ch.18 Birth day
絡繰人形の中踊らされた舞踏会は終わり、あてがわれた部屋へと戻ってきた。
「これで、怪異たちはまだグールになっていないのが俺たちだけだと気づいたはずだ。今夜あたり何か仕掛けてくるだろう。それに」
魔女も見つけた。メアリー・ワースは先ほどの舞踏会の貴賓席にいたのだ。人間に化けてはいたが、怪異の気配が濃すぎると友人は言っていた。そして、そのすぐ隣にいた男はおそらく狂信者のまとめ役だろう。
「休まなくて平気か?」
「全てお前がリードしてくれたから、体力は温存できたわよ」
友人と正装をしてダンスを踊るなんて体験、少し前の私なら発狂していただろうが、今はそれどころではない。針の筵の中、誰がどんな情報を持っていそうか、踊りながら周囲に眼を配っていたのだ。
「オルドレット、お前子供の頃より体の耐久値が下がっているな。後天的なものだろう。俺と孤児院で別れた後、何があった」
いつかは聞かれると思ったが、やはり聞かれたくはない。間違っても、想像すらしてほしくない。こいつには、こいつだけには知られたくない。私が助けを求めなかった結果をこいつに背負わせたくはない。
「悪魔のところに行ったのよ。そこで契約をした」
嘘は言ってない。実際悪魔様には世話になったし、契約もした。内容は魔性の緩和だったけれど。
友人が続けて何か言う前に、コンコンと扉が叩かれる。
「お客様、ディナーをご用意いたしました。お部屋でも召し上がっていただけます」
顔を見合わせて無言を貫く。
「お客様?いらっしゃるのでしょう?扉をお開けください?」
困った方々だ。その言葉と共に、バタンと扉が破られる。そこから雪崩れ込んできたのは十数体のグールだ。
グールが部屋に踏み込んだ途端、すぱんと一閃。黒い大太刀が振るわれグールたちの首が飛んだ。そこからの再生はさすがにできないようで黒いシミとなって消えていく。
ここにくる前に友人が大太刀を首のチョーカーの飾りだと指差した意味がようやくわかった。その飾りに触れると黒い結晶は見る間にむき身の黒い大太刀の形になり友人の手へと収まったのだ。
「流石は聖騎士様。下位のものでは太刀打ちできませんか。しかし物ならばいくらでもあるのです」
グールの物量で押し切ろうとしている人間は、舞踏会で魔女の隣にいた者だった。あいつに尋問できれば魔女の居場所がわかるかも知れない。
「オルドレット、下がってろ」
「いいえ、グールはお前に任せる。あの狂信者は私がやる」
「……わかった」
グールと共に斧を持った狂信者が聖騎士めがけて突っ込んでくる。それを友人は軽くいなし、腹に重い打撃を与えた。
狂信者は私の目の前に転がってくる。
「お前たちはメアリー様のために捧げるのだ」
立ち上がって私に向かい再び斧を構える。そして、私を視界にとらえた。それだけで十分だった。
「そんな危ないもの私に向けないで」
がこんと斧が床へ落ちる。狂信者のギラついた目がどろりとしたものへと変わる。
「跪いて、教えてくださる?お前の魔女はどこにいる」
「メアリー、様は」
「貴方の魔女と私では、どちらが欲しい?」
「あ、あ」
貴女です、と掠れた声で言われた言葉は自分で言わせたことだがひどく不快だった。
「初対面の私を選ぶなんて、とんだ忠誠心と好奇心ね。でも好奇心はどれほどにも変え難いものよね。例えどんな犠牲を払ったとしても。……例えば今、貴方の右腕が砕けても」
「ぁあ、ぐ」
先ほど斧を振るっていた腕をもう片方の腕で握り潰させる。
「もう一度聞いてあげる。お前の魔女とそれと吸血鬼。二体はどこにいる」
答えを聞いた後に私はゆったりと微笑んだ。
「くたばれ」
♦︎
「尋問に向いているな」
グールを処理し終わり、初めて私の呪いとも言える魔性を見た友人はそんなことを言った。
「拷問は過剰だな。私怨でも混ざっているのか」
「そうよ」
それしかないだろう。
とにかく魔女の居場所が判明した今、ここに長居は必要ない。魔女を討伐し残りの吸血鬼を探し当てるだけ、なのだが先ほどの狂信者は吸血鬼の存在すら知らないようだった。
できる限り存在を秘しているのか。ここまできて未だ吸血鬼の存在が表に出てこない。グールの存在がそれを示唆しているだけにとどまる。
一体どこに。そして、何故魔女と組んでいる。
魔女は船底近くのボイラー室にいると聞き出せたためにそこへ向かう。当然グールと狂信者たちが邪魔をしてくるが、向かってきても友人が全ての首を跳ねてしまった。
あの笑いながら鏖殺する吸血鬼の王とはまた違うが、こちらも無表情で血を滴らせ大太刀を振り回す様は圧倒的な暴力性と言ってだろう。歩いた後はまさしく血の跡だ。
「グールの中にはお前の同胞である騎士もいたのではないの」
「確かに知った顔はいたが、もう怪異に成り下がった。ただの脅威でしかない。俺にそう言った感慨は期待してくれるな。一度敵とみなしたならば、暴力はためらわないことにしてるんだ」
「お前らしい」
ボイラー室の扉の前には何もなかった。見張もグールも、何も。
ここまででこの船にいるグールたちを全て殺してしまったのかと思えるほど、静かで物音がしなかった。
ただこの船に来てからずっと香る百合の花の香りが一層強くなった。
私を背に庇い、友人がボイラー室の扉を蹴り破る。
百合の香りが圧を持って押し寄せた。
「あァ、来てしまった。来テシマッタ。歓迎しよう。歓迎シヨウ」
聖騎士よ。真っ赤なドレスに身を包んだ魔女からは、血の色をした百合の花が皮膚を突き破って咲いていた。
♦︎
無機質だと思っていたボイラー室には床一面真っ赤な百合の花が咲き乱れて足の踏み場もないほどだった。天井と壁はパイプが這い機械の駆動音と共に蒸気が吹き出し、さらにこの場のアンバランスさ、異常さを醸し出している。
「メアリー・ワースだな。上位の赤き百合の魔女。討伐対象だ」
聖騎士が戦闘態勢をとる中、私が注視していたのは魔女の体のいたるところから皮膚を裂いて咲き誇る花の形をした血の結晶だった。
あれは形は違うが見たことがある。ドレスの仕立て屋で、あの吸血鬼の王が灰色婦人に渡していた。
「血華結晶か。吸血鬼の血を使ってお前は自身の能力を強化していたのか。通りであれだけの数のグールを寸分狂わず統制下に取れるわけだ。騎士団長たちもそのせいでお前に遅れをとったのか。お前にその血を提供した吸血鬼はどこだ」
「聖騎士。聖騎士。あの方へ。お前はもう、私の腹の中」
百合の花が途端に体にまとわりつく。それと同時に、魔女が花を伝って火を放つ。ボイラー室は瞬く間に炎を包まれた。
「オルドレット」
自身の拘束はあっという間に解いたのだろう。私を救助した聖騎士はボイラー室の奥の扉を見やる。
「あの扉の奥に強い怪異の気配が一つある。おそらく吸血鬼だ。お前なら、どうにかできるな」
先ほどの私の呪いを見てそう言ったのだろう。人間に近いほど、知能が高いほど私の呪いはよく効くのだと。
子供の頃からいつも守られてばかりだった私が、こいつから何かを任される時が来るなんて思わなかった。
「大丈夫。任せて」
「なら行け。あの魔女は血に取り込まれかけてる。ならば相手は俺がしよう」
大太刀の一閃で炎を切り裂き、魔女を反対側の壁へと蹴り倒す。聖騎士が作った道を走り、私は奥の吸血鬼が待つ扉へと進んだ。
扉を開けると百合と鉄のような匂いが混じった香りが鼻をつく。
奥の部屋は暗かった。暗いがただひとつの吊るされたランプの下に花瓶が置いてあった。
一輪挿しの花瓶。人一人が入るくらいの。
衣服を何も纏っていない女性型の吸血鬼が、鎖骨から膣までを咲き誇る百合の花の茎で貫かれていた。その茎から滴る血が吸血鬼を入れた花瓶に溜まっていく。
吸血鬼を花瓶にした百合の花の一輪挿し。否、吸血鬼の一輪挿しだった。そして、その吸血鬼には四肢がなかった。目は固く閉ざされ、私が入ってきたことにも気づいていないようだった。意識があるのかさえわからない。吸血鬼の再生力には個体差がある。それこそ瞬間的に全てを再生できるのはあの王様くらいで、この吸血鬼はそれほどまでの再生力を持っているわけではないようだった。だからこそこんな、何もできない状況にまで追い込まれているのだろう。
しかしどうなっている。魔女と吸血鬼は共犯関係ではなかったのか。これでは魔女が一方的に吸血鬼を搾取している。
ふるりと吸血鬼の瞼が開く。緩慢な動作で限られた可動域の中、濁った金の瞳が私を視界にとらえた。
「お前、人間か」
「ええ」
「俺を食べなかったのか、よくここまできたものだ」
「食べるって」
ここに来るまでに乗組員に扮していた狂信者たちから何度も食事を勧められた。何かあるとは思っていたが、毒ではなくあの中には吸血鬼の血肉が入っていたというのか。
「グールは吸血鬼が噛んだ者の末路だが、噛んで粗悪品を作るよりも吸血鬼を直に食わせて作る方がより強度の高いものが作れる。あの魔女はそうやって兵を増やしている」
俺を飼い殺して。
冒涜的で背徳的な、一種美術品とも取れるようなオブジェにされてしまった吸血鬼は掠れた声で語る。捕らえられた蝶がピンで止められたかのように、もはや自力では口以外動くことも不可能なようだった。
「なあ、人間」
「何」
「ここまで正気で来れたお前に頼みがある」
殺してくれ。
その声はもはや何の色も感じなかった。諦観も悲哀も、憎悪も何も。ただただ、無機質だった。
「死にたい。死なせてくれ。俺を殺してくれ」
魔女に飼い殺され、こんな状態で監禁され、彼女の精神はとうに限界を超えていたのだろう。元々吸血鬼は身体の強靭さと反比例するように精神が脆弱になるらしい。あの月のような吸血鬼を見ていればわかる。ならば、もうここでこの吸血鬼を殺してやるのが今回の任務の根本的な解決にもなり、この吸血鬼のためにもなるのだが。
「ごめんなさい。私では貴女を殺すことはできない。私では貴女を死に至らしめるまでには足りない」
私の想定では、自害を促せばいいと思っていたのだ。実際何度もそうやって、今まで人間も怪異も壊してきた。しかし今回はどうだ。
この吸血鬼はもはや何もできない。自死できるものならばすでに自分でしただろう。それができないから私に頼んでいるのに。
私の力では首を落とせない。私の銃では、この状態でも生き続けているこの吸血鬼の命を狩れない。
私では何もできない。
「そうか」
吸血鬼はそう言って静かに再び目を閉じた。もう、私と話すことはないとばかりに。
吸血鬼とはいえ搾取され続ける女性に思うところがないわけでもない。いくら全てを呪い殺そうと思っていても、自身の境遇に重ねてしまう。何とかはしてやりたかった。けれど、私では。
「ならば私が連れて行きましょう」
私の隣から突然声がした。凛としたその声はしかし甘やかで、どこまでも人を怠惰にさせるようなそんな響きがあった。
見ればそこには、全身をつるりとした鱗で覆われ、魚の尾のようなものを羽織るヴェールから覗かせた女性型の怪異がいた。
「悪魔か」
吸血鬼が再び眼を開く。
「ええ、その通りでございます。エリザベート。貴女はもう十分長らえました。辛苦に耐えました。ならば私が貴女を看取りましょう」
そう言って悪魔は吸血鬼の首へと手をかける。そうしてゆっくり力を込めて行って、緩やかに吸血鬼の命を消したのだった。
最後に吸血鬼に口付け、引きずり出された仄暗い灯りの玉をごくりと飲み込んだ。
「悪魔はもうどうしようもない人間の前に現れるのではないの。なぜ吸血鬼を救済する」
「よくご存知で。しかし、王と共に行く方。吸血鬼も元はと言えば人間なのですよ」
「吸血鬼が人間?」
「だから我々は吸血鬼も救済の範囲に入れるのです。我らが御方は吸血鬼の王をも気にかけておりますが、それが叶うかどうかは王自身によりますね」
「あいつを救済してくれるの」
「それを望まれるのであれば」
吸血鬼は人間や怪異を噛んでも同胞は作れないのではなかったのか。元が人間ならば、あの王も元々人間ということになる。
悪魔をより問い詰めようとすると、急に船がぐわんと揺れる。それと共にガチャリガチャリと何かが組み合っていくような音も聞こえる。
後ろの扉が開かれ、青い髪が目に入る。と同時に抱き上げられた。
悪魔はいつの間にか姿を消していた。
「オルドレット、そっちはうまくやったようだな」
「魔女はどうしたの。この揺れは」
「魔女が吸血鬼の血に完全に取り込まれた。一旦外に出る」
甲板に出る道すがら魔女を見ると、首はもうそこにはなかった。ただ首の断面から一輪の百合の花に見える血の結晶が咲いていた。
魔女はすでに生き絶えたかのように見えるのに、真っ赤な百合の花はどんどん増殖し船を覆っていく。
そして明らかに道が行きと違うことに気づく。違うのではなく、変わっている。それはもちろん、友人が異なる道を行っているのではない。道が、船が、組み変えられている。
「どうなっている。船の形が変えられているように見えるのだけれど」
「この船自体が怪異だ。中位の怪異。フライング・ダッチマン号。人を喰う幽霊船。魔女は元々この船と半同化していた。それが魔女の意識が途絶えたことで主導権が船へと移った」
組み替えられた船内でも友人は私を担ぎながら難なく進んでいく。まるでルービックキューブの中を進んでいるかのような気分になるが、友人にとってはそんなことでは足止めにもならないようだ。
甲板に出るとあたり一面霧に覆われていた。汽笛とも獣の唸り声とも取れる咆哮に耳を塞ぐ。そしてすぐそこまで百合の花が炎を纏って迫ってきていた。
さらにバキバキと甲板が割れる。その奥には巨大な口が大きく開き獲物を今か今かと待っていた。
こんなの、どうしたらいい。
「お前はここにいろ」
まだ百合の花が及んでいない甲板の端に私を下ろすと、聖騎士は大きく跳躍し黒い大太刀を幽霊船めがけて振るいかざした。
一太刀だった。一刀両断。それだけで大型の船が真っ二つに割れる。
炎に覆われて沈んでいく幽霊船の断末魔を聞きながら、友人のしでかしたことに眼を見張る。
最上位の怪異と、あの月の吸血鬼とやり合っていたのは見たけれどここまでだなんて。
「連れを待たせている。行くぞ」
私の返事を聞かず、再び抱き上げ晴れていく霧の中、無謀にもそいつは海に向かって飛び降りた。
海の中に飛び込むかと思われたが、友人が着地したのは小さな連絡船の上だった。後ろではまだ轟々と船が燃えつつも沈んで消えていく。
友人はあの船自体も怪異だといつから気づいていたのだろうか。というか、連絡船を用意していたくらいだ。きっと最初からだろう。
「アイザック!連絡くらいしろ!いきなり船は燃えるわ真っ二つになるわで、驚いたなんてものじゃなかったぞ!」
柔らかなクリーム色の髪を片側に垂らした中性的な青年が友人に詰め寄る。服からして騎士団のものだろう。友人の連れというのはこいつのようだった。
「リーベスか。悪かった」
「それ全然悪いと思ってないだろう!独断専行してもやり遂げるのが何とも癪だが、待ってる方の気にもなれ!って、その子」
青年の目が友人から友人に横抱きにされている私に流れる。そして眼を大きく見開かれ、なぜか泣きそうな顔をされる。何。
「……まあ、無事でよかったな」
「ああ。ようやくだ」
「本当にな!」
にかっと人好きのするような笑顔を浮かべて青年は船の操舵室へと向かって行った。
表情がコロコロと変わる人だ。忙しない。というか、誰だ。
1日かけて教会に帰る道すがら、青年はリーベスと名乗った。友人とは騎士団に入ってから、つまりは私と友人が別れた後からの付き合いらしい。色々と友人を気にかけてくれているようで、友人が無表情なことにも何も言わずにケラケラと笑って反応を返していた。
そうか、こいつもこいつで仲の良い友人ができたのか。喜ばしいと思うと共に少し寂しく思う。
そしてふと気づく。この実に十数年ぶりに再開した友人と過ごした三日間は、壮絶であったし渋々ではあったが、とても楽しいものだったのだと。そう思える日が来るなんて思ってもみなかった。そしてこれが終わればもう友人とは二度と会うことはない。私は再び行方をくらますつもりなのだから。少しの寂寥感と鳴りを潜めていた友人へのこんがらがった思いが首をもたげるが、それを無視して聖女への報告のために教会の巨塔へと向かう。
リーベスという者とは巨塔前で分かれてしまったが、こいつにもあんな人がいるのなら大丈夫だろう。
♦︎
真白の巨塔の一階ホールには誰もいない。そもそもここには神と聖女と絡繰人形しかいない。だから、私たち以外に人間はいない。
ふと前をいく友人が振り返る。
「オルドレット。お前に尋ねたいことがある」
「私にはお前に話すことなんてないわよ」
「それでもだ」
ここで再開した時と同じような会話を繰り返す。違うのは私の中身だけ。今はなぜだか友人を前にしてもとても凪いでいた。
先ほど会った青年の影響が大きいのかも知れない。どこか、こいつも私と同じで孤独なのではないか、息がしづらいのではないのかと勝手にそう思っていた。こいつがそれをどう思うのかは知らないし、そんなこと関係ないのかもしれないが、案じていたのだ。けれど、あんな友人がいるならば、私なんていなくても問題ないだろう。なんて、そこまで自分の価値をこいつの中に見出す自分に舌打ちをした。
「お前は、孤児院から出て行った後のことを俺に話す気はないんだな」
「ないわ」
「その魔性のことも」
「お前も見たでしょう。それで全てよ」
「そうか、なら」
一瞬口籠る友人。どうしたの。そんな反応、子供の頃のあの廃墟で見た時みたいで。
「お前は、俺を恨んでいないか」
「……何故。そんなわけない。どうして」
無表情が揺らぐ。感情の表出に慣れていない迷子のような不安げな顔が微かに出る。
どうしてそんなことを思う。そんなわけがない。お前から憎まれることはあっても、私がお前を憎むことなんてあり得ないのに。
「お前があの時何かで悩んでいたのを知っていた。知っていて何もしなかった。魔性だって気づいてやれなかった。俺があの時助けなかったから、お前は笑わなくなったのだろう」
待って、違うそうじゃない。そうではないの。だから、そんな顔をしないで。
「違う。お前のせいじゃない。全て私が悪かったんだ。私だけが悪くて、私だけがはずれくじを引いただけ。助けて欲しいだなんて思ってなかった。私はお前に見捨てて欲しかった」
誰にでも公平で公正なお前でいて欲しかったから。
「俺はお前を見捨てたくはなかった。できることなら助けたかった。……離れたくは、なかった」
「……どうして」
あの星空の下の時のように、困ったかのように微笑まれる。わかってる、これは対人のために身につけたものじゃない。こいつ自身の自然な顔。
「お前が、1番大事だったんだ」
柔らかく微笑まれる顔を正面から見てしまった。それはとても綺麗で、私は今どんな顔をしているだろう。
「オルドレット、お前が好きだよ。気づいたのはお前と別れてからだいぶ経った後だったけれど、きっとあの孤児院にいた時から好きだったんだ」
やってしまった。こいつに執着を覚えさせる気なんてなかったのに。でもこいつが私の魔性になんてかからないことだってわかってる。だからこれは私自身を見て言っていることで。それが酷く悲しくて、嬉しいと感じる自分を消してしまいたくて。
「……私は、私を好いてくれるお前が嫌いよ」
「そうか。では何故泣く」
「何故って」
敬愛じゃない、思慕じゃない、恋慕なんかじゃとてもない。こいつに恋慕なんてしてはいけないのに。違うの。違うから。だから、どうかもう暴かないで。許して。これは、この思いは墓まで持っていくから。お前の邪魔にはならないから。
こいつに私の嘘がバレることはわかってても、私はこう言うしかない。
私をどうかお前の中から消して。私を好んでくれるお前を私は拒絶する。
「……振られてしまったな」
変わらず柔らかな笑みで、涙をこぼし続ける私を見る。
涙を拭おうとしたのか、伸ばされた手は途中で下ろされた。
「『貴方は私を好きなわけではないことがわかった』か。それはそうだ。俺はお前が好きだったのだから。振られるのは当たり前か。しかし、お前に振られるのは堪えるな」
言葉とは対照的に穏やかに紡がれる言葉と表情に、涙が止められない。
「ごめん。ごめんなさい。許して」
「許して欲しかったのは、俺の方だよ。お前を引き止められなかった。助けを呼ぶに値しなかった」
そんなことはない。散々助けてもらった。母から逃げ回っていた時も、拉致された時も、孤児院でも日常的に行われた魔性に取り憑かれた者たちからの暴行にだって、私が今存在できているのはこいつのおかげだ。測りしれない恩がある。孤立した教会で犯されていた時も、もらったピアスを握って耐えていた。
助けを呼ばないと勝手に決めたのは私だ。こいつの邪魔になりたくないと意固地になって自滅しに行っただけのこと。それに、結局恩は返せない。仇としてでしか返せてない。
「いつか、お前の嘘が何故俺にバレるか尋ねていたな」
「ええ。だって授業をサボった言い訳をしてもすぐにバレて問い詰められるから。お前、人心を掴むの苦手なくせに」
「見ていたから。好きだから、お前の感情は知りたかった。お前だけをよく見ていたからわかったんだ」
ねえ、どうして。どうしてそんなに、私を大事にしてくれたの。私はお前に、お前のような聖騎士にもなれるやつに気にかけてもらうほどの人間じゃない。
私、性格悪いのよ。自分以外はどうだっていいの。全てが嫌いなの。お前から離れたのだって自分勝手が暴走しただけ。お前のように万人を守るような人間になんてなれないの。善き人なんかではないのに。
「お前の性格が最悪なことは知ってる。当たり前だろう。でもそれでよかった。自身の軸を善いことをするという他軸によらなければならなかった俺に、俺自身を見出してくれたお前がありがたかった」
だから、笑えるようになっただろう、と。
そう晴れやかに告げた友人は、まさしく青空の下の太陽のようで、私には眩しすぎた。
「お前はもう、俺と会う気はないのだろう」
「……どうしてそんなところまでわかるの」
「わかるよ。吸血鬼の王の元へといくのだろう。ならば教会の敵とみなす。次会うことがあれば、俺はお前を殺すだろう。今だけは見逃してやる」
さあ行け。そう言って友人は私に背を向けて巨塔の階段を登り始める。
ずっと誰にでも公平な友人は、少しだけ私に優しかった。そのことに再び涙が溢れる。どうしてこうも、友人が絡むと情緒が壊れるんだ。
「アイズ!」
自分でも思ってもみないほどの声が出た。驚いていると、振り返った友人も眼を見開いていた。
「私を、好きになってくれてありがとう。この恩は忘れない。私は地獄で、いずれ来るお前の冥福を願おう」
「ならば俺は、天国に最も近いこの場所でお前の幸福を祈ろう。それと……誕生日おめでとう」
子供の頃いつかこぼした、小さなどうでもいいことを覚えてくれていたことに笑みが溢れた。
今の自分の顔はわかる。きっと綺麗に笑えている。笑う私を見た友人が嬉しそうにまた笑った。
どうか、そのまま。高潔で高尚なまま、誰にも汚されることなく。生きて。
私たちが交わることはない。ずっと平行線のまま。けれど、それでいい。
その日私は、友人の前から姿を消し、ヴェレーアの庇護下でもあった教会からも完全に行方をくらませた。
♦︎
もはや勝手知ったるハイデンライシュタイン城の中を歩く。そして私にあてがわれた部屋へと向かう。
そこのスツールの1番上の引き出しに、右耳についていた友人からもらったピアスを外してしまい込んだ。
もう大丈夫。家に戻って散々泣いたし、今でも友人の声を、顔を思い出すだけで、ピアスに触れるだけで泣きそうになるけれど。全く大丈夫ではないけれど。それでも大丈夫。
私の部屋から隣の王の寝室へと連結してる扉に手をかける。
ガチャリと開けば、ベッドの中にはあいつが眠っていた。今は日付が変わる少し前。そろそろ起きるかもしれない。
そう思いながら、吸血鬼の背中側に回り込んで体を滑り込ませ、目を閉じた。
「あれだけ壊してあげたのに、よく来る気になったね」
気づけばいつも通り吸血鬼の冷たい腕の中にいた。吸血鬼の口元は吊り上がり、機嫌が良さそうだった。こんなことを言ってはいるが、私がまたこの城に来ることなんて読んでいたに決まってる。
だって、もうここが私の居場所になってしまっているのだから。
「泣いていたの」
私の目元に涙の跡を見つけたのだろう。ひんやりとした指で触れられる。
「また、僕のせいじゃないね」
「何でもかんでも、お前の思い通りなわけがないでしょう。私は私のものよ」
「残念だよ」
そこで私の髪をすいていた吸血鬼の手が右耳へと伸びる。
「ピアスは、どうしたの」
「もういいかと思っただけ。必要がなくなったの」
それより、と吸血鬼に視線を合わせる。
「私、今日誕生日なの」
「それは知らなかった」
「言わなかったもの。でも、だから何かお前からプレゼントが欲しい」
「君がそんなことを言うとは思わなかったよ。いつも何か欲しいものを聞いても、いらないの一点張りだったものね。何が欲しいの?君からの珍しいおねだりだ。なんだっていいよ」
くすくすと楽しそうに笑う吸血鬼の左耳に手を伸ばす。
「これがいい」
私が触れたのは、吸血鬼がいつもつけているカージオイドを模したリングのピアスだった。
「同じものが欲しいの?これは僕の血から作ったものだから、同じものを作ってあげようか」
「違う。これがいい」
お前がつけている、これがいい。
そういうと、目を密のように蕩けさせて了承してくれた。
「君、左耳はピアスの穴はないけれど」
「お前が刺して」
「そうかい?」
するとどこからともなく、針を取り出し躊躇なく私の左耳に突き刺した。
痛みを感じた次の瞬間には冷たくてぬるりとしたものが、耳をはっていた。
「ん」
「耳を食べるな」
「血が出てるから」
その後、無事に吸血鬼から譲り受けたピアスを左耳に付けてもらう。
「そういえば、お前の誕生日は?」
「そんなものないよ。いつから自分が存在しているかなんてか判然としないんだから」
「だいたい何歳?」
「400は経ったと思う」
この城に来てからは200年経つけれど、とついでのように付け加えられた。
「ここに住むのにハイデンと交渉でもしたの?」
「いや?ただ壊しただけだけれど」
つまりはハイデンを200年前に廃城にして調伏したのもそのくらいなのだろう。何やってるんだ。そんなんだから、あの子にああまで怖がられるんだ。
でもそうか、400歳か。こいつでこうなのならば、あの老吸血鬼はもっと経年しているのだろう。しかし、それにしたってもう少し精神を安定させて欲しいものだけれど。テンションで人格が変わるってなんだ。
「ねえ、ギル」
至って平静を装って私を好きだと言った鬼の名前を呼ぶ。顔に手を伸ばして、視線を合わす。
吸血鬼は嬉しそうに目を蕩かしていた。月が流れ落ちそうだった。
「お前の返事は、必ずきちんと返すから。だから、まだもう少し待ってくれる?」
「いいよ。待つのは得意だからね」
唇が触れそうになる程の近さで、密やかに約束を交わす。
あの高潔な友人とは向き合えたのだ。今度向き合うべきは、この美しい鬼だった。
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