第3節間話『エピローグ』

「結界、開帳」


 シガレットは小さく呟く。

断罪刃が彼の首を捉える数秒前——彼は、生存のために己が切り札を行使した。


(——この魔力の流れ、まさか、結界を!?)


 スノウは環境の変化を感じ取っていた。『結界』とは一部の魔術師が有する切り札のひとつ。己が心象風景を現実に出力する神の御業。


 その異常は、セバスチャンも既に感じている。


(————これは)


 現実が塗り替わる。東京が未知の世界へと貌をかえていく。近代文明が失われ、原始的な樹海に侵略されていく。


「“神威祭壇”」


 シガレットの囁きは、戦況を一気に塗り替えた。セバスチャンの放った聖伐術式は消え失せる。シガレット——コーンロウの男が放った『虹色の光』は、本来ならば迎えるはずだった死の運命を捻じ曲げた。


「危なかったぜ。オレ様の結界がなけりゃ終わっていた」


 シガレットはあくまで、余裕綽々といった雰囲気でスノウの前に立つ。


「『鋏』!!」


 スノウの警戒心がMAXとなる。焦りの籠った宣言と共に、シガレットを追い詰めた純黒の鋏が姿を現す。


「同じ手は2度もくらわない」


 カキンっ!!と金属音が響く。スノウの『鋏』はシガレットに届かない。

彼の展開した『鏡』がまたしても挟撃を防御する。


「貴様—!!」


 シガレットの耳に、セバスチャンの叫びが届く。彼は一瞬だけ、視線をセバスチャンへ移す。


(——バカか?)


 短刀一本でこちらへ向かってくる護衛の老人。『糸』で捉えて焼き殺すこともできる。が、魔力をあんな老体に対して費やすのは勿体無い。シガレットは展開した『鏡』を後方へ回す。


 だが、それよりも先に。


「目を逸らしたわね」


 スノウがシガレットの身体に何かを刺す。シガレットの全身に、ちくっとした痛みが走る。

 

(——針、まさか……!?)


 猛烈に嫌な予感。シガレットはすぐさまスノウとシガレットから距離を取る。そして気づく。己を蝕む毒の存在に。毒に侵されていくシガレットは、土と変化した大地に膝をつく。


「スズメバチ……! いざ喰らってみるとここまできついとは……!」


 さっきスノウが刺したのは、切り札『雀』だった。スズメバチの毒針と同等の性能を有する魔術。取り回し・魔力元素効率において最優ゆえに、彼女の『鬼札』でもある。


「——っ」


 毒で体力が奪われていく。シガレットは片膝をついたまま動けない。


「終わりです、金髪」


 セバスチャンがシガレットの後方につく。振り下ろされる短刀。毒で大きく弱ったシガレットは、それを回避することができない。命中する銀閃。


「——!?」


 セバスチャンはすぐに違和感に気づく。手応えがない。致命の一撃を与えた実感がない、と彼は短刀へ視線を送る。


「んな——」


 セバスチャンは硬直する。短刀がシガレットの背中を捉えていない。その姿すらない。


「……消えた」


 スノウには、シガレットが霧の如く消えたようにみえた。とはいえ非常事態は免れた。スノウはようやく、本題へと意識を移す。


「原宿へ向かいましょう。セバスチャンあの金髪に、一泡ふかせにいくわ」


——

 原宿・代々木公園。人目につかない、樹林の最奥。純金の装飾が施された大祭壇に、シガレットは座り込んでいた。


「——オレ様の分身が死んだか」


 ゆっくりと目を開けて、小さく呟く。その瞳は虚だ。まるで疲れているような——


「分身とはいえ、痛覚が共有されるのはとんだクソ仕様だ。笑えねえ」


 シガレットが疲弊しているのは、聖教会のスノウとセバスチャンから受けた傷が明確に響いているからだった。

痛みを紛らわせるために、シガレットはタバコを加える。マルボロ・メンソール、8mm。


(スノウ・リリィホワイト。やつの魔術が昆虫の『性能』を模倣するものだったとはな。……毒の効力は分身に押し付けてやったからなんとかなったものの……)


 シガレットは顔を曇らせる。彼は『制約』を設けた上で分身体にダメージを負担させた。


(……5分間の魔術の封印。誰も来なければいいが——)


「今日は、ついていないな」


 コーンロウの男の前に、戦士のごとき威風を漂わせる女性が立っていた。清々しいまでの純黒。赤い瞳。可憐さは残っているが、それは王者のような威容にかき消されている。


「本命は、お前か——」


 シガレットは彼女を知っている。

聖教会の“本丸”。その1人。


「知っているなら話は早い。迅速に蹴りをつけるぞ」


 女性ながら、低く、野太い声。

不可思議な高音が森林に響く。


「——シュヴァリエ!」


 シガレットはそう叫ぶと、ベガと呼ばれた女性へ向けて、四方八方から『糸』を放つ。それを、


「くだらん」


 シュヴァリエは一言で切り捨てる。

彼女のその言葉と同時、シガレットは目前の光景に驚愕する。


(まじかよ—!)


 シュヴァリエの周りを取り巻くように、『銀河の帯』が広がっている。群青の煌めきが、流れ星のように軌跡を描いていく。その異様な魔術に、シガレットは恐れの感情を見せない。 

 シガレットは口角をつりあげる。


(——結界、


 心の中で呟く。スノウから受けた傷が痛む。だが、魔力元素の流れに影響はない。シュヴァリエは『銀河帯』で『糸』の拘束を無効化した。彼女は絶命必至の攻撃の準備を進める。右手を空へと掲げ、魔力を充填している。


(接続確認。展開)


 そして。シュヴァリエの攻撃よりも先に、シガレットの結界が炸裂する。

其は尋常ならない奇蹟。神を呼び起こす邪道にして王道。


「『部分展開』、『ハイヌウェレ』」


 瞬間、全てが黒に包まれた。

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