ch.9 Fatal

「オルドレット!久しぶりね!会いたかったのよ!貴女突然いなくなってしまうのだもの。一体どんな手品をしたの?今までの貴女のことを聞かせてちょうだい?」

 

 ギンカと騎士団寮で別れてから、1人でヴェレーアの元へと来たがもう帰りたい。来たことを速攻で後悔した。

 やはりこいつ苦手だ。嫌い。


「何の用か、手短に言って」

「そうね、話したいことはたくさんあるけれど……まずは貴女」


 そう言ってすっと目を細めてこちらを見やる聖女。


「貴女の魔性はそんなものだったかしら」

「前が全盛期だったんじゃない?今はそんなでもないわよ」

「いいえ、貴女自身の美しさは変わっていない。むしろ19歳なんてこれからさらに美しくなる頃。なのにこちらの捉え方を変えられている。ねえ、オルドレット。一体何をしたの」

 

 少しばかり怒気が滲む声音で問い詰められる。何をしたも何も、これは悪魔様からの温情で、それをこいつに話す気は毛頭ない。


「お前に話すことは何もない。用件だけ言え。そうでないなら私はすぐさま帰る」


 元から悪い目つきで睨んでやると、ふとヴェレーアは張り詰めた息を解き尋問を諦めたようだった。


「用件は貴女が私の元へ戻ってきてくれることよ。ここにいてちょうだい。私の後継は貴女なのだから」

「それはお前の都合だろうが。私はそんなの知らない。聖女になんてなるつもりもない。なるくらいなら自殺してやる」

「なんて事言うのよ……」


 ふぅと長く息を吐く聖女を睨み続ける。もう私はこいつらにも、自分にも振り回されたくなんてない。


「わかったわ。聖女の後継の話は保留にしましょう」

「は?保留?」

「貴女以外に相応しい人が見つかれば、ね。まあ、ないとは思うけれど。この前のように今すぐとは、無理やりなことはもうしないわ」

「妥協できるのはそこまで?」

「あとは、貴女が私の目の届く範囲にいること。貴女はどうやらお母上のお陰で教会に籍があるようだけれど、もう属してもらわなくてもいいわ。ただ、定期的に顔を見せてちょうだい。頼みたいこともあるし」

「教会に属さないのに、お前の頼み事を私が聞くの?」

「貴女や私でないと出来ないことって多いのよ。今、教会は最上位の怪異の活発化で人が足りていない。熟練の者は特に。貴女は並の聖職者より強い怪異に対抗しうる力を持っている。それを使わせてもらう」

「私、聖職者でもないし祓い方なんて知らないわ」

「大丈夫よ。貴女ならね」


 そう言って微笑む聖女。もう帰っていいだろうか。


「待ちなさい。早速貴女に頼みたいことがあるの。これを受けてくれれば、夜会で行方をくらませたことは許してあげるわよ」


 ♦︎


「最悪ね」

「すみません、傾国様……」

「貴女にじゃないわ。そしてその呼び方をやめて」


 降りしきる雨の中走る馬車の中で、やり取りを見ていたギンカがこてりと首を傾げた。

 ヴェレーアの頼み事はある教会の調査だった。ある日突然、そこの司祭としばらく連絡がつかなくなったと思ったらまた突然連絡がつき、その日から何だかやりとりに違和感があると言う。


「貴女のお母上の状況と似ている気がするの。行ってきてくれる?」


 そう言われて舌打ちと共に出発した。当然私だけでは戦闘になった際に何もできることもなく、浄化もできないわけで、護衛と称してギンカともう1人、17歳の少女が同行することになった。

 ただこの少女、名をサーラといい、浄化を専門としている聖職者で優秀とのことだがなにぶん私に対して態度がおどおどし過ぎている。

 どうやらこの件の説明を受けた際に私についてもいくらかヴェレーアから話をされたらしく、必要以上に敬ってくるのだ。話を真に受けすぎだ。すぐにでも騙されそうで大丈夫だろうか。

 それにその態度が何とも煩わしい。今まで安全圏でギンカと悪魔様に慣れていたから尚更に。

 特に傾国様と呼ぶのをやめてくれ。それ褒め言葉になってない。


 ギスギスした雰囲気の中着いたのは、まるで私が以前いたあの教会のように周囲から切り取られたかのような小さな教会だった。

 雨も降っているしさっさと終わらせて帰ろうと、扉を軽くノックする。

 すると出てきたのは、聖職者の服を着たスラリとしたブラウンの目が目立つ若い男だった。

 

「こんばんは。夜更けにどうなさいました?」

「すみません、3人一晩泊めていただけませんか。急な雨に降られてしまって」


 男は私の後ろにいるギンカとサーラをさっと見てにこりと笑みを浮かべた。


「それはそれは……大変でしたでしょう。大したものはお出しできませんが、お部屋はご用意できますよ。さぁ、どうぞ」


 扉を大きく開けて促される。そのまま教会内に入っていくが、一見不審なところは見当たらないように見受ける。それはギンカも同様なようだったが、サーラは違うようでこっそりと耳打ちしてきた。


「ここはかなり怪異の気配が強いです。司祭様が心配です。早く浄化しないと」


 前をゆく男に声をかける。


「あの。ここの司祭様にご挨拶をさせてはいただけないでしょうか」

「申し訳ありません。司祭は今伏せっておりまして、お気になさらず。私からお伝えしておきます」

「……そうですか」


 最初からそうだったが、この男なんだかきな臭い。

 3人別々の部屋に通され、食事をお持ちしますねと言われ待機させられる。他の2人が気がかりだが、今動くのもどうかと食事が来るのをとりあえず待つ。


「お待たせいたしました。大したものではありませんが、ごゆっくりお休みください」


 そう言って出されたのはパンとスープだった。


「ありがとうございます。こんな夜遅くにきてしまったのに」

「いえいえ、たまにいらっしゃるんです。この辺りは天候も不順で迷いやすいですから」


 それにしても、とふっと目元を歪めてこちらを見やる男。


「御三方はどう言ったご関係で?」

「姉妹なんです。妹たちと部屋が別れてしまったのは寂しいですね」

「そうでしたか、よくお休みになられるようにと思いましたが、要らぬ配慮でしたね」


 またしばらくしたら食器を下げに参りますと、男は去っていった。

 幸運にもこの部屋には内鍵がついていた。外から開けられる鍵はなかったはずだ。ひとまずは鍵をかけてもう一度あの男が来るのを待ってみようと、食事には手をつけずにまたしばらく待機していた。

 数刻後、コンコンというノックの音と共に再び男の声がした。


「食器を下げに参りました。ドアを開けてはもらえませんでしょうか」


 その問いには沈黙をもって答える。


「もう、お休みでしたか?では失礼します」


 あっさりと引き下がる男に拍子抜けする。てっきり鍵を破ってくると思ったのに。しかし、近くの部屋でも同様にノックを続けていくのを聞き警戒を強める。

 あの2人は大丈夫だろうか。ギンカはまあ、大丈夫だろうが、サーラはどことなく心配だった。まず食事には手をつけてはいないだろうか、1人で行動しようとはしていないだろうか。私の護衛のはずが、私の方が気を揉んでどうするのだと言いたくもなる。

 引き続き耳を澄ましていると、三つ目の扉のノック音の後にぎぃと扉を開く音が聞こえた。その音に警戒をさらに強める。誰が開けた。ギンカ?サーラ?

 そしてそのまま2つの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。

 足音が聞こえなくなってすぐさま、静かに廊下に滑り出る。すると同時に向かいの扉からギンカがライフルを手に持ち、警戒しながら出てきた。

 扉を開け男と共に立ち去ったのはサーラであった。


「ギンカ、食事に手はつけた?」


 ふるふると首を振るギンカ。流石戦闘員はその辺りはきちんとしているようだ。

 その後にサーラにあてがわれた部屋へと向かう。すると食事をきちんと食べ食器も返したようで、室内に食器の類は置いてはいなかった。まずこのことに頭を抱える。警戒ってものを知らないのかあの子は。特にあんな明らかに何かを隠している男に対して。


「多分、あの子。司祭に会わせろって言ったのだと思う。手分けして探そう」


 踵を返そうとする私の服の裾をギンカが掴む。振り返ると真剣な顔で首を横に振るギンカがいた。


「私1人だと危ない?大丈夫。相手があれなら私1人でもどうにかなるから。ギンカはあっちから見てきて」


 心配そうなギンカと別れ、サーラを探しに夜の教会の探索を始めた。


 ♦︎


 あの男がサーラを司祭がいる部屋へと真っ先に通すとは考えられない。そもそも司祭はもうここにはいないのかもしれない。きっと全く別のあの男にとって都合がいい場所に連れていくはず。

 手元のランプの灯りだけを頼りに真っ暗な教会を歩く。

 どれくらい歩いただろうか。小さい教会のはずなのに随分と広く感じる。暗闇のせいで歩幅と時間の感覚が狂っているのだろうか。

 どうやら一周したようで最初に入ってきた廊下に出てきた。それに一周したのにギンカにも会わない。ギンカならば私に追いついてもおかしくないのに。 

 少し整理しよう。あの男はおそらく人間ではない。怪異だ。怪異の気配が色濃く残る教会にいるのがあの男1人というのがもう、それを物語っている。

 しかし、怪異はそもそも教会には近づけないはずだ。教会ごとにランクというものはあるが、それにしたって怪異は教会を避けるものだ。ならばそれをものともしないほどの、それこそ悪魔様のような最上位の怪異か。いやそれも違うだろう。

 最上位の怪異は悪魔の首魁である悪魔様と魔女の女皇、吸血鬼の王の三体。悪魔様はありえないし、魔女の女皇は現在西の戦線で聖騎士とやり合っている最中らしい。吸血鬼の王はそもそもの存在自体が大災害であるために、こんな小細工はまずしない。

 ならば、この教会自体がもうすでに教会の役目を果たしていないのではないだろうか。司祭はとうに死に、あの怪異が伽藍堂となったこの教会に巣食っているのではないか。

 ならば小さい教会であるのにやたらと見て回るのに時間がかかったことや、ギンカと合流できないことにも納得がいく。

 化かされているのだ。

 しかもこの教会丸ごと一つ分の範囲で。

 怪異による幻覚からはどう抜け出せば良いのだったか。その怪異によるというのがそもそもではあるが、今対敵しているのがなんの怪異なのかまでは私にはわからない。

 あの友人ならばすでにわかったのだろうか。


 そこまで考えて、ふと思い出した。

 そういえばあの友人はどうしようもない音痴で、孤児院で組まれた聖歌隊に無理やり編成された時に私がその音痴を矯正したのであった。私は人前で歌うのが嫌すぎてピアノの伴奏に逃げることでことなきをえたが。

 ある日その音痴矯正の特訓のため、夕食後に2人で音楽室を目指していた。その際にいつも使っていた音楽室の扉が開かなくて四苦八苦したのを思い出したのだ。

 結局あれは下位の怪異が見せた幻覚で、ただの壁を音楽室の扉だと思い込まされていただけだった。その際に幻覚だとすぐさま見破ったあいつは、自分の頬をぺちりと叩き痛みで幻覚の解除を試みていた。

 ならばそれを今同様にできないだろうか。

 持っていた細いナイフを開いて手のひらでぎゅっと握り込む。目を瞑り血が滴るのを痛みとともに感じたのを確認して目を開けると、そこはすでに半壊した教会だった。

 今まで歩いていたところはかろうじて屋根があったから雨を凌げていたものの、壁は崩れ絨毯は破け外壁に近づくほどに散々だった。

 まるで何者かの襲撃を受けたかのよう。


 空っぽの教会を根城にした怪異がいるかとは思っていたが、そうではなく怪異がこの教会自体をまず襲撃したのかもしれなかった。

 そうなってくると、最低でも上位の怪異である悪魔、魔女、吸血鬼のいずれかであることが確定する。悪魔様のように悪魔を除けば魔女か吸血鬼。魔女は戦争に出ているとすれば残るのは、吸血鬼だった。


 原形が明らかとなった教会をもう一度見て回ると数分とたたないうちに、たった一つ無事な扉を見つけた。そしてそこから灯りが漏れていた。

 探索に時間を取られすぎてしまった。ギンカを待っている時間もないと、勢いよく扉を開ける。

 するとそこにいたのは1人だった。

 おそらく寝室なのであろう広いベッドの上に、衣服がはだけたサーラがだらりと寝そべっていた。これはまずいと血の気が引く。


「サーラ!」


 近づくとよりわかる濃厚な情事の後。股の間から垂れる液体に、特有の臭気に眉を顰める。そして拭い去られない血の匂いに、首には大きな歯形がくっきりと付いていた。

 私の声に反応したのか、ん、と艶のある声と共にサーラが身じろぎする。


「起きて、早くここから出ないと」


 抱き起こそうとするもしなだれかかられ、共にベッドに倒れ込んでしまう。


「サーラ、しっかりして」

「傾国様も、一緒にします?」

「……何を」

「ふふ、とっても良かったんですよ」


 そう言いながら私に馬乗りになって、私のブラウスのボタンを外しにかかるサーラ。

 ここにくるまでとの明らかな彼女の違いに、いよいよ警鐘が鳴る。こんな色に溺れたような子なんかではなかったのに。


「待ってサーラ。貴女」

「あーあ。ダメじゃないか。順番だよ」


 扉の方から知っている男の声が聞こえた。それは間違いなく、私たちを迎えた聖職者姿の男で。

 その男を見てサーラは蕩けたような笑みを浮かべてベッドからゆったりと起き上がる。


「お帰りなさい。待っていました」

「うん。もう少しいい子に待ってて欲しかったけどな。まだ動けるとは思わなかったよ。他の子を迎えに行こうと思っていたけど、その手間は省けたね」


 そう言って私を見る目はブラウンではなく金色に歪んでいた。


「次は貴女かな」

「この子を壊したな」

「その子は楽しそうだけど?」

「怪異でもこんなことがあるとは思わなかったよ」


 吸血鬼、と言い放つとにたりとせせら笑う。


「それで?どうするの?君は見たところ金髪の子のように騎士ではないようだし、ただの綺麗なお嬢さんが俺に何をしてくれるのかな」

「そうね、その通りよ。私は騎士でもなんでもないし、そもそも私に戦うことを期待するのが無駄ってものよ。子猫にだって負ける自信がある。でも、すでにお前は私を見た。私の声を聞いた。それで十分」

「それはどういう」

「お前、私に見惚れたな?」


 目の前の怪異は目を見開きつつも、笑顔を崩さない。


「うん。綺麗なお嬢さんだと思っているよ。だから貴女は最後にしようと思っていたのだけど」

「それなら良かった。いえ、悪かったのかしら。お前が知能もない下位の怪異ならば私には何もできなかっただろう。だが、私に見惚れる感情があるならば、それがお前を縛る呪いとなる」

「貴女は何を」

「まずはそうね」


 先ほど自分の手を切った銀製のナイフを怪異に向かって転がす。


「それでお前の心臓を抉り出せ」


 ♦︎


 その後、私の魔性に当てられ私の言葉通りに心臓を抉り出させ、それに自らとどめを刺させた怪異は大量の血を撒き散らして絶命した。

 吸血鬼の殺し方は色々あるが、吸血鬼の力の源は血液だ。それを循環させ送り出す要である心臓はわかりやすい弱点だった。ここを潰せば再生もできないだろう。

 怪異の絶命を確認したのちにサーラに向き直る。


「サーラ、もう帰りましょう」

「……」


 反応はなかった。自らを犯し壊した存在が絶命していく過程をベッドで呆然と見ていた少女の目は、もはやどこも見ていなかった。


「ねえ、サーラ」

「……傾国様」


 繰り返し名を呼ぶとようやく反応があった。

 何、と返すと乱れた服の少女はベッドの上で腕を広げた。


「しましょう?」


 とろりとした顔を見て、同行していた少女があの怪異に壊されてしまったことを察する。

 もうこれでは。


「これでは苦しいでしょう。いっそ、完全に壊して、」


 ガタンッと扉が蹴り破られる音が聞こえた。

 振り返るとギンカが血相を変えて立っていた。あの怪異が生き絶え、幻覚も解けたのだろう。そして急いで駆けつけてくれたのだろうことは、容易に想像がついた。


「大丈夫。もう、全部終わったわ」


 私の後ろにいるサーラを見てかけ出すギンカ。がくがくとギンカが肩を揺さぶってもゆらゆらと笑う以外の反応は壊れかけた少女からは返ってこなかった。


「助けられなくて、遅くなって、ごめんなさい」


 ♦︎


 事の顛末を戻ってヴェレーアに報告すると、そう、と痛ましい顔をして聞いていた。


「ありがとう、オルドレット。上位の怪異を1人で相手できるなんて流石ね。これじゃあ騎士団長たちより上の階級よ」

「そんなこと、どうでもいいわ」

「……ギンカはこのまま本部に置くわ。サーラのことは出来る限りのことはするから」

「そう」


 じゃあ、とヴェレーアに背を向ける。扉を閉める前に待ってと声をかけられる。


「アイザックには会わないの?」


 こいつは一体どこまで知っているんだか。


「会うわけないでしょう」


 こんな惨状の私をあいつにどう見せればいい。それに今更だが、黙って出ていってしまった。無責任な頼みと共に。合わせる顔なんてない。

 これ以上の問答は不要とばかりにバタンと扉を閉めた。

 長い階段を降りていきエントランスに出た時、周囲の白に負けないほど白いドレスに身を包んだ若い女性に出会った。

 見たこともない女性だった。人間でないことは一目でわかる。白目がない黒々とした両目がにこりとこちらを見て微笑んでいた。

 なぜここにも怪異がいる。神様が怪異だからなのかどうだか知らないが、案外教会の守りとはその程度のものなのかも知れなかった。


「ご機嫌よう。傾国様?」


 だから、その呼び方はやめてほしい。そしてこの女性も私を知っているようだった。自身が知らない相手に自分を知られている状況というのは、どうにも気味が悪い。


「貴女は、誰。怪異よね」

「ええ、わたくしは魔女。レディ・ネムロンと申します」


 どうぞレディとお呼びください、と上位の怪異が淑やかにお辞儀をしながら易々と名を名乗った。怪異にとっても人間にとっても名を名乗ることは、その存在自体を気取られることで決して良いものではないと思っていたのだが。


「魔女がどうしてここにいるの」

「わたくしは教会に属している魔女ですから。それに、今宵は貴女様を一目見ようと参りました」

「私に用?」

「はい。ですが用はもう済みました。我らが君が心を砕く相手がどんな方なのか、確かめたかっただけなのです」


 この魔女の言っていることが何も理解できない。ヴェレーアもそうだが、ここにいる女性は煙に巻くのが好きなのか。


「ではこれでわたくしは失礼いたします。大丈夫、我が君には内密に参りましたので、口を割ったりはいたしません」


 そのまま優雅に微笑んでひらりとドレスを翻し、蝶が羽ばたくかのようにその魔女は去っていった。

 突然の面会に戸惑いながらも、とにかくこの居心地の悪い場所から出ようと私も歩を進めた。


 悪魔様、ギンカと別れこれからはヴェレーアの監視のもと一人で暮らしていく。

 友人といた頃や悪魔様たちと過ごした今までも悪くはなかったが、と聖都から少し離れた街にあてがわれた家で荷を下ろす。厳かな博物館が特徴的な街だった。

 ようやく1人になれた。

 その安堵感から思わずその場に座り込む。

 自身の魔性を意図的に使ったのはあの吸血鬼相手が初めてだったが、どうやらうまくいったようだった。しかし、その代わりかなんなのか知らないが、体がだるくて仕方ない。

 でも、ああ。そうだと、バックからあの銀のナイフを出して腰まであった長い髪を投げやりにバサリと切り落とした。

 首元が涼しい。あたまが軽い。鬱陶しかったものがなくなりすっきりした。

 気休めではあるが、これでようやく自身にまとわりついたものを精算して一人で立てたような、そんな気がした。


 今まで自分の魔性に散々振り回されてきた。そのせいで友人とも会えなくなり、恩人とも離れなければならなくなった。

 今の私には本当に何もない。

 けれど、この嫌悪と憎悪と不快感だけは私のもの。

 嫌いなものは全て嫌いで、息苦しいのは承知の上。それでもこれだけを抱えて、私はこれからも長らえていく。

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