ラブコメ好きな神様は、今日もいじわる。
はるかぴ
ブラのホックがつけられるようになるまで
第1話 走馬灯と、神様との邂逅
俺はどうやら、ラブコメ好きの神様に弄ばれてしまっているらしい。
俺が男として生きてきたた30年あまりの人生が、突然に巻き戻ったかと思えば、どうしてだろう。――いまの俺は、15歳の女として呼吸している。
それは、意地悪で下世話な好きの神様の、ほんの気まぐれなのだと思う。
きっかけは、トラックとの非接触事故だった。
★ ★ ★
失敗だらけの人生だった。
だから。今日この日をもって、横断歩道で転倒した俺が、トラックに撥ねられて、その30年余りの人生を終了してしまうのであれば。
それもまた。それはそれで俺らしいのかな、とも思うのだった。
走馬灯というものは本当にあるものらしい。
重ねてきた大きな失敗たちが、数舜の思考とは思えないほど、圧倒的な情報量を持って、脳裏を駆け巡っていく。
あの時の後悔を、いまだに思い出す。
高校生のときのことだ。
当時親友だった
お互いに一人暮らしで、実家からの仕送りが少なかった俺たちは、カタツムリの殻みたいに狭い部屋で暮らしていた。
そんなお互いの事情もあって、理央は冗談めかして言うのだった。
「ちょっと大きめの部屋を借りてさ、二人で住んじゃおうよ」
そんな提案を、正直なところ俺はものすごく魅力的に感じていたのだが。
それでもやはり、いくら仲が良いとは言え、異性である理央と二人暮らしをして、まともな精神を保っていられるほど、俺は人間ができていなかった。
当時の俺は、見栄っ張りであった。
理央のことは異性としてではなく、人として好きであるということに異様なこだわりがあった。だから、自らがどうしようもなく愚かなオスであるという事実を、彼女に知られたくはなかった。
大人になってみて思えば、彼女に感じている魅力のうちに性愛的なものがなかったわけがない。いまならはっきりとわかる。好きという感情は、性愛が含まれているから正しいとか、正しくないとか、そういう単純なものじゃない。
ちょっと考えればわかる、当たり前の話なのに。
俺は理央のことを女としては見たくなかった。
というわけで高校生の幼き俺は、そんなつまらないプライドに由来した気恥ずかしさに負け、彼女の提案をなあなあにするという戦略をとった。
――つまるところ、結論をはぐらかした。
そんなムーブを続けていたら、いつしか彼女とは疎遠になってしまった。
笑えよ。あまりにも自業自得である。
俺は大事な人に恥をかかせたのだろう。俺は俺のつまらないプライドのせいで、大切な人を傷つけたのだ。
無意識に、上体が起きあがる。
視線をくいと持ち上げる。
きっと1秒もないうちに、俺は巨大な鉄の塊に巻き込まる。
刹那――。
スピードが落ち切らないトラックの運転席。
その戸惑いと恐怖に満ちた運転手の目と、確かに視線がぶつかった。
(ここで俺が回避せねば…!)
この人もまた。
取り返しのつかない失敗をした人になるのだろう。
(それはあまりにも不憫ではないか!)
俺は自分の体を突き飛ばす。
(犯罪者を作って人生を終了なんて、あまりにも後味悪りぃだろうが)
俺が泥酔して、
この夜の交差点で転倒さえしなければ。
この人の人生は、普通に、連綿と。これからも続いていくというのに。
俺の体が二転三転して、歩道へとやっとこさ転がっていく。
――慌てて運転手が俺に駆け寄ってきたのを最後に、そのまま意識は消失した。
★ ★ ★
結論、この事故による外傷は大したことはなかった。
夜中の事故だったため一応そのまま入院となったが、翌日には退院できた俺は、トラックの運転手から、一生分とも思われるほど大量のお詫びの言葉をかけられながらも、なんとかしぶとく生きていた。
運転手が呼んだ警察によって、軽く事情聴取を受けたが、医師から「大丈夫でしょう」という診断が降りたことと、非接触事故だったということもあるし、俺にも怪我がなかったこともあって、警察も少し対応に困った感じで「あとは当人同士で解決してください」というニュアンスのことを、できるだけ直接的に言わないように重ねて伝えている感じであった。
とはいえ、運転手は随分と厳重に注意されていたようで、一ヶ月の免許停止処分をもらっていた。俺が横断歩道で転んだばかりに、申し訳ない気持ちである
生きているとしても死んでいるとしても、どうにも実感が湧かなかった。
変な夢でも見ていたかのようにも思われた。
「どうお詫びしてよいか…!! 本当に申し訳ございませんでした」
(でもまあ。本当に、この運転手さんが犯罪者にならなくてよかったよ)
「いやいや、俺がもう大丈夫って言ってるわけですからあまりお気になさらず。変なところで転んだ俺も悪いので」
それにしても、まあ。
――走馬灯の一番濃いところで出てきた記憶がアレか。
いやいや、もっと思い出すべきことがあっただろうに。しかし、なるほど意外にあの記憶は根強いのだな、と呆れながらも納得してしまう。
思い返しれてみれば、あれがまさしく青春だったもんなあ。
えっと、ほら。なんだっけ。男の恋愛は名前をつけて保存だったっけ。
なるほど、本当にその通りなのかもしれないね。
すっかり忘れていたつもりだったが、かの忌まわしき呪いのデータは、律儀にも消去されず、俺の極小メモリの奥に鎮座なさっていたらしい。
病院から出る際、運転手からは菓子折りを頂戴した。
慌てて調えたのであろう。おそらくはショッピングモールの銘店街で購入したものと思われる、見覚えのある包み紙を手に取りながら、俺は運転手の堅苦しい態度に苦笑する。
後ほどで改めてお詫びを申し上げに伺います、という言葉を添えて、その後の治療があった場合に備え、連絡先と会社名も教えてもらった。俺としては多少の擦り傷があるくらいで、体に異常はなかったので、むしろ大袈裟に感じたくらいだった。
もちろん、俺が相手の立場なら、これくらいは普通の対応であるので、なんとも言えないわけではあるが。
いただいた菓子折りは、何かの縁と思い、搬送された病院近くの神社にお供えすることにした。
無事で済んだからよかったものの、実際のところは幸運だったと言う他ない。
別に俺のクソみたいな人生なんてあのタイミングで事切れてしまっても良かったわけだが、俺の不始末によって、あの小心者っぽい運転手さんが、豚箱にぶち込まれて人生を台無しにすることを思うとそれはやはり不憫でならない。
そうならなかっただけだけ、お互いに幸運だったと思う。
ところどころ塗装のはげた、くすんだ色の小さな鳥居をくぐって、小さな境内に足を踏み入れると、菓子折りをお社のところにお供えし、二礼二拍手一礼する。細かい作法は正直よくわからないが、こういうのは気持ちが肝要だろうから、あまり気にしないことにした。
「最近の若者にしては関心だねえ、君」
突然、隣から少年の声がした。
あまりにも唐突で、ぎょっとして隣を見ると、そこには菓子折りの紙袋を破いて、さっそくどら焼きを頬張っている美少年の姿があった。
歳にして10前後くらいだろうか。
女の子にも見える美しい見た目だが、見た目に反して低めの声が凛然と、少年が男であることを連想させる。
清水を連想させるほどサラサラで艶やかな銀髪は肩までかかり、二つの
「僕にお供えしてくれたんだろ、これ。別に僕が君のことを救ったわけじゃないんだけど、悪い気はしないからもらっておくね。ふふふ」
「え、えーっと?」
一方的に少年は長広舌をふるう。
「あと、神様というのはネットワークで繋がっているから、君を救ってくれた神さまにもきっと供物は届くはずだよ。安心してね」
「いや、そうじゃなくて、あなたは一体」
「僕は神様だよ。神様はネットワークだから、僕個人の名前として名乗るべき名前があるかはわからないけど、強いていうなら縁結びの神様というのが実態に近い。あ、そうだ。せっかくだから願いを一つ言ってみなよ。叶えられるかはわからないけど、君の殊勝な心がけに応えようじゃないか」
少年はミステリアスな雰囲気を纏った大仰な喋り方をしているが、どら焼きをもぐもぐしているので、どうにもこうにも説得力がない。
さっきまで誰もいなかったはずの境内に、なぜか突然姿を現した少年の胡散臭さに、俺は笑って言った。
「じゃあ、高校生のころに戻って、人生をやりなおしたい、……ですね」
少年はどら焼きを食べるのをやめた。
まっすぐ真剣な眼差しが俺を射抜く。その恐ろしいまでに直線的なまなざしは、俺の心を生々しく捉えているようで、確かにある種の神々しさを感じた。
「それはなぜかな?」
「もしあなたが神様ならお見通しではないですか?」
「それはそうだ」
少年は肩をすくめた。
一陣の風が、静謐な境内に音もなく吹き込んでくる。
「僕はね。君がどんな事象を失敗として定義して、過去にこだわっているのかを垣間見ることができる。でもね、あくまでもできるだけだ。
よくわからない理屈だが、あまり理屈で物事を考えてはいけない気もした。
俺は苦笑しながらも、なぜだかあまり誰にも話したことのない身の上話をすることにした。
「高校一年生のころ、好きだった女の子がいて。その子と同棲する寸前まで行ったんですけど、結局うまくいかなくて。気まずくなって、俺は恋人候補と親友を同時に失った気分だったんですよね。だから俺は、せめて彼女の友人として、いまも仲良くしていたかったな、と」
「それで君は、恋仲になることを願わないのか?」
「恋仲って結局、失敗したら全部がゼロになるので。俺はゼロになってしまうことが怖いので」
「ふふふ。なるほど、なかなか屈折しているね」
少年は再びどら焼きにかぶりつく。
おいしーと小さく唸ってから、少年が俺の顔を覗き込む。俺も少年の目を見た。
「でも、まっすぐな祈りだ。そのまっすぐな願いが屈折したり分散したりするのを見るのは、なかなかどうして面白い。気に入った」
「そりゃどうもです」
「目を瞑りたまえ、5秒だ」
少年は片手にどら焼きを持ちながら、もう片方の手の指をぜんぶ広げて、俺の眼前に突き出した。
「君の願い、たしかに僕が聞き届けた」
よくわからない。
けれど、別に反抗する理由も特にはなかった。
実のところ、自身の阿呆な願いが否定されなかったことに、一抹の心地よさを覚えていたのも事実だった。
目を瞑る。
自称神様とやらが、小さく微笑む音が聞こえたような気がした。
「「5、」」
「「4、」」
神の声が消える。
「3、」
静かに。
ありし日の
「2、」
俺の、あまりにも俺らしい、愚かな失敗に、思いを馳せながら。
「1、」
いまなら上手にやり直せるだろうか。
18年分、ちょっとは成長した自分であれば。
……いや――。
(0…)
――きっと無理だろうな。
俺はきっと同じ失敗をまた繰り返すことになるだろう。
愚かな俺はどうあっても、愚かなままだ。
こうして俺の意識は、消失した。
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