VOL2第9話『回想/蓄尾射令(I)』

×3年前×

 蓄尾射令といえば、地元では有名な優良社員だ。社内プロジェクトの業績は良く、人望も厚い。多くの部下から信頼され、多くの人間の期待を背負って生きている。

 

 それを苦に感じることはなかった。

信頼されることは嬉しいことだし、上司に認められることもまた喜ばしいことだからだ。期待に応えるのはしんどいが、それだけ達成感は得られる。


 蓄尾は、常に前向きに業務に取り組んでいる。不倫しただとか、ギャンブル依存だとか、そんな噂は一切立たない。彼は誰からみても、欠点のない完璧な人間のように思える。


 だけど、彼には誰にも言えない秘密があった。


▲▽

×3年前 12月15日×


「ただいま〜」


 仕事終わりである。蓄尾射令、21歳。彼の家は小さなアパートの一室だ。とはいえ都内であるので、家賃もそこそこに高い。しかし、蓄尾はそれをどうにも思っていない。それを上回るほど幸福が、今の自分にはあるからだ。


 蓄尾が自宅のアパートの扉を開けると、


「おかえりーー!!!」


 蓄尾の胸に、彼より少し背が低い男が飛び込んでくる。


「よっ、翔太。遅くなって悪いな」


「いやいや全然大丈夫だよ! それよりもさ、まずお風呂に入って身体を休ませよう! その間にご飯準備しておくからさ!」


「おう、センキュ。あ、それと」


 エプロンをつけて昂る翔太を静止して、彼はドーナツの柄が入った箱を差し出す。


「これ、ドーナツ買ってきたから。ご飯食べ終わったら、一緒に食べよう」


「え! ほんと!? 食べる食べる! さすがは僕の彼氏さんだね!」


 翔太の純粋な言葉に、蓄尾は頬を赤らめる。


——蓄尾射令には、誰にも言えない秘密がある。それは、自分がゲイであるということ。


▲▽

 そもそも、二人の出会いはイベントからだった。——TRP。歴戦のラーメン製造者が鎬を削り合う戦場。SNSアプリ『ケロッター』って知り合ったのがきっかけで、TRPというイベントを機会にリアルをしようと言う話になったのだ。


 そんな二人を象徴する事件に『原宿最強麺類決定戦』というものがある。話せば長くなるので省略するが、端的に言うと、『約1時間にも及ぶ舌戦と魔術戦』が原宿擬似結界内で繰り広げられた。

 この事件を通して、二人は意気投合し、頻繁にリアルをするような仲になった——


 そして現在。蓄尾と東は同じテーブルを囲んで食事をとるほど、関係を深めたのである。


「今思い返してみると、あの時はほんとすごかったなあ……」


 自作したカレーに満足行ったのか、コクコクとうなづきながら東は言葉を紡ぐ。


「あの時って、TRPのことか?」


「そうそう。僕が『人類皆家系らあめん』の方が美味しいって言ったら、射令が『いやいや、“元寇ラーメン宮本”の方が美味しい』って言ったとき」


「あああれか。あんな激戦、オレはもうごめんだけどな」


 カレーを口に運んで、蓄尾は自分の思うところを述べる。


「なんでさ」


 東が頬をぷくーっと膨らませながら訊く。


「翔太、当たり前のように因果律弄るし。やってられねーっつの」


 蓄尾はやれやれ、といったふうに首を振る。


「因果律って……あ、あれのことか。あれ壊れたんだよね」


「は? 壊れた?」


 蓄尾が箸を止める。壊れた、ということは使い物にならなくなったということか。しかし、それは壊れたと言う事実を改変すればいいだけではないか……と蓄尾は考える。


「あの魔術、結構不便でさ。何でもかんでも改変できるわけじゃなくて、辻褄合わせみたいなものなんだ」


「と、いうと?」


「因果律の操作は、辻褄の足し算と引き算だったんだ。例えば1匹の蝉が死んだとする。『因果律の操作』でこの蝉を生き返らせるためには、『蝉の命と同等の価値を持つもの』を用意しなくちゃいけない。結果が変えられるってのは万能のように思えたけど、かなり扱いが難しい」


「翔太の魔術はよくわかったけど、なんで壊れることになったんだよ」


「昔やんちゃしたときに壊れた礼装があってさ。それを修復するために、因果律を改変したんだ」


 翔太の言わんとしていることを、蓄尾は察する。ならば次の疑問は……


「礼装ってなんだよ?」


「あ、射令にはまだ見せたことないっけ。ちょっと待ってて」


 そういうと、翔太は立ち上がって自室へ向かう。蓄尾は、翔太の背中をみて考える。


——あいつが魔術を捨てるほどの“礼装”……どれだけの力なんだ?


「おまたせ〜」


 翔太が二振りの刃を携えて戻ってきた。

武器は以外と小ぶりだ。片手で持てるぐらい軽く、しかしそれゆえにリーチは短い。赤と青の相反する刃。


「それが翔太のいってた礼装か?」


「そ。俗称、干将・莫耶。“斬る”ことだけに意識を向けて造られた礼装の一つだよ」


「これが……」


 蓄尾は子どものように目を輝かせる。

翔太は若干悲哀のこめた目つきになって——それをすぐに繕う。しかしそれを見逃す射令ではない。


「どうかしたのか?」


「ううん、大丈夫。ちょっと、魔術師の方の仕事が入ってさ」


 翔太は椅子から立ち上がり、干将・莫耶を構えて、射令に笑いかける。


「大丈夫。今回も勝ってくるから。僕にはお守りもあるしね」


 翔太は首にかけたペンダントのような『お守り』を握る。

 蓄尾は一抹の不安を感じながらも、コクリと頷いて、


「絶対に、帰ってこいよ」


「ああ、もちろん」


 こうして、叶わぬ誓いを口にして、二人の最後の夜は流れていった。

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