままでは何時まで経っても何も起こらないと思ったお知保の方は、遥か下座に控えていた部屋子に手で合図を送った。
長年仕える部屋子は弁えたもので、ほとんど音を立てずに出て行った。
直ぐに戻って来た部屋子は、御伽坊主を連れて来ていた。
「大納言様、他の部屋でお休みになられてください」
部屋子の出入りも、御伽坊主が入って来た事も気付いていなかった家基だが、実母に声をかけられて、ようやく正気を取り戻した。
取り戻したのと同時に、男根が怒張したまま元に戻らないのに困惑した。
更にその状態を実母に知られていると分かって、逃げだしそうになった。
だが、家基にも男としての誇りがある。
女を前にして正気を失った上に、逃げ出す事などできなかった。
まして床入りを前提に御伽坊主まで来ているのだ。
ここで逃げ出したら、西之丸の女全員に憶病者と思われてしまう。
次期将軍ともあろう者が、大奥の女中達に、床入りが怖く逃げ出したと思われる訳にはいかなかった。
「謁見のために身嗜みを整えさせましたが、今一度整えさせます」
実母のお知保の方が、深雪を白無垢に着替えさせると言った。
「あ、ああ」
勇気を振り絞って、剣術の鍛錬のように勇ましくあろうとしたのに、駄目だった。
実母の部屋から出ていく深雪の後ろ姿、黙って目で追う事しかできなかった。
無意識に声とも言えない返事をしただけだった。
いや、家基がそう思っているだけで、実際には無意識に深雪を追ってしまい、部屋の半ばにいた。
「直ぐに用意させますから、お茶でも飲んで御待ち下さい」
実母に声をかけられた家基は、恥をかかないようにするのに必死だった。
教えられていた床入りの手順を思い出すのに必死だった。
全く元に戻らない男根をどうすれば良いのか、心の中で半泣きになっていた。
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