第8話 枕草子で思うこと

春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

夏は、夜。月のころは、さらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りていくも、をかし。雨など降るも、をかし。

(後略)


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(私訳)

春は夜明け頃が良いと思うんだよね~

だんだん夜が明けてくると、山の端っこが逆行でこう、明るくなってくるじゃん?

夜の濃い暗闇がだんだん照らされると、うすーい紫っぽい色になって、そこにうっすら白い雲なんかがこう、細くスゥ~~~っと浮いてると、超風情ある


夏はさあ、夜だよ。

月が出てるとやっぱ良いよね。うん、良い。でも月が見えなくて真っ暗っていうのも、それはそれで良いんだよね。

蛍が群生してるとキラッキラで綺麗だし、川べりなんかで一匹か二匹、草に止まってほわぁ~って光ってるのも、なんかしんみりしてて良いよねぇ。

雨がさぁ、しとしと降ってて、そういうのも超風情ある。

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平安時代

煌びやかな平安文化の醸成によって、時代の貴族達が見栄と意地を張り合い、右手で握手をしながら左手で呪詛を掛け合いながらも狭い朝廷だけを「人間社会」として共存せざるを得なかった頃

時の中宮定子に仕えたキャリアウーマン清少納言によって執筆された「枕草子」という随筆がある

中学でも高校でも古典と言えば!のレギュラー作品であるこの随筆は、日本三大随筆のひとつに数えられ、おおよそ1000年前には完成していたという時代間ギャップも飛び越えて、今も日本人の心を打つ文学作品として名高い

当時は助詞の使われ方が異なっていたため「まくらのそうし」ではなく「まくらそうし」と呼ばれていたというが、学術論文でもないので、普通にまくらのそうしと読んで構わない


さて。

同時代に活躍するキャリアウーマン紫式部が、恋多きイケメン貴族の光源氏を主人公に、登場人物達の心情、心理描写に振り切った「もののあはれ」として源氏物語を記したのに対し、枕草子は分類と観察から生み出された「をかし」という知的美に振り切ったものである

個人的には、今っぽく言うと

・ハリウッドが総力をあげて撮影した恋愛・ヒューマンドラマ

・キレッキレに世情を皮肉るラッパー

このくらいの差がある


どちらが優れているとか、そういうものではない

カテゴリがもう違うのだ

私は物語に「感情」を求めるタイプである

登場人物すーぐ付き合って結婚するぅ~と言いながら、アメリカ産のドラマを見る

ポリコレだフェミニズムだ、色々言ってはいるものの、アメリカ産ホームドラマのオーソドックス、あるいはステレオタイプなイメージに好感がある

逞しくて頼りになる男性、知的で負けん気の強い女性に、恋愛好きで陽気でセクシーな女性、キリスト教的価値観が垣間見える神聖視された結婚、そういうものが嫌いではなく、作中で人物が悩み、迷い、傷つき、再起するのを、まるで自分のことのように受け止める

架空の人物だ、フィクションだ、とわかっていても

役名の方にリアリティと共感を感じ、彼らの表情に、その姿に、生きざまのようなものを見る


なので、若い頃も今も、イケメン貴族の華やか恋愛模様である源氏物語は大好きである

少女漫画の金字塔とも言える大和和記先生が描く『あさきゆめみし』(講談社コミック)など、風呂の中まで持ち込んで読み漁った


一方、枕草子に対してはそこまで興味が持てなかった

これは別に枕草子が劣っているのではない

視点が違うだけのことである

枕草子は「彼」とか「彼女」とか、チャラいナンパ男の刑事とか、そういう個人情報をできるだけそぎ落とし、一の段を見てもわかるように、主語である「私」すら情報として切り捨てて、シャープで尖った事実を書き綴るからだ

今は随分大人になり、文脈を読むとか、行間を読むとか、予測するとかいうのも若い頃よりは多少できるようになったから、一の段を読めば


あー、これって「わたし」が観察した面白小ネタ集なのかあ


とわかるが、若い頃には観察者の尖った感性に共感する程のセンスを持ち合わせていなかった

センスと言うなら、今でもないんだけど


まあ、私のセンスは置いといてだ

人は日常的に言語を用いる

当たり前だ

話す言葉、書く言葉、聞く言葉、全部言葉だ

最近は補助的にイラストや映像を添えて、より正確な情報伝達を目指す傾向にある


私は日本人だから、基本的に日本語でものごとを考える

そして非常に直感的人間だから、何らかの感情が先んじて発生し、その理由は後から判明する

感情が先んじて発生するが、発生した瞬間はそれが何なのか自分でもわかっていない

はい???? と思われるかもしれない

本当にそうだから、もうこれは自分でもわからないと言うしかない


たとえば誰かと話をしているとする

自分にとって耳の痛いこと、突っ込まれたくないことを言われた瞬間

1.カっと血圧が上がって、極端な場合は動悸もする(生理的反応)

2.動悸がするのを認識し、自分が何かに興奮=臨戦態勢になったと自認する(状況把握)

3.感情の発生

4.心の声(誰が無職のブサイクの売れ残りやねん。お前に1分でも迷惑かけたんか、かけてないやろほっとけや!) 

5.こいつキライ。

とまあ、こういうステップを辿る

ここで重要なのは3と5の順序なのだ

4で口が悪いのは置いといて、3で既に感情は発生している

拒否感、嫌悪感、羞恥、反発、おおよそこういった感情がぶわああああっと瞬時に発生する

そしてこの感情に基づいて、心の声が発生する

思うこと、感じること、思考することは日本語によって行われる

だから声に出していなくても、考えた時点で頭の中では心の声を文章として読んでいる

そうして、こいつキライ。と読み上げて初めて、私は相手のことが嫌いである、少なくとも好ましいとは思えない、なぜなら初対面で悪口を言われたからだ、と続く

そして、動悸がして血圧が上がったのは、反発や怒りや羞恥があったからだ、と認識する

羞恥はなぜ発生したか、無職だと指摘されたからだ

怒りはなぜ発生したか、ブサイクと罵られたからだ

反発はなぜ発生したか、個人的な問題に口を挟まれるのが理不尽だと感じたからだ


このようにひとつの事柄を分解して言葉に置き換えることで情報や感情を整理していく

私の頭の中では常に行われているが、明確に思考するには実際に言語を見るほうが効率が良い

手書きでも良いし、こういうテキスト出力でも良い

実際に視認することで、より速く自分の考えを理解できる


この作業を「言語化」と呼んでいる


別に特殊ではない

誰もが普段やっていることで、それを自認してるか、無自覚か、意図的か、無意識か、それだけの違いである


言葉というのは思考そのものであり、何かを考える「わたし」そのものである

言語化しなければ、つまり名付けなければ、抱いた感情が何なのかさえ自分で理解できない

私はよく癇癪を起こす子供だったが、私にとって「わからない」感情が存在することは耐えられない恐怖だったのだろう

語彙も乏しく、うまく説明できない

大きな感情が動くのに、それを理解もできない

結果、癇癪を起こすのである

つまり理解できない自分に、わかってくれない親に、激おこだった


ここでもう一度、枕草子に戻ろう

一の段には風景が描写されている

観察者である清少納言の目を通して見た、美しい四季のそれぞれの風景である

をかし。と端的に表現するが、その光景を見た瞬間の心の声は一切表現されていない

どんな時に、誰と、どこで見たのか

何もわからない

だが、極限まで削ぎ落とされた文章は、彼女が見たという光景だけは非常に鮮明に表現する

誰の目にも鮮やかに思い描ける程に


その時、1000年前の情景を受け取った我々は、改めて自分の言葉で思考する

そうしてそこに、自分の体験や過去を重ねて、様々な感情を抱くのだろう


言葉は生き物であり、時代によって使われ方や意味や表記自体が変化する

だから現代で使われなくなった言葉が多くなると、読んでも上手に感覚が読み取れない

臨場感がなくなる訳だ

古典レギュラーの例だと

よっぴいてひょうと放つ、と言われても長弓が身近にない私には、ひょうと放つがどれくらいの勢いなのか、どの程度遠くへ飛んでいくのか、ピンとこない


与市が構えると引き絞った弓がギチギチと小さく音を立てた

限界まで絞った弓は勢いよく矢を打ち出す

鳴り物付きの矢が空を切って、ヒョオオオと風鳴りのように響いた

船上の誰もが息を呑み、瞬きも忘れて見守る中、まるで吸い込まれるようにして矢は扇を貫き、一瞬の後、辺りは男達の大歓声に包まれた


読むなら、このくらい過剰に現代語訳して欲しい訳だ


だが、枕草子はそんな風に超意訳してもらわなくても、だいたいの日本人は読めるものだ

それは、他の情報を極力削って削って、情報のエッセンスだけを突き詰めて表現しているからなのかもしれない

日本語として見た場合、究極の機能美と言える

シンプルでシャープ

今でも色褪せない、卓越した言葉選びのセンスが彼女の魅力なのかもしれない

そんなことを思う




2024.4.30   なごみ游

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