第9話:果断

 長谷川平蔵が浅草仙右衛門を追っている頃、柘植松之丞は独自で動いていた。

 浅草仙右衛門の事ではなく、自分の理想と正義感のために動いていた。


 中忍とも呼べる小頭四人を西之丸に送り込んだが、それ以外の者は未だに直属の配下、中忍下忍として使っていたし、盗賊家業も続けていた。

 柘植松之丞が狙っているのは、旗本御家人を食い物にする札差達だった。


 有名な大岡越前守忠相が江戸町奉行の時に、札差しが幕臣に貸す金の利息は一割五分と決めたのだが、札差どもがそれでは遣っていけないと訴え、一割八分までは相対の相談で増やしていい事になっていた。


 柘植松之丞も、札差が取る利息が一割八分までなら強硬手段にはでなかった。

 ところが札差どもは、勝手向きが苦しい旗本御家人の窮状に付け込み、あらゆる非道な手段を使って一割八分を超える利息を取っていた。


 奥印金と呼ぶ方法は、自分には貸す金がないから代わりの貸主を紹介するという建前で、札差に決められている一割八分以上の利息を取るのだ。

 しかも貸主を紹介した礼金を貸付額の二割も取るのだ。


 月踊りと呼ばれる方法は、貸付の旧証文を新しい証文にする際に、重なる月を作って二重に利息を取るだけでなく、証文の書き換え代として貸付額の二割を取るのだ。


 もっと許せない事は、年貢を払う百姓からまで利を得ている事だった。

 事も有ろうに、江戸以外から幕府に運ばれてくる年貢米に因縁をつけるのだ。


 幕府の蔵役人と組んで、年貢米に屑米が入っていると因縁をつけて、後日余分に持ってこさせた年貢米を蔵役人と札差で折半するのだ。


「伊勢屋、板倉屋、和泉屋の金蔵を空にしてやれ」


「「「「「はっ」」」」」


「不正の証となる証文は残らず盗み出せ」


「「「「「はっ」」」」」


 柘植松之丞が十年以上もかけて仕込んだ盗みは完璧だった。

 町奉行所どころか火付け盗賊改め方も出し抜き、毎夜のように札差の蔵を空にして周った。


 証文を失った札差は旗本御家人に貸した金を取立てられなくなった。

 手元の現金だけでなく、金主から借りていた金を返せなくなった札差は、次々と廃業する事になった。


 これだけでも一定の成果なのだが、柘植松之丞はまだ攻めを緩めなかった。

 盗賊の跳梁跋扈に面目を失った幕府が動くのを待っていたのだ。


「五右衛門、城下で盗賊が好き勝手しておると聞く、何か知らぬか?」


 家基は、美濃部五右衛門茂安に尋ねた。

 美濃部五右衛門は柘植松之丞の実弟で、大番格の二〇〇俵旗本だった。


 長谷川平蔵の推薦で新たに召し抱えた四人の御庭番に話を聞くには、いちいち庭に出なければいけない。


 だが最下級とはいえ旗本ならば、西之丸御殿の中で話しが聞ける。

 そこで仮病を使って小普請組入りしていた美濃部五右衛門を、役高五〇〇石の小納戸として召し出し、御庭番はもちろん柘植松之丞とも連絡がつけられるようにした。


 家基は自分が城下に行けなくなった事と、御庭番まで探索能力を失っている事に危機感を覚えて、独自の探索方を手に入れようとしていた。


 南北の江戸町奉行所はもちろん、寺社地を支配しているはずの寺社奉行所と、関八州を支配下に置いているはずの勘定奉行所が知らない情報を、柘植忍軍が知っている事に危機感を持ったのだ。


 その事実を重視した家基は、柘植忍軍を自分の目と耳とする事にしたのだ。


「義賊が、貧しい旗本御家人を食い物にする札差に罰を与えている事を、御聞きになったのでございますか?」


「義賊だと、幕府の威信を傷つけた盗賊を義賊と申すのか?!」


「札差に三年先の蔵米まで借金の形にされた旗本御家人が、合戦の役に立つと思っておられるのですか?ましてその借金は幕府の御定法を破っているのですよ」


「札差の方が悪いと申すのか?!」


「はい、全ては札差の強欲と御定法破りが原因でございます」


「詳しく話せ!」


 美濃部五右衛門は全てを話した。

 どれほど悪辣非道な方法で、御定法を超える利息を取っているか話した。

 最後に蔵役人までが悪事に加担している事を伝えたら、家基の堪忍袋が切れた。


「断じて許せん、まずは蔵役人を捕らえて全て白状させろ!札差も絶対に許すな!」


「町奉行所の与力同心は、札差の賄賂を受け取っていて証拠を消してしまいます、幕閣の方々にも大量の賄賂を贈り、取り調べを誤魔化してしまいます」


「そのような事は余が絶対にさせぬ!今西之丸にいる番方を全て使って、蔵役人と札差を捕らえさせよ!」


「大納言様直々に呼び出してお命じにならないと、時間稼ぎをされてしまいます」


「ええい、それほど腐敗しておるのか?!余の前に頭どもを連れて参れ!」


 美濃部五右衛門は、上手く行ったと心の中でほくそ笑んでいた。

 それでなくても次期将軍として力のあった家基だが、先の処分で腐敗幕臣を震え上がらせた今では、絶対の権力を持っていた。


 ただ一人残った子供である家基を、家治将軍は溺愛している。

 以前の家治は将軍として家基に接していたが、家基が刺客に殺されかけてからは、愛情を取り繕わなくなった。


 絶対の信頼を寄せていた田沼意次よりも、家基に対する愛情の方が上回っていた。

 そんな家基が、武断な行動で堕落した名門旗本を断罪したのだ、家治将軍も手放しで褒め称えて同調する。


 家治将軍と大納言家基は、西之丸に付けられた名門旗本の半数と、彼らを庇おうとした大身旗本を召し放ちにした。


 幕府の威信を傷つけた者は斬首にまでした。

 それで収公された知行地と凜米は、一〇万石にもなっていた。


 無能で幕府の御政道の邪魔をするだけの旗本を首にして勝手向きを良くしたのだ。

 家治将軍の家基への溺愛は更に加速していた。


 家基の旗本御家人に対する統制力は家治将軍と変わらないくらい強くなっている。

 何かあれば、切腹どころか斬首までする果断な武将だと思われているのだ。

 事前に家治将軍の許可を貰わなくても、幕閣を無視した命令を下す事ができる。


「旗本に御定法を超える利息で金を貸していた札差を、全て捕らえて来い!捕らえた者共は、火付け盗賊改め方の牢に入れておけ!町奉行所など気にするな!」


「「「「「はっ」」」」」


 家基は、出仕している西之丸付の全番方の頭を中奥御座之間に呼び出して、厳しく命じた。


 頭どもは、西之丸の警備に必要な人間を残して城下に向かった。


「大納言様、南北両町奉行と本丸の老中若年寄を呼び出してください。捕らえられた札差の家人が、賄賂を送って無罪放免させようとします。大納言様が事前に厳しく命じておけば、彼らもこれ以上賄賂を受け取りません」


「そんな事までしなくてもよいであろう。四の五の申したら、腰抜けどもと同じように召し放ちにしてくれる!」


「大納言様、清濁併せ呑むのが上の立つ者の器量でございます。大納言様が貧しい幕臣を救おうと、我らに盗みを命じられたのと同じでございます」


「なっ、札差に盗みに入ったのは、お前達だったのか?!」


「何を驚いておられるのですか?草の根を分けてでも浅草仙右衛門一味を捕らえよと命じられたのは大納言様でございます。幕臣を戦える武士に戻すと申されたのも大納言様でございます。その命に従って幕臣の借金を無くし、何時でも合戦に行けるようにしたのでございます」


「余を罠に嵌めたのか?」


「いえ、大納言様の望みをかなえるために、働かせて頂いただけでございます」


 美濃部五右衛門は涼しい顔をして答えた。

 これで家基の弱味を握る事ができた。


 次期将軍ともあろう者が、忍者を使って商人から金品を盗ませた事になったのだ。

 こんな事が幕臣や大名に広まってしまったら、将軍となる資格を失ってしまう。

 超箱入り育ちの家基はそう思ってしまった。


 だがそれは大きな間違いだ。

 将軍ならば、表に出ないところで悪逆非道な行いも平気でしなければいけない。

 織田信長などは、堺などの交易都市を脅して軍資金を出させている。


 いや全ての戦国武将が、略奪をしない事を条件に村々から軍資金を出させている。

 幕臣を騙して暴利を貪る商人から盗むのは、戦国の武士なら当然の事だった。


 少なくとも徳川家康なら平易でやっている。

 この場に田沼意次や長谷川平蔵がいたら、脅しにもなっていなかった。


「……分かった、だが絶対に知られないようにせよ」


 柘植松之丞の目的は着々と叶い、幕府を蝕む者が処刑されて行った。

 最初に処刑されたのは、御定法を破り幕臣を騙して暴利を得ていた札差だった。


 家族も連座処分で斬首され、親戚縁者も重追放にされた。

 当然札差は闕所となって、家屋敷はもちろん金銀財宝も幕府に収公された。


 これで旗本御家人が札差に支払わなくてすむようになった借金は、百三十万両にも及んだ。


 更に闕所処分で幕府に収公された金銀財宝が三十六万両もあった。

 当然の事だが、これで処分が終わった訳ではない。

 札差に資金を出していた金主にも厳しい罰を与えなければならない。


「豊前守、もう失敗は許さん。家臣が賄賂を受け取って幕府の威信を傷つけたばかりか、余を殺す手助けをしたのだ!札差を通じて幕臣に金を貸していた僧と神官は、どれほど高い官位を授かっていようと容赦せずに捕らえよ。寺社のある金品は一文銭一枚残さず持ってまいれ!抵抗する者はその場で斬り捨てよ!今度家臣が賄賂を受け取って罪人を逃がすような事があれば、お前だけでなく九族斬首されると思え!」


 家基の厳しい言葉に牧野豊前守惟成は震え上がった。

 幕臣に対する処分を見れば、この言葉がただの脅しでないことが分かる。

 家基が九族全て処刑すると言ったら必ずやると恐れおののいた。


 狭い解釈なら、高祖、曽祖、祖父、父、自分、子、孫、曽孫、玄孫までだが、家基の事だ、広い解釈で、母族三代、妻族二代まで斬首されるかもしれない。


「必ず、必ず下知通りにさせていただきます!」


「さっさと僧と神官を召し捕ってまいれ!」


 札差の次に処刑されたのが、札差に元金を貸していた者達、金主だった。

 金主は、豊かな商人、金に余裕のある公家と寺社だった。

 その内の商人は、両町奉行所ではなく、家基が命じた番方が捕らえた。


 両町奉行には屈辱以外の何物でもなかったが、与力同心の九割が家基を襲った浅草仙右衛門から賄賂を貰っていたのだから、無能扱いされてもしかたがない。


 その与力同心が全員斬首となり、町奉行所の機能が破綻してしまっていた。

 新たに与力同心として送られてきたのは、小普請組入りしていた者達だ。

 そんな小普請組入りしていた者達は、何の役にもたたなかった。


 それも当然だろう、本当に有能で役に立つなら小普請組にはいない。

 幕臣だったと言う気位が高い割には無能な者が多く、全く役に立たない。


 家基からは、役に立たない者は召し放てと言われているが、そう簡単に召し放ちなどできないので、奉行と残った与力同心が不眠不休で役目を教えている所だった。


 番方に捕らえられた金主商人二三七人は、札差と同じ理由で斬首にされた。

 幕府に収公された家屋敷金銀財宝の総額は、一七九万両もあった。


 とはいえ、これは宝暦年間に幕府が大阪商人に命じた御用金より少し多いだけだ。

 宝暦の大阪御用金は、二〇四人の大商人に一六九万八〇〇〇両を命じている。


 江戸で札差を通じて旗本御家人に金を貸していたのも、大商人達ばかりだった。

 そんな者達の全財産を没収したのだから、当然の額とも言える。

 次は生臭坊主と生臭神官だった。


「捕らえよ、この寺にいる者は誰一人逃すな!」


 四人の寺社奉行は、月番に関係なく、目を血走らせて札差の証文に書かれていた金主僧と金主神官を捕らえた。


「全てだ、この寺にある物は、御本尊を除いて全て運び出せ!」


 中には徳川将軍家との関係を持ち出したり、寺社権威の高さを盾にとったりして抵抗する者もいたが、そのような者は寺社内で血みどろになるくらい叩きのめされた。


「銭一枚盗むな!盗んだ者は九族皆殺しにする!」


 命と改易が掛かっているのは、四人の寺社奉行だけではないのだ。

 妻の実家である大名家、母の実家である大名家も、命と改易が掛かっているのだ。


 全ての大名と幕臣が、家基なら嬉々として九族皆殺しにすると恐れていた。

 実際にそのような噂が大名と幕臣の間に広まっていた。

 だから家基に目をつけられた大名幕臣の九族に当たる者は、必死で手助けする。


 寺社奉行の九族に当たる大名と幕臣は、最低でも四人合計で十二藩、その江戸詰め藩士を総動員して金主僧と金主神官を捕らえ続けた。


 結局、二四一人の僧と神官が斬首にされ、寺社から収公された金銀財宝は二〇七万両にも及んだが、それだけの金を私利私欲のために蓄えていたのだ。


 これだけで済めば、家基も幕閣も頭を痛める事はなかった。

 家基であろうと簡単に手出しできない者達がいた。

 札差の金主になっていた公家をどう処分にするのかが問題だった。


 江戸での激烈な処分を知った京の公家たちは恐れおののいた。

 今までの幕府からは考えられない厳しい処分だったからだ。


 それも、家治将軍ではなく次期将軍である大納言家基が親政しているのだ。

 家基の残虐非道な性格は公家の間にも広まっていた。

 これまでの常識から言えば、公家が処刑される事はなかった。


 だが今回は、徳川家と関係の深く由緒もある寺社の高僧や宮司が処刑されている。

 公家だからといって絶対に処刑されないとはいえなかった。

 そこで金主となっていた公家は、生き残るために先に謝り責任を取る事にした。


 知らなかった事とはいえ、幕府の御定法を破って幕臣から暴利得ていた事を詫びると言って、出家隠居した。


 その事を天皇からだけでなく、家基の義父になる予定の、閑院宮典仁親王も通して二重に詫びてきたのだ。


 もちろん天皇からも閑院宮典仁親王からも助命嘆願が届けられていた。

 若くて真面目で融通の利かない家基は深く悩んだ。

 同じ罪を犯しているのだから、罰は公平にしなければならない。


 だが、宝暦事件と安永の御所騒動で関係が悪くなっている天皇や公家と、これ以上揉めないで欲しいと幕閣から言われてもいる。


 これだけなら家基も断じて厳しい処分を下したのだが、問題は義父となる事が決まっている閑院宮典仁親王だった。


単に婚約者の父親というだけではないのだ。

養母となった、家治将軍の正室、五十宮倫子女王の兄にあたるのだ。


 もし、孝宮との婚約が解消されるような事があっても、閑院宮典仁親王が伯父である事は変わらない、血は繋がっていなくても、姻族としては伯父なのだ。


 血族や姻族を大切にしなければいけない将軍家としては、その助命嘆願を完全に無視する事はできなかった。


「主殿頭、どうすれば良いと思う?」


 一番頼りになる長谷川平蔵が側にいないので、家基は田沼意次を頼った。

 最初は家基付の若年寄酒井播磨守忠香を頼ったのだが、真面目なだけが取り柄の播磨守は、妙案を出してはくれなかった。


 そこしかたなく父である家治将軍に相談したのだ。

 当然の事だが、家治将軍は最も信頼する田沼意次に相談しろと言った。


「大納言様、出家は世俗を離れて死ぬも同然の事でございます」


「だが余はその出家した僧や神官を斬首させておる」

 

 家基は、罰は公平に与えなければいけないと言う考えに囚われていた。


「大納言様が斬首された僧や神官は、戒律を破って世俗から離れず金貸しという悪行をやっておりました。つまり僧でも神官でもなかったのでございます」


「それは屁理屈ではないか?屁理屈で罰を公平に与えていないと後ろ指を指される」


「大納言様、人には持って生まれた身分というものがございます。身分によって差がつくのは当然の事でございます」


「それは分かっておる、分かってはおるが、余りにも差があるのは……」


「ならば出家に加えて島流しになされよ。古より、幕府に謀叛を企てた公家の処分は島流しとき決まっております。出家させて島の寺に住まわせれば、それほど差はありますまい」


「ふむ、公家として最大の罰である島流しなら平民の斬首と同等か……」


 家基はしばらく考えていたが、まだ完全に納得できないようだった。


「平民は全員闕所にしておる。将軍家との関係の深い由緒ある寺社からも、ご本尊以外の金目の物を全て収公しておる。それと差があり過ぎないか?」


「ですが公家を完全に潰す訳にはいきませんし、闕所にするわけにもいきません。証文に残っている不当に得た金銭の倍を支払わせましょう、貧しい公家には十分な罰になります」


 完全には納得できなかった家基だが、他に良い思案もなかったので受け入れた。

 知らせを受けた天皇は、最初は出家したにもかかわらず島流しにするのは酷いと文句を言っていたが、多くの高僧や宮司が処刑されていると聞かされて渋々納得した。


 それに、これまでの島流しと違って、食べるのも困るような状態ではない。

 天領である隠岐の寺社に預けられ、天領を預かっている松江藩松平家が保護してくれる、飢える事のない島流しだった。


 僧も神官もほぼ皆殺しにされた、徳川所縁の寺社よりも遥かに優遇されていた。

 帝が島流しで納得したので、処分は終わったが、問題はこれからの事だった。

 幕臣の収入が年貢米か凜米である以上、誰かに米を換金してもらう必要がある。


 換金するだけで暮らしていけるなら良いのだが、勝手向きが苦しい幕臣は、年貢米を担保に前借しなければ暮らしていけない。


 これまでは、それを札差がやっていたのだが、皆殺しになっている。

 札差だけでなく、札差と関係のある商人も皆殺しにしているのだ。


 このままでは、幕臣の米を換金する者も金を貸す者もいなくなる。

 その事を田沼意次から指摘された家基は、自分の浅はかさに赤面した。


「余は何も考えていなかった、悪人を成敗すればそれで済むと思っていた」


「大丈夫でございます。大納言様には多くの家臣がおります」


「良き考えがあると言うのか?」


「ここは城下で評判になっている大納言様の威名を使えば良いのです」


 田沼意次は、この度の処罰に関係していない商人を、新たな札差とすればいいと献策した


 東照神君の頃に定められた札差の手数料は、百俵につき金三分だった。

 今回の札差一味の処分、札差から借りていた金の徳政令によって、多くの幕臣が直ぐには借金をしなくても良くなっていた。


 誰でも良いから、真っ当な米相場で年貢米と凜米を換金する者がいれば良い。

 病気などの突発的な理由で金を借りなければいけない少数の幕臣に対応できれば、借金で苦しむ幕臣を出さずにすむ。


 それと、悪事に加担していた蔵役人も全員斬首の処分を受けている。

 直接の上役である蔵奉行は切腹し、更に上役に当たる四人の勘定奉行も、その言動に応じた賞罰を受けていた。


 蔵役人から賄賂を受け取っていた勘定奉行の太田市左衛門正房は切腹させられた。

 家は改易となり、家族も軽追放にされた。


 石谷備後守清昌は、優秀で悪事にも加担していなかったので、厳重注意で済んだ。

 桑原能登守盛員は、まだ勘定奉行になって二年だった事と、特に悪事には加担していなかったので、厳重注意をされるだけで済んだ。


 ただ後に、大御所になっていた徳川吉宗や、世継ぎ時代の家治将軍の側近くに仕えた、紀州閥だから処分されなかったと言う悪評が流れた。


 この噂が、名門風を吹かせる譜代幕臣と、紀州閥と陰口を言われる今の将軍家との確執を如実に表していた。


 残った最後の勘定奉行、安藤弾正少弼惟要にも何の処分も下されなかった。

 悪事に加担していなかったのは勿論だが、逆に善行が大きく取り上げられた。


 道中奉行を兼帯していた時に、武蔵大宮宿で脇本陣を兼ねていた北澤家の失火により、八五軒を焼く大火が起きた。


 安藤弾正少弼は、幕府の御用金と御用米を臨機応変に使い、大宮宿を救っていた。

 そのような者を、配下の卑役人の悪事を理由に処分する訳にはいかなかったのだ。


 太田市左衛門正房の切腹で一人欠員ができた勘定奉行には、京都西町奉行だった山村信濃守良旺が任じられた。


 山村信濃守は京都西町奉行として禁裏の不正を摘発するという手柄を立てている。

 安永の御所騒動と呼ばれている不正だが、朝廷の地下役人が幕府から朝廷に融通される無利子の融資を横領していたのだ。


 単に横領していただけでなく、京の商人から賄賂を受け取り、幕府の批判までしていたのだ。


 結局、不正にかかわっていた地下役人のうち四人を死罪、五人を遠島、残る一五四人が追放や解官といった処分を受けている。


 新たに加わった山村信濃守と残った三人の勘定奉行に、これまでの札差に成り代わる者達を指導監督させた。


 千代田の御城の中にある御殿勘定所と大手門内の下勘定所に加えて、猿屋町に幕臣に金を貸す勘定所を作る事になった。


 作るとは言っても、闕所となって幕府の財産となった商人の家を流用するだけだ。

 幕臣が猿屋町勘定所に金を借りに来た時は、幕府の資金を使って貸す。

 年貢米や凜米を担保に幕府の資金を貸す。


 金利はこれまでの一割八分から一割に下げる。

 実務は新たな札差が行い、勘定奉行所の役人が指導監督監査を行う。

 利息の取り分は、事務運営をする札差が二分、金主の幕府が八分とした。


 ここまでやって、幕臣が年貢と凜米で暮らしていける状態になった。

 ただ、一連の処分のお陰で、試し切りに使える人間の死骸が大量にできた。


 吐き気のするような現実だが、人間の死骸を使った結核薬も大量生産された。

 ただ実際には、直ぐに斬首させられた者も切腹させられた者も少ない。


 温情ではなく、家基の理想と山田浅右衛門の現実の為だ。

 多くの死刑確定者が、牢屋で生かされ続けていた。


 家基は、新たに町奉行所の与力同心になった者達だけでなく、幕臣にも斬首役をやらせたかった、山田浅右衛門は、試し切りの依頼に応じて死骸が欲しかった。

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