VOL2第10話『回想/蓄尾射令(II)』
×3日後×
冷房で妙に冷えた、薄暗い部屋の中だった。蓄尾は丸椅子に座って頭を抱えている。くしゃくしゃと掻きむしって、歯を食いしばる。
「翔太ァ……!」
吹き飛んでしまいそうなほど、か細い声。蓄尾の傍には、ベッドがあり、そこには顔の隠された男が安置されている。
「死亡原因は身体への致命的な損傷です。内臓各部に裂傷。頭蓋骨の破砕に加え、両目の損失。誰がやったかはまではわかりませんでした」
医者が見解を述べる。
蓄尾の歯を食いしばる力がより一層強くなる。
「すみません。今は、一人にさせてくれませんか」
蓄尾は絞り出したかのような声で言葉を紡ぐ。心中を察した医者は、言葉なく治療室から去る。
蓄尾がポロポロと涙を流す。3日前まではあんな綺麗な笑顔ができていた彼氏の無惨な姿を、直視できるはずもない。
-——なんでだよ。絶対帰ってくるって、言ってたじゃないか……!
——それが、こんな——
涙の量が増えていく。涙腺の堤防が崩れていく。彼氏の死を前にして、どうして泣かないことができようか。
——俺が引き止めたらよかったのか? あの時俺はどうすれば、翔太のことを助けられた?
溢れてくるのは後悔だけ。心の蟠りは一切晴れていくことはない。
——そもそも、翔太をこんなことにしたのは誰だ?
蓄尾の思考が切り替わる。自責から他責へ。そもそも翔太をこんなことにしたのは誰なのか。
「——誰が」
上塗りされていく。思考のパターンが変化していく。
「——殺す」
全てを呪うかのような形相で、稜太をこんな目に合わせた人間を想像する。
やがて蓄尾の足は動き出す。理屈的とはいえず、ほぼ本能的な運動。
「殺す」
この時点で、蓄尾の行動方針は固まった。
「翔太の死に関わったやつは、全員殺す」
感情の暴走の結果。あるいは、彼に秘められていた獣性が解放されただけか。人間の性格なんてものは簡単に反転する。
彼は真面目すぎるが故に狂った。表面的な『真面目な社員像』は、彼から『ストレス発散の機会』を奪った。ゆえに、狂気が蓄積されたのだ。
——人の道を踏み外していようが、関係ない。オレはオレの信念で生きる。
——許してくれ、翔太。
蓄尾は心の中で謝罪する。いまや君が知ることは叶わない葛藤だけれど。オレは君を思って生きる。
「待っていろ翔太。お前の敵は、オレが討つ」
▲▽
×3日後 ある路地裏×
「つまるところ、犯人は異端狩りさ」
黒いコートを着た、飄々とした出で立ちの若い男が言葉を吐き捨てる。
「は?」
蓄尾はそんなまぬけな反応しかできなかった。翔太の死から3日後。復讐を決意した蓄尾は巷で有名な情報屋を当たっていた。
情報屋『北谷』。古今東西、あらゆる場所のニュースをキャッチしている歩く電波塔だ。
「異端狩り。魔術師を殺す組織だよ。元来、現実に“魔術”なんて非現実的なものは必要ない。だから魔術師を排除する。聞いたことないかい?」
情報屋はマンションの壁にもたれながら、蓄尾は問いかける。
蓄尾はもちろん知っている。曲がりなりにも、魔術師という世界に生きる人間だ。
「けど、話が違う! 『異端狩り』は非人道的な術師だけを殺すはずだ! 翔太がそんなことをするはずがない!」
「それは数年前の話だ、蓄尾さん。今はもう変わったんだ」
「なんだって……!?」
「両面宿儺の話は知っているだろう?」
「ああ……もちろん」
蓄尾は静かに頷く。『宿儺顕現事変』。『巨人体』『樹木体』の暴走によって、戸川区一帯に甚大な被害を与えたと言う大災害。5年前の話といえど、当時のパニックぶりは脳裏に鮮明に焼きついている。
「あれから異端狩りでは新たな代表が台頭してね。ニュー・ホライゾン。欧米の魔術師が、組織改革をした」
「ニュー……ホライゾン」
「彼はもとより魔術師を嫌っていてね。魔術師を一斉解雇して、武力だけの一般人で組織を構成し直した。そうして出来上がったのが『新生・異端狩り』……通称『ハウンドドッグ』」
「あんた、よく知ってるんだな」
「情報屋なんだから当然さ。ただ、情報網に関しては企業秘密さ」
探るつもりもねえよ、と蓄尾は心の中で言葉を吐く。
「君の彼氏は、彼らに“運悪く”消されちゃったのさ」
「運、悪くだって……!?」
「見ちゃいけないものを見てしまったのか、それともマークされていたのか。それは僕にもわからないけどね」
情報屋の口から告げられる情報に、蓄尾は歯を食いしばって、涙を堪えることしかできない。運悪く殺されただって? あんな優しいやつ、どこに殺される理由があるる?
蓄尾の疑念は深まるばかりだ。
「なあ、ばっちし、こいつってのはわからないのか?」
蓄尾は思い切った質問をする。情報屋は少し黙り込んで、口を開ける。
「……これは私の信念だ。包み隠さず話そう。殺したのは、異端狩りの——」
瞬間、正体不明の凶弾が『情報屋』の頬を捉える。『情報屋』は恐る恐る振り返る。蓄尾は、『ソレ』をみてたちすくむ。
“ダメじゃあないか。そんなことをすると殺したくなってしまう。私を犯罪者にするつもりか? 目障りな狐め”
▲▽
×3分後×
一瞬の殺戮であった。暗闇から這い出た“怪物のような老人”は情報屋をいとも簡単に細切れにした。情報屋も抵抗はした。しかし、そんなものは一切意味をなさない。当たり前のように弾かれる斬撃。当然のように通さない打撃。まるで鋼鉄のようで、人間味のまったくない老爺が、尻餅をついた蓄尾の前に立っている。
「ふん、弱い狐だ。我が腕を“3本”も使わされたことが癪だ。——さて」
3本腕の老爺が、得物である日本刀を捨てて蓄尾を睨む。
「貴様には一刀もくれてやらん。そのような誉、貴様には受けるに能わず。ただ、我が拳で死ね」
一本腕の老爺が拳を振り上げる。シワの入った小さな拳だが、十分な殺意が込められている。故に、その一撃は当たれば必死の打撃と変化する。
滝が落ちるような速度で拳が振るわれる。蓄尾は目を瞑り、最後に願う。
——翔太!!
蓄尾が心の中でそう叫んだ瞬間、ガチャリ、と鍵が閉められたような音が響く。
命を破壊する打撃は未だ命中しない。蓄尾は恐る恐る目を開ける。
「——!」
「くっ、あの小僧、どこまで小癪な真似をしてくれる……! 勇敢な狐だと思っていたが、ここまで後出しをしてくるとは……!」
金色の鎖が、老爺の身体を縛っている。蓄尾はその鎖を知っている。翔太がいつも身につけていたペンダントに仕込んだ束縛魔術!
——翔太! ありがとう……!
蓄尾は走り始める。目的は達成した。復讐を達成するためと手がかりは獲得した。
あのペンダントの魔術が発動したと言うことは、あの老爺が翔太を殺した犯人だ。
老爺も大量の腕を生やして、蓄尾を殺そうとする。しかし、今はない。稜太の遺志が、怪物を強く縛り付ける。
「おのれ、おのれぇぇ……!!」
怪物が手を伸ばす。蓄尾の姿はもはや捉えられない。
こうして、路地裏の騒動の幕は降りる。
▲▽
×市街地×
建造物のライトが煌びやかな場所だった。死地から命ガラガラ逃げ切ることができた蓄尾は、ゼェゼェと息を切らしている。
敵の戦力を把握できたことは僥倖といえる。しかしその結果、復讐が結構な無理ゲーであることが、蓄尾には理解できた。
複腕の老爺。弾丸すら通さず、打撃ですらよろめかない鋼鉄の肉体。泥のように濁った瞳に、細い腕から放たれるのは、明確な殺意の込められた斬撃と打撃、銃弾の舞。
——あんなやつどうやって倒すんだ……?
「あれ? お前、シャーくんじゃん」
蓄尾が声のする方へ振り向く。声の主は黒いスーツに身を包んだ、フレッシュな社会人という印象の男性であった。
「——なか、たに」
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