第12話 母の幸せ、子の幸せ

「そんな恐ろしい顔じゃなくて、オラ、いつも優しく笑ってくれたおっかあがいい! 前みたいに戻ってよ! おっかあ!」


「やめて、ジンタ。それ以上は言わないで」


「おっかあこそ、やめておくれよ! このお姉ちゃんを殺さないで!」


 ジンタの言葉に、おチエの体は微かに震えていた。


 我が子から望まない言葉を浴びせられ、理性と怒りの感情が入り混じって葛藤しているのだろうか。


「わ、私は……私は村の奴らから、あなたを守ろうとして……」


 やはり、おチエは母親としての心を揺さぶられ迷いが生じている様に見える。


 戸惑っている今が好機だと、時を稼ぐ為に私は口火を切った。


「ねぇ、おチエさん。あなたとジンタくんに、一体なにがあったの?」


 地面に転がったまま、私はおチエにそう問いかける。すると彼女は、ゆっくりとこちらへ首だけを向けた。


「……うるさい、他所者のクセに口を出さないで」


 ここで話を止めてしまってはダメ……もっと時間を稼がなくては。


「恐らくだけど、ジンタくんはあなたと……異国の人との間に生まれた子ではないのかしら?」


 私のその問いかけに、おチエの雰囲気が明らかに変わった。彼女は怒りを露わにして、語気を荒げる。


「それが……それが、なんだと言うの! お前もこの子を汚らわしいと蔑むの? 異国の穢れた血が混じっていると棒で叩き、石を投げつけ、血を流させるの!?」


 おチエの真っ赤な八つの目から、いくつもの筋を作って涙が流れていく。そのおぞましい筈の異形の目は、どこにでもいる普通の母親の目だった。


 そして自分の手で顔を覆いながら、我が子が不憫でしょうがないと泣き叫んだ。


「これ以上、この子を虐めないで! 傷付けないでよ! なんで、なんでなのよ! なんで、金色こんじきの髪と青い瞳ってだけで暴力を振るうの!?」


「お、おっかぁ……」


「綺麗に伸ばした髪を無残に切られ! 村人からイジメられて頭から血を流して帰って来ても! 私は、何一つしてあげられない! 村中で、ジンタをよってたかって痛めつけて! こんな小さい子を! 私の可愛いジンタを! それなら……!」


 鋭利な牙をカチカチと鳴らして、おチエはさらに啜り泣く。


「それなら殺すしかないじゃない。異形でもなんでも、力を借りて殺すしかないじゃない……非力な私じゃ、我が子を守れないから……」


 異形の涙は裂けた口端を伝って顎へと滴り、下へと落ちていった。人と変わらないその涙は、ポタポタと地面に落ちてはジワリと染み込んでいく。


「お前も、この子の血が穢れていると蔑むの?」


 おチエは私を睨みつけ、そう問いかけてくる。彼女がどのような返事を望んでいるのかは分からないが、私は思っている事をそのまま口にした。


「いいえ、私には彼を蔑む理由が全くないわ。だって、あなたの言う通り、この子には何の罪もないのだから」


「え?」


 異国人を遠ざける日輪人が多い中、そんな答えが返ってくると思わなかったのか、おチエは驚いた声を漏らした。


「ジンタくんは、あなたと異国人との間に生まれた愛のカタチ。それは、他の人間となんら変わらない大切な命。そうでしょ?」


「……」


「そんな彼の体を流れる血が穢れた血だと責められるのなら、私の体にはもっと穢れた血が流れていると、責められることになるわ」


「な、何を……?」


 私が紡ごうとする次なる言葉を、おチエは黙ってジッと待っていた。


「だって私の体の中には、異形の父と人間の母の血が流れているのだから」


 私の告白に、おチエは啜り無く事さえ忘れて声を失っていた。


 予想外だったのだろう。視線の先に私を見据えて、唖然としている様だった。


「あなたやジンタくんの気持ちが、分からないでもない。私も少なからず、幼少の頃より人々に蔑まれ、煙たがられ、時には石を投げられてきたから。でも、この緋色の瞳と体を流れる血は私の誇りなの」


「……うるさい」と、おチエが小さく呟いたのが微かに聞き取れた。


「ジンタくんの金色の髪と青い瞳は、お父さんから貰った誇りだから、堂々と胸を張って生きなさいと教えてあげるべきだった。そして、あなたは彼を優しく抱きしめて、庇い、守ってあげること……それが母親として、ジンタくんにしてあげられる事だったはずよ」


「うるさい! それが、それが何よ……他人事だと思って!!」


「確かに、他人事だって事は否定しないわ。それでも、女手一つで大変とは思うけれども、村から出て行くって手段も……」


「私たちの事なんて何も知らないで偉そうに! 父さん以外に、一体誰が私たち助けてくれると言うのよ! 女手一つで子供抱えて、雨風を凌ぐ家も無ければ仕事だってなかったのよ! そんなんでどうやって生きて行けと言うのよ! 子供のいないあんたなんかに、一体何がわかるって言うのよ!」


 おチエのその言葉に、私は返す言葉を持たなかった。


 確かに、彼女の言う様に私には子供がいない。だから母親の気持ちや、女手一つで子を養う苦労なんて知らない。でも……


「なにが誇りよ、くだらない! そんなものではジンタを守れやしないじゃない! 村の奴らを黙らせることだって出来ない! だから……だから、ここから出られない蜘蛛の異形に体を貸してあげて、その代わりに力を借りたの! あいつらに思い知らせてやる為に!」


「……思い知らせる?」


「そうよ……私は悔しいこの気持ちを晴らしたかったの、あの胸糞悪い奴らを痛い目に遭わせてやりたかったのよ。キヒヒ、子供がいなくなった時の奴らの顔ったら、傑作だったわ! いい気味だった! キヒヒヒヒヒヒヒヒ!」


 彼女の吐露された言葉に、私は心の底から軽蔑した。結局は虐めてくる村人に、ただ仕返したかっただけなのだ。


 ジンタを守りたいって気持ちは本当なのだろう。だがそれ以上に、彼女の言葉の端々からは、虐めてきた村人たちへの憎しみが感じられた。


 我が子への愛情よりも、ただただ憎いって憎悪の感情だけが滲み出ていた。


「それこそ、くだらないわ。仕返しする為だけに異形の力なんかを借りて、罪のない幼い子供たちの命を奪うだなんて……そんなの、下衆の極みよ」


「キヒヒ。下衆でも外道でも、あいつらの泣きそうな顔を見ながら、何人も子供を喰い殺すのが、すごく楽しかった……ザマァないわ。それに、とっても美味しかったわぁ。女の子供はとっても美味しいの。キヒヒ」


 おチエが喋る度に、彼女から『人間らしさ』ってものがボロボロと剝げ落ちていくのを感じていた。


 人間の味を覚えてしまった彼女は二度とには戻れない。こいつは、再び人を喰い殺す。必ず、人間の子供を喰い殺し続ける。


 だから、私はこのモノを退治しなければならない。ここで、こんな悲劇は終わらせなければならない。


 だって、理不尽な暴力からを守るのが、私の想いと誓いだから。


「はぁ、あんたなんかと下らない話をしてたら、お腹が空いてきちゃった」


「お、おっかぁ……」

 

「ジンタ、そこをどきなさい。その女を食い殺すんだから。おいたする子は、母さん嫌いよ」


「おっかあ! ダメだよ!」


「いいから、どきなさいって言ってるのよ!」


「うわぁ!」


 必死に止めようとする我が子を払いのけて、おチエは私の元へと近寄ってくる。


 だがその時、この広い空洞の隅っこを、気配を殺しながら移動する人影が見えた。

 

 ──あれは……


 私はその事を気取られぬ様に、すぐにおチエへと視線を戻す。


「ジジイは皮しかなくて、とっても不味かった。若い女で口直しをしなきゃ」


 裂けた口が大きく開かれて、尖った牙の先から紫色の液体が滴っていた。

 

「イタダキマス……」


 おチエは、私を喰い殺そうと警戒もせずに無防備に近づいてくる。


 しかしそれは、先ほど祈った八百万の神様がくれた最大の好機だった。

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