第5話 青春はなぜ眩しいか

青春と聞いて何を思い浮かべるだろうか

それはーきみがー見たひかりぃ

しあわせのーあおぉいくもー

それは青雲や!

っていう、ここまで書いておいて何だけど

このネタ通じるんか?


初っ端から盛大に爆死したのはさておき

青春。

だいたいは中学生から大学生ぐらいまでを指すのではないか、と思う

いわゆる思春期という時期に該当する


第二の青春、なんて言う場合は大人の、それも概ね退職直後の世代を指すように思う


では言葉のイメージはどうだろうか

青春、なんか甘酸っぱい、キラキラしてて、部活に打ち込んだり、学校行事の運営委員をしたり、勉強して、友達とケンカしたり仲直りしたり、片想いしたり振られたり告白されたり

とまあ、色々なことを思うだろう


青春と聞いて、それを肯定的に捉えるのは大人の世代だ

中には学生時代など記憶の彼方に消し去りたい人もいるだろう

わかるぞ

私は小学校時代は消し去った

私に子供時代など存在しない

しないよ

吐血しそう。


まあ、大人達は言うね

あの頃は良かったなあ、と

何が良かったんか知らんが、とても懐かしいと言うのだ

「あの頃は、何だってできた」と


そんな訳あるかいと思うのである

何をするにも親の資金援助をアテにしなければならず、学校にも規則があり、極めて自由度が低いではないか

そう思うのだ

大学生ならバイトもそこそこできるが、それでも講義の合間に稼げる額と、社会人になってから使える額は雲泥の差である


私の場合は奈良という程々に田舎でそこそこ都会な地方都市で暮らしているから、車を自分で運転できるようになってからの自由度は比較にならない


幸い、中学、高校と良い環境で教育を受け、同窓会には一回も出たくないが、過去の思い出としては恩師達に大変感謝している

さぞかし扱いにくい生徒であったろうと思う

絶対に読んでて欲しくないけど、先生方、ありがとうございます

特に高2と高3の担任のN先生には頭が上がりません


それはいいとして

良い環境であったと思い、感謝もし、大いに迷惑をかけ倒して青春をさせていただいたと思うが、あの頃は何でもできた気、なんてものはゼロである

おそらく、コロナ禍を過ごした今の子達からすれば、信じられない学校生活だと思う


不真面目な生徒だったから授業中はこっそり手紙を回し、嫌いな英文法の授業中はノートに絵を描いてサボり、見回りにきた先生に気付かずノートを取り上げられ

「うん、まあ上手いのはわかったけど、授業中や」

と、本人的には大恥をかかされたり

体育祭にはクラブ対抗リレーをし、毎年演劇部がどんな衣装で走るのかとワクワクしたり、夏は吹奏楽コンクール、冬はサッカー部の応援にバスで遠征し、中間期末の試験に追われて、成績の下落にビビった1年の時の担任に呼び出されるという、

なんかそういう日々を送った


なんだよ楽しそうじゃねえか

と、思うだろう

楽しかったと思うし、過去に戻れるとしたら、抹消記録の小学校時代ではなく、中学時代からやり直したいと思う


だが、大人になってからのほうが、もっと楽しい

大人は自由だ

責任が伴うが、大きな自由を手に入れる


なのに多くの大人はなぜ青春を美化するのだろうか

経済力も行動範囲も段違いに優れている「今」ではなく、制限の多い思春期を上位とするのか


それは、可能性の数という一点ではないかと思うのだ

早川式繰出鉛筆の発明者、つまりシャープペンシルの開発者であるシャープの創業者早川氏のように、人生何度凹んでも新たな可能性を掴んで巻き返す人が居るには居る

だが大多数は、その日を暮らすうちに冒険を控えて守りに入り、エキスパート化していく

自らの得意とする道を伸ばしエキスパートになることは、その道を選び続けることであり、言い換えれば、選ばなかった道を捨て続けることである


初回、私は岐路とか分水嶺とかいうものがあると綴ったが、人生とは結局、己の取捨選択で道が出来上がっていくものだ

もちろん、資格取得など、後から選び直すことができる事柄もある

だが最初に選んだ場合と、後から選び直した場合は、それが同じ作用かどうか判断する方法がない

アカシックレコードが読める人はさておき、普通は自分が選ばなかった人生を覗き見ることなど出来ないからだ


出来ないからこそ、大人は青春を美化する

まだ何者でもない思春期の子供達は、これから何者にもなれる可能性の塊である

可能性しかないとも言える


あの頃は輝いてたな、と溜息をつきたくなる夜がある

もっかいやり直せたらな、と後悔する夜も

ストレスだらけで仕事を抱えて

日々起こるトラブルに追いかけ回される

子供の進学、あるいは結婚、親の介護、育児に町内会にPTAと、問題ばかりが立ちふさがって息が詰まる

もう全部投げたい

そう思う日もあるだろう


今の自分に何の可能性もないと


そんな風に思うことが、ひょっとしたらみなさんにもあるのかもしれない

それはあなたがエキスパートになった証拠だ、と私は思う

エキスパートになればなるほど、道幅は狭く次のハードルが辛くなるのは当たり前のこと

限界ギリギリで飛べたハードルの次は、たった1ミリ上がっただけでも聳え立つように感じるものだ


大人になって可能性は減っただろう

だけど、可能性しかなかった頃より、きっと今の方が出来ることは多い

子供達が背伸びをして早く大人になろうとするように、大人達は自分の手から零れ落ちた可能性を懐かしむ

無い物ねだり

そう言ってしまえば身も蓋もない話だが、詰まるところ、青春の眩しさはそういうことかなと思ったりする


個人的には、早く大人になりたいと子供が思える大人で居たいかな

大人って自由で楽しそうで羨ましい!

そういう大人が、カッコいいなと思う

いつかなろう!

カッコいい大人!



2024.4.30   なごみ游

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