第10話 異形『苦藻』(クモ)

「風……?」


 転がり込んだその部屋を見渡すと、そこは大きな武家屋敷が軽く一軒は入るだろう空洞が広がっていた。


 天井まではゆうに五メートルはあり、一部の壁が崩れ落ちて朝日が差し込んできている。さらに奥の方には人が立って通れるほどの穴があり、そこから風が吹き込んできていた。


 これが、あの藻掻き苦しむ人々の声の正体だろうか。


 壁や天井のゴツゴツとした岩肌を見るに、通路の様に人の手によって造られた場所ではなく、何百年、何千年とかけて自然に出来た場所なのだろうと想像する。


「……ん? あれって?」


 地面に乱雑に転がった無数の骨と丸められた蜘蛛の糸の中央に、一人の女性が首を項垂れたまま立っていた。


「あなた、おチエさん?」


 私が声をかけると、その女性はゆっくりとこちら見る様に顔を上げた。


 彼女の長くて黒い髪は結われてはおらず、痛み放題に乱れている。それに着物も酷く汚れており、足は何も履いていなかった。


「そうだけど……あなたは、離れで父さんと話をしていた人?」


 しわがれ声のその女性は、目は虚ろで肌は青白く、とても病的な表情をしていた。どうやら、太右衛門の娘の『おチエ』で間違いない様だけど、何やら様子がおかしい。


 私と太右衛門が離れ座敷に一緒に居た事を知っている風だけど、あの場には私と太右衛門以外には誰もいなかっ……


 まぁ匣もいたけど、それ以外に一切気配はしなかった。


「はて、なぜそれを? あなた、あの場にいたのかしら?」


「……」


 どうやら、親子そろって黙秘が趣味らしい。


「……まぁいいわ。私は不死野しなずのカイリ、または匣のカイリとも言うの。村の異変を解決する為に派遣された、藤棚の里の陰祓師かげはらしよ」


 私がそう自己紹介を済ませると、女性の目つきがみるみると鋭いものに変わっていく。奥歯をギリッと鳴らすと、こちらへ聞き返してきた。


「やっぱり陰祓師だったのね……ってことは、あの女の知り合いなのかしら?」


 おチエと思われる女の言葉に、私の心臓はドクンと強く脈打った。


「待って。あなた、今なんて言ったの?」


「……あの女の知り合いなのかって、訊いたんだけど」


「それって、千里の事?」


「さぁ、名前なんて知らないわ。でも、あなたと同じ格好はしていたわね」


 私の体内を巡る血液が、沸々と滾る様に熱くなっていくのを感じる。


「千里をどうしたの? 千里に何をしたの? 千里はどこにいるの!?」


 矢継ぎ早に質問する私に、彼女は残念そうな表情で答えを返してきた。


「どこにいるのかって、それは私が聞きたいくらいだわ。あの美味しそうな陰祓師は仕留め損なったから」


「仕留め損なった……って事は、千里は生きているのね!?」


「さぁ? そんなの知らないわよ」


 と、急に彼女の様子が一変する。


 剣呑けんのんな雰囲気を感じ取った私は間合いを測った後、腰の短刀を鞘から抜いて逆手に構えた。


 恐ろしい形相で私を睨みつけてくる彼女の背中からは、大きくて太い蜘蛛の足が次々に生え出て来る。そして、『シュルルル』と言う音ともに、白い蜘蛛の糸が彼女の体に纏わりつく様に浮かんでいた。


「とりあえず、代わりにあなたを食べることにするわ。女の子は良い匂いがして、とっても美味いしいのよ……」


 人間の体に蜘蛛の頭。


 顔の真ん中には上下に四つづつ、計八つある丸々とした真っ赤な目玉が並んでおり、そして蛇のように裂けたその口からは、鋭く尖った牙を覗かせている。


 そして、背中から生やした八本の蜘蛛の足を大きく広げて、まるで威嚇している様だった。


 すでに、彼女は人間としての姿を失っていた。


「おチエさん。あなたは人の姿を捨ててまで、何を欲したの?」


 醜悪な姿を私の眼前に晒した彼女は、その見た目とは裏腹な落ち着いた声で質問に答える。


「そんなの決まってるわ……幸せよ」


「幸せ?」


「そう、幸せ。ジンタを守る為に、私は人間を捨てたの。あの村の奴らを片っ端から食い殺して、大切なジンタと幸せに暮らす為に……あぁ、私の可愛い坊や」


 そう言い終わるのと同時に、彼女は両手を突き出し、無数の蜘蛛の糸を私に向けて飛ばしてきた。


「ハコち!」


 呼び声に反応した匣は、私の前に燃え盛る青白い炎の壁を作り出す。そのおかげで、こちらへと向かって飛んできた白い糸は、瞬く間に炎の壁に阻まれて燃え上がり消えていった。


「カイリ、今放った鬼火で妖力が底を尽きました」


「聞きたくない情報、ありがと」


 そう匣へと返事を返すと、私は自慢の緋色の瞳、魂魄眼こんぱくがんへ意識を集中させる。


 異形をこの世に繋ぎとめているを探る為に。


「見つけた。ハコち」


 おチエの体を通して、私は彼女の背中にある点を見出す。背中から生える蜘蛛の足の付け根辺りに、ドス黒い点がある事を確認した。


「ええ、カイリ。確実に、一振りで仕留めて下さい」


 逆手に握った短刀に妖力を注ぎ込むと、それに呼応するかの様に特別製の一尺の刃物は輝き始める。


 日輪国、随一の名匠である白江しろえ常継つねつぐ作の『魂解丸こんかいまる』は、注がれた妖力によって白く眩い光を放っていた。


「な、なに? なんなのよ、その短刀は……なんて光を放っているのよ!」


 おチエは体を震わせながら、私の手元で輝く短刀を見つめていた。その慌てぶりから、彼女が心の底から恐怖している事が良く分かる。


 誰から教わる物でもない。それは異形の本能とでも言うべきモノが、この短刀が放つ光が非常に危険であると感じているのだろう。


 自身をこの世からとする、恐ろしい光なのだと。


「ち、近づかないで! こっちにこないでよ!」


 彼女は喚き散らしながら、背中に扇状の蜘蛛の糸を展開し始めた。それと同時に、チリチリと静電気の様な光が糸を伝って走る。


 その様子から私は昨夜の光景を思い出し、崩れた上部の隙間から飛んで逃げる気だと瞬時に察した。


「させない!」


 間合いから外れようと、大きく後方へと飛んで逃げるおチエ。だがそうはさせまいと、私は両足に妖力を送り込んだ。


『幻影流体術・縮地しゅくち


 身体能力と跳躍力を飛躍的に向上させる体術を使用して、おチエに向かって大きく跳躍した。そうして、彼女との距離を一気に詰める。


「なっ! きっ、消えた?!」


 余りの速さに、おチエの目には私の姿が消えた様に映ったらしい。


 見えない私を近づけまいと、彼女は必死に八つの目を動かしながら、辺り一面に蜘蛛の糸を撒き散らしていた。


「無駄よ」


 私は宙にバラ撒かれた蜘蛛の糸を、手にした魂解丸で難なく切り刻む。


「どこよ!? 声はするって言うのに!」


 慌てふためく彼女の背後へと回り込み、緋色の瞳で因果の点を見据える。


 ──仕留める、一撃だ。


 おチエの背中に生え出ている蜘蛛の足。その中央に、禍々しい黒い球体が存在しているのを見えている。


 そう、これが異形の心臓とも言えるモノ。


 そこへと突き立てる為、逆手に構えた魂解丸を勢いよく前に突き出した。

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