第9話 座敷童の変容 ~説明機能としての妖怪~
みなさん、不思議は好きですか?
私は大好き
身近な不思議は手品やイリュージョン、謎解きミステリ、推理ドラマといったエンターテイメントから、ナショジオやヒストリーチャンネルみたいな番組も好き
なぜ?
と思ったことに、一定の回答が得られることが心地良い
私にとって理解できないことは最大のストレスで、納得できるかどうかはさておき、一定の答えを得ることで「なぜ?」というフラストレーションが解消される
提示された回答を理解する必要があるから、知らん言葉をそれっぽく並べた回答では余計にフラストレーションが溜まるが…
そのため、元々知識量が少ない分野では、回答として提示されたものを理解するのにエネルギーが必要となり、回答を理解しようとする最中もフラストレーションが溜まり続けることから余計にイライラして「この分野はキライ!」となりやすい
自分自身のこういう原理を子供の頃に理解していたら、数学や英語ももっと頑張れたのではなかろうか……と少し思う
自分がそうだから。
というのではないが、人は「なぜ?」と問うことが好きな生物だと思う
そもそも学問というものが「なぜ?」を追求して積み上げられたものだし、小さい子などはすぐ「なんで?」と聞く
欲しいものを買ってと親に言い、ダメだと言われても納得できない
なんでダメなの?
と、聞いた人は多いし、聞かれた大人も多いだろう
日常に潜む多くの「なぜ?」に対して提示された回答のひとつに、妖怪がある
幸運にも日本人にとって妖怪は今なお身近な存在である
だいぶ大きな大人達はゲゲゲの鬼太郎、もっと若い世代は妖怪ウォッチという親しい友人がいるからだ
そして大きな大人達の世代を更にぐっと遡ると、江戸時代の妖怪の一大ブーム鳥山石燕なんかに辿り着く
そこからどんどん遡るとと、海を飛び越え秦代あたりの中国まで行き着くことになる
みんな大好き山海経だ
妖怪、怪異といったそれは、日本の歴史の中で普通に登場し、またそれを誰もおかしいとか非現実的だとかフィクションだ、などと言わずにすんなり受け止めている
鬼斬りの名刀や、破魔の弓、悪さをする怪異を法力でボコって改心させる坊主の話など、どれがオリジナルかわからん程の数があるが、現代の我々から見ても「そういうもん」として受け止めるフシがある
逸話というのはそういう「不思議」が含まれているものだ、というお約束と言っても良い
そういうもん。として聞いているからと言って、では100%それが「事実」だと思っている訳では当然ない
多くの場合…というか、おおむね99.9%はそんな不思議を信じていない。
民俗学の徒は鬼、蜘蛛、河童といった物の怪達は、朝廷という主流にまつろわぬ土着民の総称であって、当時「人間」扱いされていなかっただけの人であると理解している
ある地域の八部族の一斉蜂起と朝廷による討伐を、朝廷側の視点だけで書き上げて流布したものが八岐大蛇討伐という形の怪異として残るのだ、と
こういった民俗学的アプローチとは別に、妖怪には科学的要素も含まれている
鬼火や狐火のような不思議、鉄砲水や地震といった自然現象、ぱっと見では理解ができない様々な現象に対して、人々はひとつひとつに対応する「理由」として「妖怪」を設定した
こういった説明機能としての妖怪のひとつに座敷童(ざしきわらし)というものがある
妖怪に興味がない人は読まずに飛ばしているとは思うが、とりあえず何でも読んでみようというアグレッシヴタイプの読者も中にはいるかもしれない
簡単に座敷童のモデルケースを紹介しよう
とある村の話である
山奥の村なのか、農村なのか、江戸近郊の村なのか、と聞かれれば大元は遠野の話で、つまり今の岩手県の妖怪である
座敷童は子供の妖怪である
見た目は五つか六つの幼子だとされ、普段は見ることができない
どこの家にも居るという妖怪ではなく、普段はどこに居るのかサッパリわからないのだが、どうも家から家へと移る特性を持っている
一般人に目撃されるのは、この引っ越しの時である
それもリアルタイムで目撃される訳ではなく、ずっと後になって「そういえばあの時」みたいな非常にふんわりした目撃のされ方をする
そういう存在だ
これが逸話として残ると、ざっと次のようなものになる
とある村に権兵衛という男が居た
権兵衛はその日暮らしの薪売りで、薪のほかには籠やら蓑やら桶やらを作ったり修理しては米や野菜を分けてもらい、またある時は山菜などを採って暮らしていた
誰に対しても親切で、特に、権兵衛の作る籠は目が細かく丈夫な上に作りも良く、やがて隣村や山ひとつ向こうの村からも、わざわざ権兵衛の籠を買い付けに人がやってくるようになった
そうこうして、籠編みだけでなく細工物も多く手掛けるようになり、いつしか弟子もとり、権兵衛はこの辺りの村一番のお大尽となった
裕福になった権兵衛は綺麗な嫁さんをもらい、子宝にも恵まれ、何不自由ない暮らしを送るようになった
貧しい頃には誰に対しても親切だった権兵衛だったが、溺愛する子供たちが大きくなる頃には貧しい村の者を「貧乏人」と蔑み、権兵衛に直してもらおうと、穴の開いた桶や籠を持ち込んだ村の馴染みを追い払う程に毛嫌いするようになった
村の者はだんだん権兵衛の屋敷に近寄らなくなった
そんなある日、隣村に住む仁兵衛という男が籠の買い付けにやってきた
仁兵衛は元々山向こうの村の、もうひとつ先の村の出である
不慣れな道に、ついでとばかりにあちこち立ち寄ったせいですっかり遅くなり、今夜はどこかに宿でも頼んで籠の買い付けは明日にしようか、などと思って歩いていると、夕暮れ時だというのに幼子が二人、向こうから歩いてくるのが見えた
仁兵衛がやってきた方は村の外へと出る道である
こんな時間に、はて…どこの子だろう? などと不思議に思いながら見ていると、すれ違いざまにこんな話が聞こえた
「権兵衛はもうダメだね」
「うん、ダメだね」
それで思わず、仁兵衛は「ちょいと」と子供達に声をかけた
「お前さん達、こんな刻限にどこへ行くんだい? そっちは村はずれだろう?」
すると子供はまっすぐ仁兵衛を見上げ、口を揃えてこう言った
「山向こうの弥助のところへ行くんだよ」
「行くんだよ」
「弥助は働き者の正直者だよ」
「弥助は親切者だよ」
「行こう」
「行こう」
まるでやまびこのように二人の子供は口々に言って、仁兵衛が止めるのも聞かずに村はずれへと続く道を歩いて行った
仁兵衛はその後も度々籠を買い付けに村へやってきた
長い冬も明けた、ある年の春のこと
いつものように籠やら飾り物やらを買い付けにやってきた仁兵衛は、すっかり顔馴染みになった村の者から山向こうに住む腕の良い若者の噂を聞いた
弥助という名で、随分と質の良い紙を漉くらしい
それ以外にも手先が器用で、村の者に頼まれれば大抵のものを打ち直してやるのだという
最近では弥助の紙の噂を聞きつけて、遠くの商人がわざわざ足を運んでいるらしい
商人はお殿様への良い献上品を見つけたと大層喜んで、それはそれは弥助を大事に、嫁取りの面倒までみようかという程だと聞いて、そこでようやく、仁兵衛はあの日の子供のことを思い出した
「なるほどなあ、そりゃあきっと、権兵衛のところに居た座敷童で違いない」
仁兵衛から話を聞いた村人達は口々にそう言った
それからしばらくして、権兵衛の屋敷は見る影もなく没落した
荒れ果てた屋敷と残った蔵の中には何もなく、権兵衛の行方も杳として知れず、残っていた屋敷の跡もそのうち火が出てすべて焼け、後には結局何一つ残らなかった
まあ、そんな流れである
座敷童譚というものは、
A 特定個人の隆盛
B 特定個人の没落
という前後に分かれる
隆盛の原因は人柄の良さだったり、生産品の質の良さだったりするが、いわゆる運の良さ、ツキの良さ的なふわっとした成功の秘訣である
ひと財産築く要因として不可能ではないが、それが絶対とは思えないものだ
権兵衛の籠はよく売れるが、権兵衛の隣に住んでるAさんが作る籠と果たしてどのくらい差があるかというと、たぶんそんなに差はない
隣のAさんから見て自分が作る籠と権兵衛の籠を比べ、まあ…自分よりはちょっと上手い…けどさあ? ぐらいの差だと、籠売りで財を築いた権兵衛に対してモヤモヤしたものが溜まる
これがド素人と人間国宝みたいな差があると、Aさんは諦めがつく
人間、そんなものである
特段コレという理由がわからないまま財を成し、ツキを掴んで勢いを味方につけた権兵衛だが、人生というのは良いことも悪いこともやってくる
単純に人から恨みを買うことも増えるし、財産が増えればお零れに預かろうとする者、財を騙し取ってやろうとする者もいるだろう
持ち慣れない財を成すと人間不信になるのは現代でも割とよく見られる
そうでなくとも事業の失敗などで普通に家が傾くこともある
こういった事情で没落する訳だが、これまた明確にコレという理由を一つ挙げるのは難しい
現代風に言えばしくじり企業の大失敗の理由を一つに絞り込めというのと同じだ
企業が破産する程の大失敗はいくつもの小さな要因が複雑に絡み合って、結果的に防ぎきれずに倒れるものであって、どれか一つの要因をクリアできたら防げたものでもない
ここで登場するのが「座敷童」という説明機能である
権兵衛が成功したのは座敷童が憑いていたからである
だが慢心して他人を顧みなくなった権兵衛に愛想を尽かして座敷童は出ていった
向かった先は紙漉きの弥助のところである
座敷童のおかげで成功した権兵衛は、座敷童に出て行かれたから没落した
その証拠に、座敷童が行くと言っていた弥助は商人に見出されて、今や成功を手にしている
このような流れになる
ここで面白いのは、権兵衛が隆盛を誇っている間に座敷童は出てこないことだ
座敷童の存在が第三者(↑の例では仁兵衛)によって確認され、それが共同体の内部で共有(↑の例では仁兵衛から話を聞いた村人達)されるのは、必ず没落のオーラを感じ取った辺りか、実際に坂を転げ落ち始めたな、と誰もが思う頃である
実際は「誰が見ても落ちぶれてきた」「かつての勢いがなくなった」と判断された頃になって、ようやく「そういえば少し前に座敷童を見た」という話が出てくるのである
それでどうして今、こんな座敷童の話をしているのかと言えば
本来は誰か個人の隆盛と没落を説明する機能だった座敷童が、現代に於いては不特定多数の幸運の理由として機能するようになったのが、私個人的に大変面白かったからである
何のことかと言えば、座敷童が出る旅館、座敷童に会える宿、というのが人気の観光スポットになっているのだ
コロナ禍で一時期大打撃を受けた観光産業であるが、政府が進めるGoToキャンペーンなどの後押しを受けて何とか踏み止まっている
座敷童が出ると噂の宿がある、というのは私がまだうら若き乙女だった頃から耳にしており、既に民俗学にどっぷり首まで浸かっていた私は「見えたらアカンもんが見えてなぜその宿はつぶれない?」と首を捻った覚えがある
第三者が座敷童を見る時は、座敷童がその家から離れる時である
つまり、宿で座敷童に会えるということは、その宿から座敷童は出て行くはずで、座敷童が出て行くということは即ちその家の没落を意味する
いや、座敷童なんて居る訳ないんだから、非現実の存在を前提に、出て行くから没落するっておかしいやろ!
と思う人もいるだろう
それは逆なのである
なにせ、家が隆盛を誇り続けている間は座敷童の存在が確認されることは絶対にない
家が繫栄し、そこから没落して初めて、
過去に遡って「繁栄したのは座敷童がいたから」と理由付けされるからだ
つまり、ずっと栄え続けていれば、単に成功者のお大尽なのである
それが代替わりしても続いていれば、その家は庄屋となったり領主となったりするのであって、その家が没落することになったら座敷童のせいになる
説明機能というのは、そういうことである
つまり、座敷童に会える宿があるという噂を耳にした私は、当時「ちょっと事業が傾いているのかな?」と思っていた
それからウン十年経ったが、現在でも東北には座敷童に会える人気の宿が結構ある
そこに泊まって、運よく座敷童に会えると、見た人は幸運になれるそうだ
姿が見えると決まった訳ではなく、走り回るような足音を聞いたり、写真に光の玉が映り込んだりするらしい
そういうラッキー体験をした人はその後幸運に恵まれるという
一種のパワースポット的なものとして、ウン十年ずっと座敷童が出続けているのである
これを非常に、面白いと感じた
座敷童というひとつの説明機能は、その形を変え、現代に於いては「幸運の使者」として人々に受け入れられているのだ
座敷童に会いたいとその宿に泊まり、ラッキーにも何らかの体験をした人は、その後に訪れた自らの成功を「あの時、座敷童に会えたから」と納得する
運もツキも、人の力の及ばないものである
そして、人々は努力をどんなに重ねても上手くいかない時があることを知っている
運に見放されたとか、運が無かったとか、そうやって納得しようとする
かつて、我々日本人のすぐ傍には多くの怪異があった
目に見えないもの、理解できない「なぜ?」に対して、人々は八百万の神や妖怪の力を借りて、ある一定の回答を得ることで様々な不思議を制御してきた
科学技術の発達した現代に於いては、多くの怪異はその不思議のベールを奪われ住処も行き場も失ってしまった
地震は大鯰の身じろぎではなく、大陸プレートの沈み込みが原因で発生する
山で急に酸欠になるのは、山の精の悪戯ではなく、窪地に地中から噴き出すガス溜まりが出来ていたからだ
様々な怪異が姿を消しても、座敷童のように新たな意味を与えられる存在がある
日本語はまるで生き物のように進化する
現代の新しい「座敷童」も、そうやって進化した日本語なのかもしれない
そんなことを思う
2024.5.2 なごみ游
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