ch.16 Curse

 射抜かれる。

 あいつの翳った月のような金色の目とは違う、焼き尽くす太陽の目に真正面から見据えられる。

 必死に今まで押さえ込んできたあいつへの絡まった感情が際限なくどろりと表出しそうになる。

 

「オルドレット。ようやく、見つけた」


 逸らすのは許さないとばかりに、無表情の目が私を射抜き、一歩こちらへ踏み出す。

 やめて。聞き慣れない声で私の名前を呼ばないで。これ以上、私なんかに近寄らないで。私はお前に合わせる顔なんてない。お前にそんなふうに呼ばれるなんて、探されるなんて、そんな人間じゃない。

 どうか見捨てて、放っておいて。

 お前があのまま長らえてくれているのならば、会いたくなんてなかったの。

 あいつが一歩踏み出すたびに、私も一歩後退する。やめろ。やめて。

 お願いだから、これ以上は。私の中身が吐き出される前に。ああ、今私はなんて顔をしているのだろう。

 もう、耐えられない。


「見ていられないね」


 そう言って、気まぐれか何かか。私とあいつの間に割り込んだのは私がここにいる元凶でもある吸血鬼だった。私と友人の視界を遮ってくれたために、私からは吸血鬼の背から靡く金髪しか見えない。

 月光を反射してきらめく鈍い金にこれほど安堵を覚えたことなど、いまだかつてないだろう。これからもないと思いたい。こんな綱渡りはごめんだ。

 だとしても、背に庇ってくれて、友人から隠してくれたことがありがたくて泣きそうになる。だめだ。友人のことが絡むと、どうも私は情緒がすぐに壊れてしまうらしい。


「あれは、君の知り合い?今代の聖騎士のように見えるのだけれど」


 口調と声音だけを聞けば機嫌良く聞こえるが、明らかに友人と対面してから殺意でギラついているのがわかる。

 一触即発。そんな雰囲気だった。


「……知らないわ。そんな人間、私は知らない」

「ふぅん?まあ、後で君は問い詰めるとして」


 これをどうしてやろうか。絶対的強者の余裕を持たせた圧が友人へと向けられる。

 しかし、友人がそれに怯むような人間でないことは私が1番よくわかっていた。

 友人とて聖騎士。現世最大の盾。太陽の守護者の名を持つ人間側での最大戦力だった。


「天災。月の写身。吸血鬼の王。並びに戦災。銀の毒牙。魔女の女皇。討伐対象だ」


 機械的なその言葉と共に夜闇を映し取ったかのような剥き身の大太刀を構える。明らかな戦闘体勢。友人はここで最上位の怪異2体を相手にする気らしかった。

 それは流石に部が悪すぎる。吸血鬼のあいつだけでも厄介なのに、魔女の女皇までいる。友人のことだから勝ち目がないことはしないのだろうが、いかんせん見ているこちらとしてはその身を案じてしまう。

 いや違う。あいつの身の安全なんてどうでもいい。


「おーおー。けったいなことだなおい。では王様?俺様はやることがあるからそれまでの間、適当に相手してやってくれ」


 女皇はそう言い残して姿をくらました。やることってなんだ。何かしらの含みを持った言い方だったが。そんな中私ができることといえば、この聖騎士と吸血鬼の王が対立している状況。もっと言えば私と友人が思いがけず再会してしまった状況をなんとかしてくれる一手であることを祈るしかないのだが。怪異にそれを期待するのも無駄なことか。

 本当ならば自力でここを潜り抜けたいところだが、今はもう吸血鬼に隠してもらっているからやっと思考を回せると言うくらいで、自力で友人からこれ以上逃げるのは困難な話だった。

 できるならば目の前の吸血鬼に縋りたい。ここから逃がしてくれと腕を取りたい。でもそんなこと、私自身が許すはずがない。こいつに向ける感情にだって手を焼いているのだから。そんな自殺行為は、私はやらない。

 先に仕掛けたのは吸血鬼だった。仕掛けたと言うより痺れを切らしたと言うべきだろうか。自身の影の中から巨大な一体の手を出したかと思うと、それを友人を握り潰そうと伸ばしていった。

 結果的には握りつぶすより圧殺しようとしたかに見えたが。軽い跳躍で躱した友人はそのまま吸血鬼の真正面に躍り出て、その大太刀を振り下ろした。当然振り下ろされた刃は吸血鬼を深く切り裂いた。肩から反対側の脇腹まで袈裟斬りに。上半身分断とも取れる攻撃は、しかし全くもって吸血鬼の王には意味をなさなかった。そもそも吸血鬼ははなから避けようとなんてしていない。攻撃を受けることなんて、自身が痛みを被ることなんてなんとでもないとばかりにその身に受け、瞬く間に体を再生してみせた。

 体が分断する前に、分断する前の体へと。

 友人の方もそれはわかっていたのか、対して驚くこともなく攻め手を緩めなかった。再び大太刀を振るえば吸血鬼の右腕が飛んだ。至近距離で蹴りを繰り出せば、骨と臓腑が砕ける音がした。もう一度とばかりに刃を返せば首が落ちた。

 しかしだからなんだと言うのだろう。右腕が飛んだ瞬間には右腕がそこにあり、臓腑が砕けたと思えばその跡はどこにもなく、首を落としてもその体はなんら傾くことなく瞬きの間に、先ほどと変わらない吸血鬼が佇んでいるだけだった。

 躱すまでもない。躱す必要がない。

 こいつがいつか、再生力が強すぎて死ねないと言っていたことを思い出した。

 何をされたってこいつは死なない。死んでも死なない。死ぬことを許されないがためのアンデット。

 私が普段、どんな奴と対面していたのかをありありと見せつけられる。

 視界に入ればそれでおしまい。訪れた街には何も、人の子一人残らず食い殺され、聖騎士すら退ける天災。

 ただ今はその脅威が、悍ましくて好ましい。この吸血鬼のおかげで友人は私まで辿り着けない。こいつがあの友人をもって、ここまで苦戦させることができるとは思っていなかった。

 身内の贔屓目ではないが、友人はなんだってできた。子供ながらに怪異を退けることも、実際に聖騎士になることも。きっと最上位の怪異相手だってあいつならば、狩取ってしまうのではないかとそう思っていた。勝算のあることしかしないのではないかと。

 しかしどうだ。今や劣勢なのは友人だった。吸血鬼は己の影から巨大な腕を幾多も伸ばし、また次々にフランベルジュや槍といった武々を出し友人めがけて撃ち込んでいた。乱射される武器の雨の中、それでもどこも怪我することなくいなし続けているのは流石ではあったが、これでは吸血鬼を殺すことは叶わないだろう。

 どうか、このまま引いてくれ。今は吸血鬼を討伐できないと判断して、ここからいなくなって。

 ここで友人が死ぬなんて心配はしていない。そんなやつではない。けれど、このままの膠着状態が続くならば、あの友人が引いてくれないのならもういっそ、教会の傀儡としての存在が長引く前に死んでくれ。

 そしてもしそうなるならば、私は友人を殺した吸血鬼を許すことはない。だから、もう。

 共にここで果てて死んでしまえ。


「先代から聞いた通りだな。吸血鬼の王。再生力は尋常ではないらしい。しかし、攻め手が雑だ。暴力をただぶつけているだけ。まるで子供の八つ当たりのようだな」


 吸血鬼の猛攻を難なくいなしながら発した友人の言葉に、何か感じるところがあったらしい。

 目の前の鬼の殺気が膨れ上がった。


「あははははは。ははは。はははは。そうだ。お前たちは毎夜そう言って俺を憐れむ。何度殺そうとしても長らえ続け、その精神の強靭さだけで生き続ける」


 それがどれだけ憎らしいことか。

 戦闘が始まってから一歩も動かなかった吸血鬼が、一歩、また一歩と友人へと進んでいく。

 そして直に手を伸ばして。


「もういいだろう。これ以上、ノイシュを壊してくれるな?」

 

 ぱちんとどこからか指が鳴らされる。

 その途端、視界がぶれ始める。違う。ブレて見えるのは城だ。そして吸血鬼。見れば私の手もブレて形が不安定になっていた。実際友人を見てもそんなことはない。


「若い今代の聖騎士よ。次会うのは西の戦線だろうなぁ。それまでの別れだ。そう遠くはない。焦らず今宵はさっさと帰って眠りにつくといい」

 

 魔女の女皇が再びぱちんと指を鳴らす。

 さらにブレていく視界の中、友人の目が私を捉えた。その口は明らかに私への言葉を紡いでいた。

 気がつけば目の前の友人はないくなっていた。友人どころか、下層で戦闘していた教会の騎士団丸ごと消え失せていた。

 否、周りの風景を見ればここがさきほどいた地形とは別の場所だと言うことがわかる。移動させられたのは私たちだ。しかも城ごと。


「ギルベルト、やってくれたな。教会の奴らよりもお前が1番ノイシュを破壊しやがって。寛大な俺様もそろそろ報復を考えるぞ」

「相手をしてろと言ったのはお前だろう」


 先ほどの殺気は鳴りを顰めたが、未だ友人の言葉が尾を引いているのか瞳孔は開き切り口角は吊り上がっていた。機嫌が最高に悪い時の顔だ。

 この後が大変だとため息をつくと、後ろから間延びした声が二つ聞こえた。


「オルドレット、大丈夫だったかい?すまないね、なかなか合流できなくて。ギルベルトを先に向かわせたけれど、なんとか無事なようで安心したよ。ギルベルトが君一人でも平気だと言っていたけれど、本当にそうだとは」

「ロザリオ、お前、俺様があれだけ小娘から目を離すなっつったのにやりやがったな」

「騎士団が来ることをわかってて、情報を出さなかったお前もなかなか悪いよね」


 老吸血鬼と悪魔様がお互いを罵倒しながら、顔を見せてきた。

 この二人は仲がいいのか悪いのかいまいち掴めない。付き合いは長そうだけれど。


「ローレライがこの城ごと移動させてくれたんだ。もう騎士団はいないよ。さあ、夜会はもうお開きだ。疲れたろう。連れ回して悪かったね。帰りなさい」


 ギルベルト、と老吸血鬼が呼びかけると吸血鬼は無言で私の方へと向かってきた。


「ついておいで」


 先ほどまでの激情はどこへ行ったのか。今度は感情の読めない声で促される。

 本当に情緒が安定しないやつだ。今は一体何を考えているのだろう。

 そうして、私たちは行きと同様、鏡を通ってハイデンライシュタイン城とへ帰城したのだった。


「オルドレット、俺から逃げるなよ」


 城の転移の直前。私に向かって目を逸らすことなく友人から投げかけられた言葉が、脳内を支配する。気づけば自分自身の腕を跡が残るほど掴んでいた。


 ♦︎


 城に戻ってからも私の精神状況は散々だった。これではあの白の巨塔であいつを見かけた時と全く同じ。精神の安定の仕方なんて何も学んでない。あいつへのこんがらがった思いも断ち切れてない。私は何も変わってない。

 まずどうして、あいつは私がここにいるとわかった。偶然?それとも狙って?偶然にしてはあいつは明らかに私を最初から探している様子だった。狙ってだとしたら誰がその情報を漏らした。

 先ほどの言葉と、昔と変わらず貫いてくる目に思考の全てを持っていかれる。

 会いたくなんてなかったのに。見つけて欲しくなんてなかったのに。あいつと会わないためならなんだってした。ヴェレーアに口止めするために聖女からの頼みだって聞いたし、あの孤児院からだって、助けてという言葉を飲み込んで離れたのに。

 あいつが私から離れることが、あいつにとって最もいいはずだと思って今まであいつへの感情を押し殺してきたのに。

 どうして暴こうとするの。

 なぜ私を、諦めてくれないの。

 私はお前に見捨てられることが本望だったのに。


 城に戻って吸血鬼の部屋に誘われてからも、私の思考は友人のことばかりで上の空だった。上の空なんてものじゃない。粘度の高い暗闇に沈み込んでそのまま上ろうともしない。

 だから、吸血鬼が私の体をどうしようと知ったことではなかった。

 

「オルドレット」


 ぶつりと手首の皮膚が貫かれる痛みを感じて、のろのろと呼ばれた方を見る。気づけば吸血鬼のベッドの上で、向かい合わせに座らされていた。じゅると手首から流れる血を吸血鬼が舐め取っていくのを、ぼーっとただ見る。

 友人に関する思考は痛みで断裂したが、それは無理やり思考回路を破壊されたようなもので、今の私にはその再構成はすぐには難しかった。


「あれは、君の何」

「知らないって言ったわ」

「君、いい加減、僕に嘘は効かないって学んだほうがいい」


 友人もそうだが、なぜこの二人には私の嘘がバレてしまうのか。他の人間には絶対にバレることはないのに。


「……友人よ。昔の」

「ただの友人にしては、やはり君の反応がおかしいね。以前もそうだったけれど、君はあれに何を見てる」

「何も」


 これは嘘じゃない。私はあの友人に何も望んでいない。何も期待していない。何かを投影しているわけでもない。

 ただ、私の中で積み重なったものを誰にもバレないように押し込めて押し殺して沈みこめているだけ。

 私はあいつに何も見ていない。


「僕は聖騎士が嫌いだ」

「……みたいね」

「ただでさえ嫌いなあれに、君がここまで壊されるのは癪で仕方がない」


 だから、僕が壊してあげる。と、吸血鬼は未だ焦点が合わない私に無理やり視線を合わせた。


「好きだよ」


 その言葉を聞いた途端、血が沸騰したように感じ、回らなかった思考に再び血が巡った。

 反射的に握られていた手首を振り解く。


「好きだよ。オルドレット。好き。君が、君だけが好き」

「やめろ。嫌。やめて」


 首筋を撫でる冷たい手に、いつもなら安堵するのにそこにいつもとは違うものを自身の内側から感じて、それを感じたくなくて手を払う。

 どうしてそんなことを言うの。何故言ってしまったの。お前が言わなければ私は。


「私はお前が嫌いだ」


 お前を拒絶しなかったのに。

 拒絶をしたことで自身の中で生まれた、罪悪感と相手ではなく自分への嫌悪感で頭が揺れる。今まで人ならざるこいつに依存して、自身の居場所を作っていたことを嫌でも思い知らされる。

 こいつが私に好意を持っていたことはわかっていた。最初からそうだった。

 何故か私の中身を知っていて、それに過剰に配慮してくれて、私の安らげる場所になってくれていたのに。

 嫌悪と憎悪と不快感を縁にして長らえていた私が、どれだけこいつのそばで安らげていたのか。猫でなくてもこいつの隣ではよく眠れたのに。

 こいつにだけは、この月のように美しい鬼にだけは私の中身の醜悪さを晒したくはなかったのに。

 ここまでのらりくらりと誤魔化していた好意をこうも面と向かって示されてしまえば、それには嫌悪で返すしかないじゃない。目には目を歯には歯を。好意には好意だなんてとんでもない。好意の反対は無関心なんて誰が言った。好意には嫌悪を。そうでないと私ではないから。

 好意なんて気持ち悪いもの。でも、お前だけはそうではないと思っていたのに。そうは思いたくなかったのに。

 お前を嫌いにはなりたくなかったのに。


「どうして、そんなひどいことを言うの。やめて、お願いだから」

「さっきも言ったろう。君が壊されるのを見て、それが僕であればいいと思ってしまったから。これでも今までかなり我慢はしたんだよ。でもどうせ壊れるなら、僕でぐちゃぐちゃになって」


 やはりこいつは私の中身を私以上に知っている。それがどうしてかはわからないけれど、それが今回は悪い方へと働いた。的確に、確実にこいつは私を壊しにきている。

 友人に会ってしまい膨れ上がった昔の感情と、今現在直面させられた鬼の非情のせいでもう顔を覆ってうわごとのようにやめろと言うことしかできなかった。


「返事はもう少し落ち着いたらしてくれるかな。今夜は僕は出ていくよ。今は君のその顔が見れただけで十分だ。僕がいると落ち着かないだろう。壊されたいなら、いくらでも付き合ってあげるから、おいで」


 顔を覆っていたために、吸血鬼の顔を伺うことはできなかったが声音は終始愉悦に歪んでいた。

 そうだ。こいつはこういうやつだった。

 自身を壊し続けて、他者をも壊す、鬼の王。

 少しでも傷心の私を放ってくれるだなんて、慈悲を期待した自分が愚かだった。

 私は一体、どんな顔をしていたのだろう。


 あいつのベッドに取り残されて、扉が閉まり吸血鬼が出ていったことを確認してすぐ、私は大鏡を通って自身の家へと戻った。

 私が勝手に居心地よく感じてしまったあの城は、もはやそうではなくそれこそ鬼の住む城だった。

 久しぶりに猫の体温もなく、鬼の腕の中でもないベッドで1人で眠った。眠りにつく頃にはもう夜明けで、窓から見えた太陽にどうしようもないやるせなさを感じた。

 今日ばかりは体力が切れると倒れてしまう自身の体質に助けられた。強制的に昏倒でもしないと、頭の中が直にかき混ぜられたかのように不快で自殺したくなったろうから。


 ♦︎


「また会ったな」


 現在地は城の巨塔最上階付近。どうしてここにいるかと言えば、昨夜、と言ってももはや早朝だが、ヴェレーアからの手紙でここに招集を受けたからだ。

 もうハイデンライシュタイン城にも行けずにいた私は、半ば投げやりにその招集に応じた。この時ばかりはヴェレーアの厄介な頼み事も不快なおしゃべりも、昨夜の出来事に比べればマシなように思ったのだ。

 しかし今はそれを撤回して、起きた時の自分に行くなと強く言いたい。

 

 目の前には昨夜、怪異の夜会で再開した幼馴染。他には誰もいない。ヴェレーアにここに行けと言われてきてみれば、とんだ罠だった。扉を開けたら今会いたくない人物同率一位2人のうちの1人がいたなんて。

 くるりと踵を返して再び扉を開けて出ようとすると、いつのまにか距離を詰めたのかバタンと扉を閉められる。


「俺から逃げるなと言ったろう」


 至近距離で見上げた顔に、身長差をまざまざと感じさせられる。昔は私の方がほんの少し背が高かったのに。それにまた胸の辺りがぞわりとする。


「逃げてない」

「逃げただろう。昨夜と、今と2回」


 その通り過ぎてもはや黙り込むしかない。しかしこいつを前にすると、塞ぎ込んで奥底へと追いやっていたものが無理やり暴かれる感触がして、いつも以上に気を張っていないとやってやらない。

 もしやこいつに私のことをバラしたのはヴェレーアか?だとしたら絶対許さない。なんとしても呪い殺す。


「オルドレット、お前に聞きたいことがある」

「私はお前と話すことなんてないわ」

「俺と口を聞くことでお前が不利な状況になることはわかった。昨夜吸血鬼といたことといい、孤児院のことといい、それぞれは別個のことだろうが、元凶はどちらもお前でお前もそれに振り回されているのだろう」


 だから、その正確すぎる考察をやめてくれ。久しく会っていなかったからこの感覚を忘れていたが、こいつはこういうやつだった。

 まるで演算機のように恐ろしく頭が切れて、俯瞰しすぎるその観察眼のせいで1を聞いて10を知るどころではなく100や1000まで正確な推測を立ててしまうことを。

 こいつにとっては、問いかけた質問を黙秘されるだけでもそれが十分な情報となる。だから、私の中身がこいつにバレる前に早くここから逃げないといけないのに。

 いけないのに。こいつと会えて、また言葉を交わせることに喜んでいる自分がいる。聞き慣れないはずの声で、聞き馴染みのあるトーンで私の名を呼んでくれることを喜んでいる。そしてそのことに吐き気を覚える。何を喜んでいるのやら。こいつを聖騎士に追い立てたのは私だし、ここまで探させるほどの執着をこいつに覚えさせたのも私ではないのだろうか。こいつはこんな奴じゃ、1人に固執する奴じゃない。万人に対して公平で公正でないといけないのに。


「オルドレット、お前は俺を」


 そいつが何か言いかけた時に、コンコンと扉からノック音が聞こえた。そしてそのままガチャリと開き、巨塔を管理する絡繰り人形が顔を覗かせた。


「セイジョサマガ、オマチデス」


 元にした本物の城化物とは違い、こちらは言葉を発するようだ。ガラスを擦り合わせたかのような音が耳を打った。


 ♦︎


「オルドレット、アイザック。久しぶりね。二人揃って会えるなんて嬉しいわ。この日をどれほど待ち侘びたことか。ねえ、オルドレット?」

「私は今すぐお前をできるうる限り苦しめてから殺したいよ」

「まあ!熱烈ね」

「お前だろう、こいつに私の情報売ったのは」

「それは違うわ。貴女が吸血鬼の王と一緒にいるという情報も、教会に顔を出しているという情報もアイザック自身が持ってきたものよ。だって吸血鬼の王と一緒だなんて私も知らなかったもの」


 それを聞いて、思わず横に立つ友人を見る。当の本人は相変わらず何も読めない表情を貫いているが、無言で私が睨みつけているとしばらくして口を開いた。


「捕らえた怪異が言っていたんだ。最近傾国と呼ばれるほどの女性が吸血鬼の王と共にいると。そして、傾国についての情報は数年前から教会内でもあったんだ。噂程度のものだったが、その内容を精査していったらお前ではないかと推測がついた」


 悪魔様のところにいた時にヴェレーアに居場所がバレたのと同じ轍をまた踏んでしまったらしい。長く同じところに留まれば、私の容姿のせいで話が立つ。

 それを長年会わなかった私だというところまで確定させるこいつもこいつだが。

 そして、傾国は私にとって蔑称でしかない。やめろ。お前まで呼んでくれるな。

 そしてあの吸血鬼と一緒に行動していることまで、聖女であるヴェレーアと聖騎士のこいつにバレてしまった。

 あいつの居場所を尋ねられでもしたらどうしようか。知らないで誤魔化せはしないだろうから、とまで考えて別にあいつを私が庇う義務なんてないことに思い至る。

 どうせ聖騎士とやりあってもどうにでもなることは昨夜わかった。ならば、もうそれこそどうにでもなれだ。


「せっかく二人が揃ったのだもの。二人で一緒に私のお願いを聞いて欲しいわ」

「怪異の討伐任務ですか」

「そうねえ、潜入と言った方がいいかもしれないけれど」

「承知しました」

「待て、私は行かないからな」


 ヴェレーアの話を聞いたらさっさとこいつから離れて、なんなら今住んでいる街からも行方をくらませようと考えていた私に話を投げないで欲しい。絶対行かない。


「聖女様からの任務だぞ」

「だから嫌なのよ。それも、お前とだから余計に」

「一人が良かったのか。それは自殺行為だろう」

「受けること自体が嫌なのよ。わかって」

「俺に人心がわかると思うか」

「思ってないから言ってるの」


 ああ、こんなやり取りいつぶりだろうか。あと私たち二人の会話を見てニヤニヤしてるヴェレーアを今すぐ始末したい。


「あなたたちに頼みたいのは、大型客船への潜入調査及び怪異討伐よ」


 私の言い分を無視して聖女は話を進める。こうなったらもう勝手に帰ってやろうかな。


「北の航路を渡る客船の中にどうやら怪異絡みのものが混じっているみたいなの。今まで何度も騎士団を派遣したわ。でも皆、帰ってこなかった。先日、第二大隊の騎士団長も向かわせたのだけれど、それでもダメだった。あとは近衛か、総大隊の団長を向かわせるしかないのだけれど、ここまできたらもうアイザックを向かわせた方が早く解決すると思うの」

「なら、私はいらないだろう。こいつ一人でいい」

「ダメよ、貴女だって騎士団長以上の力があるのだと自負なさい。それにアイザックに潜入が向いていると思う?」


 正直思わない。普通の人間として振舞う程度の擬態はできるだろうが、そもそもこいつは人の感情の機微に疎い。観察眼が頭抜けていても、誰が何を企んでいるのか、腹の中を探るのは不得手だろう。策略家に見えてこいつは前線に出るバーサーカーだ。


「話はこれで終わりよ。詳しくは下の団員から話を聞いてちょうだい」

「わかりました」

「だから、私は」

「……オルドレットは少し残ってくれる?」


 友人が退席した後、私とヴェレーアが向かい合う。私を説得でもするつもりか。何を言われたって、私はいち早くあいつから逃げないと。


「貴女、吸血鬼の王を殺せて?」

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