第7話 水色と肌色は日本にしかない。

色、というものはとても不思議だ。

私は青色が好きで、とにかく青いものは「綺麗!」と思い込む。実際綺麗かどうか、どの程度綺麗かどうか、数値で測れるものではない。

主観的に 青=美 が結びついている

買い物をするなら、同じデザイン(形)なら青い方を買う

その方が自分のテンションが上がる


テンションとは緊張状態のことだ

だから正しくはテンションは上がり下がりするものではなく、緊張したり緩和したりするものだが、テンションが張る!と表現してもウキウキ感はまったく伝わらないから、やっぱりテンションは上がる!と表現するべきだろう


そんな話はいい。

色である

ざっくり言って、色とは光であり、光とは粒子であり、かつ波である

禅問答かな?

紫外線、赤外線、これを「色だ」と思う人はいないだろう

紫外線とは可視光線のうち紫よりもさらに外側の、つまり短い波長のことだ

これが赤外線となると、可視光線のうち赤よりもさらに外側の、つまり長い波長のことになる


つまり色というものは、無数にある波長の中から「偶々人間の目で識別できた」僅かな範囲の波長のことだ

これは音にも通じるが、人間の耳で識別できた僅かな範囲の波長を可聴域と呼んで、それだけだと基準が人によってバラッバラで話をするにも困るから、この高さの(=波長の)音はCと呼びましょう、と決めた

これが音階となったり和音となったり、豊かな表現となったり、芸術となったりする


色にも同じように名前がある

国や人によって基準がバラッバラだと話をするにも困るし、青いのください。と言っても、この青ですか? こっちの青ですか? となってしまうため、この波長の色は#000000と呼びましょう、と決めた

16進法で表示される#000000とは、黒のことである

こうして無数の色に名前が付けられ、一般化され、色というものはシステマティックに人の手によって再編成された

分類する、という人間の叡智のなせる業だ


だが16進法は数字とアルファベットの並びである

#000000が黒と呼ばれるように、人間、どうしても見た目でわかりやすい「あだ名」をつけたくなる

あだ名であるから、普段使っている言葉でつける

日本なら日本語、アメリカなら英語、フランスならフランス語でそれぞれの「何色」というカラーがあるわけだ


ひとくちに可視光線と呼んではいるのだが、個々人の網膜や視神経、受容体の性能如何によらず、おおまかに平均値を取った場合でも、人種によって、文化によって、認識できる色の数というのが異なる

人種によって、というのは平たくいえばメラニン色素の量だったりという、人種が持つデータ的な差異による

文化によって、というのは平たくいえば、あてはまる言葉がない色は「何と呼べばいいのかわからないから、ないものとする」ということだ

今は日本でも諸外国の料理を堪能できるが、江戸時代や室町時代にパフェやドーナツ、クリスマスケーキ、なんていう食べ物はない

元から概念がないのだから、クリスマスにケーキを食べようとも思わない訳だ


そういう諸条件で見た時、日本人というのはガラパゴス的進化の結果なのかもしれないが、ちょいちょい世界の基準からズレる

日本で虹と言えば七色である

大人でも子供でも、おおむね虹のなないろ、という概念を持っている

赤、橙、黄、黄緑、緑、青、紫 と並べられる

だが、世界基準だと、黄緑と緑って同じ色じゃね? 青と紫ってほぼ一緒じゃね? っていうか紫って見えなくね???? となる

つまり、red | orange | yellow | green | blue となる訳だ

さらに、赤とオレンジって、ほぼ一緒じゃね??? というところもある

このように、虹は七色とは限らないのだ


日本は案外、自然という資源が豊かである

都会のコンクリートジャングルなどとウン十年前には叫ばれていたのだが、都心に緑が少ないと感じるのは、裏返せば地方には豊かな自然が残っているからだ

山林問題や林業のなんたらかんたらは置いて、日本は水と安全はタダという思い込みがある

この言葉が出始めたからには「実はそうではない」という危機感が芽生えているのだろうが、まあ、水と安全は日本国内ならどこでも担保されている現実がある

水道をひねれば水が出るし、水道の水が不味いから飲まない人は居ても、物理的に飲み水に適さないから飲まない人はいないだろう

日本の上水道設備は非常にハイレベルなのだ

これら「水」に対する親近感は、水に流す、河童の川流れ、覆水盆に返らず、水を得た魚のように、と水を用いた表現が多いことからもわかる

井戸端会議のように、共有水路で家事を複数軒で分担するという、水場という共同資産をベースにして発展する地域コミュニティが垣間見える言葉もある

また水は信仰の対象でもあった

代表的なものは「龍神」である

大雨や日照りなどの異常気象は龍という水を司る存在によって引き起こされている、と役割+因果関係を与えることで、人々は制御しきれない水の存在と付き合った


日本人にとって親近感のある、この水は色の名前にもなっている

そう「みずいろ」である

水色ってどんな色? と聞かれて、何と答えるだろうか

薄い明るい青色と、色データを元にして答える人もいるだろうし、水の色!と、モノを基準にして答える人もいるだろう

ちなみに16進法の色コードで表現すると、水色は#bce2e8である

なんだか風情も何もすっとんでしまう気がするが、同じ色だ


この美しい色は、実は日本特有のものと言える

色コードがある以上、世界中どこへ行っても#bce2e8という色は存在するし、通じる

だがこれを「美しい透明な川の流れ」や「自然の中にある池」を表現する時に使うのは、日本特有と言える

水は本来透明なものである

だが豊かな自然と美しい水が、日本人には「水色」を身近なものにした


他にも、肌色という色がある

これは日本人の肌の色が平均的で、大きく色の異なる肌の複数グループと共存していないからだと言える

人種の坩堝であるアメリカでは、肌色と言っても「どの子の肌の色を塗るの?」となる訳だ

白い子、黄色い子、褐色の子、黒っぽい子、もっと分ければ無数の肌色がある


色はただの粒子であり波であり、それ自体は無機質で固有の意味など持たない

けれど人はその無味乾燥なモノに「名」を与えて、生きる世界に引っ張り込む

赤色は情熱的、青色はクールで静か、緑色は自然の豊かさ、水色は綺麗な川、そうやって色は意味を持ち、やがて文化を生み、芸術へと繋がっていく


水色は、日本特有の美しい色だと思う


今は様々な色の名前が英語表記で、黄色はイエローだし、緑はグリーンだ

だけど日本の暮らしが培ってきた色達は、その時その時の息吹を内包している

アメリカナイズされた西洋風の暮らしが当たり前になった現代、たまには昔馴染みの古風な色達を眺め見て、当時の暮らしの豊かさを空想してみるのも楽しい


濃く熟れた照柿色、早春に咲く薄紅梅、日が沈む頃に見える夕焼けと宵闇が混ざり合ったような紅掛花色

露草色、薄藍色、瑠璃色、瑠璃紺、深縹(こきはなだ)


彩り豊かな日本の暮らしは、今も受け継がれている

そんな風に思う



2024.4.30  なごみ游

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