第11話 幼い勇者

魂魄解こんぱくかい……!」


「おっかあ! 後ろぉ!!」


「っ!?」


 空洞全体に響き渡る、幼い男の子の声。


 その声に驚いた私は、思わず動きを止めてしまった。


「シャァァァァァァァァァ!」


 男の子の声に注意を促されたおチエは、すぐさまに振り返る。


 そして、間合いを取る為に離れ様とする私へと真っ白な糸を放ってきた。


「やばっ!」


 瞬時にして巻き付いてきた蜘蛛の糸によって、私はあっという間に体の自由を奪われた。上半身と足首をグルグル巻きにされてしまい、腕も足も一切動かせない。


 とにかく、巻き付いてきた蜘蛛の糸を千切ろうと、私は『幻影流体術・剛腕ごうわん』を使用し、強化された腕で力を加えてみた。


「ち、千切れ……ない!」


 しなやかで硬いその糸は、押し返す様に強化している腕へと食い込んでくる。そして、鋭い痛みが走るのと同時に露出した二の腕部分から鮮血が飛び散った。


「いっつ! なんて硬さよ!」


 このまま無理に千切ろうとすれば、着物どころか腕自体を切り落としかねない。


 そう判断した私は、自分の力で抜け出すのを諦め、匣の鬼火で糸を焼き払おうとそのまま地面へと転がり倒れた。


「ハコち!」


「残念ですが、その要望に応える事が出来ません」


 無情なる匣の返事に、私の胸が一気にザワついた。


「仕留め損なった! 何やってんのよ、わたしぃ!」


「これはまた、マズいことになりましたね」


 私は自分の愚かさに憤慨し、自身に怒りをぶつける。


 異形との戦闘に於いて、一瞬の躊躇と隙が死に至らしめると言うのに……本当に何をやっているのか。


「キヒヒ。危ない、危ない……」


「くっ!」


「その短刀? それとも、あなたの力なのかしら? まぁどちらにしても、とっても危険な代物だったみたい、キヒヒヒヒヒヒ」


 おチエは肩を震わせながら、大きく裂けた口で不気味に嗤っている。


「あなたって、凄く怖い陰祓師だったのね。あまりに恐ろしい光だったから、死を覚悟したわ……そう、あの眩い光は間違いなく死の光だった」


「ぐぅ……」


 彼女は足の裏で地面を擦りながら、こちらへとゆっくりと向かってくる。無様に転った私は、その姿を睨みつける様に見上げるしか出来なかった。


「キヒヒ、とっても悔しそうな顔してる……いい顔してるわぁ」


「……お気に召して頂けた様で、なによりよ」


 私の皮肉に対して、おチエは愉悦の表情で言葉を続ける。


「召した、召した。お気に召したわよ。あなたのその顔……とっても可愛いくて、食べちゃいたいわぁ。キヒヒヒヒヒヒ」


 人間が言う比喩なんかではなく、物理的に私を食べると言う意味だろう。


 自分で言った言葉に空腹感を刺激されたのか、彼女の裂けた口の端からはドロッとした涎が垂れてきていた。


 ……思わず自分が溶かされる姿を想像して、背中に悪寒が走る。


「そんなに死ぬのは怖いかしら。とっても強い、陰祓師さま?」


「そりゃあ、まぁ。少しは怖いわよ」


「キヒヒヒヒヒ」


「……でもね」


「キヒ?」


「それ以上に、自分のやらかした失敗に腹が立つのよ」


「またまた、そんな強がりを。怖いなら怖いって言えばいいじゃない」


 自分自身に腹が立っているのは確かだった。だが、おチエの言う通り死ぬのは怖い。悔しいが、それも確かだ。


 陰祓師というのは、いつ死んでもおかしくない危険な生業である。


 人間を殺すことに愉悦を感じ、食べようとしてくるこんな奴らと命のやりとりをするのだから当たり前の話だ。


 故に、死ぬ覚悟なんてものはとっくの昔に出来ていた。


 じゃあ、何故に死ぬのが怖いのか……それは、今の私には死ねない理由が出来てしまったから。


 この匣と出会ったあの日、あの時にした約束。


 命の恩人である匣と交わした、果たさなければならない約束が私にはあるのだ。


 それを果たす為にも私はまだ死ねない、死ぬわけにはいかない。こんな所で、絶対に死ぬわけにはいかないのだ。


「キヒヒ、今更なにをしようと無駄よ、陰祓師様? キヒヒヒヒヒヒ」


 さて、どうにかしてこの窮地から脱しなくてはならないのだが、すぐにこの状況を覆せる方法を思いつかなかった。


 鬼火で糸を焼き払おうにも、さっき匣が言った様に妖力は切れてしまっていて、再び術を使用できるまでには、まだしばらく時間を要するだろう。


 だが、そんなものを悠長に待っていては、毒と一緒に注入される消化液よって溶かされて、彼女の本日の夕飯ディナーとして卓袱台ちゃぶだいにあがってしまうのは想像に難くない。


 じゃあ、時間稼ぎの為に何か話でもしようと考えるが、蜘蛛の異形相手にどんな話をすればいいのか見当もつかない。


 いま帝都で流行りの着物の話などしても、そんなものに付き合って貰えるとは到底思えないし。そんなの、彼女のボロボロの姿を見れば一目でわかる。


 なら、一体どうすればいいのだと、必死にあの手この手と考えるのだが……結局、今の私に出来る事と言えば、八百万やおよろずの神に祈るぐらいなものだった。


 そんな風に半ばヤケになっていた私の顔に、小さな人影がスッと落ちる。


「え?」


 その影の主を確かめ様と、私は首を起こして視線を向ける。そこには、継ぎ接ぎだらけの着物を着た金髪の坊主頭の子供が立っていた。


 その子は、異形から私を庇う様に左右いっぱいに手を広げている。


「おっかあ、もうやめて! 人を殺して食べるなんて、もうやめとくれよ!」


 私からはその子の背中しか見えない。声からして、先ほどおチエに注意を促した男の子、おチエの息子のジンタだろうと思う。


 その声は震えており、泣きながら恐ろしい姿に変貌した母親相手に、私を庇おうとしてくれている。


「ジンタ。いい子だから、そこをどきなさい。その恐ろしい女を殺さないと、お母さんが殺されちゃうのよ? あなただって、それは嫌でしょ?」


「……嫌だよ」


 ジンタの言葉を聞いたおチエは笑顔になった……様に私には見えた。そして、見た目からは想像も出来ない優しい声で、愛する我が子に語り掛ける。


「そうでしょ? ジンタは優しい子だから。母親想いの優しい子だからね」


 そう言って、彼女はジンタの頭を撫でようと手を伸ばした。


「嫌だよ……これ以上、おっかあが人を殺すのを見るのが、もう嫌だよ!」


「ジ、ジンタ……」


 我が子を撫でようとしたおチエの手が、ピタッと止まる。


「あんなに優しかったおっかあが、平気で人を殺すのなんてもう見たくない! 嫌だよ! じいちゃんだって殺しちゃって!」


「っ……!」


 その言葉に、私は息を飲んだ。


 ジンタの言う通りだとすると、昨夜、空へと消えていった太右衛門はおチエによってこの廃坑奥へと攫われて、すぐに命を落とした事になる。


 ──親殺しとは、なんて罪深いのだろう。


 太右衛門を助けられなかった無念とおチエの非情さに、私の胸はえぐられる思いだった。

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