VOL2第8話『結界戦線』
×結界内部×
結界とは、一部の魔術師が持つ奥義である。その効果や範囲、威力は魔術師の才能と努力によって大きく変化する。発動には多大な魔力を要し、“切り札”として扱われることが多い。
蓄尾とて例外ではない。彼もまた、聖教会秘伝の礼装を前に危機感を感じ、切り札を出した。
稜太と蓄尾を取り囲む光の柱は帯状に曲がって広がり、ドームの形状を成していく。
「……ッ」
思考をめぐらせる稜太の身にも、すぐに異変は起きる。バキっ、と金属の歪む音が稜太の耳に響く。
「なっ……!?」
次の瞬間には、稜太の纏う礼装は弾け飛んでいた。パンツ一丁という情けない姿になった稜太の腹に、蓄尾の刺突が命中する。
「ガッ……ッ!?」
白銀の刀身が、稜太の血肉を食む。
およそ致命に至るほど深い一撃。あまりの激痛に、稜太は身体が燃えているの錯覚する。
「オレの結界はあらゆる礼装を破壊する。
ただ魔力消費が激しすぎるから、あまり使いたくはなかった」
「……!」
蓄尾の握る刀の刀身が鈍く光る。
「お前の礼装が弾けたのは、オレの結界の力でな。刀狩くらい、聞いたことはあるだろう?」
稜太は記憶の倉庫から、その情報を掘り起こす。刀狩は、天下統一の鬼神・豊臣秀吉が農民から武器を没収したという政策だ。
「“農民”というのが大事でな。この結界の能力は“オレより弱いやつ”にしか働かない」
蓄尾が容赦なく刀を引き抜く。噴水のように血を噴き出しながら倒れる稜太に忌々しげな視線をおくりながら、彼は付け加える。
「それがこの結界に付与した、“農民”の定義だ」
▲▽
×ホウマンの魔術工房×
数十分前。
“ホウマン・ナチッチ”という魔術師の容姿をみて、まず稜太は目を見開いた。それは驚きというよりショックからだ。“豊満な乳」を連想した稜太は、スノウの言う魔術師が女性だと考えていた。
しかしどうだ。インターホンを鳴らしたことで、ドアから出てきた魔術師ホウマン・ナチッチはゴリゴリの男ではないか。
髪は見事なまでに刈り上げている。男にしては露出度の高い装いで、股間が妙にもっこりしていて、黒い車輪のようなものも背負っている。
「じゃあ——早速本題から入りましょうか」
言葉一つ一つに濁音がついていそう声。
放心寸前の稜太の肩を、スノウが叩く。
「大丈夫?」
「まあ、はい」
ホウマンはパイプ椅子に座り、足を組む。
「貴方たち、勝利条件は理解しているわね?」
「もちろんです、ホウマン師匠。“ハイヌウェレの討伐”と“シュヴァリエの奪還”、そして黒幕であろうと『蓄尾射令』の捕縛です」
「はい。大変よくできました♡ ハイヌウェレの討伐は布施くんがなんとかしてくれるでしょ。だけど、スノウちゃん。もしものときは、助けてあげてね」
「はい。昆虫操術のチャージもすでに済ませてあります」
「準備がよろしい。満点です」
ホウマンが音をたたず、小さく拍手する。
しかし、稜太はここで疑問に思う。
「あの、全然関係ないかもしれないっすけど、その『コンチューソージュツ』のチャージってどうしてるんすか?」
「食べるのよ」
「え」
稜太もまた、濁点がつきそうな声を漏らす。さらに驚くべきはスノウはそれを、なんの抵抗感もなく当たり前のように言い放ったことだ。……対して、ホウマンは男にしては妖艶すぎる笑みを浮かべている。
「……」
「あら、稜太ちゃん、随分驚いてるみたいだけど。まだ伝えてなかったの?」
「今回からの関係だと思ったから、わざわざこちらから明かす必要ないと考えました」
スノウは落ち着いた様子で返事をする。
真っ白になった稜太の頭の中では、未来のある言葉がリフレインされていた。
『魔術師は基本変人ばかりだよ。世間の常識、それに君の常識の尺度で彼らを測らないほうがいい。心臓がもたないよ』
随分と的を得た助言であったと、稜太は今更ながらに感じた。
「……と、今はそんなことを話している場合じゃなかったわあん。対蓄尾射令の秘密兵器を取りに来たんでしょ?」
ホウマンは、「よっこいしょ」と小声で呟いて立ち上がる。
「ついてきて」
そう言うと、稜太たちに背を向けて工房の奥へと歩き始める。稜太とスノウはお互いに目を合わせる。
「行きましょう。ホウマン師匠が最後の秘策を作ってくれたから」
▲▽
×ホウマンの魔術工房 最奥×
「なっ——!?」
稜太は驚きでまともに声を出せなかった。先ほどから驚いてばかりだが、魔術師という未知の世界に足を踏み入れたのだ。仕方のないこと。両手を腰に当ててドヤ顔をするホウマンの後ろに、稜太そっくりのナニカがいる。
「
「いんぱあふぇくと……?」
「稜太クンの身体性能と思考パターンを8割コピーした人形。今回はこれを囮に使うわ」
「あの、ホウマンさん……でしたっけ? オレたち初対面のはずなんですけど、どうやってデータを集めたんですか?」
稜太は至極当然の質問を口に出す。聖教会主任、ホウマン・ナチッチとは稜太と初対面だ。だというのに、正確な複製を用意できるというのは変な話だ。なので稜太としては、この違和感を解消したところなのだが——
「書庫に登録されてあるじゃない。そこに記録されているデータを元に作ったのよ」
「……」
ホウマンは答えらしきものを口にした。しかし、稜太はその意味を使えない。想像だけでここまで正確な人形を作ったのか? だとしたら「すごい」なんて語彙で済ませられない偉業だが……。
「稜太くん。常識は、捨てたほうがいいわ」
スノウが隣で言葉を紡ぐ。
「は、はい」
稜太が頷くと、ホウマンが口を開く。
「蓄尾射令……来歴は不明だけど、こんな騒動を起こすぐらいだから、そこそこの実力は持っているはずよ。だから、この人形を囮にして戦う」
「と、いうと?」
稜太が説明を促す。
「『囮』の人形には最初から蓄尾と戦闘してもらうわ。指向性さえ与えれば、この子は貴方同然のように行動する。稜太ちゃんと同じくらいの性能を発揮するでしょうけど……多分負けるわ」
「負けるの!?」
驚く稜太の横で、冷静な態度でスノウが付け加える。
「当然よ、不明点が多すぎる。蓄尾射令という男がどんな魔術を使うかも、結界を使うのかもわからない。貴方が結界に対する防御手段を備えていないのだから、負ける確率の方が高くなるのは道理よ」
「……なる、ほど」
結界とは、世界のルールを書き換えるものだ。先日戦った『爆破』の魔術師は結界を持っていなかったので、稜太でもギリギリ戦うことができた。しかし、稜太は魔術界の先っちょにしか触れていない人間。当然ながら、上位魔術に位置する『結界』の防御策は備えていない。
「なら、どうするんです?」
稜太の問いかけに、ホウマンは口角をあげる。
「それはもちろん、不意打ちよん♡」
▲▽
現在 戦場
蓄尾は確かな手応えを感じていた。突き出した刀身は、確実に稜太の肉体を破壊している。血も噴き出している。ここまでの出血量でなおも耐えなく人間はいまい。
蓄尾は口元を緩める。溢れた笑みは、勝利の確信そのものだ。
彼の考えは当然正しい。
今殺したものが正しく人間なのであれば、その論理は通じるであろう。
蓄尾の背後へ踏み込む影がひとつ。左足を軸とし、拳を振りあげて右足を大きく前へ出す。その気配に、蓄尾は気づく。
「——!!」
聖教会の増援がきたと判断し、迎撃のために蓄尾は刀から手を離し、振り返る。その時にはもう、稜太の拳は蓄尾の顔面寸前まで迫っていた。
「ぶんし——」
「歯ァ、食いしばれよ」
修羅のごとき表情を顔面に貼り付け、稜太は容赦なく拳を振るう。蓄尾の“刀狩”は『攻撃できるもの』ならばなんでも没収することができる。
——防御に、気を取られすぎた!!
「“壊拳”!!!」
稜太の叫びと共に、全力の殴打が蓄尾へと炸裂する。殴打の衝撃で頬の骨が砕け、蓄尾は衝撃で吹き飛ばされる。そしてボールのようにバウンドしながら、地面へと打ち付けられる。同時に、結界の光が失われていく。損傷を負ったことで、結界の維持が難しくなったのだ。
「……ガっ、くうううう……!!」
「未来の仇だ……、最後の1発くれてやるよ」
稜太が拳に魔力を纏わせる。蓄尾にはまだ勝ち筋がある。結界を再展開して、稜太の魔力を没収すればいい。血を吐きながら、蓄尾は詠唱を紡ぐ。
「けっ、かい、てん——」
「そこまでよん♡」
パンっ! と手拍子の音が戦場に響く。蓄尾が血走った眼で、手拍子を鳴らした人間へと視線を向ける。そこには、
「なんだ、この、オカマは——!!」
黒いボンテージを纏う、ゴリゴリマッチョのホウマン・ナチッチが立っている。思考が掻き乱されたことで、結界開帳の詠唱が止まる。
「今よ稜太ちゃん! やってしまいなさい!」
稜太が大きく踏み込み、拳を振り上げる。先の一撃で大ダメージをくらった蓄尾は現在うつ伏せの状態になっている。蓄尾は悟る。
——ああ、オレ、負けるのか。
死を受け入れるように、蓄尾はゆっくりと瞼を下す。瞼の裏に走馬灯が走る。
——ごめんな、翔太。オレ、お前に報いてやれなかった。
——ほんと、もしかしたらもっといい方法があったのかも知れないけど……。
——けど、これでやっと、お前のとこにいける。
蓄尾は安息に包まれている。もはやどんな痛みも感じないだろう。敗北を受け入れた蓄尾へと、稜太の最後の一撃が炸裂する——
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