第2話 過去転生と、性転換

「目が覚めたかな」

「ん、ん…」


 少年のすました声に気づくと同時。

 総身に、いまだかつて感じたことのない大きさの違和感があった。


 意識が覚醒し、自分の体が自分の思うように動くようになるにつれて、まず違和感の正体の一つに気がついた。

 どうやら自分はいま、服を着ていなかった。

 俺はフローリングの床の上に、素っ裸で横たわっている。

 なぜという疑問と同時に、燃えるような羞恥心が身体を支配する。


(てめえ、何をした!!)


 怒号は、うまく声にならなかった。

 自身の体温が移ったフローリング材が生ぬるい。

 不意に天井が視界に入る。見知らぬ天井だった。


 はて、ここはどこだ。

 俺はどうして見ぐるみを剥がされているのか。


 そしてなぜ、

 の少年に見下ろされているのか。


 混然とした意識のなか、記憶を強引に探る。

 最新の記憶は――そう。

 境内で、見知らぬ少年に、謎の独白をしたこと。

 そして、その少年はいま、俺のことを見下ろしていること。

 その記憶は、カウントダウンを終了したところで一旦途切れていること。


「せっかくだから、お洋服も着せてあげようと思ったんだけどね。あまりにも上手にできたもんだから、しばらく眺めてたくてね」


 赤子のように俺は自分の体を抱き抱え、意図せず「キャッ」と小さく声が出た。


(……キャッ?)


 違和感の正体は、自分が服を着ていないことだけではなかったらしい。

 そのことに気がついたのは、自分が全裸であることに気が付いてから、さらに数秒先のことだった。

 自身の体を咄嗟に抱き抱えた際に、自分が持っていたはずの身体の重みを感じなかった。ここは水中なのかもと一瞬思ったほどだ。

 意識はずんぐりと重いが、体は奇妙なほど軽い。

 そして、どうして、柔らかい。

 ボディイメージが、あまりにも自分の身体感覚と一致していない。

 腕一つ動かすにしても、

 首を動かそうにも、

 何か全体的にふにゃふにゃとしている。


 これは昏倒していたせいなのか。

 声も妙に裏返ってしまい感覚があった。


「せっかくだから鏡でも見てみる?」


 少年は笑って、部屋の片隅に設置してある姿見を指さした。

 それにしても、ここはどこだ。見覚えのないアパートのワンルームのようだが、物は少なく、整然としている、というより、どこか寂寥としている。生活感のない部屋だ。俺はこんな齢10そこそこの少年に、拐かされてしまったのか。


 思うように動かない割に軽い自分の上半身をなんとか起こそうとして。

 俺はついに違和感の正体に気がついた。

 体を起こすと大きく波打ち跳ね返る、自身の胸部の弾力に気づいてしまった。


「はあっ?!!」


 乳が、ある。

 自分の胸に、おっぱいが。


(は??)


 反射的に俺は自分の体を触れていた。俺が恐る恐る手を添えると形を変えるそれは、俺が多少太ったところで、到底そうはならないであろうサイズの、脂肪の塊だった。


「せっかくなので、色々とてんこ盛りにしてみたんだけど、どうかな」

「はああああ?????」


 立ち上がる。

 特定の部位に、すうっとした違和感がある。

 そして何より、歩くたびに揺れる、体の随所が気持ち悪い。


 なぜだか見たくない気持ちと。

 そんなはずはない、鏡を見たら、見知った古舘茜音ふるたちあかね肢体したいがあるはずだという、原状を受け入れがたい気持ちがごちゃ混ぜになりながら。

 清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、姿見に自身の身体を映してみる。


 何食わぬ顔で、後ろの少年がカカッと笑った。


「せっかく人生やり直すなら、と思って。女の子にしてみました! どう、興奮する?」


 どこからどう見ても、それは女のそれだった。

 俺は思わず少年に飛びかかっていた。

 その女の体をコントロールしているのは、どうやら俺の意識らしいという事実。


「お前、本当に気持ち悪ィ発想してんな……」

「あれ、普通はもっと喜ぶものだと思ったんだけど」

「ふっざけんな、早く戻せ!!」

「ふむ、見目麗しい女の子に迫られるというのも悪くはないが、ここは一旦落ち着こうか」


 俺は再び意識を消失し、次の瞬間には、俺は女物のワンピースを着ていた。少年が俺に着せたのだろう。

 まるで子供が着せ替え人形で遊んでいるような無邪気さで、少年は俺を眺めていた。


「いいじゃん、似合ってる似合ってる」

「てめえ…。本当に悪趣味だな」


 下着の締め付けのせいだろう。

 胸にあたる硬い感覚や、下半身に食い込む布の違和感が、これが現実であることを疑いようもないリアリティをもって、俺の意識にじんじんと伝わってくる。

 意識は重い。

 対照的に体は不安定なほど軽かった。


「どうどう」


 脈絡もなく少年は楽しそうに俺のスカートをめくろうとする。俺は思わずスカートを押さえ、小さな悲鳴が出た。

 屈辱に総身が紅潮するのを感じていると、少年は下品な笑い声を立てた。

 まるで、君は絶対に僕には敵わないということを誇示するかのように。


「君が本気を出したとて、僕のいまの依代よりしろすら押さえつけられるとは思えない。暴力はなにも解決しない。それに、もし仮に僕の権能が女子供の暴力に屈するなんてことがあるのだとすれば、神の名折れもいいところだわね。ちなみに君がいまどんな気持ちなのかは、ちゃんと僕にも伝わってるから、あえて言葉にすることはないよ」

「だったらはやく元の体に――」

「――ダメだよ。僕には一柱の神様として、君の願いの成就を見届けるがある」


 真剣な声色で神様は言った。

 それが神としての権能によるものなのか、その迫力に気押されただけなのかは分からない。俺の抗議は、喉の奥に引っ込んでしまった。


「この体にすることと、俺の願いは関係ないだろうが」


 やっとの思いで、なんとか言葉を口から捻り出すが、神様は軽妙に即答した。


「あるよね。だって君は栗山理央と恋仲になることを望まず、ルームシェアを願った。ならこの形はもっとも君にとって都合がいいんじゃないかい? どう考えたって、年頃の男の子と女の子が同棲だなんて、恋仲以外の何者でもないじゃないか」


 少年は次の瞬間、俺の目の前から消失した。

 彼の鈴を鳴らすような美しい声だけが、どこかからか耳朶じだを打つ。


「まあここから先は君が一人でうまくやってみなよ。これでも僕はけっこう親切なんだ、君が君一人で解決できなそうなことにはちゃんと先回りしてある。幸運を祈るよ。じゃあね、茜音あかねちゃん」

「お前、ちょっと待て!! まだ話したいことが!!!」

「まあ、君のことは嫌いじゃないから、またチョコチョコと遊びにくるよ」


 この抗議が無意味なものだと俺は直感的に理解した。

 少年はもうここには居ない。脳に直接その事実が叩き込まれるのを感じたのだ。


 次の瞬間、隣の壁からドンドンドンと乱暴な音が聞こえる。そこには隣人の存在が、あった。


 俺は慌てて、扉の外に駆け出す。

 

 アパートの2階の外廊下。

 広がる街並みは、高校時代の通学路。

 目の前には当時、バイトしていたスーパーがある。

 不景気に煽られ、いまはもう取り壊されてしまっていたはずの古びたスーパーだ。


 どうやら俺は18年前の高校時代に、タイムスリップしていたのだった。

 なぜだか、やたらとスタイルのいい、若い女の体に変えられて。

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