ch.20 Eclipse
「お前は、誰だ」
なぜかいつもより崩壊している城内。作られていない私の部屋。私を捕虜か何かだと思っている城化物。拡張されていない図書館。
そして私を知らない吸血鬼。
おそらくここは過去のハイデンライシュタイン城。200年前くらいだろうか。城化物の本体である古城があいつに破壊され、修繕が追いついていない時。過去のあいつがいる場所。
あのケット・シーと出掛けて湖の月に落ちたら、過去にいただなんて笑えない。
老吸血鬼が水面の月の裏側には過去へと続く道があるとは言っていたけれど、本当にあるとは。
月には何かしら魔性の力があるとはいうし、実際あいつは月に振り回されてはいるけれど。それが人である己の身に降りかかるなんて思っても見なかった。
今、あちらはどうなっているのだろう。私がいないと気づいたあいつはどうしているのだろうか。
いや、どうもしないか。そういう奴だ。考えるだけ無駄というもの。
それよりも今は、
「お前は何だと聞いている」
再び質問を落とされて、思考が引き戻される。顔を上げれば無表情の冷たい美貌がこちらを見ていた。
いつも薄ら笑いを浮かべているこいつの無表情なんて、久しぶりに間近で見た気がする。威圧を感じ恐ろしさもありながら、人間離れした整った造形に安心感を覚える。
が、何かを言おうとして言い淀んでしまう。ここで自分の名前は言いたくない。
時系列がどうだとかはどうでもいい。こいつ相手に二度も自己紹介なんてしたくない。
「私は、誰でも良いでしょう。すぐに出ていくから」
それよりも早く寝たらと、ベッドを促す。過去のこいつに特に用はないし、ここでは勝手が違いすぎる。
ここに私がいたって仕方ない。
質問を跳ね除けられたからか、吸血鬼の視線が剣呑なものへと変わる。
「ならば、それはどうやって手に入れた」
すっと左耳のピアスに視線が流れる。
それは私の誕生日に、あいつがつけているピアスを私がねだってもらったものだった。ピアスの片方はそのままあいつがつけているはずだ。
確か、あいつは自身の血で物質を創造できるから、そのピアスもその要領で作ったものだと言っていた。
つまりあいつの血でできた一点もの。その片方。見れば、目の前の吸血鬼の両耳には以前のあいつのように、一揃いのピアスが煌めいている。こいつに限って、私物を誰かに奪われるなんてことはないだろう。そもそもあるはずのない三つ目のピアスだ。
これをどう説明しよう。もうはぐらかしても無駄な気がする。こいつのことだ。水辺で私のピアスを見た時に、なんらかの回答はもうすでに持っていそうなものだ。
気がかりなのは、ただでさせ言動が読めないこいつが、私を知らない状態で何をするのかということ。
この城の地下には夥しい血痕が残る地下牢があったことを思い出す。よくそこであいつが自殺をしていた。
こいつクズだしな。
諦めのため息とともに、口を開く。
「お前から、もらったのよ」
もう色々と面倒になってじとりとした目になってしまう。
もう全てこいつが悪いでいいか。
「……そうか」
思いの外すんなりと受け止めていることに驚く。
やはりもう私がどうしてここにいるか、何者かまで私よりも正確に把握しているのかもしれない。こいつに聞いたら帰り方がわかるだろうか。
いや、クズだしな。無理か。
とりあえずはこの城から出ようと、思索を巡らせていると、不意に影が落ちる。
冷たいと感じた。
触れるだけのもの。
最小限で必要以上に触れないように。
口づけを、落とされた。
嫌悪感も不快感も不思議と全く抱かなかった。
「己の名とそれをやるほど、お前に入れ込んでいるのだろうな。俺は」
やはりこいつはわかっていた。
私が何か、先の自分が私をどう思っているかまで。
「先の時間でお前が俺のものならば、今この時であっても、お前は俺ものだ」
覗き込まれた瞳は鈍く虚に瞬いていた。
♦︎
これは一体どういう状況だろうか。
遠い目をして窓の外の夜空でも見ていたい気分になるが、それは今許されてはない。こいつから目を逸らすことを許されない。
こいつを寝かせた後でさっさとこの城を出て行こうとしていたのだが、現状それは叶わずにいた。ベッドに腰掛けたそいつの膝の上に、向かい合わせで私が座っている。それから何をするのかといえば、ずっと濁った目でこちらを観察されていた。
こちらがわかったとこは一つ。
どうやら今のこいつは手足に関して、力の加減ができないらしい。そのため、私には一切手で触れてはこない。そのくらいの配慮はしてくれてるらしい。
こいつの制御できない馬鹿力で触れられたら、大抵の人間の体なんてすぐさま肉塊になるだろう。やめて欲しい。
先ほど私を引き上げた時に、私の腕が引きちぎれなかったのは奇跡だったようだ。全く何をしてくれてるんだ。危うく腕が潰されるところだった。
少しの抵抗と先ほどの恨みとばかりに睨んでみても、帰ってくるのは感情が抜け落ちた虚な視線のみ。私が目を逸らしたら逸らしたで、すぐに噛みついてくる。私を今のところ喰べる気も壊す気がないのはわかったが、これではこちらもどうにもできない。
「ギル」
あくまで平坦に名を呼び顔に触れるとゆるく目を細め、私の首元に顔を埋めた。そしてそのまま動かなくなる。脱力してるそいつの体を抱き止め、同じように肩口に顔を埋めた。
私が知っているあいつも常に不安定だが、目の前のこいつはさらに不安定に感じる。
心ここに在らず。
常に頭の中を圧迫する何かから私で意識を逸らしていると、いつかあいつが言っていた。
だから私を手放せないとも。
苦しいのだろう。漠然とした何かのせいで。偶然見つけた、初対面の私に縋るほど。
こいつが精神を病んでいるのは、吸血鬼の在り方のせいなのだと先代の王様である少年の皮をかぶった老吸血鬼が言っていた。だからこれは然るべき物なのだと。
だとしても今のこいつがその圧迫された状態であるならば、できるだけ気を逸らしてやりたいとは思う。
扉は施錠されてしまい、どのみちしばらくこの部屋から出られそうもない。その間だけでもいつもよりも脆く感じるこの吸血鬼を、少しでも楽にしてやりたかった。
どうにか宥めて、そいつをベッドに寝かせることには成功した。
ただ問題はそいつが私の上に乗っているということだが。
部屋を出ようとしたら背中に噛みつかれ、仕方ないと横に寝たらそれでも不満だったらしい。やはりこいつはこいつで、傍若無人さは変わらなかった。
のしかかられて重いと言って抵抗したら、どうやったのか自身の重さを軽くしていた。それはずるいだろう。
私を寝具にしてようやく落ち着いたのか、しばらくすると規則正しい寝息がかすかに聞こえてきた。
身動きが全く取れなくなったが、仕方ないと諦め目を瞑る。
こいつを放って置けない原因の感情にも目を逸らして見ないふりをした。
目を覚ますと真っ先に金の瞳と目が合った。また見られていたらしい。寝てたんじゃなかったのか。
その目はどろりと濁って、こちらではないものを見ているようにも見える。
今は何時だろうか。部屋は寝る前と変わらず薄暗くて、外の光から時間を推測するのは無理そうだった。
視線を垂れ込めたカーテンへと向けていると、また唐突に首を噛まれた。今度はそこまで痛くはなかったが。
「……お前、手が使えないからってすぐに私を噛むのはやめて」
抗議の意も込めて引き離そうとするが、口を塞いだ手をまたあぐあぐと噛まれる。そのまま首元に頭を埋めて再び眠ろうとする吸血鬼。
もうどうでも良くなってきた。
そこではたと思い至ったが、こいつよく初対面の私を見つけた時にその場で殺さなかったな。
こいつの性格を鑑みるに、侵入者なんて問答無用で惨殺しまいそうなものだが。
その時のこいつの気分に助けられたなんて、今後絶対に思うことのないことを考えた。薄氷の上を歩いているかのような錯覚を覚える。全く信用ならない。
今だって私に手で触れないのは加減が効かない膂力で私を壊さないためだとはわかっているが、どうしてそうする気になったかというのが問題だ。
それも気分だろうか。二度もこいつの気分に救われているために、現在五体満足でいるがそれもいつまで続くのだろうかと一抹の不安に襲われる。
こいつの気が変わらないうちに、早くここから出なければ。今は噛みつく程度で済んでいるけれど、これ以上はやめて欲しい。まず持たない。
私がこいつ自身やこの城に慣れている振る舞いをとっていたこと、自身が譲らなければ持っているはずのないピアスを身につけていたこと。なにより、私が普通知るはずがない王であるこいつ自身の名前を知っていたこと。
これらの要素から、こいつは私がどこかの自分と何らかの関係があったということまでは推測がついたのだろうけど、先の時代のことだとよく決め撃ちできたものだ。
まあ、過去の自分に心当たりがないのならそうもなるのだろうか。
相変わらずよく頭が切れる。いまだにあいつとの心理戦で勝てないことを思い出し無性に腹が立った。
「いい加減降りて、お前起きているのでしょう」
いつまで経っても私の上からどかないこいつをどうにかしようと抗議するも、全く動いてくれない。しかも動こうとするとだんだん重くなっているような気がする。
「ギル、お願いだから」
仕方なしに名前を呼ぶと、のそりとようやく退いてくれたらしい吸血鬼。ただ起き上がってくれてはいても、脱力したまま私に寄りかかっているため結局動けない。
「眠いのなら寝てていいから」
何とかそいつを引き剥がして再びベッドに寝かせる。とろんとしながらも視線は相変わらず私から逸らさないが、これで動けるようになったしいいだろう。
「無理に起きなくていい」
髪をすくように頭を撫でるとようやく目を閉じた。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえ、少し胸を撫で下ろす。
すると、鬼が寝入ったのを待っていたかのように、開かれた窓辺からちりんと鈴の音が聞こえた。
見ると私を外に連れ出したケット・シーが首を傾げてこちらを伺っていた。
「こんばんは」
「みゃう」
「あなたのおかげで、貴重な時間を過ごせたわよ」
「みー」
「もう帰りたいのだけど」
「なう」
猫は尻尾を一振りするとぴょんと跳ね、器用に城壁をつたって外に降りていってしまった。外に出ろということだろうか。
猫を追おうとすぐさま部屋の扉へ向かい、内鍵を外す。そのまま扉を開こうとしたが、それは叶わなかった。
ガシャンと開きかけた扉が大きな音を立てて閉まる。豪奢な扉が衝撃でひしゃげる。
阻んだのは後ろから私に覆い被さるようにして、扉を押さえている吸血鬼だった。
「何処へ行く」
怒ったような声ではなかった。何処までも平坦で無機質な問いだった。だからこそ、底冷えするような恐怖を感じる。
「城の、外へ」
「……そうか」
ふと扉を押さえている手が弱まったような気がした。
出してくれるのかと、訝しんだのも束の間。
「いっ……」
ガンッと突然扉に押しつけられ、首を思い切り噛まれた。耳元でじゅると血を吸われている音がする。
首が痛みで熱くなる。耐えきれず制止を訴えるが、ぶつりと新たに皮膚が裂かれた音がした。無意識にでも息を止めてしまう。
こいつのせいですでに壊れかけている扉に縋って姿勢を保とうとするが、もういくばくも持ちそうにない。
ごくん、とあいつが呑み下す音がやけに大きく聞こえた。
途端に手足が冷たくなりひどい立ちくらみに襲われる。もはや立っていられずに、ずるずるとその場に倒れ込んだ。
「お、前……」
くらくらする頭を押さえながら、罵詈雑言でも投げてやろうかとそいつを見れば。何を言うでもなく、ただ無機質に無表情に、唇を血で濡らしたまま私を見下ろしていた。
その後も私が部屋の外に出ようとするたびにあいつに血を吸われて倒れ込む、そんなことのくり返しだった。
抗議をしようにも、ついには貧血がひどくてベッドから動けなくなってしまった。
私が部屋を出る気力も体力も無くなった様を見ても、その元凶たるそいつは感情が抜け落ちた顔を私に向けるだけだった。
頭痛がする。加えて、首が焼け爛れたかのようにじくじくと熱く痛む。
あいつのベッドに倒れ込んでから、しばらく眠っていたようだった。寝起きは最悪だ。
まだ夜だったようで、窓からの月明かりが広いベッドの中まで照らしていた。
あいつはと言うと、横になっている私の隣に座って顔を窓へ向け月光を浴びているようだった。何だか先ほど見た顔より生気があるように思える。存在自体がすでに死んでいる吸血鬼に生気があると言うのもおかしな話だが。
身じろぎすると、そいつはさらりと髪を肩から落としながらこちらを見やる。なんだか先ほどより心なしか落ち着いた顔をしている。それが私の血を摂取したからだという理由なら業腹なことこの上ないが。
「……やりやがったな」
意識せずとも剣呑な目つきになってしまう。呪いを吐くかの如く出た言葉だったが、そいつにはまるで響いてはいないようだった。
無表情な顔は変わらない。
こちらも報復を考えるほど頭にきてはいるが、体がどう足掻いたって動きそうにはなかった。
「よく、私をあのまま喰い殺さなかったな」
報復の算段を仕方なく頭の片隅に追いやり、先ほどより全く私から視線を逸らさない吸血鬼に問いかける。
正直、最初に思い切り噛みつかれた時点であのまま喰われてもおかしくないと思っていた。
癇癪ではなく苛烈。そんなこいつのことだから、対象が意に沿わないことをしたら即喰ってしまっても別に不自然ではない。いや、喰わずに殺して捨て置くかも。
しかも何度も私は脱走しようとしたのに、その度に加減して血を吸うことで私の体力を削いでいた。
私のことを知らないこいつに、ここまで手を抜いてもらえるような心当たりは全くなかった。
問いかけても相変わらず無言のまま。やはり視線は逸らさず、目を細め首を傾げただけだった。
「なぜ外に出てはいけないの」
そこで初めて目線が逸れた。すうっと私の足で視線が止まる。
次に目が覚めたら、足は無くなっているかもしれない。
諦めを感じながら痛みとだるさの中、再び目を閉じた。
幸運なことに、偶然にも。
目が覚めた時、私の体は未だ五体満足だった。
両足の感覚があることにひとまず胸を撫で下ろす。
しかし重い。
原因は分かりきっていた。どうしてこいつは私を寝具にしたがるのか。
しかし、抗議文を考えているうちに、私もあいつを猫の時でも人型でも、寝具のように扱って寝ていたことに思い至る。思い至ったからと言って、この状況を許すことはないが。
頭はまだ多少くらくらするが、首の痛みはもう無くなっていた。傷口は見ていないが、思いっきり噛まれていた気がする。なんなら抉られていた気もする。
こいつが何かしたのだろうか。
それに目が覚めるたびに夜で、日付の感覚が全くわからなくなった。今は一体いつなんだ。
いつまでもここにいたって、何もならない。私がやることもやれることもない。もう帰らなくては。とりあえずは城の外に出れば、あの猫がいるだろうし。
しかし問題は、私の上に乗っているこいつが私を外に出す気がないということだ。
先ほどのように隙を見て、出し抜こうとするのは無理だ。最悪、もっとまずい状況になるかもしれない。
なんとかしてこいつを説得しなければならないが、そんなことできるだろうか。
まずなぜ、こいつは私を囲っている。
手持ち無沙汰に窓の外を眺めながら思案していると、ようやく吸血鬼は目覚めたようだった。
これでやっとどいてくれるかとそう思ったのだが、ぐりぐりと首元に擦り寄って動かなくなった。
起きろ。重い。
「ねぇ、ギル。私の話を聞いて」
なんとなくだが、今のこいつは名前を呼ばないと反応すらしない気がする。
伏せられた顔からようやく見えた鈍い金の目とかち合う。
合ってるはずなのに、やはり私を見ていない。私を見てもいないのに、私がいう言葉をこいつは受け入れてくれるのだろうか。
そもそもどうしようもないクズで暴君だ。望みは薄いかもしれない。だからといって、このままでいる気もないが。
顔へ手を伸ばし、もう一度目を合わせる。
「お願い。私を離して」
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