ch.14 Party
灰色の婦人、グレイ・レディ。
中位の怪異であり、それは男に陥れられた末に首を落とされて死んだ女の成れの果て。
若い男の血を好んで襲うために、吸血種に分類される。
吸血種、つまりは吸血鬼の下位互換。一応のあいつの統制下。あいつが直接的に統治しているのは上位の吸血鬼だが、中位や下位の 吸血種と呼ばれるものたちも統治下には含まれるらしい。あいつが本当に統治しているかはともかく。
よっぽど猫たちの方が統治しているというか、いうことを聞いている気がする。しかし基本的にあいつは放置主義だから、やはり何もしていないのかもしれない。
唯一の世話役である城化物にだって顧みることはないのだから。
「今宵は何をお探しでしょう」
「この子の夜会用のドレスを。俺のはこの子に合わせる」
「承知いたしました。オーダーメイドにいたしますか?」
どうするとこちらを見られ、首を横に振る。別にドレスなんてなんだっていい。
それを見ていたグレイ・レディはカウンターのさらに奥へと案内する。
通されたのはどこもかしこも色とりどりでさまざまなドレスやアクセサリーが並べられた部屋だった。広い部屋の至る所に品よく商品が並べられている。
「人間のお客様は初めてです。灯りを強くいたしましょう」
その言葉と共にいくつも浮かび上がっていたランタンの明かりが強くなり、私でもはっきりと部屋の詳細まで視認できるようになった。
何かありしたらお呼びくださいと、グレイ・レディは部屋から出て行った。何かあるも何も、私はドレスなんで自分で選んだこともないし、そもそも服に興味がない。自分のものも最低限しか持っていない。
家にいた時も孤児院の時も教会にいた時も、全て服は渡されたものを着ていた。一人で住むようになってからは、変に目立たないよう周りと大差ないものを選ぶようにしていたが、ドレスなんてどうすればいい。
「どうしたの?君が気にいるものはあった?」
「……なんだっていいわ。お前が決めて」
「そしたら、僕が君に着て欲しいものを選ぶけれど。何か希望はある?」
「黒いものを。白はやめて。死ぬほど似合わないから」
近くのソファに座って、あいつがドレスを選ぶのを眺める。
要望というか、言わなかったが最低限の条件はある。
まず、脱がせにくいような手の込んだ着方をするもの。次に銃を隠せるもの。そして、露出が少ないもの。この3点を満たすものをあいつが見繕ったものから選べばいい。
私に着せたいものを選ぶと言ったが、あいつは何を持ってくるのだろうか。変なものを持ってきたら思いっきり罵倒してやろうと、そう思った。
果たしてあいつが持ってきたものは一着だけだった。全体的に真っ黒のドレスであるが、長いスカート部分は上から徐々にレースが使われ銀の刺繍が施されて、袖は袖口にてかけてゆったりとした指先まで隠れるようなものだった。首元まですっきりとした襟とリボンで飾られ、腰はコルセットで締められシルエットも綺麗だった。その上からゆったりとふんだんに大きなリボンが腰に巻きつき、後ろあたりで幾重にも蝶のように揺れていた。
「これはどう?」
「ええ……いいと思う」
言っていなかった条件までも見透かされたかのように、全て満たしたドレスを持ってこられてしまった。全体的に手の込んだややこしい着方をするものであるだろうし、布の重なりも多く銃を隠しやすい。さらに露出は全くなかった
本当に読まれたかのように申し分なかった。
「着て見せて」
「え」
「君に着て欲しいものを持ってきたんだから。着付けはあの吸血種に頼もうか」
「ちょっと待って」
「靴も選んであげるからね」
いつのまにか控えていた灰色婦人に着付けを手伝ってもらう。
私は着替えが苦手だ。ただでさえ力がないから、服がとにかく重く感じる。だから試着が一着で済むのは助かるといえば助かるのだが。
黙って着付けられながら着るのがこんなに大変なら、脱がすもの大変だろうとそこは胸を撫で下ろした。まずもって、脱がされる気なんてさらさらないが。
試着室から出るとあいつがソファで待っていた。私を見るとすぐさまこちらに向かってきて、何かを言う前に横抱きにされて先ほどあいつが座っていたソファに座らされる。
そしてドレスの裾の中から足を手に取られる。びくりとして引っ込めようとすると、視線で宥められる。そのまま大人しくしていれば靴を脱がされ、どこからかまた見繕ってきたのであろうヒールを手づからはかされる。こいつがこんなことをするとは思わなかった。
はかされた靴は真っ黒だが、ヒール部分はシルバーの装飾が美しいシンプルながらも品の良いものだった。
靴を履き替えさせて満足したのか、今度は手を取られ大鏡の前へと連れて行かれる。
「君によく似合ってるよ」
そのまま後ろから抱き込められる。いつも着ないドレスのまま抱きしめられている状態が鏡に映され、何故だかとてもぞわりとして背徳的感を覚えた。腰や肩に回った手がドレスの布を通して体のシルエットを感じさせる。後ろから詰められたように吐かれた吐息が、冷たいはずなのに熱っぽく感じた。
その後もアクセサリーや私のドレスに合わせたあいつの衣装やらを選び、店を出る時間となった。
私は何もしてない。ほとんどあいつが選んでいたが、それでも帰る頃にはぐったりしてしまっていた。元々ない体力を使い果たしてしまった。
怪異の中で代金などは、それと同等の価値のものとの物々交換らしい。
あいつが代金としてグレイ・レディに渡したのは拳大ほどの真っ赤な結晶の塊だった。よく見ると花の形にも見える。
「我が王、これは血華結晶では」
「ああ」
「元となったのは」
「俺の血だ」
それを聞いた途端、籠の中のグレイ・レディの目が輝いた。
「ああ、我が王の血の華をいただけるなんて。これではお代が多すぎます。後ほど追加で衣装をお送りさせていただきますわ」
「好きにしろ」
何に加工いたしましょうかと、にこにことした灰色婦人に送り出されて、今宵の買い物は終了した。
城に戻ってから、私は先ほど抱いた疑問を尋ねることにした。
「血華結晶って何」
「血の結晶だよ。なんの耐性も持たない人間に、過剰に吸血鬼の血を注ぎ込むと吸血鬼の血の生命力の方が勝って、人間の体を内側から突き破って血の花が咲くんだ。それを削り取ったのが血華結晶。装飾品や吸血鬼の血の代用品として使われるみたいだよ」
なんだか思った以上に恐ろしい話を聞いてしまった気がする。
そういえば以前、城の中を歩き回ってみた時に地下牢を見つけたことがあった。そこには血がこびりついた拷問器具がいくつもあり、夥しい血の塊が付着した牢も点在していた。あの後、ハイデンが慌てた様子で迎えにきたのでよく覚えている。
こいつが人間を捕らえて、何かしらのことをしていたのはもはや間違いないだろう。
こいつが過去何をしていたかはもはやどうでもいいが、流石自身を壊し続けているだけのことはある。こいつも私同様、他人を壊すことが得意らしい。
♦︎
とうとう夜会当日が来てしまった。ハイデンによりくるくるとドレスを着付けられ、化粧を施される。化粧なんて自分ではしたことがないから、出来上がっても、もうよくわからない。紅を引いた唇がいつもの自分より艶かしく感じてゾッとした。見ていた鏡を叩き割りたい衝動に駆られるが、しかしそのままずるずるとあいつの前へと引き摺り出される。
出されたのはいいものの、あいつの支度が全く進んでいなかった。いつものシャツにスラックスの姿から全く着替えていない。かろうじて自分で前のボタンだけは外したのか、前だけくつろげられた服のままにだらりとソファに四肢を投げ出していた。
それを見たハイデンが慄きながらも吸血鬼を追い立てて支度を始める。しかし吸血鬼は支度に非協力的で、不機嫌な顰めた顔のまま自分から動こうともしない。目の前で服を脱がされそうになっているのを見て、手持ち無沙汰になると感じた私は隣の自室へと移動した。
しばらく経って控えめなノックと共にハイデンが入ってくる。どうやらあいつの支度が終わったらしい。
見れば、私のドレスに合わせたのか黒を基調として片側に長いマントをあつらえられた正装のあいつが立っていた。
髪はいつものハーフアップではなく、緩く黒のリボンで片側が結われていた。
「こうしてみると、まるで王様ね」
「君、いつも僕をどう見てるの」
「猫」
ふっと片側だけで笑われる。極夜の最中としても夕方から始まった支度のために早くから叩き起こされ不機嫌だったようだが、今は夜の10時。太陽が来ない、月が支配する極夜の満月。機嫌は良さそうだ。
機嫌が悪いこいつは私をいつも以上に私を離そうとしないし扱うのが面倒なので、どうか夜会が終わるまではその機嫌のままでいてくれと暗に祈りながら、また鏡の間から私たちは夜会へと向かった。
夜会の会場はハイデンとはまた違った古城だった。堅牢な砦の側面が強いハイデンの様相とは違い、まるで童話の中から出てきたかのような壮麗な城が目の前にあった。
私たちが出てきたのはその城の庭に設置されたガゼボの中にある古い鏡だった。
「待ってたよ。ちゃんと来たね、ギルベルト」
あの幼くも老練の吸血鬼が出迎える。私の隣の奴は目を細めて翳った笑みを浮かべるばかり。機嫌がいいのか悪いのか、もうわからなくなってきた。
「オルドレット、ありがとう。君のおかげでようやく今宵三者が揃いそうだ」
にこりと笑いかけた老吸血鬼の意図は全くわからなかったが、私の役目はこのクズ吸血鬼を連れてきたことで終わりだろう。
もう帰っていいだろうか。
「ダメだよ」
毎回の如く、見透かされたかのようにこちらを見やる吸血鬼。
「君がいなくなったから、僕はここを破壊してから城に戻るからね」
「ギルベルト、やめなさい。ごめんね、オルドレット。この子相変わらずこうだから、最後まで付き合ってね」
そんな気はしていたが、とため息を一つついて吸血鬼たちの後を大人しく着いて行った。
ここはノイシュヴァンシュタイン城というらしい。またこの吸血鬼とは別の怪異が管理下に置いている城らしい。
武装や兵器が多く格納されていた防衛力迎撃力ともに文句のつけようのないハイデンライシュタイン城とは違い、ノイシュヴァンシュタイン城はとにかく豪華絢爛だった。
外装から、庭から、内装まで。全てが美術品の如く輝き、博物館に身を置いているからわかることだがどれも値段がつけられないほどの貴重な品々が城のあちらこちらに飾られていたり使用されていたりした。
渡されたグラス一つとっても博物館に寄贈されるレベルのものだ。
2体の吸血鬼を追って城に入ったが、城の中の異様さはその壮麗さだけではなかった。
どこを見ても正装した怪異で埋め尽くされていた。この前行った店が立ち並ぶ区域など比べ物にならない。
しかもほとんどが、魔女、吸血鬼、悪魔の上位種だった。
私のようにふと人間らしきものもいるが、場違いもいいところだ。人間は決して立ち入ってはならないという異様な圧力がそこにはあった。
「前のような形がないものはここにはいないけれど、君たち人間にとって脅威になる種しかいない。おいで、僕から絶対に離れないで」
エスコートされるかのように腕を自然に組まされる。吸血鬼の長いマントの中に隠れてしまうかのようだった。
それにしたってやはり視線を至る所から感じる。
今代の吸血鬼の王に先代の王と歴代が揃えばそれもしかないとかと納得する。
「俺たちだけじゃないよ。なんというか、君も目立つんだよ。君というか、ギルベルトと並ぶ君が」
「私が人間だからですか?」
「それもだけれど、追々わかるとおもうよ」
そんなことを話しながら夜会の会場となる大ホールに辿り着く。
足を踏み入れた途端、今度は明らかにぐるんとその場にいた全員がこちらを向いた。
薄気味悪さを抱えながらも、一気に静まり返ったホールの中を自分と吸血鬼と老吸血鬼の靴音だけが響いていく。
すると中心部の開けた場所でこちらを振り返った人物がいた。
「ようやく来たか。月の写見、影の王。俺様の城へようこそ」
うっそりと目を細めてそう出迎えたのは、外はねしたボブの髪の毛先をネオングリーンに染め、人ならざる黒い瞳をした魔女だった。
「あっはっは。お前の面を見たのはいつぶりだろうなぁ!100年ほど前にお前の心臓を奪いに行った時以来か?相変わらず血の匂いが濃いな。また街ひとつ潰したか。直近で何百人喰ったんだ?」
さも親しげそうに、しかし殺意でギラついた視線で吸血鬼に話しかける魔女。
相対するあいつはつまらなさそうに、胡乱げな目を向けるだけで何も話さなかったが。
そんな2体を見ていると、魔女はどうやら私と老吸血鬼にも気づいたようだった。
「よお、老害。まだ生きていたか。相変わらずの死に損ないめ」
「口が減らないのはお前のいいところだよ。ローレライ」
「それはなんだ。ああ、その人間が傾国か。確かにいい皮だな」
ローレライと呼ばれたくつくつと笑う魔女を無視して、とりあえずは何も言わずにいるのがいいだろうと、黙っている。
が、気づくと目の前に腕が伸ばされていた。それはまごうことなくあの魔女の白い腕で。
「いい素材だ。美しい表層の皮。欲しかった部品だよ」
魔女の尖った爪が眼前にまで迫っていた。しかし、目が引き絞られた隣の吸血鬼が動く前に後ろから肩を抱き込まれ引かれる。
それと同時にぐしゃりと魔女の腕を握りつぶした音がした。当然それをやったのは吸血鬼だが、後ろから私を引き込んだのは違う。そいつじゃない。
「待てよ、女皇。お前のコレクションにこの子を入れてくれるな。俺様の信者に何する気だよ」
「……悪魔様」
「よぉ、久しいな子娘。息災で何よりだよ。ギンカは生きてるか?なぜお前がここにいるかは知らんが、来るべき場所でないことは確かだな。何をやっているんだ」
久しく聞いていなかったテノールに安堵する。記憶の中のニヤニヤした笑いを引っ込めて呆れ顔で被りを振るのは、数年前に別れたはずの悪魔の首魁だった。散々世話になっておきながら、恩も返せないままもう二度と会えないと思っていた。
思いがけなく会えたことがことの他嬉しくなってしまう。
「どうして貴方がここに」
「あー、まあ、これでも惣領なんでな。それにしても本当になぜここにいる。今すぐにでも帰れ阿呆が」
「今夜は付き添いできたからすぐには帰れない」
「付き添いだあ?」
そう言って隣に立っている吸血鬼を見上げると、そいつはなぜだか至極愉快そうにこちらを見下ろしていた。いつもなら突然の珍入者にはムッとしているはずだとは思うのだけれど。しかし瞳孔は引き絞られ機嫌がいいのか悪いのか全くわからない。いや、これは良すぎて悪いのか?
あいつに握りつぶされ、肉片と砕かれた骨でぐちゃぐちゃになった腕をプラプラさせながら魔女も何事かと愉快そうにこちらを見ていた。
悪魔の首魁、吸血鬼の王、そしてあの魔女は女皇と呼ばれていた。図らずも最上位の怪異が一堂に介してしまった。
この夜会の目的がそもそもそうなのだろうか。
「なるほどなぁ。子娘、お前今吸血鬼のガキの所にいるのか。なんでこうもくじ運が悪いかね。いや、ここまで最悪で生きてるならばむしろ良いのか?なあ、ロザリオ。じじいがガキを巻き込むなんて大人気ねぇなぁ」
「俺より耄碌したお前には言われたくないよ。仕方がなかったんだ。ギルベルトがわがままを言うものだから」
「お前の教育がなってないだけだろうが」
軽い口調の煽り合いの割にはいささか険が混じる。老吸血鬼はいつも通りにこにことしているが、悪魔様はどうやら私がここにいることに、本当に怒っているようだった。
「お前との話は積もるほどあるから、後で文句もちゃんと聞いてやるけれど、良い加減その子を離してあげてくれるかな。今夜はギルベルトの連れなんだよ」
口元は笑いながらも剣呑な目で老吸血鬼を見やると、渋々といった体で肩に組まれていた腕を外す悪魔様。
「お前、絶対に吸血鬼のガキから離れるなよ。いや、そいつはそいつで問題があるが。ロザリオ、ちゃんと見ててやれよ」
「わかってるよ。相変わらず人の子には優しいね、お前は」
「腹の中真っ黒なくせしてよく言う。いいか、子娘。ここは怪異だけでなく人間もいる。だが、お前なように正当にいい意味で、招待されてくるやつなんざいない。ここにいる人間は怪異と取引しているやつ、人身売買にかけられる商品になっているやつ、怪異に片足突っ込んでるやつ、ここに並ぶ料理の食材になる奴。そんな奴しかいない。お前はそんな末路を辿ってくれるな」
「……悪魔様がここにいる理由がわかったわ」
おそらく商品にされかけているような、もう落ちきってしまった人間を、夜会を台無しにしても救うために悪魔たちはここにいるのだろう。
救済装置の役割を果たすために。
「危険だってことだよ。俺様は俺様でやることがある。ずっとお前を見てはいられない。ロザリオはとりあえずは信用できる。ガキの方は知らん。まあ、吸血鬼は約束を違えない。とにかくこの馬鹿どもから離れるなよ」
「わかった」
「本当かぁ?」
未だ疑わしいと言わんばかりの顔をしていたが、私が吸血鬼の腕に掴まったのを見ると気をつけろと言い残して、悪魔様は雑踏の中へと消えていった。
ずっとお前を見ていられないなんて、まるであの友人のようなことを言う。そこまで考えてその思考を頭の中から抹消した。
♦︎
「オルドレット。君、悪魔の首魁を知っているの」
「前に世話になっただけよ」
ふうんと、だんだんと吊り上がる口角からは一見機嫌がそさそうに見える。実際そうなのかもしれない。しかしやっぱり何を考えているのかわからない。先ほどの悪魔様とのやり取りを、こいつはどう見たのだろう。極夜の満月。通常の満月の時は割と体調も機嫌も良かったから、極夜ともなれば快調なのではとも思ったがどうなのだろうか。
それにしたって目がずっと据わっている気がするし、ずっとそんな調子で笑顔でいられることの方が怖い。これなら不機嫌でいてくれた方がマシかもしれない。上機嫌も過ぎれば据わった目で笑まれるのは耐えられないが。
「さっきあの首魁が言っていたように、ここには人間もいる。ここにいる時点でまともではないけれど。どうか大人しくしていてね」
「私はお前に大人しくしてて欲しいよ」
いつのまにか腕が元に戻っている魔女が、私と吸血鬼のやり取りを愉快そうに見ていた。
「そこまでして囲っていないとは笑えるな。なら俺様がどうにかしたって何も言えないぞ」
「女皇」
「心配するな、お前の心臓もちゃんと俺様が奪ってやるさ。ああ、そうだ。今回の舞踏会はお前が見ることになってるからな。俺様の手を煩わせるなよ」
あははと楽しくてたまらないといったように、笑い声を残して魔女も去っていった。
この夜会の主催らしく、やることはたくさんあるのだろう。それが人身売買なのかそれより酷いことなのかは知らないが。
「舞踏会なんてあるの」
「あるよ。ギルベルトにはそこでやることがあるから、俺と一緒に二階の観覧席で見てようか」
それでいいね、と老吸血鬼が聞く前に私の頬を人撫でして吸血鬼の王はマントを翻しホールの中心へと歩き出していた。
去り際に見た瞳は愉快そうに歪められていた。今日は本当に機嫌がいい日なのかもしれない。いいからと言ってそれが良いこととは限らないが。
2階の観覧席は来賓席のようで、カーテンで覆われながらもバルコニーのように内側に迫り出した席から下のホールが見下ろせるようになっていた。
「あいつ踊れるの?」
「あの子は踊れるよ。でもこの舞踏会では審判役だけど」
「審判?」
いっている意味がわからない。私の知っている舞踏会と違うのか。
あれこれ思索を巡らしながらホールを見ていると、その答えはすぐにわかった。
まず薄暗いながらもシャンデリアが照らすホールの中心で2体の怪異、あれは両方とも吸血鬼だろうか、が向き合う。そしてまるで踊り出すかのようにお互いの腰や手を取って。そしてそこからが異常だった。
そのまま踊るのかと思われたそれは、最初こそくるくると回っていたかと思えば次の瞬間に、片方の吸血鬼が相手の吸血鬼の腕を引きちぎっていた。かと思えば、ターンのついでとばかりにその相手が蹴りで臓腑まで掻っ捌く。
私が見ていたのは踊り、いや、舞踏会とは名ばかりの殺し合いだった。
きゃらきゃらと笑いながらお互いに血みどろになっていく吸血鬼たち。そのうち踊るという体裁も忘れて本格的な殺し合いに発展する。己の体に仕込んだ武器を取り出し、抉り、刺し、血を浴びた。さも楽しそうに。
「……何を、やっているの」
「余興かな?人間だって舞踏会くらいするでしょう?」
「するけれど、こんなのじゃない」
「どうせ滅多なことじゃ、俺らは死なない。このくらいしないと楽しめないんだよ」
「やめだ」
いよいよ相手の脳髄に齧り付いたところで、あいつの声が響いた。
その声を合図に双方が血みどろの体で笑い転げながら明かりの外へとはけて、また新たな一組が前へ出る。
今度は初手からすでに殺意をむき出した殺し合いだった。組み合ってそのまま腕を引っこ抜き、容赦なく首を噛みちぎる。
際限なく飛び散る血飛沫をもはや誰も気に留めていない。熱狂だけがその場を包んでいた。
「もう、いいだろう」
あいつの顔は見えないながらも、声ははっきりと響いて聞こえる。なのに殺し合いは止まらない。骨を引き抜き、顎下が掻っ捌かれてもその2体は止まらなかった。
さらなる熱狂で歓声が上がった時、ずどんと重たい音がした。
言うまでもなくその音のなる方は、明かりの中央で。
「やめだと、言ったろうが」
あいつの影から二対の巨大な影が手の形を成して、先ほどまで殺し合っていた吸血鬼たちを圧殺していた。
どけた手のひらからはとろりと血の糸が引いている。
「あー。殺しちゃったね」
終わりだって言われたのに、と隣で老吸血鬼がのんびりと告げる。
吸血鬼が死ぬよっぽどのことの中には、あいつ自身からの制裁も入るらしい。
通常では見ることなどあり得ない光景に、あいつの怪異としての格の違いに、しばし呆然とする。
同族の吸血鬼でもあんなに簡単に殺して見せるのか。
「大丈夫かい?」
「……ええ。少し、驚いただけ」
惨劇を目の当たりにして固まってしまった私を老吸血鬼が気にかけてくれたようだった。
流石にここまでの血みどろの惨状は、あの教会以来だ。
「人の子には刺激が強いかもしれないね。そうだ、緩衝材じゃないけれど一つ吸血鬼に口伝されるお伽話を教えてあげよう」
相変わらずの笑顔を崩さずに、人差し指を口に当ててしーっと秘密の話をするように老吸血鬼は声をひそめた。
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