ch.17 Dance

「なんだ、話は終わったのか」

「……まあ」

「不満そうな顔だ」

「実際不服もいいところよ。放っておいて」


 あの後、ヴェレーアにあの吸血鬼の王を殺せるのかと問われ、私はそれを拒絶した。そもそもあいつに私の魔性は効かない。だから、それだけの理由だ。

 それを言ったらあの女、今回の頼みを引き受けなければ私のことを次代の聖女として公にもう一度公開すると言いやがって。

 嫌々ながら、この友人と任務に赴くことを決めざるを得なかった。


 私たちが赴く任務内容はこうだ。

 北の港を利用する客船の中に怪異が絡んでいる船が時たま停泊し、客を乗せてそのまま姿をくらませるらしい。それはすでに何回も行われている。騎士団もその被害に遭っている。乗客と騎士団、行方不明になった被害者は数百人に上る。対応を急がなければと警戒ランクは船の出現以降一気に上がったそうだ。見た目だけで判断できず、実際に乗ってみなければそれがそうだとはわからない。


「おそらく大型の船一隻を偽装させる手立てを持った怪異だ。単純に考えて上位だろうな」


 ならば、魔女か吸血鬼か悪魔か。まずもってその怪異の目的がわからないことも、騎士団がこの件について頭を悩ませている原因だった。


「実際に行かなければわからない。一度家に戻って準備してこい。それが済み次第、出発するぞ」


 そう言われて家に戻ったものの、準備とは何をすればいい。想定される客船は北の港を出て東へ回り3日かけて再び同じ港へ戻ってくる。ならば着替えはいるだろうけれど、とクローゼットを開けるとそこには見慣れないドレスが一着かけてあった。

 それには手紙がついており、灰色婦人、グレイ・レディからだった。


『前回のお代の余剰分で、傾国様へお選びさせていただきました。どうぞご随意に』


 ドレスは紺をメインとして、全体的に濃いブルーの前回よりシルエットがタイトなものだった。所々に銀の装飾が施され、ご丁寧によく見るとシルバーのアクセサリーと似たようにあつらえられた靴も揃っていた。まるで星が散りばめられた夜空のよう。

 前回は黒と金のドレス、今回は青と銀のドレス。対照的なあいつらを嫌でも思い浮かべて思わず舌打ちをする。

 客船と言っていたし、船上パーティがあればドレスは必要になるかもしれない。嫌だが、前回のドレスは城にあるしこれを持っていくしかない。

 というかそもそもどうして私はあの幼馴染と泊まりに行く用意なんてしてるんだと、正気に戻り発狂しかける。無理やり頭を振って物理的にその考えを霧散させ、無心で準備を進めていった。

 もういちいちあいつに情緒を乱されるわけにはいかない。あの友人と三日間を過ごすことになるのは確定してしまったのだから。いい加減腹を括ろう。

 荷物はあいつに持たせればいい。私が持てるわけがないのだから。これくらいさせたっていいだろう。


「これで全部か?」


 1時間後。もう諦めて家まで教えて荷物を友人にとりにこさせた。

 ドレスのせいで量が増えてしまったが、なんとか一つの旅行鞄に収まった。元々私が荷物を持ち歩かないのも功を奏した。友人も騎士団のものか、白い似たような鞄を持っている。


「お前、あの大太刀はどうした。お前の武器じゃないのか」

「ああ、この中に入ってる」


 そう言って首のチョーカーに下げられた黒い結晶を指差す友人。意味がわからない。

 そのまま友人と馬車に乗り北の港へと向かう。ここからはそう遠くないのが助かった。あまり友人と二人きりになると、こいつから質問攻めにされることが目に見えていたからだ。

 と、そう構えていたのだが、友人は馬車の中では外を無感情に見るだけだった。数時間前までの尋問はもう諦めたのだろうか。それならそれでいいのだけれど。


「お前、笑わなくなったな」

「は?」


 質問をやめたのかと思っていたところに、思ってもないことを聞かれる。


「今は笑う気分じゃないだけよ」

「そうじゃない。しばらく、しかも長い間笑う機会が少なかったのだろう。そう見える」

「……だったら何」


 確かに子供の頃に比べれば笑わなくなった。それは私が微笑めば呪いになるからというのもあるし、笑うほどの愉快なことなんてないに等しかったからというだけというものだったりする。

 子供の頃と印象は違うように見えたのだろうか。しかし、だからなんだ。お前に何か言われる謂れはない。


「いや、そうなのかと思っただけだ」


 友人は友人らしく、今の私が笑わないという事実だけを受け止めたようだった。


 ♦︎

 

 夕方に出港する私たちが乗る巡回客船は見た目はいたって普通のものだった。普通がまずどういうものなのかという説明は必要だけれど、大型の客船とヴェレーアが言っていた通り北の港に泊まったどの船よりも大きく威圧感とも言えるほどの迫力を感じた。

 しかしただそれだけ。それだけだったのだが、中に誘導された途端異質さを感じた。それは視線、香り、言うなれば覇気ともとれる乗っている者の存在自体。

 船に乗ってから、友人は絶えず乗客や乗組員ではなく船自体をその目で観察していた。

 とりあえず私にあてがわれた部屋に腰を落ち着けた私たち二人は顔を見合わせる。船に入ってきてからもそうだが、やけに百合の香りが鼻についた。


「当たりだな。怪異の気配が至る所から漏れ出てる。ありすぎて逆に明確な特定が困難なくらいだ」

「乗客は普通に見えたけれど、乗組員の様子がおかしい。虚な目をした者と、まるで狂信者の目をした者がいる」

「生気がないように見えた者は確かにいたが、視線に敏感なお前がいうならそうなのだろう。ここでは人間も怪異に加担していると見ていい。強大な怪異に傾倒して利用される人間はごまんといるからな」

 

 人間が相手ならば私でもなんとかなるだろうか。しかし虚な目をしている者たちが気になる。あいつらと狂信者たちとの違いはなんだ。


「虚な目をした人間はもう人間ではないだろう。生ける屍、グールだ。そしてこの客船に陣取っているのはおそらくメアリー・ワースと呼ばれている魔女だ」


 友人によれば、西の戦線で倒れていった魔女や騎士の屍を絡繰のように操って戦力としていた魔女がいたらしい。しかし、その魔女が最近戦線から姿を消したとか。


「グールは自力で思考し行動するような怪異じゃない。噛みついて同胞を増やす本能しかない下位の怪異だ。それを人のように操ってみせるならばそれはメアリー・ワースしかいないだろう。さらにいうならば、その魔女、吸血鬼と手を組んでいる可能性がある」

「吸血鬼?なぜここで吸血鬼が出てくる」

「グールは下位の吸血種。発生元は吸血鬼が人間を噛んだ後の屍だ。自力でもグールは増えるが、体をあそこまで人間に近づけて保てるのは直接吸血鬼がグールにしたものだけだ。魔女は自力であれほどのグールを生み出せない。吸血種を自力で増やす事ができるのは吸血鬼だけだ」


 怪異には自然発生するものと、怪異自身で同胞を増やしていくものとがある。

 例えば城化物は前者、グールが後者だ。

 上位の怪異と言っても魔女は自力で魔女を生み出すことはできず、自然発生はするが戦争で死んでいく。吸血鬼も自然発生しかしない。しかし、同胞である上位の吸血鬼ではなく中位、下位の吸血種は吸血鬼が増やすこともできる。また吸血鬼は他の怪異と違い同族殺しと自殺がかなり多い。そのため放っておいても自然と数は保たれるどころか減っていく。あの夜会での王様の虐殺がいい例だ。悪魔に至っては、そもそも数は変動しないとされている。今いる存在が全てで、殺してもまた同様のものが復活するのだそうだ。


「上位の怪異が二体組んでいるのね。でもどうして。吸血鬼は基本群れないのではないの」

「吸血鬼の動機はまだわからないが、魔女の方は明らかだろう」


 俺だ、と友人はそう言い切った。


「この客船で起こる怪異現象はそもそも内にも外にも隠すつもりがない。だから教会も発見してすぐに警戒度を引き上げた。そして団長クラスまでも飲み込んだ。それでもこの怪異は未だ魔女の下で航海し続ける。ならば目的は今までの被害者全てを囮とし、俺を引き摺り出すことだろう。メアリー・ワースという魔女はかなり好戦的で女皇に心酔していた。その魔女が戦線と女皇から離れてまでやることとなれば、それは戦力の補充と女皇への手土産としての聖騎士、つまりは俺だろう。今までの団長たちがこの船で被害に遭ったのは、被害が小さい内に行ったために魔女だとの確定が遅れたことと、グールの物量及び背後の吸血鬼の存在、未だ無事な乗客の対応。それが要因だろうな」


 まだ推測だがなと、最後に付け足してそして話は以上だと言わんばかりに、友人は唐突に口を閉じる。

 搭乗してからものの数分で盛大なネタバラシをされた気分だった。

 以前、ギンカともう一人の少女と吸血鬼の対処に向かったが、その時だってかなり難航したし、少女は間に合わず壊されてしまった。非攻戦的な上位の怪異一体相手でさえ、私ではああするしかなかったのに、こいつはここまでの情報だけでこうも明確な回答を出してしまうのか。

 あくまで推測だと言っていたが、こいつの推測がもはや予言と同等の確定事項というのは子供の頃から身に染みてわかっている。おそらく今回の件も、今こいつが言った通りなのだろう。私たちは吸血鬼と魔女、上位二体の怪異の相手をしなければならなくなったようだ。


「もう今日はこの部屋から出ないほうがいいだろう。早く休め」

「そうね、わかった」

「俺もここにいるから、何があっても対応はできると思うがな」

「は?」


 この部屋は私にあてがわれた部屋で、友人の部屋はその隣のはずだが。


「お前一人にして無事で済むとは思えない。一緒にいた方がちゃんと守れるだろう」

「待って、お前この部屋で泊まるの?」

「ああ、そうするつもりだ。ベッドはお前が使えばいい。明るい内にシャワーにでも行ってこい」


 待ってくれ本当に。急に投げられた爆弾に対応ができない。せめて少し落ち着かせてくれ。


「シャワーはお前が先に行って。私はその後で行くから」

「わかった。何かあればすぐ呼べよ」


 友人がシャワー室に消えてすぐ、私はベッドに積まれていた真白の枕を掴み床へと投げ捨てた。当然私の力では元々柔らかい枕にはなんのダメージを与えることもなかったが。ぽふりという音とシャワー室からの水音だけが聞こえる。完全なる八つ当たりだ。


 待て待て待て。あいつと?一晩同じ部屋?いや、あの言い方だと今夜だけじゃない。この船に乗っている間ずっと一緒の部屋にいるつもりだ。何考えてるんだ、そんなことされたら私の気が休まるはずないじゃない。ただでさえ、今だって、怪異のせいではなくあいつのせいで気を張り詰めているというのに。ようやく任務に関係ある会話くらいならば、波風立てずに進行できるようになったのに。

 ベッドから投げ捨てられた枕の前で突っ立ってはいるが、頭の中は思考が回りに巡ってぐちゃぐちゃに混乱していた。どうする。あいつを説得するなんて私には無理だ。どうせ正論で論破される。もともと話を聞いているようで聞いていないやつだ。柔軟だが、一度こうと決めたら梃子でも動かない。

 なによりその理由が私を案じてのことなのがもう本当に、なんなんだ!


「オルドレット、終わったぞ。……何してる」

「別に何も」


 床に打ち捨てられた枕の前で佇む私がよほど不審に見えたのだろう。私でもそう思う。しかし今の私のこの状況はお前のせいだ。

 無表情で明らかに嘘を言っているとわかる私を見て、こてりと首を傾げる友人。いつも言われている夏空のような青髪は解かれ、雫が垂れ首を伝っていた。


「何固まっている。次はお前だぞ。外の様子は見ててやるから安心しろ」

「……髪」

「髪?」

「濡れてる!」


 タオルを奪い取って、自分よりも頭ひとつ分も高い位置にある友人の頭をガシガシと拭いていく。もうやけだ。

 触れた髪はあの金髪の鬼の髪とは違ってふわふわとしてはいなく、少し硬かった。そういえばあいつは髪の手入れをハイデンにやらせていたっけ。

 

「どうした、もういい。自分でやる」


 手首を掴まれ、乱れた髪のままの友人の目を正面から見てしまう。体温が、伝わる。それに嫌悪感を感じなかったことに驚いて、また動けなくなる。


「オルドレット?本当に大丈夫か」

「なんでもない!」


 手を払いタオルを顔面へと投げつけるが、易々とキャッチされてしまった。なんでもないという嘘もバレているのだろう。未だに顔を凝視されているのが辛い。

 もう諦めてシャワーを浴びてこようと思った時にふと気づく。私は普段から眠る時には肩紐の丈の短いワンピースを着ている。その中はブラジャーとショーツだけ。見ようによってはそれ自体も下着だし、その上からブラウスを着ることもある。もちろん、仕事に行かない普段着としてちゃんとしたワンピースも持ってはいるが。基本的に私にとって服は重くて外出する時以外は出来うる限り軽装でいたいのだ。今問題なのは、現在持ってきている寝る時の格好がそれしかないということだ。できる限り荷物を減らそうとしたのがここで仇となった。

 待ってくれ、その格好でこいつの前に出るのか?首も肩も腕も足も思いっきり露出しているあの格好で?あの月の鬼の前ではいつもそうだったなんてことは今は棚に上げる。でも他に持ってきた服で寝ると皺になってしまうし、それしか。まさか一緒の部屋で寝起きするなんて思っても見なかったから。


「また固まってるぞ」

「うるさい!」


 そのままの勢いでシャワー室へと向かった。もう全てあいつのせいだ。


「軽装すぎないか」


 諦めて短い黒のワンピース姿で出てきた私を見て、友人は開口一番そう言った。


「服が重いのよ」

「……そうか。他の女性は眠る時もっと着込んでいたから、そう思ったがお前はそれでいいのか」


 そう言っていつも来てる友人の真白の羽織を被せてくれた。これで露出している体の大部分は隠せるからいいのだけれど、つい落ち着かず羽織のフードの部分も被る。

 いや、待て、今こいつ聞き逃していけないことを言った気がする。


「お前、他の女の子の寝る時の服を見たことがあるのか」

「そうだな、恋人になった女性のものなら」

「恋人?!」


 え?え?恋人?こいつに?なんで?いやなんでじゃない。それはこいつだってそういうこともあるだろうことはわかるが、全力で拒絶したい。


「今彼女いるの?!」

「振られてしまったから今はいないな。毎回そうなんだ」

「毎回って言ったかお前」


 何、今まで何人も付き合ってたってことか?こいつはなんでもできるし聖騎士だから、惹かれる人間は少なくないとは思うが、毎回振られるってどういうことだ。あと何人と付き合った。


「25人だな」

「取っ替え引っ替えだなおい」

「告白されて、断る理由がないから付き合うんだが、毎回『貴方は私を好きなわけではないことがわかった』と言われて振られる」

「馬鹿か?本物の馬鹿かお前は。一度でもお前を天才だと思った私が阿呆だったよ」


 幼馴染のとんだ恋愛遍歴を聞いてしまった。とんでもなさすぎて聞いていられない。というか聞きたくなかった。どうしてそうなる。なんの事故だよ。そして女の子たちもそれでいいのか。そんなやつでも恋人になりたいだなんて子は後を絶たないなんて、この世の終わりでは。

 しかもなんだ、断る理由がないからって。そんなの最初から好きでもなんでもないじゃない。こいつが特定の人物に固執しないことは分かっていたけれど、それがこうもねじくれるとは思っても見なかった。いや私が人の恋愛に口出せるほどのものでもないし、どうだっていいのだけれど!

 どうも怒りが湧いて仕方ない。

 もう寝てやろうとベッドに潜り込む。


「お前自分の部屋戻れ!私は寝る!」

「お前だけだと怪異に対抗できないだろう」


 そんなことはない。人間や、上位の怪異のような知的能力が高く私を知覚できるものならば呪うことだってできる。


「お前の魔性のことは聖女様から聞いた。それでもグールが物量で押してきたらどうしようもないだろう」


 あの女怪ついに口を割りやがった。聖女と目の前の幼馴染に沸々とした怒りを覚えるが、正論にぐうの音も出ない。しかしやっぱり怒りは収まらない。


「お前は早く寝ろ」

「うるさい、こんな状況で寝られるか。お前が寝ろ!私が起きてる」

「それじゃあ本末転倒だろう」

「いいから!寝ろ!」


 ベッドをばふばふと叩く。怒りに任せたとはいえ我ながら酷い有様だ。いやもうそんなことは無視だ。


「……わかった」


 そういうと、友人は何を思ったのか私がいるベッドに入って横になった。


「これでいいか」

「……よくない」

「ベッドを叩いて呼んだのはお前だろう。ほら、早く寝ろ」

「お前は」

「俺は寝ない」


 目の前には至近距離で私を貫くように見る友人がいて、手を伸ばさなくても触れられる距離に嫌悪感を抱かない体温がある。


「眠れるわけ、ないじゃない……」


 馬鹿は私だった。


 ♦︎


 コンコン、という戸を叩く音で眼を覚ます。冷たい体温に抱き込まれていないことを不思議に思い、手を伸ばせば人肌の体温に触れびくりとする。顔を上げればそこには幼馴染がいて声をあげそうになる程驚く。それを見た友人に口を手で塞がれる。

 どうやら昏倒したのだろう。気を張っていた友人の目の前でもぐっすり眠ってしまったことに、また腹立たしさを覚える。そして無意識にあの冷たい腕を探してしまったことを後悔する。

 コンコン。コンコン。

 私が一人口を塞がれながら悶々としている間にもノック音は止まない。


 コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン。


 一定のリズム、強さでなり続ける音に思わず身をすくめる。

 扉を見つめたまま警戒を強める友人に抱き込まれる。それにひどく安堵してしまったことに罪悪感を覚えた。

 5分か10分か。それよりも長かったか。しばらくするとようやくノック音は止み、再び静寂が訪れた。


「今の、何」

「わからない。俺たちが夜の晩餐にも出ず部屋に引きこもっていたのが気に食わなかったのかもしれない」


 改めてこの船の異常さを目の当たりにする。明日からはより警戒しなければわからなくなりそうだ。

 しかし、それからは眠気が来なくて、友人と小声で秘密の話をするかのようにたわいもないことを朝まで話していた。まるで子供の頃に戻ったかのようで、楽しくて、自分たちが怪異の手の内にいることなんて忘れてしまっていた。


 翌日は朝から船内を探索することにした。他の乗客のことも気になっていたからだ。

 見たところ、状況は半々だった。すでに虚な目になってしまいおそらくグールにされた乗客もいれば、未だ私たちと同様生きた人間もいた。


「お客様、ただいまあちらでビュッフェを振る舞っております。いかがでしょうか」


 狂信者と思われる乗組員からブランチを誘われる。当然ここの食事は口にしないと、昨日から二人で決めていた。


「ありがとうございます。けれど、今は俺たち二人とも食欲がなくて。あとでいただきます」

「そうですか。承知いたしました。いつでもいらっしゃってくださいませ。お客様方は昨夜のディナーも召し上がっておられないようでしたので、昨夜もお夜食をお持ちしたのですがすでにお休みのようでした。もし具合がよろしくなければ医務室へお連れいたしますが」

「大丈夫です。ただ船酔いしただけですし。もう治りましたから」

「そうですか、では今夜の船上パーティーにはぜひおいでください。衣装も貸し出しております。お連れ様とどうぞご参加ください」


 今のやりとりで気になったことは2点ある。昨夜のノック音は食事の配膳を知らせるものだったらしいこと。何故か食事をやたら勧めてくるような印象を受ける。やはり何か混入しているのだろうか。

 そしてもう一つは、乗組員との会話で友人が笑っていたことだ。私と話す時は鉄面皮だったくせに、笑顔で対応している。馴染みすぎているそれがひどく不自然で不快だった。


「お前、笑うようになったのね」

「対人では笑ったほうがいいと学んだんだ」

「そう。それは残念だわ」


 笑わない自然なお前が好ましかったのに。笑っている時のこいつは別人のように擬態していて気味が悪かった。


「船上パーティーですって」

「行く必要はないだろう」

「そうか?偉い奴ほど出張ってくるから、接触のチャンスだとも思うけれど」


 実際怪異の夜会には吸血鬼の王、魔女の女皇、悪魔の首魁と最上位の怪異三体が揃っていた。


「そうか。しかし俺は衣装なんて持ってない」

「……なら、今から選びましょう」


 私のドレスを選んだ吸血鬼と同じ立場になるなんて思っても見なかった。

 友人の衣装を選び、自身もドレスに着替えてパーティー会場へと向かう。私のドレスに合わせてしまったから、友人の衣装も青がベースになっている。いらない配慮をしたかもしれない。


「お前踊れるの?」

「一通りはな」


 そういえばこいつは近衞騎士の家系の出だった。上流階級の教養は当然持っているのだろう。


「お前はどうなんだ?」

「……踊れても体力が持つ気がしないわ」


 一応、子供の頃は軍の将校の家にいたから一通りのことは叩き込まれたが、それよりも自身の体の耐久に不安がある。

 そんなことを言いながらパーティー会場へと入ると、そこはすでに異質な色に染まっていた。

 音楽はなっているし、ガヤガヤとした人の話し声も聞こえる。しかしそれは全て意図されているようで。そして全ての視線が、私と友人に注がれている。

 どうやら、昼間の間に無事だった他の乗客もグールにされてしまったらしい。

 つくづく正当な舞踏会には参加できないらしい。別にしたくもないが。


「手遅れ?」

「そうでもない。こんなものだろう」


 はなからこいつは乗客の救助をする気はなかったらしい。あくまで目的はこの根源たる怪異の討伐のみ。それに、ここにきた他の団長たちのように生存者に気を取られて任務を失敗するわけにもいかないと。これ以上被害が出ないようここで食い止められるのならば、今回の犠牲は仕方なく受け入れる。

 徹底した合理主義、全体主義に笑いそうになる。私の知っているこいつはそうでなくては。


「なら、せいぜい私たちだけでも見苦しくないよう踊ってやりましょう」

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